人にとって「誰かと一緒にいたい」欲は三大欲求と同じ
謎の罪悪感でモヤモヤしたときに
以前、こちらのSOLOで「さみしさは敵か」という特集をやっていました。実は特集が終わった後も私は一人で、この「さみしい問題」について少し考えていたのです。
「夫が長い狩りに行った時だ。そんな時は心配で眠ることができない。怪我をしていないか、蛇に噛まれていないか、オカバに襲われていないか。とても心配になる。陽が沈んでも帰ってこない時はとても悲しくなる」
「夫が隣村に行ってずっと帰ってこない時、とても淋しくなる。狩りから帰ってこない時も淋しくなる。
だから、子どもたちを叱る。『どうして一緒に行かなかったの!』と言って探しに行かせる」
(国分拓 『ヤノマミ』新潮文庫、p221)
上の一節は、広大なアマゾンに住む原住民「ヤノマミ族」と、150日間にわたる共同生活を送り密着取材を行なったNHKディレクターによるノンフィクションから引用したものです。
話をしているのはヤノマミ族の女で、年齢はおそらく私たちと同じ20代か30代くらい。ヤノマミ族は今でも電気も水道もガスも持たず、外部の人間からもらう石鹸が貴重品という原初の暮らしを営んでいます。そんな彼らでも「夫が帰ってこなくて悲しい」