清原惟監督『すべての夜を思いだす』ご当地・多摩ニュータウンで先行上映イベントを開催
![清原惟監督『すべての夜を思いだす』ご当地・多摩ニュータウンで先行上映イベントを開催](https://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexpub%252Ffeed%252FLP_P_PIA%252F2024%252FLP_P_PIA_905653dc_9616_4704_9c92_c778154cf556%252FLP_P_PIA_905653dc_9616_4704_9c92_c778154cf556_c6a5b49a55e52ef66341_2.jpg,small=600,quality=80,type=jpg)
清原惟監督
司会今日は大きいスクリーンで映画をご覧いただきましたが、いかがでしたか?
南波克行すごく楽しかった。どこが楽しかったかというと、多摩のある晴れた5月の一日の早朝から夜更け、つまり、一日の誕生と死を描いていると感じました。また、この一日が、ハローワークに行く女性の誕生日であることと、大学生の女性の旧友の命日であるということ。つまり同じ一日の中で、生と死、誕生日と命日という真逆のことを描いている点です。
お誕生日パーティーのビデオをアナログからデジタルに変換しているカメラ屋さんのお兄さんが登場しますよね。ホームビデオの誕生日パーティーなんですよね。逆に、お葬式や人間の死にまつわることは映像に残らない、残そうとしない。つまり誕生日パーティーはデジタルに変換してでも残そうとするけれども、死というのは不可視化に見えなくなってしまう。
ここでは沢山のことが頭をよぎりました。そのお誕生日パーティーのシーンは、古くは1985年から1996年くらいの過去30年から40年前の誕生日を描いていて、そこでお祝いされていた子供たちは、今では30歳、40歳のいい大人になっていて、撮影したお父さんお母さんは、お爺さんお婆さんになっているかもしれない。