SOLOがお届けする新着記事一覧 (1/14)
第41回「至福のおひとりさま」(c)つめをぬるひと私がSOLOの連載にお声がけ頂いたのは、おひとりさま期間を終えて数ヶ月ほどたった頃だった。それまで、おひとりさまならではのエピソードが書けるくらいには、一人で何かをすることをひたすら満喫し、行きたい場所へ行き、たまには友人と飲み歩いたりして、自分の責任だけで動けることの“フットワークの軽さ”を武器に楽しんでいた。一人でいることが好きなのは今も変わらなくて、この連載でも様々なことを書いてきたが、最も多く書いたのは、・人と比べることがいかに生産性のないことか・そもそも誰しもがおひとりさまであるということだろう。割とベタなことを書いたかもしれない。ちなみに、これを言っちゃ元も子もないが、誰にでも当てはまることだと思っている。いくら一人で過ごしていようと、人と関わることには変わりない。いろいろな人と関わっていると、それだけ本当にいろいろなことが起こる。こういう人にはなりたくない、こんな人になりたい、そういう学びのようなものが自分を形成する。私は来月引っ越しをする。10年以上一人暮らしをしていたのが、一人暮らしではなくなる。普通なら「もうおひとりさまじゃないんだからちゃんとやらなきゃ」となるんだろうけれど、ここで私が書いてきたことは恐らく忘れちゃいけない気がしている。誰と一緒にいようと私たちは、おひとりさまと、おひとりさまだ。読者投稿を送ってきてくださった皆様や、私の文章を読みやすいよういろいろご提案してくださった編集の方、実は読んでますよと言ってくれた会社の人や友人、通りすがりに読んだことあるなあくらいの人も含めて、皆様のおかげで自分の忘れちゃいけない何かをその都度再認識させられました。一人でいることの至福は今後も大事に。Design&Text/つめをぬるひと前回記事<その時選択したことは最善だと思う>もチェック!
2018年05月28日この部屋には現在進行系のものしかないby Studio 7042今の住まいに越してから、半年が経とうとしている。引っ越した当初は、「寂しくなったらどうすればいいんだろう」「掃除が苦手だから、部屋がどうしようもなく汚くなってしまうんじゃないか」というような不安を覚えていたけれど、どちらも杞憂に終わっている。毎日が慌ただしく過ぎていくから寂しくなることもそれほど多くはないし、私は自分が責任者となるようなところでは苦手なことでも最低限のことはきちんとする性格のようだった。今のところ、部屋もきれいだ。部屋をきれいに保てているのにはもうひとつ理由があって、ほとんどものがないからだった。もともと住んでいた部屋は、CDと漫画と服で溢れかえっていた。けれど、整理をしてみるとほとんど必要のないもので、恐らく所有物の2、3割程度しか今の住まいには持ち込んでいない。ものが多いのに捨てられないから、私は掃除が苦手だったのかもしれない。それから、今の住まいのなかで一番古いものは、中学1年生の頃に買ったジョージ朝倉の『恋文日和』だった。大好きな漫画だ。色紙や写真など、思い出みたいなものを残しておくことが苦手で、それらしいものは何もない。本当にすべて捨ててしまった。今私がいるこの部屋は、現在進行形で私を構成するものでできている。新しい場所に移るとき、昔の思い出を持ち越さないのは人間関係でもそうだった。私には、「地元の友達」という存在がひとりもいないし、中高の友達すら、誰とも連絡を取っていない。それだけならまだよくて、最近は大学の友達ともなんだか疎遠になりそうな気がしている。彼女たちから連絡がくると、中学高校の同級生から連絡を立て続けに断っていたときのような、同窓会のLINEグループに突然加入させられて焦って退会したときのような気持ちになる。少し離れたところに住んでいるとか、忙しくてなかなか時間が合わないとか、そういうことも関係しているのかもしれない。長く会わないうちに、自分が何を話したいのか、それから彼女たちのどんなところに興味を持てばいいのか、よくわからなくなってくるのだった。「久しぶりに会いたいな」とか「今どんなことしているのかな」とか、そんなことすら思わない。それどころか、数年前はどんな風に毎日話をしていたのか、何が楽しくて彼女たちと私が一緒にいたのかも、よく思い出せなくなってきている。たとえ久しぶりに会っても、それなりに楽しく過ごすことはできるだろう。近況報告や恋愛の話、それから仕事の愚痴と学生時代の思い出話を2時間も3時間もぶっ通しで話して、駅のホームで「またね」と言いながら終わる。きっとそうだ。でも、そういう時間が、久々に会った高揚感やアルコールのおかげで笑いのツボが浅くなっていることを抜きにして、本当に楽しいのかどうか、私にはわからない。きっと、それはお互い様だ。みんな人の生活には興味なんてないし、どんなことが起ころうと関係ない。どんなに仲がよくても。ついでに言うと、人の話が面白いことなんて滅多にない。大人がお酒を必要とするのは、自分の退屈さを紛らわすためかもしれないし、だから私はずっとお酒が手放せないのかもしれない。この人間関係をどうやって維持すればいいのか私はこれからの人生において、「地元の友達」「10年来の親友」「腐れ縁の仲間」みたいなものが一切登場しなくなるんだ、ということについこの間気が付いた。その選択がいいとか悪いとかではなくて、私の人生のうちでずっと重要な登場人物だった人は誰もいないし、遠い過去から現在にかけての私を知っている人もいないということになる。もしかしたら、昔からお互いのことを知っている人というのが、私にとってかけがえのない存在かもしれないのに、私にはそれを確かめる術がない。なんだか気づかないうちにとてつもなく大きな財産のようなものを、どこかに置いてきてしまったような気がした。以前にも、大学時代の友達に対して「ああ、疎遠になるかもしれないな」と思ったことがあって、そのことを共通の友達に話すと、「あんた、あんなに優しい子に愛想つかされて疎遠になったら人として終わりだよ!」と言われたことがある。そうだ、そうなんだ。いい人たちで、恐らく今後も大切にしたほうがよさそうで、たとえば私が多額の借金を抱えたとか何かの拍子に事件に巻き込まれてしまったとか、そういうときに一番に助けてくれる人たちだってこともわかっている。けれど、どうやって興味を持ち続ければいいのか、どんな風にひとつの人間関係を大切にし続けたらいいのか、私にはよくわからなかった。聞きたい話も思い浮かばないし、私がしたい話もない。そういう人と、私はどうやって接していったらいいんだろう。もう本当に人間として終わりなのかもしれない。大切な人をきちんと大切にできない私は一体なんなんだろう。もっと大人になっても、周りの人を大切にする方法がわからないまま大切な存在をものみたいにどんどん捨てていって、人生でとてつもなく大きな財産を見逃してしまうのかもしれない。Text/あたそ<何もない私はこのままで大丈夫なの?その答えは、身近にあったりする>もチェック!軸とか、芯とか、何もないと思える。でも自分だけで決めるものではないのかもしれない。
2018年05月22日純喫茶とカレーのおいしい関係を探りたい5/10に渋谷Loft9で開催された「純喫茶とカレーのおいしい関係」。ご来場下さった方がいらっしゃいましたら、お礼申し上げます。約130名の方にご参加頂き、大盛況のうちに終わって大変光栄でした。ご来場の皆さんに提供されたこの日だけの特製ビーフカレーは、3色のクリームソーダの甘みや香草酒の爽やかさとの相性も抜群でした。さて、今回はそのイベントを企画した背景や、その場で飛び出した名言、その後考えたことなどについて綴りたいと思います。カレー研究の第一人者・水野仁輔さんと精神科医でミュージシャン・星野概念さん難波里奈『純喫茶、あの味』難波さんの新刊『純喫茶、あの味』にご興味がある方はこちらから!
2018年05月17日今すぐ結婚したいわけじゃない。けど、リミットが…by Neil Fedorowycz ある日Twitterを眺めていたら、「いつかは結婚したいと思っているんだけど、別に今は今で楽しいし、正直今すぐにっていうほど切望してるわけじゃない。でも諸々のリミットもあるし、やっぱり早く結婚したいな……」という主旨の、なかなか悩ましいツイートが流れてきました。30歳前後の独身女性であれば決して珍しくない、共感を呼ぶお悩みだと思います。同じく、30歳前後の独身女性である私自身はというと……脳がアフリカ人なので、未来のことを考える思考回路があまり発達していません。別にアフリカ人を侮辱しているわけではなく、これはこれで美徳だと思っているんですけど。「今」したくないことはしないし、リミットとかもあまり考えないです。将来後悔するかどうかなんてそのときになってみないとわからないし、とにかく「今」したいことを「今」やる! という精神で生きています。だから、上のようなお悩みは実のところ抱えたことがありません。でも、やっぱり女性にとって「リミット」の話は重いなーとは感じます。これが「いつか結婚したい」ではなく「いつか起業したい」とかだったら、「いつかじゃなくて、今、すぐにやりなよ!」と自分のことは棚に上げまくって無責任に煽れるんですが……起業はいつでもできるけど、出産はリミットを過ぎると本当に二度とできなくなってしまうから、「今」したくなくても将来後悔したら悲しいなあと、やっぱり考えてしまうと思います。「後悔」はしても、「納得」ができればいいんじゃないかすごくデリケートな問題を含むとわかった上で、それでも私は、「今」する気が起きないことは、しなくてもいいと考えています。今は、今やりたいことをやる。アラサーだろうが遊びたいなら遊びまくるべきだし、留学したいなら結婚なんかどうでもいいから行くべきだし、仕事したいなら仕事しまくるべき。眠いなら寝るべき、お腹すいたなら食べるべき。「ちゃんと考えないとダメだよ」と言ってくる人もいるかもしれないけど、その人たちが私たちの人生に責任を持ってくれるわけでもないので。未来は「今」の積み重ねだから、「今」を精一杯やっていたら、必ず納得のいくものになると思うんです。「納得のいく」は、「後悔しない」とは少し違います。後悔は、するかも。というか、私は「後悔のない人生」なんてあり得ないし、あり得たとしてもそんな色気のない人生はいらないと思っておりまして。私の大好きな小説に、カズオ・イシグロの『日の名残り』があります。この小説の主人公であるスティーブンスは英国の執事なのですが、仕事に全身全霊を捧げてきたこれまでの生き方を、晩年になって「本当にこれで正しかったのだろうか?」と旅をしながら振り返ります。正しくはなかったかもしれない。あのときの選択は間違っていたかもしれない。でも、最終的にスティーブンスは、間違っていたかもしれないことも含めて、「納得」するんです。人によっていろいろ解釈はあるだろうけど、私はそういう小説だと思ってこれを読んでいます。無意識のうちに囚われてしまう制約を、解除する機会を設けてみてほしいリミットとか、将来についてきちんと考えることを、全否定するわけではありません。でも、あまりにもそれに囚われすぎてしまっているとしたら、一度頭をリセットして「余命3年と宣告されたとしたら今、何がしたいだろう?」と考えてみるのも有りだと思います。ちなみに私はこの手の妄想を半年に一度は時間をとって意識的にやっていて、「4億円手に入ったら今、何がしたいだろう?」とかもよく考えます。普通に生活していると無意識のうちに制約の枠の中に思考がはまっていってしまうから、意識的にそれを解除する機会を設けているわけです。こんな偉そうなことを言っているけれど、私は決してお金持ちじゃないし、仕事で成功しているとも言い難いし、未婚だし、他人に自慢できるようなものは持っていません。でも、「今」やりたいと思うことを毎日やっているから、まあ将来痛い目を見る可能性はあるけど、そうなったらそうなったでいーや、と考えています。後悔するかもしれないけど、納得はできると思うから。意識的にアフリカ人になること。人それぞれ考え方はあるだろうけど、参考意見の1つとしてカウントしてもらえたら私は嬉しいです。あと、『日の名残り』を読んでほしい!Text/チェコ好き前回記事<人にたくさん迷惑をかけたほうが「善く生きる」を目指せるのでは、という仮説。>もチェック!「人に迷惑をかけるな」と言われて育った私たち。でもそれは、「人から何も受け取るな」と同意義だったのです。
2018年05月16日第40回「その時選択したことは最善だと思う」(c)つめをぬるひと今回は「最近結婚を意識していた恋人に別れを告げられました。そして、就職先が決まりました。全て1週間以内の出来事で一気に視座が変わったように感じます。自分の門出を自分でお祝いしてあげたいです」という読者投稿だ。良いことと良くないことが同時に起こって、端から見ればプラマイ0と思われがちだが、その人自身にとっては100と-100の間をめまぐるしく行ったり来たりしている。そんな中で元気に過ごしていくには何か一つでも支えというか、拠り所にできるものがあると救いになる。私がつけ爪の販売を始めた頃のことだ。価格をどうするか考えていて、最初に設定した“1セット1,000円”についてどう思うか当時の彼に聞いたら「ちょっと高くない?」と言われた。相場を調べた上で設定した価格ではあったのだが、つけ爪に興味のない人からしたら高いと思われるのは仕方ないのかもしれないと思いつつも、私はその価格のまま販売することにした。別にそれが原因ではないが、その年の冬に彼と別れた。現在、当時のまま1,000円で販売している商品も一部あるけれど、季節ものやその月にしか販売しないもの、材料にコストがかかるものなどは、価格を上げて販売している。しかし、その上がった価格ですら、最近はお客様や周囲から「安すぎる」と言われるようになった。元彼への不満を書くほど引きずっているものは何一つ無いけれど、あの時自分が決めたことを曲げなくて良かったな、と自分の頑固な性格を褒めた。別れた当時は辛かったけれど、仕事や何か他のことに打ち込んだことは必ず糧になるし、その時選択したことは最善なんだと思う。今回の投稿を送ってくださった読者の方の門出を、私は爪を使って全力でお祝いする。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<周囲との差なんて、実はたいしたことない>もチェック!生活力なんていつからでも遅くない。「周囲との差」がテーマです。
2018年05月14日私は何者なんだろうか?by Lisa Fotiosときどき、私は何者なのだろうと思うことがある。自分の置かれている環境から少しでも離れてみると、自分を支える軸みたいなものが、根っこみたい部分が、少しずつブレていく。それから、不安になる。このままで、大丈夫なのだろうかと。今までも、大丈夫だったのだろうかと。なんだか、自分が何も持っていないような、誰の記憶にも残らない、小さくてつまらない人間であるように思えて、焦りに似た感覚が胸の奥の方から襲ってくる。GWはロシアに行っていた。イルクーツクという、世界遺産のバイカル湖のふもとの街。そこで知り合った人は、ロシア人の両親を持つ、オーストラリア人だという。8歳くらいまでロシアで過ごし、それから大人になるまで、オーストラリアで生活をしていたらしい。オーストラリアとロシア、2つの国籍を持っているからこそ、ときどき自分がどちらの国の人間なのかわからなくなることがあって、何かがわかるかもしれないと思い立った彼女は、自分のルーツとなるロシアを何カ月かかけて、旅をしているようだった。同じくして、ブリヤート共和国(バイカル湖の南東部に位置する)というところから家族旅行できたという13歳の女の子と出会った。彼女は日本のアニメが好きで、私よりもずっと日本のアニメに詳しくて、なんだかとてもいたたまれない気持ちになり、簡単な質問にすら答えられない日本人の自分を少し恥じた。ロシア人の彼女より、ずっとアニメに近いところにいて、その気になれば色々なものを見ることができるのに。言葉も、おそらく感性みたいなものも同じだから、理解もしやすいはずなのに。オーストラリア人の彼女のように、自分の国籍や人種に疑問を持ったことはないけれど、日本に関する簡単な質問に答えられない私は、ときどき「自分は、本当に日本人として大丈夫なのだろうか?」と自信をなくす。そして、人間関係を1からスタートさせなければならない環境に身を置いたとき、「私は、一体どんな人間なんだろう?」と不安に思うことがある。私は、きっと日本のことを何も知らない。日本だけではなくて、世界のどんなことも。何も知らない私は、どこにも所属できないで、何もない空間に宙ぶらりんになっているような、そんな感覚になっていた。日本人の両親から生まれて、名前を付けられて、ずっと日本で育ち、日本語を話す。だからきっと、日本人なのだろう。でも、日本で生活をしている間は、そんなこと疑問に思ったこともない。どういう条件が揃っていれば、私は自分のことを日本人として認めてもいいのだろか。周囲の人間は、鏡の存在だ平日は仕事をし、たまに友達とお酒を飲んだり、映画や小説を読んだりして、長期休みが取れるとどこか遠くの国へと向かう。ときどき死にたくなったり、何もかもが嫌になったりして、でも大丈夫になったりして、そういうのを含めて「私なんだ」と思っている。そんな私が、私だと認識できるのは、きっと周りの環境があり、自分の好きなものや好きな人に囲まれながら生活しているからだ。毎日同じ生活を積み重ねていって、私のことを名前で呼んでくれ、役割を与えてくれるから居場所が増えていき、どんな性格をして、何が好きなのかを知っている人がいるから、たぶん私は自分が今ここにいてもいいのだろうと思えるし、自分がどんな風な人間で、どんな価値を周囲に与えられているのかがわかるのだと思う。時間や経験を重ねていって、評価してくれる人がいるからこそ、自分の自信にもつながっていくのかもしれない。GWが明けてまたいつもの生活がはじまると、他にたくさん考えなくてはいけないことに埋もれて、きっとこんな風に思っていたことも忘れてしまう気がする。だけど、仕事や人との関係のなかで自分の役割を見つけて、見合った行動を取っていけばいい。そうすれば、自分の国籍や人格、どんな人間なのかを不安に思うこともずっと少なくなると思う。1人でいたいとか、1人が好きだとか、そう思えるのも、周りの人が何かしらの価値を与えてくれるからで、どう思われているのかばかりを気にしていたら、きっとこんな風になっていなかった。私が人間関係を手放せず、いつでも手の届くところに置いているのは、自分に対しての自信のなさからなんだろう。「周囲の人間は、鏡の存在だ」という言葉があって、似たもの同士が集まるという意味らしい。自分が一体どんな人間なのかを教えてくれるのも、周囲の人とか、環境や生活とか、きっとそういう自分の手の届く範囲にあるものなのだと思う。Text/あたそ<「一緒にいてほしい」と言えない…わたしに恋する権利があるのか>もチェック!ひとりでいることは強さではあるけれど、ひとりでい続けることは、全然強くない。
2018年05月08日おうちでバル気分!スペイン本格“タパス”にチャレンジだいぶ暖かくなってきました。暖かく日ざしのまぶしい日は、飲んべえとして、冷えたカヴァと一緒にスペインバルのメニュー“タパス”を食べたくなります。タパスは、スペインのバル文化から生まれた小皿料理全般のことをいいます。ハムやチーズや缶詰も、ただ開封して小皿に乗せればタパスになるのですよ。ただ今日は、せっかくなのでそのタパスの中でも定番の小料理“スパニッシュオムレツ”の作り方をご紹介します。あの厚みのある丸いオムレツはこうやって作るんですよ~!作り方はとてもシンプルで簡単。ぜひお家バルのメニューとして、チャレンジしてみてくださいね。厚みのある丸い、スパニッシュオムレツ【材料】16cmのフライパン1つ分卵 3個じゃがいも 1.5個玉ねぎ 1/4個塩こしょう 適量オリーブオイル 大さじ1/21. 玉ねぎはみじん切りに、じゃがいもは皮をむいて4等分にしたあと、2mmの薄さに切る。耐熱皿に入れてラップをし、600Wの電子レンジで2分加熱する。2. 卵はボウルに割り入れ、お好みの塩加減で塩こしょうをして、箸で白身を切るように混ぜる。3. フライパンにオリーブオイルを入れて温め、1の玉ねぎとじゃがいもを炒める。木べらでじゃがいもを切るようにガシガシと突く。4. じゃがいもに火が通ったら、2の卵を流し入れ、軽く混ぜ、中火で2分加熱する。5. 平皿をかぶせ、ひっくり返して皿にだし、またフライパンに戻してひっくり返す。6. さらに2分加熱すればできあがり。私が主宰しているおもてなし料理教室lifestyle atelier MAGNOLIAでは、5~7月にスペイン料理のレッスンを開催します。今回ご紹介したスパニッシュオムレツ以外にも、たくさんのタパスやパエリア、スープ、デザートなどを作ります。お料理初心者も大歓迎。アルコール飲み放題なのも、飲んべえ主宰の料理教室ならではです(笑)。ぜひお気軽にご参加ください!Text/太田みお働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。 「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。
2018年05月04日「一人が楽しい」と「一人では生きていけない」「寂しい」という言葉を聞くと、ちょっとだけ胸がキュッとなります。というのも、恋人がいる・いないに関係なく、「一人は寂しいから誰かにそばにいて欲しい」と思ったことが、私はほぼありません。「一人で食べるご飯よりも、誰かと食べるご飯のほうが美味しい」とも、あまり思いません。美味しいものは一人で食べても美味しいし、不味いものは大好きな人と食べても不味いです。たまに悲しく思うのは、隣に愛しい人がいないことではなくて、そんな自分の感性を「人でなし」だとか「人生の豊かさを知らない」だとか言われてしまうこと。もしくは、自分で自分の感性を責めてしまうこと。しかし、私は人でなしではない……! これについては、何度も訴えながら世間の理解が変わるのを待つしかないと思っています。私は人でなしではないが、確かに少数派の感性の持ち主ではあると思うから。そんなわけで、「愛しい人に隣にいてほしい」みたいなことはあまり思わない私ですが、「自分は一人でも生きていける」とは考えていなくて、むしろ「人間は一人では生きていけない」と、最近よく実感するようになりました。なぜか凡ミスをしまくった南イタリア旅行この春、お休みをいただいてまたまた一人旅をしてきたんです。行き先は南イタリア。しかし、この旅行でなぜかワタクシ、予約した宿にたどり着けなかったり、空港付近で道に迷って飛行機に乗り損ねそうになったり、バスや鉄道の時刻を間違えたり、数え切れないくらいアホなミスをしまくったのです。でもそのたびに、まわりのイタリア人が一緒に宿を探してくれたり(歩いている方向が全然違ったらしく島のおばあちゃんが車まで出してくれた)、空港までタクシーを呼んでくれたり、コーヒーをごちそうしてくれたり、すごく助けてくれたんです。私たちはずっと「人に迷惑をかけるな」と教わってきたし、私も普段の生活ではそこまで他人をアテにしていません。仕事等で必要ならばもちろん頼るけど、それは仕事だし、悩み事を人に相談するのもちょっと苦手です。人に頼るのはダメなことだし、カッコ悪いことだと思っていました。でも今回の旅行、変な言い方ですけど、たくさんの人に迷惑をかけるのがちょっと気持ち良かったんですよね。「助けて」って言ったら意外とみんな、普通に助けてくれます。「困ったことがあってもけっこう何とかなるもんだ」と思いました。イタリアは発展途上国ではないし、このくらいは当たり前でしょうか? まあ考えようによってはそうだけど、「いざとなったら誰かが助けてくれる」という世界観に確信を持つことによって、私の自己肯定感は爆上がりしてしまいました。いざというときの『助けて』が言いやすいように徳を積む=善く生きる!最近の私は人類学の本をよく読むのですが、おそらく人間の根本には「贈与」があります。与え、与えられるという関係があります。私たちは「人に迷惑をかけるな」と教わってきたけれど、それは別の言い方をすると「人から何も受け取るな」と同義です。当然ながら、とにかく周囲に迷惑をかけまくればいいという話ではないです。だけど大切なのは、「人から何も受け取らない」ことではなく、「与えられたぶんを少し多めにして返す」ことなのではないかな……と、ちょっと大人になった(31歳になりました)私は考えます。イタリアでたくさんの人にお世話になったぶん、私は東京にいる外国人観光客に親切にしないと罰が当たるでしょう。もちろん身近な人にも、自分の持っているものを必要なシーンで与えられなかったら、私のほうが報われません。旅先で散々人に迷惑をかけたことで、「困ったときはしょうがないので『助けて』って言おう」と、「いざというときの『助けて』が言いやすいように、普段からgiveの精神を発揮して徳を積んどこう」を、同時に思うようになりました。もしかしたら「人に迷惑をかけない」よりも、「いざとなったら世話になる」という心構えでいたほうが、「善く生きる」をきちんとまっとうできるのかもしれません。人に親切にしないと死ぬって、私は今、マジで思っておりますので……。「一人が楽しい」と、「人は一人では生きていけない」は、両立できます。もっと胸を張って「一人が楽しい」と言えるように、自分の感性を責めないために。独り身だからこそ周囲ときちんと関わっていきたいと、最近の私は決意を新たにして、ガンバっています。Text/チェコ好き前回記事<隣の芝生はいつだって青いけど、都合よく羨ましがるだけの人はずるい>もチェック!私たちは、他人の見えない部分を勝手に想像して、羨んだり嫉妬したりしていないでしょうか。
2018年05月02日第39回「『生活力』はいつからだって」(c)つめをぬるひと今回は「一人暮らしの友人との生活力の差を感じて、一人暮らししたいけど、親からの仕送りはもらえなさそう。どうにかならんものかと、作戦を練っているところです」という読者投稿(要約しています)。私の親はあまり家事をやらない人だったので、高校生の時くらいから洗濯などの家事を親の分もやっていた。よく「一人暮らしをすると親の大変さが身にしみて分かる」というが、大学進学と同時に上京して一人暮らしを始めた私は、家事が一人分になったことで「一人暮らしってこんなに楽なのか」と感動してしまった。自分の裁量で動ける楽しさ、失敗から学べる経験など、一人暮らしならではの良いところも知り、社会人になって一人で生計を立てるようになってからは、もっと楽しくなった。そんな一人暮らし推しが強い私だが、だからといって早い時期から始めたほうが良いのかというと、そうでもない。私は、一人暮らし歴が5年の人と10年の人に「生活力」の差はさほど無いと思っている。今回の読者投稿に書かれていた「一人暮らしの友人との生活力の差」とは、経済面というよりもどちらかというと、いかにタフであるか、という意味で仰っているような印象を受けた。一人暮らしを学生時代から始めた人と、社会人になってから始めた人の間にあるギャップなんて、長い目で見ればたいしたことはない。何が言いたいのかというと、「親からの仕送りを頼るな」とか「甘えるな」とか説教じみたことを書くのはなんか違うと思っていて、たしかに仕送りがもらえなさそうであれば社会人になってから一人暮らしをするしかないんだけど、「周りの友人との差を意識しないようにする」という考え方にシフトするのもありだよ、という話だ。今回の爪はそんな、周囲との差が実はたいしたことではないということを意識して制作した。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<はじまるために、その恋を終わらせる>もチェック!不倫をやめて新しい恋を。「変化を応援する爪」がテーマです。
2018年04月30日「どこか遠くに行きたい…」と思った時に浮かぶ純喫茶まもなくやってくるゴールデンウィーク。長期休暇を取れる方、暦通りに過ごす方、その時期が最も忙しいという方、それぞれだと思います。連休に関わらず、慌ただしい日々にひといきつける休日は、おそらく誰もが待ち遠しいのではないでしょうか。しかし、人気のある観光地や有名店は多くの人で賑わい、かえって人混みで疲れてしまうことも。そんな時に小休憩できる純喫茶の存在はありがたいもので、「珈琲」「喫茶」「coffee」などの文字を見つけるとすぐに吸い寄せられてしまいます。例年でしたら混雑を避けて、いつも通り近所の街を散策するくらいで連休を終えるのですが、今年は真夏に発売する予定の純喫茶にまつわる新刊取材のため、密度の濃い純喫茶巡りの日々を送るつもりです。いくつもの遠くの街へ出掛けることは大変ではありますが、まだ知らない純喫茶たちを訪問する機会を頂けるのはとても光栄なことです。その素敵な出会いや魅力を皆さまにきちんと伝えるべく、頑張りたいと思っています。さて、今回はもし岡山に行かれる方がいましたら、是非立ち寄ってほしい店を紹介します。それは、「ジーンズストリート」などで有名な児島にある「サンレモン」。約1年前に訪問したのですが、「どこか遠くへ行きたい」とぼんやり考える時によくこちらの店内が浮かんでくるのです。気の向くままに、好きな喫茶時間を過ごしてほしい近くまで行くと否応なしに視界に飛び込んでくる巨大なレモンの形をしたオブジェ。ガラス窓には滝のように水が流れ、涼しげなカーテンのようです。店内では、艶やかな赤色に光るまるいランプがベージュ色の椅子を一層美しく照らすのです。豊富なメニューに何を食べようかと悩まされますが、そんな時はとっておきの可愛らしいメニュー「ピエロフラッペ」はいかがでしょうか?その愛らしさは食べるのがもったいないほどで、しばし眺めていたくなります。他にもコーヒーカップがレモン色だったりと、純喫茶がお好きな方にはたまらないポイントが無数にあるのです。梅雨や本格的な暑さがやってくる前の過ごしやすいひと時。早起きして純喫茶でモーニングを食べたり、知らない駅で下車して散策中に見つけた純喫茶で昼食をとったり、気の向くまま遠くの街へ出掛けてみるのもいいでしょう。難波里奈『純喫茶、あの味』難波さんの新刊『純喫茶、あの味』にご興味がある方はこちらから!
2018年04月28日今が旬の春キャベツを美味しく食べよう桜の見頃も終わり、いよいよコートを本格的にクローゼットにしまう季節ですね。今が旬の食材といえば、やっぱり春キャベツでしょう。ぎっしりと巻いた冬キャベツとは違い、ふんわりとゆるく葉を巻いた春キャベツはとってもやわらかいのが特徴です。水分が多く甘みがあって、サラダなどの生食や、浅漬けにしても美味しいです。私は塩昆布で軽くもんでシンプルにいただくのがお気に入り。この春キャベツ、お料理して美味しく食べるならば、おすすめはパスタ!今回は、春キャベツとあさりのシンプルなパスタをご紹介します。春キャベツとあさりのパスタ<材料2人分>春キャベツ 100gあさり 200gにんにく 1かけ鷹の爪 ひとつまみ白ワイン 50mlスパゲッティ(生なら200g 乾燥なら160g程度)塩こしょう 適量オリーブオイル 適量イタリアンパセリ 適宜1. 大きな鍋にたっぷりのお湯を沸かし、1%の塩を加える。2. 具材の下準備。春キャベツはざく切りに、ニンニクは皮をむき芯をとってみじん切りにする。あさりはよく水洗いする(砂抜きするならば、バットなどにあさりを並べ、3%の塩水で2-3時間おきます)。3. フライパンにオリーブオイルを大さじ1ほどを熱し、2のにんにくと鷹の爪を弱火で炒め、オイルに香りを移す。焦がさないように気をつける。そこに、あさりを加え、白ワインを回しかけて蓋をする。あさりの口が開いたら、火を止める。あさりは火を通しすぎないのがポイント!4. スパゲッティを茹でる。1の沸いた湯に、パスタを入れ、指定の時間茹でる。ゆであがる1分前にキャベツも入れ、火を通す。5. 3 のフライパンに湯を切った 4 のパスタとキャベツを入れ、軽く炒め合わせ、塩こしょうで味を整える。最後にオリーブオイルをひとまわしかけて、水分と乳化させると全体が馴染む。6. お皿に盛って、仕上げに適宜、イタリアンパセリやチャービルなど彩りのハーブを乗せて出来上がり。白ワインとともに、楽しくおいしく召し上がれ〜♪Text/太田みお
2018年04月24日将来どうなりたいかを描けないby Pixabay「あなたは将来、この会社でどうなりたいんですか?」と聞かれたとき、私はいつも正しい答えを見い出せないでいる。転職活動をしているときもそうだった。志望動機や転職理由は、頭で何も考えなくても口からするすると出てくる。しかし「5年後のビジョンを教えてください」「10年後は、どのような働き方をしたいですか?」と尋ねられると、どうしても会話が止まる。そして、この質問をされた企業には見事にすべて落ちている。現在私の勤めている会社には、3カ月に1度くらいのペースで部長と面接をしなければならない制度がある。なんだか学校みたいだな、といつも思う。このときも「将来、どうなりたいの?」と同じことを聞かれ、言葉を詰まらせる。管理職に就きたいのか、それとも専門職に就きたいのか、という質問だということはわかっている。わかってはいるけれど、どちらかになっている自分なんてイメージができない。自分の技術を極められるような気もしないし、人をまとめるような性格でもない気がする。現在は、上のポストが空いていて、私のような低学歴で大した職歴のないような人間でも条件を満たせば昇格できるんだそう。給与が倍以上になる、とも教えてもらった。しかし、それでも私は人の上に立っている自分が想像できない。このままでもいいかな、と思ってしまう。可能であれば、適度に忙しい環境で、人から怒られずに働きたい。それから、生活に不便がなくて、たまに贅沢できるくらいのお金があれば、私にはそれで十分だ。仕事だけではなく、プライベートの面でもそうだった。私には、将来の夢というものがずっとない。「こんなことしたい!」「あれが欲しい!」という直近で実現できそうな目標はあっても、漠然とした夢みたいなものがずっとなかった。年を取ってしまった私も、それほど悪くない高校生の頃は、5年後、10年後、大人になっている自分を想像することがただひたすら怖かった。このまま、何も大きな目的のない生活が続くのと思うと、恐ろしかった。けれど、それからの私は本当に年を取ってしまって、大人になることがそれほど悪くないということを知った。今も同じだ。5年後、10年後、もっと大人になっている自分を想像するのが怖い。このまま何も変わらず年を取ってしまうのもなんだか恐ろしいし、とは言え、結婚している自分も子どもがいる自分も、なんだかイメージがわかない。バリバリキャリアを積んで「仕事が生きがいです!」とか言っている自分も、きっと未来に存在しないだろう。もしかしたら、高校生の頃に想像していた大人のような不安を覚えているだけで、きっとこれからも楽しく過ごせていけるのかもしれない。けど、そんな保障はどこにもないから、ほんの少しだけ怖いと思う。結局のところ、仕事だってプライベートだって、目の前のことをただひたすらやっていくしかないのだ。目の前のことをひたすらやって、いろいろなことに慣れてきて、そうして進んでいった景色はきっと昔とは違ったものに見えているはずで、そこから自分のできることをできないことを選んだり捨てたりして、自分の人生とか将来を見定めていくしかないのだと思う。管理職にも専門職にも向いていない。きっと、結婚も出産も向いていない。けれど、このままでい続けることのほうがずっと怖くて、何かしらの形で前に進まなければいけないのだと思う。5年後、10年後の私は、今の私みたいに「年を取ってしまった私も、それほど悪くないないのかもしれない」と、ちゃんと肯定できるのだろうか。Text/あたそ<「一緒にいてほしい」と言えない…わたしに恋する権利があるのか>もチェック!ひとりでいることは強さではあるけれど、ひとりでい続けることは、全然強くない。
2018年04月24日第38回「始まるための終わりの封切り」(c)つめをぬるひと今回は「不倫を続けて7年になる。大好きだったけど27の誕生日に、鏡に映った自分を見て幸せになりたいと思ったら、彼への気持ちも薄れた。まだきっぱり別れていないけど、今年は不倫を卒業して良い恋を探したい」という読者投稿。本当はもう少し書かれてあったが、要約するとそういう内容だった。不倫を肯定するわけではないし、実際自分がされたら嫌だという前提で書くけど、テレビで芸能人の不倫に過激な報道がされたり、SNSで叩かれているところを見ると、正直「そっとしておいてやりなよ」とうんざりしてしまう。しかし、そういう報道や週刊誌で経済が回るということは、需要があるということか。分からなくもないけど、人の噂を聞いて「自分よりはましだ」「信じられない」という見方をすることで、自分の環境に安心したい人が多いのかもしれない。だから今回は、不倫だから、不倫じゃないから、というよりも「気持ちが薄れた」ということに着目したいのだが、私は昔付き合ってた年下の彼と別れ話をしている時に、「このままずるずる付き合うこともできるかもしれないけど、40になってから別れることになったらどうすんの」と言われたことがあって、その時に気持ちが薄れた。不倫ではなかったけど、いろいろ我慢も多く、それ君が言うことかと思い、そのまま彼に添い遂げる気力が尽きた。別れてしばらく経てば、どうしてあんな人に執着してたんだろう、と笑えてしまうものだ。変わりたい、と思った時からもうその恋は終わっていると言っていい。終わっているというか、始まり。始まるために終わらせる。そんな、変化を応援する爪を今回は制作した。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<追いかける恋愛が幸せになれないなんて誰が決めた?>もチェック!絶対に脈がない人のことを好きになってしまう。テーマは「追いかける恋愛」です。
2018年04月16日4月13日は「喫茶店の日」待ち遠しかった桜の開花が随分前のことのように思えるほど、新緑がまぶしいこの頃です。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?寒い日々を乗り越えて、ようやくやって来た4月もあっという間に半ばとなりましたが、本日4月13日はいったい何の日と呼ばれているか、ご存知でしょうか?正解は「喫茶店の日」です。それは「1888年4月13日、鄭永慶によって、東京・上野に日本初の喫茶店『可否茶館(かひいさかん)』が開業した」ことによるもので、1階がビリヤード場、2階が喫茶室だった洋館は文化人たちの知識の交流の場所として賑わいましたが、わずか5年で閉店してしまったそうです。もしも、タイムスリップできるなら、日本初の喫茶店がどんな風だったのか覗いてみたいものです。難波里奈『純喫茶、あの味』難波さんの新刊『純喫茶、あの味』にご興味がある方はこちらから!
2018年04月13日誰かに好意を寄せる権利が、わたしにあるのか?by Pixabay「彼氏、いるんですか?」と聞かれる度、少しほっとしている自分がいる。この人から見れば、私は普通に恋愛をしてもいい人間で、恋人がいてもいい人間。この世界のどこかにいる男性が好意を抱く要素のある人間であり、男性の隣を歩いていても不自然ではない人間に映っているのだろう。普段から女性らしさとは無縁で、「女の子らしい」「女子力」と言われることを身の毛がよだつほど嫌うのに、この時だけは、目の前の人から普通の女性として認められているような、どこにでもいる女性のひとりとして映っているような気がして、安心するのだった。それから、「いないんですよ」「なかなか出会いがなくて」というありきたりな返事を、いつもする。未だに、「私は恋愛をしてはいけないんじゃないだろうか?」と思うことがある。Facebookを開けば、毎週のように友達は結婚し、子どもを産んでいる人だっている。みんな当たり前のように誰かを好きになり、誰かと人生をともに歩む決断をしている。それなのに私は、その前の前の前の前の前の段階くらいで躓いてしまった。こういう考えを持つこと自体恥ずかしくて、かなり情けない。そんなことは分かっている。人を好きになったことだってあるし、恋人だっていたこともある。でも、どうしてもこの疑問を自分の中から抜き切ることができない。周りの人間からどう見られようが構わなくて、好き勝手生きてきたはずなのに、例えば、私がかなり一方的な片思いをしたときに「身のほど知らずだ」「あんな人でも恋愛ができると思っているんだね」と思われるのが、その通りすぎて、どうしても怖い。誰かに好意を寄せる権利は誰にだってあるはずなのに、私だけははく奪されている気がしてしまう。だからなのかもしれない、と、ふと考える。私がひとりでいるのを好きでいて、気にならないのは、そのせいなのかもしれない。家族が周りにいて、友達もたくさんいた幼少期を過ごした私が、ひとりでいることに特段何も思わなくなってしまったのにはきっと色々な理由があって、恋愛ができないことも、そのうちのひとつの要素であるように思っている。ひとりでい続けることは強さではない駅の改札で別れるとき、家路を酔っ払いながら歩いているとき、とても長い間誰とも触れ合わずにいるときに、私はいつも「寂しい」「一緒にいて欲しい」「悲しい」と言えない。言えなくて、後悔して、今も胸に引っかかっている思い出なんていくつもあるのに、きっとこれからも誰かにそういう言葉を言える日は来ないのだろう。私が言っても、何も意味がないんじゃないかと思っている。私のような人間が、誰かに何かを求めても仕方ないんじゃないかとも、思っている。そうして、焦りや悲しみの嵐が過ぎ去っていくのを耐えて続けているうちに、ひとりでいることに慣れてしまった。そんな気がしている。もっと若い頃は、ひとりでいることがかっこいいと思っていた。友達が毎日誰かと連絡を取り合って、寂しさを紛らわすことに何の意味があるのだろうとも、思っていた。常に周囲に誰かを置いていないと落ち着けない彼ら・彼女たちを見下していることもあった。けれど、本当にひとりでいられなくなったとき、頭のなかで真っ先に浮かんだ人にきちんと自分の気持ちを伝えなければ、言葉や感情なんて意味を持たない。ひとりでいることは強さではあるけれど、ひとりでい続けることは、全然強くない。ひとりでいることに慣れ過ぎてしまい、自分の内側で育っていく感情を自分でどうにかする術を知ってしまった私は、とうに人としての大切な何かを失ってしまっていて、もう恋とか、誰かを好きになるとか、そういう感情が腐っていっているのかもしれない。だからこそ、やっぱり私は恋なんてしてはいけないんじゃないかと、そう思うときが、たまにある。Text/あたそ<恋愛なんてただの思いこみ。それでも、孤独を救うにはちょうどいいのだろうか>もチェック!恋愛は孤独の痛み止めになりうるか?『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て感じたこと。
2018年04月10日第37回「私たちの武器『気付き』と『引き出し』」(c)つめをぬるひといつもお寄せ頂く読者投稿には、シビアなお悩みから日常でふと感じたライトなものまで多数あり、だいたいはお悩み相談のような形式でお送り頂くことが多いが、今回はシンプルにこう書かれていた。「誰しも『おひとりさま』それに気付けていないと、大事な時に迷いが生じて選択をできなくなる気がする」まるでこのSOLOを集約したかのような一文。この文章に添えられたキーワードは「振り返りと今後の展望」だった。「振り返り」とは、気付きのきっかけやそこに至る前の第一歩のことだと思っている。SNSまみれの昨今。日記や写真などの紙媒体よりも、比較的容易に昔の自分を顧みることができる私たち。私もmixi全盛期に書き溜めた日記や写真を見ようと思えば、いつでも見ることができる。そうした、自分を顧みる手段が増えたことによって、気付きが得られる機会も増えたはずだ。このコラムで「みんな誰しもが『おひとりさま』だ」ということを何度か書いてきたような気がするが、それも含めて昔の自分を顧みたことによる気付き、自分自身への気付きを得たほうが、これからの未来で決断を迫られた際の選択材料は多くなる。この材料とは「もっとあれば良かった」「あればかなり役に立つ」もので、それが自分の「引き出し」になると私は思っている。この「気付き」と「引き出し」。今回の短くまとまった投稿から紡ぎ出された、全おひとりさまへのエールのようなそんな爪を今回は制作した。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<追いかける恋愛が幸せになれないなんて誰が決めた?>もチェック!絶対に脈がない人のことを好きになってしまう。テーマは「追いかける恋愛」です。
2018年04月02日センチメンタル・ジャーニーで偶然出会ったby Chris Hsiaoセンチメンタル・ジャーニーしてきました。といっても、もともと決まっていた旅行の前に、偶然元カレと縁を切ったってだけの話ですが。もう、思い出すのは圧倒的に不愉快なことばかりで、このまま交流を続けてもいいことないなと思い「2度と関わりたくないので、連絡をしないでください」とメッセージを送ったんです。楽しかったときのことを思い出せば絶縁するまでもないという気もするし、いいように利用されて不愉快だったことを思い出せば、もう二度と関わりたくないという気にもなる。揺れていました。でも、不愉快な記憶を消すことはできないみたいで、もはや楽しかった頃には絶対に戻らないと予測をして、今のうちに損切りしようと考えたんです。株でもなんでも、投資には損切りができるかの判断が重要と聞きます。「いつかこの損益を回収できるかもしれない」と思い、価値の下がった株やマイナスになった外貨をいつまでも手放せないでいると、ずるずると負債だけが膨らむのだとか。最初にちょっと儲かったからってその甘い記憶をいつまでも引きずって、大きな負債を抱えたくはないですよね。同様に、人間関係も損切りが大事というわけです。人付き合いの基本として、縁を切りたくない相手なら敬意を払って大切にすればいいし、どうでもいい相手ならおざなりにすればいい。大切にされなかったなら、縁が切れてもいいと思われていたということ。相手にとって自分は価値の薄い人間だっただけのことです。とはいうものの、やっぱり縁あった人を嫌いになるのは悲しいもので、キツいことを言わなければいけなかったことに胸が痛んでグッタリしていたんですよ。そんなさなかの、カリフォルニア行きです。青い空、乾いた風の、悩みなんか全部ロッキー山脈に忘れてきたかのような脳天気プレイスですよ、カリフォルニア。泊まったホステルで出会った人たち、参加したツアーで一緒になったファミリー、いろんな人たちに話を聞いてもらって、意見をもらいました。10人以上には話したな。そして、これがよく効くの!あまり友達にグダグダと愚痴るのは気が進まないけど、旅先で出会った人に軽く身の上話をするのは気楽でいいですね。まず、外国に旅行して国際交流しようって人たちは、めちゃくちゃ柔軟で好奇心が旺盛で、自由でポジティブなんです。しかも、場所はみなを阿呆にするカリフォルニア。旅先で知り合う人たちは最高のカウンセラーでした。お互い無責任な関係なので好き勝手なことが言えるし、文化や感覚の違う人たちの意見は、とても気持ちを楽にしてくれました。そもそも、心の澱って口にするだけでかなりスッキリするものだし。「あなたが幸せだと思うことをすればいいのよ!」とメキシコ人女性は言ってました。そうか、キツいこと言って悪かったなとか思ってたけど、相手の気持ちなんか考えないで「そんなことシラネ」でいいんだな、きっと。最高の展開が待っている、かも和久井はあまり生真面目な方じゃないし、だらしなくて楽観的だと思うけど、外国の人たち(特にラテン人)と話すと、「ああ、自分は窮屈な考え方の日本人なんだな」としみじみ思います。異文化交流、国際交流なんていうと、なんかやる気タップリで気持ち悪いけど、小さな価値観の中に収まって答えが見えてこないときは、いい刺激になります。真っ暗闇の缶詰の中で、コリコリと底を削って中から抜け出そうとしているときに、突然天井がパカッと開いて光が差し込んできた感じ。今回は偶然、海外旅行の予定があったけど、今度グッタリしたときは日本のゲストハウスにでも行ってみようと思います。そこで知り合った人たちと話しながら、自分を見つめ直したら、立ち直りが早いかも。しかもですね、そのカリフォルニア中に仲良くなった外国人男性と、今めちゃくちゃ大量のLINEやり取りしてます。センチメンタル・ジャーニーで男薬をゲットとか最高の展開じゃあないですか。ホントにくさくさしたら旅に出るに限ります。まあ問題は、やり取りが英語なんで、けん制されてんのか口説かれてんのか、ニュアンスがサッパリわからないことです。どっちなんだろう。Text/和久井香菜子<旅のおしゃれはアレがお勧め!おひとり旅を楽しむ“省荷物運動”5つのコツ>もチェック!旅行に出かけるなら身軽でいたい!和久井さんが実践する最小限だけど役に立つ必需アイテムをご紹介します。
2018年03月31日はじめての書籍で紹介した思い出の純喫茶つぼみだった桜がいつの間にか満開を迎えて、花が散っていくのを見ては、まだ少し遠くの夏を想うこの頃です。皆さまはお花見などされましたか? 私は大切な友人たちと早朝に眺めた桜と、純喫茶へ寄った帰り道に見上げたライトアップされた夜桜が、今年の思い出となりそうです。さて、咲いたと思ったらすぐに散ってしまう花のように、人生というものも振り返ってみるとあっという間なのかもしれません。押上にある「伽羅」という純喫茶は、私にとって初めての著書『純喫茶コレクション』で紹介させて頂いた思い出深い店です。書体の素敵な看板、入口前の季節を感じさせてくれるプランター、扉を開けると真っ先に飛び込んでくる大きな水槽の中で泳ぎ回る熱帯魚、少しカーブした窓際の席、ずらりと並んだサイフォンたち、ずっと眺めていられそうな壁紙、そして笑顔が素敵で美しいマダム…。自分の行動範囲とは反対方面のため、数回しか訪れることが出来なかったにも関わらず、記憶に鮮明な空間でした。そんな「伽羅」が、店の前の道路拡張を理由に3/31でその歴史に幕を閉じることとなりました。せめて書籍でお世話になったご挨拶だけでも、と勤務終わりの夕方、急いで押上まで。「私の分身みたいなものだったの」スカイツリーを振り返る暇もないほど店の前まで急ぐと、灯りが点いていて店内には変わらず美しいマダムが。看板は仕舞われていたのでノックをしてから扉を開けると、笑顔で迎え入れて下さいました。少しの雑談の後、閉店について切り出してみたところ、思わず涙がこぼれてしまうような言葉がマダムからいくつも。「こんな形で店を閉じるとは思っていなかったから、気が抜けてしまったわ。ここはね、単に空間というよりも私の分身みたいなものだったの。大切だから床や壁に汚れを見つけるとすぐに綺麗にしてね。開店してから今日まで、店に立つのが嫌だと思ったことが一度もなかったの。向いていたのかしらね。幸せなことよね。私、店に立つ時は必ず大好きなタイトロングスカートで、近くの知り合いの店で仕立ててもらっていたのだけど、閉めることが決まってからは履く気になれなくて」寂しそうに笑うマダムは桜色のセーターと黒地に白い水玉のパンツをお召しになっていて、そちらもとても似合っていたのですが、その言葉からはご自分の気持ちをどうにか整理しようとしている気丈なところが見え隠れして切なくなります。「閉めるってなってから、何十年も使えていた製氷機も壊れちゃってね。ああ、分かるのかなあと思ったわ」とまた胸が苦しくなるようなエピソードを。少しの滞在のつもりでしたが、「でもこうやってね、たくさんの人たちが遠くからも来て下さって、嬉しい言葉を掛けてくれるから。誰かと話していると気持ちも上がるからありがたいの」と背筋を伸ばし、凛とした表情で語るマダムの美しい横顔に、長い間見惚れていたのです。営業は明後日、31日の土曜日まで。気になった方はこの機会に足を運んでみるのはいかがでしょうか?この春一番と言えるほど切なくも、素敵な時間を過ごすことができると思います。Text/難波里奈前回記事<今はない純喫茶に思いを馳せる…訪れることができるチャンスを大切に>もチェック!出会えた純喫茶の灯りはすでに…。かつての時間を空想して思うことは。
2018年03月30日恋愛なんて、ただの思い込みだfreestocks.org先日、ゴジラの映画館まで『シェイプ・オブ・ウォーター』を観に行った。もちろん一人で、仕事もいつもより早めに切り上げて、少し駆け足で向かい、席に着く。それから、酸味が強くてあまりおいしくないカフェラテを飲んで、ドキドキしながら見ていた。エンディングを迎える頃には泣いていて、私はひどく傷ついていた。こんなにも孤独に寄り添いながら、人間の孤独も一種の錯覚であり、誰かがそばにいてくれるだけではどうしようもないことを映像と音と演技で、表現しているように思えたから。簡単に説明すると、主人公の発話障害をもった女性が、人とはいえない半魚人のような存在に恋をする話だった。他の登場人物もアフリカ系の女性、ゲイの画家、そして博士を装うスパイのロシア人らが他者との関わり合いを持ちながら、でも決して誰かに寄り添うことも不用意に近づくこともせず、救いようのないような大きな孤独を各々持っているのだと思って、それがすごく切なくて、どうしようもなかった。結局、自分の内側に出来てしまった孤独感は、人と関わるくらいのことでは取り去ることはできないし、錯覚でも勘違いでもいいから、自分で解決策を見つけて信じるしかないのかもしれない。主人公の女性は話すことのできない彼女自身と、自分と似た存在がどこにもいない孤独な半魚人とを重ねて、彼を救えるのは私しかいないと思い込んでしまう。「話せなくて可哀想」という先入観ではなく、ありのままの自分を受け止めてくれるのは、彼しかいないとも。この映画は「恋愛映画」というジャンルに区分されているけれど、女性が一方的に勘違いをし、その勘違いが恋愛感情に昇華されていっただけで、半魚人の彼はほとんど自ら行動を起こすようなことをしていない。ただ、自分を助けてくれた人間に心を許し、そして相手が望むままにしただけだ。一見、2人は結ばれてハッピーエンドを迎えたように思えるかもしれないが、私にはそうは見えなかった。ただ、彼女の一方通行な想いによって、勝手に救われた気持ちになっていたように見えて、辛かった。「恋愛感情や人を好きになる気持ちは錯覚だ」という言葉があるけれど、この映画を観ると、本当にそうなんだと思う。恋愛なんて、ただの思い込みだ。恋に落ちてしまったという錯覚を、美しい音楽と映像でますます盛り上げてしまった。だから、あの映画は「恋愛映画」なんかじゃない。孤独は心の中にずっと潜んでいるそして、半魚人のような存在である彼を嫌い、殺そうとする悪役も登場してくる。その悪役は、軍人であり、地位も持っている。素敵な奥さんと子どもが2人いて、劇中ではとても高価な車を購入シーンだってある。皮肉だな、と思う。何もかも持っている人間が、孤独を抱えて圧倒的に何かが足りていない存在に気味の悪さを覚え、わざわざ迫害しようとするなんて。私の周りには半魚人のような存在も、私を迫害しようとする人もいないけれど、人と接するくらいでは、どうすることもできない孤独感や悲しみを、ごくたまに感じることがある。それは、恋人がいないからでも一人で過ごす時間がずっと続いているからでもなくて、少しずつ私のなかで積み重なった層のようなものを誰かの力によって取り除くことはできないんじゃないか、と最近思うようになったからだ。この種の孤独感のようなものは、人間関係や生活のなかで満たされ続けてきた人にはきっとわからない。絶対に理解の至らない部分なのだと思う。だから、奇妙にも、おかしな人間であるようにも見えてしまう。この映画は賛否両論で、意見が分かれている。私にとっては、淡々としていて静かですごく好きな映画だった。それぞれの登場人物の持つ孤独に同調し、勝手に自分を重ね合わせて見ていたからだと思う。人の持つどうしようもない孤独の正体、そしてその気持ちすらもどうしようもないことが描かれていて、エンドロールが終わり照明がつくときには、どうしようもなく駆け足で家に帰りたくなった。人の寂しさや孤独は分かり合えない。支え合うことはできても、ずっと心のどこかに潜んでいて、死ぬまで付き合っていくものなのだろう、と思う。Text/あたそ<3年たてば人は変わる。憧れていた彼女が仕事をやめてしまった>もチェック!15年一緒に過ごした、愛犬の死。溢れる悲しみによぎったのは、疎遠になっていく母親の存在でした。
2018年03月27日第36回「『追う人』にも、幸せがあっていいはずだ」(c)つめをぬるひと今回の読者投稿は「絶対に脈がない人のことを好きになってしまいます。何度も告白してくれる人がいても、なんか違う、と断ってしまいます。追いかける恋、というより恋に恋する、っていう方が正しいのでしょうか。でもそれって結局は幸せになれないのに、どうしてそうしてしまうのでしょうか…。」この読者の方が17歳ということもあるのか、眩しさのあまり目が焼けそう。たいていは、年齢を重ねるにつれて考え方が変わることのほうが多いと思うけれど、「恋に恋する」ということにおいて、私は年齢がそこまで関係しているとはあまり思っていない。というのも、私と同年代の友人にこういったタイプの人が何人かいて、中には「長く付き合っている人といつまでもドキドキしていないと絶対無理」と言う人もいるからだ。でもなんというか、その友人が放つ言葉には噓偽りも嫌悪感もなく、長年揺るぎないスタンスを貫いているため、見ていて清々しいと感じている。今回の読者投稿には「恋に恋するスタンス=幸せになれない」という書き方をされているけれど、この友人を見ていると、180度違って見える。「恋に恋する」人が皆、この友人のようにいられたら幸せなのかもしれない。でも、おそらく大半はそうではないだろう。どうにかしてこの「幸せになれない」というものを覆すことができないか。特に何の答えも導きだせないコラムではあるが、今回はそんな、これまでの印象を覆したいという思いや、私の友人を思って描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<好きでいることも離れることも、自分のために決めればいい>もチェック!何かを好きでいることは、ひとりになることかも。テーマは「一人でも好きでいられるもの」です。
2018年03月19日空想は儚くロマンチックでも、灯りの点る店たちに思いを難波里奈『純喫茶、あの味』難波さんの新刊『純喫茶、あの味』にご興味がある方はこちらから!
2018年03月16日愛のないセックスの禁忌×特別感という本流女は、恋愛関係において圧倒的に立場が弱いように思います。大人になると「おつきあいしてくださいっ!」なんて告白してから関係が始まることって、むしろ少なくなりませんか。なんとなくいいムードになって、セックスしてから「あれ……? これは付き合うってことでいいのかな? いいんだよね?」と悩む。男性の圧倒的大多数が「体だけの関係OK」な生き物だそうで、そして大変タチが悪いのは、一発抜くためならどんな嘘でも平気でつけるってこと。「好き」とか「一緒にいたい」とか、すごく相手に好意がありそうなことをいっぱい言えます。しかも嘘をついている自覚がなく、本気で言ってる場合も多いそう。それに女性がまんまと引っかかって「好かれてるのかな」なんて思っていたら、行為が終わった後に「え、遊びでしょ?」なんて言われてズタズタに傷ついたなんて話を、あっちでもこっちでも耳にします。少女マンガでも、男女がくっつくまでのディテールを追っていって、人気が出て連載が長引くと今度は「この人は私に本気なのかしら……?」なんて悩み始める。これお決まりパターンですよね。だから少女マンガをはじめ、女性向けのエロ媒体であるティーンズラブコミックですら、愛のないセックスを扱うことはほとんどありません。男の熱い想いの結果が性行為だったり、最初は遊びだったのに、セックスしたらなんでだか彼女に溺れて夢中になったり。ところがこの 『カカフカカ』は、展開が逆です。実はEDに悩んでいる本行(ほんぎょう)は、ルームメイトの寺田さんだけに反応するという、謎の展開からはじまります。カカフカカ(1) /石田 拓実(著/文)/発行:講談社基本的に少女マンガは、主人公に特別感を与えて読者を気持ちよくさせます。部活で大抜擢されたり、受けてもいないオーディションで大抜擢されたり、何が魅力なのかわからない主人公の元へ男子が我先にと言い寄ってきたりと、他の人が持たない特別感を与えられる展開になります。そしてとうとう、EDの男性が自分だけには勃つなんていうパターンまで発展しました。余談だけど、これって自分以外にはEDなんだから、浮気の心配がなくていいですね。人生のどん底でどう足掻くかが分かれ道本来、愛の伴わない機械的、動物的なセックスは少女マンガの禁忌です。自分が単なる肉の塊として扱われ、便器のように処理をさせられるのは、たまらない屈辱ですから。「EDを治したいから」って理由も、愛情なんかぜんぜんない、むしろどっちかって言えば機械的です。治療のためといえば、なんか医療行為っぽいけど、愛があるかと言えば、なさそう。そんな愛のないセックスという禁忌と、特別感という本流を組み合わせてできたのが、 『カカフカカ』なのです。新しい!そして、突然特別感を与えられた寺田さんは、中学生の頃、世界の中心は自分にあると思っていた、無敵な人間でした。それがだんだんと「自分は別になにもすごくない」ことに気づいていきます。そして自信のカケラもなくなった現在、24歳。男も家も仕事もありません。無意味に万能感に満ちあふれる時代って、ある人にはありますよね。この前ちょっと話をした青年は、輝くばかりの「わかった感」を噴出していたので、話を聞きながら「いったいこの先、どこでポッキリ折れるのかな」なんて想像してしまった。少女マンガでは、自己否定感の表現が年々形が変わっています。70年代は「みなしご」だったり「お転婆で女らしくない女の子」だったり。現在は「友達作りに悩む」「空気を読むのに腐心する」なんてカタチで表現されます。女性がその時代その時代で、何に悩んでいるのかがよくわかりますね。70年代の少女マンガの主人公なんて、暑っ苦しく自分や正義をふりかざして、誰も空気読んだりしませんから。自信喪失中の寺田さんには特別感が与えられましたが、現実はそうは上手くいきません。だからって「マンガはファンタジーだから」なんて拗ねちゃダメです。1度、完膚なきまでにどん底を味わった人って強いです。言い訳も、助けの手もない状況になって「自分は本当にダメなヤツなんだ」ってゼロから見直すと、変なプライドがなくなって人生が動き出したりするものです。言い訳をするか、しないかが人生の分かれ道なんです。作品では、寺田さんに与えられた特別感が、この先どう展開するかを楽しみにしています。Text/和久井香菜子前回記事<空気読んで、愛想笑いするのはもうやめませんか?『凪のお暇』>もチェック!人の目を気にしてたらもったいない。「コンプレックス女子」の主人公が変わる勇気をくれる。
2018年03月14日不思議と繋がっていた友人が東京に帰ってくるby Roberto Nickson「4月から、東京で働くことが決まったの」と彼女から連絡がきたのは、つい最近のことだった。私が以前勤めていた品川付近の会社に事務職の契約社員として内定をもらったらしく、「あそこのランチが美味しい」「品川付近はあまりいい居酒屋がない」といったような話をして、4月を過ぎて落ち着いたら一緒に飲もうという約束をした。高校生の頃からずっと憧れ続けていたという夢を本当に叶えた彼女は、「仕事が生きがいで、今が一番楽しい」とはっきり言うような人だった。自分のやりたいことを見つけて、それに向かって努力をし、本当に叶えてしまう彼女が、私にはとてもキラキラして見えたのを未だによく覚えている。そんな彼女とは、大学生の頃に音楽を通じて知り合って、たまに連絡を取って一緒に飲んだり、フェスや好きなアーティストのライブで会ったりするような仲だった。「親友」と呼べるくらいの距離ではなかったし、お互いに知らない一面なんてたくさんあるのだろうと思う。「仲がいい」と確信をもって言えるのかと聞かれると、少し悩む。それくらいの間柄だ。でも、久しぶりに会えば、今まで会わなかった時間が嘘みたいに色々な話が飛び出し、笑いも絶えない。しゃべり過ぎたってくらい話をしたはずなのに、駅で別れてひとりになると、「あの話をすればよかったな」「今悩んでいることを相談してみればよかった」と、もっと話をしなければならなかったことが頭に浮かんでくる。よく分からない関係だったから、彼女の福岡への転勤が決まったときは、「ああ。もう会わなくなってしまうのかもしれないな」と思った。ずっと東京に住んでいた彼女には、私よりも大切な人が沢山いるはずで、盆と正月、それから少し長い休みをとってこっちに戻ってきたとしても、私の優先度はきっとそれほど高くはない。たぶん、47位くらい。だから、この3年くらい、なんとなくの関係性が継続していることが不思議だった。東京にいるときよりも、連絡も取らなくなったし、会う頻度も少なくなっていったけど、「東京で働く」という報告を受けてから、またあの不思議な関係に戻れるような気がして、嬉しかった。憧れ尊敬していた彼女は、もういない今のところ、嬉しい気持ちが3/4くらい。残りの1/4はとても残念に思っていた。話を聞いてみると、どうやら福岡でできた恋人の東京勤務が決まったと同時に、今の会社を辞めて、新しく仕事を探したらしかった。高校生の頃からずっと憧れ続けていた仕事に就き、第一線で活躍していたかっこよくて尊敬できる彼女が、仕事よりも恋人と一緒にいることを選んでしまったように、私には見えた。今まで培ったものをすべて福岡に捨てて、事務職をゼロからはじめて、きっと本当にやりたいことではないはずなのに、恋人についていくのか、と思った。もちろん、人の価値観や幸せなんてそれぞれで、私が口を出す権利は絶対にないし、彼女自身が納得をしていればそれでいい。でも、もうかっこいい彼女はどこにもいない気がして、悲しくて、とても残念に思った。高校生の頃からの夢を叶えた先には、もっと自立した女性になるとか、もっと大きなプロジェクトを成功させるとか、その世界で有名になるとか、きっとさらなる目標があっただろう。それでも、すべてを捨ててまで、男の人と一緒に過ごすことを決めた彼女。これくらいの年齢になると、仕事にも余裕がでてきて、もっといろいろなことができるはずなのに。彼女なら、絶対にもっと素晴らしい仕事をするはずだと思っていたのに。どうやら自分の勝手な想像とは違って、それが余計に悲しくさせたのかもしれない。「4月に入って、仕事が落ち着いたら飲もうよ」と約束はしたけれど、私は彼女の前で、うまく笑うことができるのだろうか。きっと楽しさは3年前と変わらないのかもしれないけれど、3年間で何も変わらない人なんて絶対にいなくて、もしかしたら久しぶりに会うことによって、私たちの関係は終わってしまうのかもしれないな、と思った。今は会うのが、少しだけ怖い。Text/あたそ<一夜の関係が割り切れる人と「男女の友情」は成立すると思う人との差>もチェック!「成立しない」友人たちのもつれを聞く度に、私にはない経験で少しざわつく。
2018年03月13日第35回「ひとりでも好きでいられるもの」(c)つめをぬるひと今回は「ずっと推しているものがあるのですが、周囲の友人知人はその推しから離れていってしまいます。何かを好きでいることは、もしかしたらひとりになることなのかもしれません」という投稿。好きなものが同じ人同士の集まりに期限があるなんて、あまり認めたくないものだし、ずっとこのままでいることが当然のように思ってしまう。そもそも好きなものに対するモチベーションやベクトル、諸事情なんて最初から人によってばらつきがあるはずなんだけど、その差が時を経て広がってしまうことが、だんだん疎遠になっているように感じてしまうだけなのかもしれない。何かを好きでいることとは「最初からひとり」という前提があると思っておいたほうが良い。学生時代の友人との集まりは減るし、長年続いたテレビ番組は終わる。あのSMAPですら解散してしまう。そして、その疎遠が新しい何かの始まりになると考えることもできる。周囲が推しから離れても、自分は好きでいられるだろうか。なんとなく「自分だけは好きでいなきゃ」という義務感はないか。何かを好きでいることは、何よりも自分の為であるべきだし、精神的に健康でいることが大事。好きで居続けることも、そこから離れることも、選択肢に正解があるわけではない。だから、最後の1人になるよりは、最初から2番目に離れるくらいが気持ち的には楽なのかもしれない。今回は、好きなもの同士が集まっていても、元は1人の人間だという主旨で描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<好きな人を選ぶことの責任と、その楽しさを>もチェック!好きな人を1人に決められないから1人でいたい?テーマは「選ぶことの責任と楽しさを」です。
2018年03月05日一夜の出来事を割り切れるのか?「今、『シンデレラ体重』っていうのが話題になってますよね」「え? シンデレラバスト? こいつ、貧乳なんですか?」私の質問に対して見当違いな回答が返ってきて、「貧乳かどうかは、お前が一番知っているじゃないか」と思った。この時、私の目の前には、男性と女性が2人座っている。私は、この2人にかつて体の関係があったことも、女性が未だに男性にかすかな好意を持っていることを知っている。一度でもそういう関係があって、でも付き合うことはなくて、それなのにこうして同じ飲み会に参加して隣同士で座り、普通の顔をしてお酒を飲みながら私の話に笑ってくれていた。この空間にヒヤヒヤしながら、上手く酔っ払うことができていないのは、私だけな気がしていた。「ああ。この2人は、私とはまったく別の生き物なんだろうな」と思ったのも、よく覚えている。目の前にいるAさんとBくんがもともと知り合いだと知ったのはつい最近のことで、別々に会うことはあっても、同じ席でお酒を飲むには初めてのことだった。Aさんは太れない体質で、貧乳らしかった。そんなAさんとは飲んだときに、Bくんとのことを「私、一回そういう関係になっちゃってさ~」と、何も傷ついていない風に、自分のなかで減ったものが何もないように言っていた。やっぱり、別の生物なのかもしれなかった。「いやあ、そういうのやめておいた方がいいよ」と口を挟むと、「後悔はしているんだけどね」という答えが返ってくる。後悔している関係のことを共通の友達に話してしまうのも、なんだか別世界の人みたいだ。そして、なんとなく私は、AさんはBくんのことを好きだったんだろうな、と思った。きっと本人に言うことはないのだけれど。それからある日、仕事帰りにAさんからいきなり「今から飲まない?」と言われ、待ち合わせ場所の安くて不味い居酒屋へと向かうと、そこにBくんもいた。足が止まる。それと同時に、時間も少しだけ止まったような気がした。顔は、たぶん大丈夫。平然を保ったいつもの私だ。いつのもように頭に残らないような下らない話ばかりをして、家に帰る。普通の飲み会だった。普通過ぎたくらい。もし、私がAさんの立場だったら、どうしていたんだろう。きっと、もう2度と会うこともないと思うし、連絡先も写真も消し、頭の中からすべての記憶を抹消する。そして、Bくんから紹介してもらった大して仲良くもない友達ともできるだけ会わないようにするだろうし、Bくんに教えてもらった音楽や漫画もなるべく自分から遠ざけるだろう、と思う。私にはそんな経験はないので、想像上での話でしかないけれど。男女の関係を全く無視することはどこか違う「男女の関係は成立するのか?」という議論がインターネットでは年に3回のペースで議論され、毎度のように答えが出ない。個人間の問題であるし、この場合の「友情」が何を指すのかは、少々曖昧な気もする。けれど、私の場合は当然「YES」だ。私が男友達を好きにならず、そして男友達も私のことを好きにならなければいいことだ。私にとってはとても簡単なことで、だから男女の友情は成立するのだと思っている。でもきっと、Bさんは私とは真逆で、男女の友情が成立しないタイプだ。また別の、性に奔放なタイプの友達に「そういうの、男に相手にされていない気がして嫌じゃない? 寂しくなったりしないの?」と聞かれたことがある。相手にされるとかされないとか、気にしたことのない私の目からは鱗が落ちた。友達でい続けたいのであれば、相手にされない方がいい。私が女だってこと、忘れたまま接してくれた方がずっといい。けれど、男女の友情が成立しないタイプの人は、はじめから自分が女性だということ(というか、抱くか抱かないか)が前提で、考えて動いているのだと思う。だから、食い違う。寂しくなる夜も、もちろんある。誰かが傍にいてくれたら、それだけで気が紛れて、落ち着いた気持ちでいられるのかもしれない。けれど、男の人に寂しさを埋めてもらおうなんて思わない。私にとっては意味のないことだって、ずっと思っていた。けれど、目の前で何事もなかったように、仲の良さそうに笑っているAさんとBくんを見ていると、私が男の人から相手にされず、そして相手にされないことを気にしないのも、寂しさをただひたすら自分でなんとかしようとしていることも、不正解ではないけれど、少しだけ間違っている気がした。男女間で何か間違いをしてしまったり、後悔するようなことが起こったとき、こんな風に普通に接して、普通に笑える日が、私には来ないのだろうと思う。こうして考えている時点で、私は幼いのかもしれないし、大きな社会の中でうまく生きていくことにも、あまり向いていないのかもしれない。Text/あたそ<誰よりも抱きしめ、一緒に眠った。無条件で傍にいてくれた犬にいま思うこと>もチェック!15年一緒に過ごした、愛犬の死。溢れる悲しみによぎったのは、疎遠になっていく母親の存在でした。
2018年02月28日季節を感じながら、ラップで簡単に作ってみようもうすぐ桃の節句、ひな祭りですね。幼い頃は、家の人がちらし寿司を作って自分の成長を祝ってくれたりしたものですが、大人になるとひな祭りとは縁遠くなってしまった人も多いでしょう。大切な節句のひとつですので、心の余裕をあえて作り出すためにも、女性である自分のためだけに、華やかなスティック寿司を作ってみるのはいかがでしょうか。材料を切って、酢飯を作って、ラップで巻くだけの簡単で華やかなお寿司です。華やかなスティック寿司材料酢飯(紫蘇ふりかけを混ぜたものと、胡麻を混ぜたもの2種類)Aスモークサーモン胡瓜ディルB鯛の刺身イタリアンパセリC錦糸卵柴漬け下準備1:炊きあがったご飯が熱いうちにすし酢を混ぜて、酢飯を作る。2つのボウルに分けて、片方の酢飯には紫蘇ふりかけを混ぜ込み、もう片方には胡麻を混ぜ込む。下準備2:トッピングの材料を準備する。鯛は薄切りに、胡瓜は1/4の長さに切ってスライス、スモークサーモンは1cm幅に切り分け、錦糸卵(卵1個、砂糖小さじ1、水溶き片栗粉少々を混ぜて薄く焼き、細く切り分ける)を作る。1. ラップの上にお好みの酢飯を置き、両端をキュッと結びながら10cmのスティック状に握る。2. もう1枚の綺麗なラップを広げ、そこにABCお好みの材料をお好みの配置で並べ、その上に1のスティック状の酢飯をラップから外して置き、具材と酢飯を一緒に巻いてキュッと形を綺麗に整える。3.ラップをはがして、彩りにハーブなどをのせればできあがり。ほんのひとてま、季節を意識したお料理を自分のために作る。せわしない日常のなかでも、そんな時間をあえて作ることで、心も華やいできます。女性のみなさん、すてきなひな祭りをお迎えくださいね。Text/太田みお働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。 「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。
2018年02月28日第34回「選ぶことの責任と楽しさを」(c)つめをぬるひと今回は「どんなに好きでも、その中からひとりを決めることが難しい。だから、誰かと対になるより、ひとりが幸せだと思ってしまったり」という読者投稿。その中からひとりを決めることが難しいというのは、好きな人が多くて決められないということだろうか。いろいろな煩わしさが苦手で「ひとりが好き」ということについてはこれまで何度か書いてきたが、今回のような投稿は初めてかもしれない。好きな人が多いということで思い出すのは、私が中学生の時だ。当時、私は好きな人が多かった。恋愛の意味で好きだったのかどうかも分からないが、「いいじゃない!みんなかっこいいじゃない!」と思っていた。中学1年の時、放課後に友人とその場のノリでラブレターを書くことになった。そして、なんだか書いてるだけで恥ずかしい話だが、その友人が「I LOVE YOUって書きなよ!」という提案をしてきた。そういうノリが通常運転な友人だったのだ。まだ言葉への責任とか重さがよく分かっていない年代でもある。最初は躊躇したが、あまりにストレートすぎて逆に面白くなってしまい、本当にI LOVE YOUと書いて、更に自分の名前まで書いてその男の子の下駄箱に入れた。今思えば、言葉が言葉だけに、ただのいたずらと捉えられたのかもしれない。当然リアクションはなく、クラス替えという名の終結に落ち着き、そのあとその男の子がどうなったか全く知らない。特にこのエピソードから今回の投稿へ何かアドバイスが出来るようなことは言えないが、好きな人を1人に決められないなら、いっそのこと全員と距離を置いてみたらどうだろうか。今回はそんな提案を爪とイラストにしたためてみたのだが、少しベタな回答かもしれないけど、一度リセットすることで忘れられる人はそれ程度の人だということだ。それでも決められないなら、1人に決めないというのもありだと思う。いずれにしても、もう私達はI LOVE YOUをノリで言えるような中学生ではない。好きな人が1人だろうと複数だろうと、選択することに責任と楽しさが付随する大人だ。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<「多様性上等」な日本文化。受け入れ体制が整えばもっといい>もチェック!日本は「おひとりさま文化」が発展している国かも。テーマは「多様性上等」のグローバル化です。
2018年02月19日早春の宵!ささっと作れる晩酌のおとも立春も過ぎ、暦の上では春ですが、まだまだ寒い日が続きますね。この寒さをあえて「春寒」や「余寒」と呼ぶのをご存知でしょうか。「もう春だから、この寒さは冬の名残りなのだ」と、あたたかな春を心待ちにするのです。そんな春待ちにぴったりな簡単おつまみレシピを3つご紹介したいと思います。待ち遠しい春を思いながら、しっぽりどうぞ。薄かぶと柚子の昆布漬けさっぱりとした蕪をしゃきしゃきと、塩昆布の旨味と柚子のいい香りをまとわせて、浅漬けにします。<材料> 1人分蕪 1個柚子の皮 2cm ×1.5cmほど塩昆布 大さじ21. 蕪は皮をむいて、半分に切り、スライサーで薄く切る。柚子の皮は細切りにする。2. 1と塩昆布を調理袋に入れて、もみ合わせる。3. 冷蔵庫で水分がでるまで1時間ほどおけばできあがり。小魚の唐揚げ「獺魚を祭る(かわうそうおをまつる)」季節。獺は川で魚をとると、岸に並べてしばらくの間食べようとしません。その様子が、先祖をお祭りしているようだ、ということでいまの季節のことを表すようになりました。春を思いながら、獺になった気分で?(笑)小さな魚を並べて頂いてみるのも、乙。<材料>1人分ししゃも等 4尾薄力粉 少々・ししゃもの丸干しに薄力粉で薄く衣を付け、ごま油で揚げ焼きする。・揚げる直前に薄力粉をまぶすこと。時間が経つと魚から出る水分でべちゃっとなるので注意。春菊の肉巻き焼き香りゆたかな春菊を牛肉で巻いて、甘辛い照り焼きだれで絡めながら焼き上げます。<材料>2人分牛肉(薄切り肉) 4~5枚春菊 1把サラダ油 大さじ1/2●たれ醤油 大さじ1酒 大さじ1みりん 大さじ1砂糖 小さじ11. 春菊は半分の長さに切り分け、茎の太いほうから順に茹で、しっかり水気を絞る。2. 牛肉を広げ、手前に春菊を少量置き、くるくると巻く。3. サラダ油をひいたフライパンを中火であたため、2の肉を焼く。全面に焼き色をつける。4. ●たれの材料を合わせて、3のフライパンに流し込む。たれの水分がとんでとろっとしてくるまで肉を回転させながらタレに絡めて焼く。5. 食べやすい大きさに切ってできあがり。Text/太田みお働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。 「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。
2018年02月16日厳しい寒さの中にも、時折ひだまりのようなあたたかさを見つけて、春の訪れを少しずつ感じるこの頃です。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?雪の多い地域にお住まいの方は、まだしばらくの間大変だと察します。あたたかい珈琲でひと休みしながら、次の季節を待ちたいですね。ところで、皆さまは「思い入れのある純喫茶は?」と聞かれたら、どちらの店を思い浮かべるでしょうか? 好きな店はたくさんあって順位などはつけられないと思いますが、何かの折につけてはっと思い出す特別な店はどなたにもあるのではないでしょうか?私にもずっと忘れないと確信できる純喫茶があります。今回はその店を紹介します。明るい笑顔で迎えてくれるママの存在「エイト」場所は、東京メトロ丸の内線 新中野駅から坂道を下ること10分ほどのところにある「エイト」。営業時間が平日・日曜15時まで(14:30ラストオーダー)と、会社勤めの身としてはなかなか難しい条件ですが、どうにか時間を作って訪れたいと思うポイントがいくつかあります。まずは、貝殻で出来た繊細なランプが照らす鮮やかな緑色の壁に、目を奪われるその内装。次に手頃な価格で食べられる豊富な食事メニュー。さらには、飾られている『ゴルゴ13』作者のさいとうたかを先生のサインイラスト色紙に加えて、当時さいとう先生のアシスタントをされていた小池一夫先生がデザインされたという豪華なマッチ。そして最大の魅力は、穏やかな雰囲気と明るい笑顔で出迎えて下さるママの存在。昼食を目的にやってくる近隣の人たち、遠くからこちらを目指してやってくる初めての人たち。誰に対しても適切な距離感で、居心地の良さを提供して下さるのです。純喫茶ではあまり長居をしない私もここではクリームソーダを前にうとうとしてしまいたくなるほどでした。訪れた全ての純喫茶には思い入れがあるこの店が私にとって生涯忘れられなくなった理由というのは、2016年秋に発売した雑誌『CREA」(11月号)の「喫茶店とコーヒーがそこにある幸せ」で、さいとう先生とクリープハイプ・尾崎世界観さんとの鼎談の場所だったからです。さいとう先生もお気に入りというこの空間で、大好きなお二人を前に緊張やら焦りやらであふれそうだった私を、ママはにこやかにそっと見守って下さり、無事楽しいひと時を終えることが出来たのです。訪れた全ての純喫茶には思い入れがあって大好きですが、特に印象的な時間を過ごした「エイト」をこれからも思い出しては幸せな気持ちになるのでしょう。「エイト」の落ち着いた空間で、仲の良い誰かととっておきの純喫茶についての話に花を咲かせるのはいかがでしょうか?Text/難波里奈前回記事<意外な出会いが嬉しくて。四谷「騎士道」で芽生えた新たな決意>もチェック!新宿駅と四谷駅のちょうど真ん中にある「騎士道」に、想像を超える新たな発見がありました。
2018年02月16日15年一緒にいた愛犬の死先週、ずっと飼っていた犬が死んでしまった。大型犬にしては15年も生きてくれたから頑張ってくれたと思うし、もうここ何年かはずっと元気もなくて、着実に死に近づいているようだった。2日前に、母から「歩けなくなって、ずって寝ているよ」という連絡があり、きっともう、生きているうちには会えないのだろうと考えていて、そしてそれは現実になった。猫は自分の死に際を見せないというけれど、私の飼っている犬たちは違って、キッチン横の餌をあげているところで寝そべっている。いつもはそんな場所にいることもないのに、1匹目も2匹目も、死ぬ直前は不思議とそこでずっと時間が経つのを待っているようだった。リビングにも、お風呂場にも行ける人の通りが多かった場所だったからかもしれない。自分より先に死が訪れるであろうことは、飼い始める前から知っていた。それに、もうきっと長くないことだってわかっていた。ある程度の覚悟はできていたはずなのに、仕事中に死の知らせが入ると、しばらく何も考えられない状態になって、今この場で何をしていいのかわからなくなり、でも何か別のことを考えていないとぼろっと涙が出てきてしまいそうで、気を紛らわすように今日やっても明日やっても変わらないような仕事を必死になってしていた。その日たまたま連絡を取っていた友人から食事をしようと誘われ、人に会って気をもっと紛らわせて、悲しい気持ちをどこか遠くのところに追いやった方がいい気もしたけど、でもやっぱり誰かに会う気分にはなれなくて、断りの連絡を入れ、そして家に帰った。無条件で一緒にいてくれた犬、生まれてから一緒にいるはずの母私の実家には今2匹のラブラドールがいて、その子のお父さんとお母さんはもう死んでしまっている。10歳の頃から飼いはじめたので、もう人生の半分以上を犬と過ごしていることになる。毎日最初に「行ってきます」「ただいま」と話しかける相手が、4匹の犬だった。私が人生のうちで一番抱きしめた相手も犬だ。167センチくらいある私が座ると、犬は真正面にやってきて、抱きしめるとちょうど肩のあたりに犬の頭が乗る。暖かくて、毛並みがつるつるしていて、その時間がすごく好きだった。一緒に寝た時間が一番多いのもたぶん犬だ。20キロ近くあるのに、ひざや私の体の上にどうしても乗りたがる。大きいからだをわざわざ小さく丸めて器用に乗る。何を勘違いしているのか「重いからどいて」といっても、尻尾を振って絶対にどこうとしない。結局私が、重さに耐えるしかなかった。テレビを見ながら笑っていると、隣まで歩いてきて一緒になって喜んでくれたし、悲しいときや落ち込んでいるときは、必ず慰めてくれた。人目を盗んでトイレットペーパーの芯をかじるのが好きで、その度にゲージがぐしゃぐしゃになるけれど、なんだか馬鹿らしくなって、いつもちょっとむかつきながら掃除をしていた。インスタグラムで人気の犬ほどかわいくはないかもしれないし、頭もよかったわけじゃない。犬が家にいることで、散歩に時間がかかるとか服が毛だらけになるとか、制限がかかってしまうこともあったかもしれない。でも私にとってはとても大切な存在で、今もそれは変わらなかった。私のことを肯定も否定もしない。どんな仕事に就いているとか、どんな容姿をしているのかとか、どれくらい頭がよくてお金を持っているのかとか、そんなことを一切関係なく、無条件でずっとそばにいてくれたのは、私の人生のうちで4匹の犬だけだった。犬が死んでしまってどうしていいのかわからくなったとき、一瞬「ああ、これで本当に親子の会話がなくなってしまったんだな」という思いが頭をよぎった。というのも、私が実家を出てから母から連絡がきたのは3回ほどで、それは毎回死んでしまった犬のことだったからだ。いつも返事のしにくい文章で、私にどんな返答を求めているのか全く読めない。返さないまま終わってしまうこともあった。「家を出ても、たまには帰ってきてよ」と言った母。でも私たちの間で気軽にできる会話は実はあまりなくて、じっくり話をした記憶はもう何年も前の話になる。一緒に食事をしたのも、買い物に行ったのも、もう何年も前の話だ。きっと家に帰っても、それほど会話ができず、お互いへのかみ合わなさを感じるんだろうとも思う。犬が死んでしまった今、私は私が生まれてからずっと人生を一緒に過ごしているはずの人と、疎遠になってしまうのだろうか。Text/あたそ<「余り者同士で付き合っちゃえ」にいいともいやとも言えなかった私>もチェック!「余り物同士で付き合えば?」恋人がいることが普通で、いないと疑問に思われる。そんな風潮に対してあたそさんが抱く思いとは。
2018年02月14日