『越路吹雪物語』じわじわ人気に…友人が明かす彼女の真実
と持ちかけたことがきっかけだ。
「後年、岩谷先生が山のように積まれた色紙に、越路さんのサインを代筆している姿を見ました。おそらく世の中に出回っているサインの多くが、岩谷先生が書いた“ホンモノ”と言えます」(草野さん)
2人はお互いを「コーちゃん(越路さんの本名が河野美保子のため)」、「お時さん」と呼び合う仲になった。
■東京での“お目付役”から作詞の才能を発揮!
昭和26年、越路さんが東宝に移籍し、東京に転居する際も、2人は一緒だった。
「越路さんに男性社員を付けるわけにもいかないし、東京で悪い虫がつくといけないと、宝塚の社命で“転勤”するように言われたのが岩谷さん。なかば監視役のようなものでした」(田家さん)
職場の隣が、渡辺プロダクションという縁があり、岩谷さんは後にザ・ピーナッツの作詞を担当。数々のヒット曲を世に送り出すのだった。
■映画撮影中は共同生活。
“寝起き”時はけんかも
上京したばかりのころ、映画の撮影や舞台が始まると、女性2人に気を使い、映画監督や劇場支配人が自宅の部屋や劇場の空き部屋を用意してくれたという。