水上恒司の“正解のない世の中”を泳ぎきる軸「貫くことと、押し通すことは違う」
だった。「細部まで決め込まず、実際に演じてみておもしろかったら、それでOK」というスタンスの石井監督。イレギュラーな状況にもドキドキしていた水上は「まるでゾンビのように、朔也にまとわりつく岸谷の姿をイメージしていた」という。
「あのシーンは、言ってしまえばアクションシーンだったんです。たとえば、腕を掴んで引っ張っているように見せて、実は力を加減して相手をアシストしている、といった場合もあります。でも今回は違った。池松さんが全力で、良い意味で僕に気を遣わずにぶつかってくれているのが、彼の手の力でわかった。だから、楽しかったんです」
自分のものになってくれない朔也を引き止めようとする岸谷、それを必死に払おうとする朔也の構図が重視されたシーン。
VF技術が発展した時代において、彼らのような若者二人はどんな災いに巻き込まれ、齟齬に苛まれたのか。本編を観て感じ取った解釈は、100人いれば100通り、違うものになるはずだ。
良い作品は、解釈の余白を与える
「わかりやすく問題提起をする作品は必ずしも良作ではない」という水上の言葉に目が覚める。問題提起、社会問題、ポリティカルコレクトネス。娯楽が社会に接続する営みは健全にも思える反面、あまりにも顕著だと露悪的にも映る。