デイジー・リドリー主演作『時々、私は考える』監督インタビュー。「空想は主人公にとって必要なこと」
内なる世界は物事をしっかりと感じることができる安全な場所で、そこでなら自分の感情も表現できます。フランは、まだ現実の世界に自分の感情を表現できる安全な場所を見つけられていないので、自分の内なる世界にいる方が生き生きとしていると感じているのです。
もちろん、フランも現実の世界で生き生きとしていたいのですが、彼女にはそのやり方がわからない。まるで、みんなは子どもの頃に“こうすれば人間らしく暮らせるよ”という授業を受けたのに、自分だけその授業を受け損なってしまって、どうしたら良いのかわからないような感じです。そんなところからこの物語は始まります」
つまり、本作におけるフランの空想は、仮に死のイメージが描かれたとしても死への願望があるわけではない。浮遊する自分を想像したとしても飛び立ちたいわけではない。彼女の空想はいつも“生きづらい現実との向き合い”から生まれ、その視線は空想内ではなく現実に向かっている。
そのため、劇中で描かれるフランの空想シーンはすべて完全な想像世界ではなく、現実との接点のある光景になっている。
「そうですね。フランが想像する世界は、自然であったり、現実世界にあるものを“具材”にしています。