『わろてんか』モデルの孫が証言、「吉本興業」創業者の過去
落語が衰退し、色物が好まれるようになった時代の潮流に乗ることができたのも、成長の要因となった。寄席を次々に増やしていたころ、夫婦の住まい兼事務所の大きな土間には、「吉本」と書かれた提灯がずらりと並べられていた。
「火の見櫓の鐘が鳴ると、使用人やら事務員が社名の書かれた法被を着て、それらを一斉に持ち出すんです。おばあちゃんはいの一番に火事現場に飛んで行きはって、ぎょうさん作ったおにぎりを『吉本でっせ』と困っている人たちに配るんです」(圭比子さん)
関東大震災の際は、慰問団を結成し、船に救援物資を積んで東京に向かった。吉本の寄席に来てくれないような名人クラスの落語家に毛布を届けると、いたく感動され、その後吉本の寄席にも出演してくれるようになった。人と人とのつながりが、仕事に発展したのだった。
「テレビもCMもない時代、商売に役立つ宣伝もしないとあかんと思っていましたが、根底には人情味があるんですね」(圭比子さん)
人々の「笑顔」のために尽くし続けたせいの人情物語が、いま朝ドラでよみがえる!
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