『わろてんか』モデルの孫が証言、「吉本興業」創業者の過去
だが、商家生まれのせいは、女中奉公で培ったしたたかさと、女性ならではのこまやかなサービスを打ち出していった。また、暑い時期には入口に大きな氷のかたまりを置き、その上で冷やし飴の入った瓶をコロコロと転がして路上販売。買い求めるお客さんに「ついでに寄席でも見ていっておくれやす」と声をかけた。
「もって生まれたやさしい気質もあったんでしょうね。楽屋では芸人さんの世話までしていました。冷たい手ぬぐいで体を拭いてあげたり――。無名の芸人にまで尽くすわけですから『ごりょうさんがここまでやってくれるんやから、ボクらも頑張らなあかん』と、みな励む。おかげで一体感が生まれた。
それが吉本を大きくしていく原動力になったのだと思います」(圭比子さん)
当時、夫婦2人は通天閣の展望台に上って、大阪の街を見渡した。そのときせいが泰三に向かって、「大将(泰三)、大阪にはぎょうさん寄席がありますけど、いつかみんな吉本の寄席にしていきましょな」と、夢を語ったという。それから寄席経営は着実に大きくなっていった。
2年目には芸人プロダクションである『吉本興行部』を立ち上げ、3年目には寄席小屋を5軒に増やした。