プロフィギュアスケーターの村上佳菜子(29)が10日、自身のインスタグラムを更新。フィギュアスケーターの宇野昌磨(26)の現役引退発表を受け、ねぎらいの言葉を送った。村上は「しょうまお疲れ様だよ!」とつづり、笑顔の2ショットをアップ。「大須リンクで教室の水色のスウェットに手よりおっきい赤い手袋して滑ってた時が、つい先日のことに感じるよ」としみじみ語り、「それから、一緒にゲーム作って練習したり製氷の時間にキャッチボールしたり…何故か、私に反抗期なのか無視されてた時期もあったし…w」と思い出をかみ締めた。「そんな楽しい思い出の中でも、命かけてお互い練習してきたよね」とし、「私の現役生活の中でも、しょうまと練習してきた思い出はすごく多くて、私にとって大事な弟です。やっぱり試合でしょうまを見る時はどこか身内を見るように心配で…w」と本音を吐露。「そんなしょうまも、第二の人生を歩むんだなと思うと少し寂しさと、どんな人生を歩んでいくのか、とても楽しみです。私もいつでも頼れる姉さんでいられるように頑張らなきゃなぁと勝手に思ってますw頑張って来たしょうまの第二章に幸せがいっぱいふりそそぎますように」と願った。宇野は9日、インスタグラムを通じて「この度、現役選手を引退する決断を致しました」と報告。「今日まで競技者としての僕を応援してくださった皆様、支えてくださった皆様本当にありがとうございました」と感謝を伝えた。今後の活動など詳細は、14日に記者会見を行う。宇野は「会見はトヨタイムズでLIVE配信されますので、ご覧いただければ幸いです」と呼びかけている。宇野は名古屋市生まれ。幼少期からフィギュアスケートを始め、2015年に世界ジュニア選手権優勝、16年~19年に全日本選手権を4連覇。18年平昌五輪で銀メダル、22年北京五輪で銅メダル。22年の世界選手権を制した。今年4月30日には前所属事務所との契約が満了。交際を公表している本田真凜が所属するヒーローズマネジメント株式会社への移籍を発表した。なお、宇野は2024~2025シーズンの日本スケート連盟特別強化選手に指定されている。
2024年05月10日フィギュアスケート解説者でタレントの織田信成(37)が9日、自身のXを更新。フィギュアスケーターの宇野昌磨(26)の現役引退発表を受け「昌磨くん現役生活お疲れ様でした!」とねぎらった。織田は「昌磨くん現役生活お疲れ様でした!前回の世界選手権のSP演技は本当に美しくて、彼のスケートの完成形を観た気がしてました」とつづり「いつ話しても謙遜ばかりするけど、努力を惜しまない・妥協を許さない姿を背中で魅せ続けてくれた漢です。本当にお疲れ様!」と伝えた。宇野はこの日インスタを通じて「この度、現役選手を引退する決断を致しました」と報告。「今日まで競技者としての僕を応援してくださった皆様、支えてくださった皆様本当にありがとうございました」と感謝を伝えた。続けて「5歳の時にスケートと出会い、21年間続ける事ができ、素晴らしい競技生活を送れたことにとても感謝しております」などとつづった。今後の活動など詳細は、14日に記者会見を行う。宇野は「会見はトヨタイムズでLIVE配信されますので、ご覧いただければ幸いです」と呼びかけている。宇野は名古屋市生まれ。幼少期からフィギュアスケートを始め、2015年に世界ジュニア選手権優勝、16年~19年に全日本選手権を4連覇。18年平昌五輪で銀メダル、22年北京五輪で銅メダル。22年の世界選手権を制した。今年4月30日には前所属事務所との契約が満了。交際を公表している本田真凜が所属するヒーローズマネジメント株式会社への移籍を発表した。なお、宇野は2024~2025シーズンの日本スケート連盟特別強化選手に指定されている。
2024年05月09日2024年5月9日、フィギュアスケートの宇野昌磨選手が、自身のInstagramを更新。現役引退を発表しました。宇野選手は、Instagramで次のようにコメントしています。この度、現役選手を引退する決断を致しました。今日まで競技者としての僕を応援してくださった皆様、支えてくださった皆様本当にありがとうございました。5歳の時にスケートと出会い、21年間続ける事ができ、素晴らしい競技生活を送れたことにとても感謝しております。5月14日に引退の記者会見を行い、僕の想いや、今後の活動についてはその場でお話しさせていただきます。会見はトヨタイムズでLIVE配信されますので、ご覧いただければ幸いです。引き続き、宜しくお願いいたします。shoma_un0ーより引用 この投稿をInstagramで見る 宇野昌磨ShomaUno(@shoma_un0)がシェアした投稿 同月現在、26歳の宇野選手。5歳でスケートを始めてからの21年間、自身に関わったさまざまな人への感謝の言葉とともに、引退の決断をしたことをつづりました。宇野選手は、2018年の平昌オリンピックで銀メダル、2022年の北京オリンピックでは銅メダルを獲得するなど、第一人者として活躍。これからの活躍も期待される中での突然の引退発表に、ネットからは「ほんまにビックリ!」「宇野選手、長い間お疲れ様でした!」「感動をありがとう」など、さまざまな声が上がっています。なお、宇野選手は同月14日に記者会見を予定しているとのこと。引退決断にいたるまでの想いや今後の活動など、宇野選手が何を語るのかに、注目したいですね。[文・構成/grape編集部]
2024年05月09日有限会社ロッドは、80年代の「ロックの女王」白井貴子の母の日スペシャル・イベント「第2回 白井貴子「ありがとうMama」」を2024年5月12日(日)に日本民家集落博物館(大阪府豊中市)にて開催いたします。白井貴子公式Webサイト: 『ありがとう Mama』第2回 白井貴子 母の日スペシャルイベント日時:2024年5月12日(日)13:00 start会場:日本民家集落博物館 椎葉の家(大阪府豊中市 服部緑地)料金:大人 2.000円/高校生 700円/中学生・小学生 500円障害がある方 無料 *障害がある方の付き添い介助者 無料(200名様限定)イベント申込URL 10数年間リュウマチの痛みに苦しんだ母の介護生活と看取りから葬儀までを家で執り行った体験を綴った白井貴子、初の執筆本『ありがとうMama』(カラーフィールド出版)。昨年2023年の母の日、Mamaの故郷服部の大地より出版することができました。2回目の今回は広く日々の暮らしや、また、介護に奮闘する「お母さん」に「ありがとう」の日として開催させていただきます。介護のお話は勿論、介護を通じて学んだ「食べることは生きること!」今年も豊中「あぐり」の皆さんの新鮮野菜マルシェも出店。地元の「歌声広場」で「歌うこと」を楽しみに集ってらっしゃる皆さんも駆けつけてくださいます。そして今年は「摘み菜」の先生でもある書籍編集者、藤井文子さんにもご参加いただき、昨年お亡くなりになったベニシアさん(イギリス・ロンドン出身:ハーブ研究家・英会話学校経営者)の暮らしを紹介した『ベニシアの「おいしい」が聴きたくて』の出版秘話をお伺いします。「日本民家集落博物館は17世紀~18世紀の見事な「茅葺屋根の家」を全国から11棟集め移築された「人類の文化遺産」と言える大変貴重な野外博物館。日本の江戸時代の人々の暮らしがありありと感じられる、公害も何もなかったであろう美しい時代にタイムスリップできる素晴らしい場所です。是非、沢山の皆さんにご参加いただき「母なる大地」素晴らしい地球に生きている「今」を満喫しに来ていただけるとうれしいです。大空の下、みんなで歌いましょう!」2024年 春 吉日 白井貴子<1部>13時~14時【対談】白井貴子(シンガーソングライター)勝部麗子 豊中市社会福祉協議会、藤井文子 元「山と溪谷社」編集長・野草コーディネーター<2部>14時15分~15時10分白井貴子「ありがとうMama」豊中スペシャルミニライブライブ終了後 豊中「あぐり」マルシェ&白井貴子サイン会(16時終了予定)主催 有限会社ロッド協力 豊中市社会福祉協議会/豊中市老人介護者(家族)の会、日本民家集落博物館■著書 『ありがとう Mama』『ありがとうMama』書影一昨年5月に他界した母、一昨年3月に他界した父、そして7年前に認知症とALSを併発し亡くなった叔母――。介護から看取り、自宅で執り行った葬儀まで、リアルな体験を元に綴った本『ありがとうMama』。たくさんの思い出とともに、介護の現実や、それを支える50~60代の「わたしたち世代」の奮闘と葛藤。そして「ひとりで辛く苦しい介護」は「介護新時代」へと動き出す!「ウルトラ身内のお話」が母の愛の尊さを伝え、「わたしたち世代」を勇気づけるメッセージに。白井貴子、生まれて初めての著書。タイトル:『ありがとう Mama』定価 :2,500円+税発売日 :2023年5月14日出版社名:カラーフィールド出版装丁 :表紙、見返しに越前和紙を採用した特別仕様。帯文 :「読み進むうちにMamaへの愛が、美しいファンタジーのような心地よさに思えてくる」―― 俳優・榎木孝明購買はこちらから ■新曲「Mama」シングルおよびミュージックビデオの配信リリースシングル「Mama」配信リリース シングル「Mama」&Music Video作詞・作曲・ピアノ:白井貴子80年代、「ロックの女王」白井貴子のステージ衣装を手作りしてくれた母へ、感謝を込めて捧げた歌「Mama」。初披露は2019年1月19日。MVは同年、箱根ロープウェイなどで撮影し、白井の初の個展「母 TSUNAGU 未来」展(京都沸立ミュージアム)で上映された。■白井貴子(しらい・たかこ) プロフィール1981年CBSソニーよりデビュー。1984年「Chance」のヒットを機に「渋谷ライブイン10DAYS」「新宿厚生年金会館5DAYS」「西武球場ライブ」を成功させ「ロックの女王」と呼ばれ、女性ロックの先駆者的存在となる。1988年から2年間、ロンドンへ移住。帰国後、2014年(文科省)「ESD世界会議」テーマソング「僕らは大きな世界の一粒の命」など子供達の歌を多数発表。 2016年フォーククルセダーズの作詞家で現在は精神科医の北山修氏より「次世代に北山作品を歌い継ぐ歌手」に抜擢され共作の新曲3曲も含むアルバム「涙河」発売。 2023年5月14日「母の日」に長年、難病の母を介護し、昨年、看取り~葬儀までを家でやり遂げた日々を綴った著書「ありがとうMama」初出版。楽曲「Mama」とMVも配信された。昨年11月1日、38年前の白井貴子 & THE CRAZY BOYSのアルバム「FLOWER POWER」アナログ盤を「リマスター&リカッティング」で音も輝きを増し再リリース。2024年1月20日KT Zepp Yokohamaにてアルバム完全復刻ライブ開催。5月12日、母のふるさと豊中の服部緑地にある「日本民家集落博物館」にて母の日イベント「ありがとうMama」開催予定。10月5日~11月25日、京都佛立ミュージアムにて2回目の「母 TSUNAGU 未来」展開催予定。2025年1月19日、KT Zepp Yokohamaで2回目の白井貴子 & THE CRAZY BOYS「未来へ咲かそう!フラワーパワー」ライブ開催予定。神奈川県環境大使 環境省3R推進マイスター・文部科学省ESD(持続発展教育)オフィシャルサポーター(2012年~2014年)・2024年日本認知症協会アンバサダー就任。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年05月02日吉高由里子主演大河ドラマ「光る君へ」の公式サイトでは、藤原道隆役の井浦新、高階貴子役の板谷由夏、2名の“君かたり”が公開中だ。以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。紫式部の人生を描く、大河ドラマ第63作目「光る君へ」。井浦さん演じる道隆は、道長(柄本佑)の兄。映像では「道隆の人間臭さだったり、文化芸術に造詣のある道隆以外の顔がしっかりと描けた」「『光る君へ』の世界の中での藤原道隆という人物を豊かに描くことができたなとは思いました」と演じきった感想を明かす。また、演じる上で“家族”を常に大事にしていたという井浦さん。「一族をいかに続けていくか、栄華を続けていくということが、道隆にとっては一番大事なことなんですよね」と説明し、「家族、一族というものが、道隆のすべてだったんだろうな」と最期に思いを馳せた。そんな道隆の最期のシーンについて、道隆の嫡妻・高階貴子を演じた板谷さんは「なんてロマンチックなんだろう。すごくやっぱりお互い情熱的な恋愛をしていたんだな」とふり返り、「悲しいんだけど、二人で共有する思い出を話し合えるっていう幸せ感もあったし、すごくほわんとしました」とある種の理想の最期だったとも語る。ほかにも映像では、道隆の変化についても話している。第17回「うつろい」あらすじ一命をとりとめたまひろ(吉高由里子)。乙丸(矢部太郎)から道長(柄本佑)が夜通し看病してくれたことを知らされる。道長は民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとしていた。そのころ、道隆(井浦新)は体調を崩し衰弱し始める。定子(高畑充希)は兄・伊周(三浦翔平)が関白に準ずる職につけるよう一条天皇(塩野瑛久)に働きかける。対する詮子(吉田羊)は…。そんな中、意外な人物がまひろを訪ねてくる。大河ドラマ「光る君へ」は毎週日曜日20時~NHK総合(再放送 翌週土曜13時5分)、毎週日曜日18時~NHK BS・BSP4K、毎週日曜日12時15分~NHK BSP4Kにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年04月28日2023年8・9月に開催されたアイスショー『ONE PIECE ON ICE ~エピソード・オブ・アラバスタ~』の再演が28日、発表された。初演に続き、宇野昌磨が主人公のモンキー・D・ルフィを演じる。今作は、世界で5億1000万部発行(※4月時点)されている尾田栄一郎氏原作の人気コミック『ONE PIECE』のテレビアニメシリーズをアイスショー化。2023年夏、横浜と名古屋で初開催された。アニメとフィギュアスケートのコラボという世界でも前例のないアイスショーは、原作ファンやフィギュアスケートファンからも高く評価され、国内のみならず海外でも雑誌で特集が組まれるなど熱狂的な話題を呼んだ。尾田氏も来場し「本当に価値のあるショーを見ました」とコメントを寄せていた。上演されるのは、前回と同じ「アラバスタ編」。謎の秘密結社「バロックワークス」の陰謀により崩壊の危機に瀕した砂漠王国“アラバスタ”を舞台に、王女・ビビとルフィ率いる“麦わらの一味”が国を救うべく立ち上がる壮大な物語となる。群舞による圧巻の戦闘シーン、プロジェクションマッピングや光の演出で表現する。同公演は、9月7、8日に各2公演、全4公演を千葉・LaLa arena TOKYO-BAYで開催する。チケットやキャストなど詳細は後日発表される。
2024年04月28日日本のイラストレーションを牽引してきた立役者、宇野亞喜良さん。グラフィックデザイン、舞台美術、絵本、俳句など活動は多岐にわたり、現在、過去最大規模の「宇野亞喜良展」が開催中。今年90歳になったレジェンドにお話を聞いた。――『anan』は宇野亞喜良さんに長年お世話になっており、1970年、創刊間もない頃は「美術」としてファッションページにも関わっていらしたんですね。(’70年11月発行の17号を見ながら)懐かしいですね。フェリーニの映画が好きだったので、“不思議の国のアリス”というテーマで人工美を追求するようなイメージで作りましたね。ダンサーや自称「女優」の男性や演劇実験室天井棧敷の役者などにモデルになってもらいました。――創刊第2号では宇野さんのアトリエにてファッション撮影。ご自身も登場なさっています。そんなこともありました。写真の中の、壁にかけてあるのは横尾忠則の作品です。’60年代に買ったのだけれど、彼はこの絵が気に入って展覧会にしょっちゅう出すものだから、ほとんど僕の家にはなかったんです(笑)。――横尾忠則さんとは’60年代に一緒にイラストレーターの事務所を作られた仲。和田誠さんとも交流があったそうですね。横尾君と僕はその前に日本デザインセンターというデザイン会社にいました。当時のボスは東京オリンピックのポスターをデザインした亀倉雄策さん。和田君は広告制作会社のライトパブリシティに勤めていて、勤務先がみんな銀座だったから、昼にはよく一緒に食事をしたりお茶を飲んだりしていましたね。――その後、3人でアニメーション映画も作られました。そうそうたるメンバーですね。デザインセンターを辞める話を横尾君としていた頃、銀座に「みゆき族」というのが出始めていたんです。喫茶店で話をしていると、セーラー服の女の子が紙のバッグ(紙袋)を持って店に入ってくる。そしてトイレに入って出てきたら違う衣装になっているんです。長いスカートの裾にフリルがついていたり、装飾的でした。ヒールは履いていなかったな。お母さんに作ってもらったのか、知り合いの洋裁店に頼んだのか、オリジナルの服装ですごくかわいかった。銀座という街に適したファッションをして遊んで、制服に着替えて帰る。場に合わせて日常とは違う姿に変容する様が面白いなと思って見ていました。そんな時代です。エロティック、背徳的なものに惹かれた。――宇野さんは名古屋のご出身。小さな頃から絵を描き、お母様が経営していた喫茶店に作品がたくさん飾られていた。16歳のときに新聞に取材されたのだとか。坊主頭に学生服を着ている写真が新聞に載りました。父親が今でいうインテリアデザイナーをしていて、それを手伝っているうちにビジュアル系の仕事に興味が湧くようになったんです。お店の装飾をするときに、辞書で調べながら、看板の文字を僕が描いたり。名古屋って、喫茶店で時間を過ごす人が多いんですよね。――喫茶店文化の街と聞きます。当時、母の店は小説新潮や文藝春秋、週刊誌や新聞各紙を揃えていて、お客さんはそれらを読みながらコーヒーを飲むんです。僕も子供の頃から、週刊誌に載っていた舟橋聖一の好色な小説を読んだりしていました。――「子供は読んではダメ」と言われなかったのですか?僕のウチはそういうことは全く言われませんでしたね。――絵を描き始めたのはいくつくらいだったのでしょう?どこを描き始めというのかわからないけれど、名古屋が空襲にあうというので、小学2年生~6年生に疎開をしていたんですね。疎開先から家に葉書を出すのに、文章を書くのが苦手で、その日に食べたさつまいもなんかの絵を描いて送ってました。僕はサウスポーなので、小学生の頃は「左団子郎」なんてあだ名をつけられていました(笑)。顔が丸かったんです。――宇野さんの絵は細部に不思議な要素が加えられていて、様々な物語を想像させられます。そしてエロティックな魅力があります。エロティックなものは好きですね。子供の頃から、雑誌の連載小説の裸の挿絵や、週刊誌のヌード写真を目にしていました。中学から高校まで大人に交じって「クロッキーの会」に通っていたんです。会費を払って、女性をモデルにデッサンをするのですが、ベレー帽をかぶったおじさんがいて、さぞかし上手だろうとスケッチブックをのぞいてみたらすごく下手だった。つまり、絵描きのふりをして、ストリップよりも安い料金で女性の裸を見に来ていたんです(笑)。――オマセな少年だったんですね。ませていたのでしょうかね。中学の同級生に不良が一人いて、娼婦の家に泊まって、そこから登校していました。カッコいいなあと憧れました。背徳的なニュアンスがあるものが好きですね。――勉強はお好きでしたか?いや、ダメだったと思いますよ。疎開先からの葉書も絵で誤魔化すくらいですから。母の店にはいろんな雑誌が置いてあったので、いわゆる絵画よりも挿絵に惹かれていましたね。あらゆる挿絵をたくさん模写していました。雑誌名と何年何月号の何ページまで書き写して、自分なりのビジュアル辞書のようなものを作ったんです。「絵の辞書」と書くのもカッコ悪いから、和英辞典で調べて初めて「イラストレーション」という言葉に出合い、「Dictionary of Illustration」と英語で書きました。――当時からグラフィックデザインやレイアウトに意識が向いていたのですね?そういうところもあったのかもしれません。『少年』と『少年倶楽部』という雑誌をとっていて、妹は『少女』と『少女倶楽部』をとっていたんです。僕はその両方を読んでいました。そのうち妹は中原淳一さんの『それいゆ』を読み始めた。中原さんや内藤ルネさん、長沢節さんらの絵を見ていました。デザイナーになって上京してから、そういう方々にお会いできたのは嬉しかったですね。幼少期から出版物にたくさん触れていたから、イラストレーションを描くようになったのでしょうね。――作品が印刷物になるときに原画に忠実であることを求める画家が多いのに対して、宇野さんは印刷物として魅力的であればいいというお考えだと伺いました。もともと印刷物が好きというのもありますが、印刷技術によって、絵が変わって見えたり、変容していくことが僕のテーマの一つでもあると思います。――演劇のポスターや、舞台美術も多く手がけてこられましたが、演劇に興味を持つようになったきっかけは何だったのでしょう?父親は昔、NHKの放送劇の劇団員だったことがあったらしいです。僕はその姿を見聞きしていないのですが、昔の写真を見ると、父が菊池寛全集を手にしていたり、本棚にはたくさんの戯曲がありました。子供の頃は、知り合いのつてで、御園座という劇場の照明室から歌舞伎を観せてもらったりしていたんです。劇団民藝が戦後最初にやった公演も観に行きましたし、疎開から名古屋に戻ってから上京する21歳まで、歌舞伎、松竹新喜劇、前進座などあらゆる種類の舞台を観ていましたね。――演じてみたいと思ったことはないのですか?役者の側に回ろうと思ったことはないですね。芝居が好きで、若い頃、演劇をやっている先輩に頼まれて絵を描いたのだけれど、「君の絵はセンチメンタル。これからの日本を建設的に考えるときに、こういうセンチメンタリズムではダメだよ」と言われた。自分の思想で日本をどう組み立てていくかなど考えないで、スポンサー付きの、人の言いたいテーマを請け負ってやっていくデザイナーだったら文句はないだろうというふてくされた気持ちが芽生えました。――宇野さんは、’70年代の演劇や雑誌に社会的影響力があり、とても熱かった時代を第一線で体感されています。今や全てがスマートフォンの中で完結しているような時代。現在のカルチャーについてはどう思われますか?社会を俯瞰する人にとっては当然いろんな思いがあるのでしょうが、その気になって情報を集めればきっとどのジャンルも面白い現象は生まれているのだと思います。ただ僕は不勉強で携帯も持っていないので(笑)。でも、先日『ゴジラ‐1.0』が米国アカデミー賞(視覚効果賞)を獲りましたよね?日本の映画がアメリカで認められるようになるなんて思いませんでした。初代の『ゴジラ』は当時の同僚だったデザイナーの木村恒久と観ました。彼はすごく興奮していたけれど、僕はもっとゴジラを巨大に見せるアングルで撮ればいいのにと不満があった。新しいゴジラは進化しているそうなので、観に行きたいと思っています。――70年以上描き続けてこられて、絵に対して興味を失うことはなかったのでしょうか。きっとあったのでしょうけどね。そういう気持ちをうまく誤魔化して通用しちゃったのでしょうね。演劇や映画が好きで、虚構を創ることが好きだったから、なんとかやっていきたいという一種の芸人根性のようなものもあったのかもしれません。木村恒久が僕のことを書いた文章があって、谷崎潤一郎の小説の『刺青』の清吉に似ていると。女を眠らせている間に刺青を彫る男です。最後に「宇野亞喜良は幇間(ほうかん)がいちばんピッタリだろう」と締められていた。いわゆる太鼓持ちです。媒体がお座敷。スポンサーを喜ばせ、女性たちも楽しませて、自分も結構それが気に入っている。うまい比喩だなあと思いましたね。――制約なしに自発的に絵を描かれることはあるのですか?それが案外ないんですよ。スポンサードされ、テーマを与えられて、それをどう表現するか考えるのが好きです。――描くことは今も楽しいですか。アイデアがまとまるまでは時間がかかりますけど、楽しい地点まで辿り着くと面白いです。夢中になって日3枚描くこともあります。アナログなので、絵をいろんなサイズにコピーして、切り貼りしながら、こうして遊ぶみたいに一枚のポスターを作り上げています。宇野さんのこれまでの膨大な仕事を振り返る「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」が東京オペラシティ アートギャラリーにて6月16日まで開催中。学生時代のスケッチから、グラフィックデザイナーとしての仕事、アニメーション映画、ポスター、絵本、版画、装丁、立体作品やプロデュースした舞台関係の作品まで幅広く展示。美しく耽美な世界を堪能できる。TEL:050・5541・8600うの・あきら1934年生まれ、愛知県出身。’55年に上京。カルピス食品工業、日本デザインセンターなどを経てフリーに。’60年代には寺山修司主宰の演劇実験室天井棧敷などのアングラ演劇ポスターや舞台美術を担当。’90年代は舞台の美術監督を務めたり、「左亭」の俳号で俳句とのコラボレーション作品を発表。’60年日宣美展会員賞、2008年日本絵本賞、’15年読売演劇大賞選考委員特別賞ほか受賞多数。1999年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章を受章。※『anan』2024年5月1日号より。写真・玉村敬太インタビュー、文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2024年04月27日元メジャーリーガーの上原浩治氏が14日、自身のインスタグラムを更新し、TBS系『サンデーモーニング』(毎週日曜前8:00)の前司会者・関口宏、後任の膳場貴子らとのショットを公開した。大畑大介氏を加えた4ショットを投稿し、「関口さん、膳場さん、大介と」と報告。この日の放送では、上原氏の御意見番出演はなく「今日のサンデーモーニングはどうだったんだろうか?あれ?気にしてる自分がいる」とつづった。自宅のあるアメリカに帰国中で、「#気になる」「#しばらく休み」と添えた。ファンからは「ご意見番不在で槙原さんが頑張ってましたよー!井口さんは控えめでした!」などと反応が寄せられている。
2024年04月14日日本を代表するイラストレーターでありグラフィックデザイナーでもある宇野亞喜良の個展『宇野亞喜良展AQUIRAX UNO』が4月11日(木)〜6月16日(日)、東京オペラシティ アートギャラリーで開催される。1934年名古屋市生まれの宇野亞喜良は、1960年代に「イラストレーション」「イラストレーター」という言葉を広めた先駆者であり、今やレジェンドとも呼ばれる存在だ。その華麗で繊細な絵柄はよく知られているが、多ジャンルにわたる彼の創作を知る機会は希少だ。同展では、過去最大規模となる900点を超える作品でその全貌に迫る。19歳でグラフィックデザイナーの登竜門「日本宣伝美術協会(日宣美)」で入選を果たすなど、早くに才能を見出された宇野は、グラフィックデザイナーとして活動をスタートした。本展では、さまざまな企業広告、演劇実験室◎天井桟敷などアングラ演劇などのポスターを紹介。原画と印刷技術を駆使した表現の両方が楽しめるだろう。演劇実験室◎天井棧敷公演『星の王子さま』ポスター 1968©AQUIRAXまた、現在まで70冊を超える絵本を手がけ、多くの児童書にも携わってきた。横尾忠則と企画した『海の小娘』、今江祥智との『あのこ』など、バリエーション豊かな世界が味わえる。併せて、新聞や雑誌のイラストレーション、書籍の装幀なども多数展示される。なお60年代には短編アニメーション『白い祭り』『お前とわたし』『午砲(ドン)』を制作。同展ではその3本すべてを上映する。『あのこ』原画1966©AQUIRAXさらに宇野は、1987年の個展をきっかけとして、毎回テーマを決めて個展を開催してきた。そこで発表された、クライアントワークとはまた異なる自由な作風も紹介する。1990年代半ば以降は舞台装置や衣装、メイク、演出や脚本など演劇の総合プロデュースにも力を入れている。近年では俳句に親しみ、松尾芭蕉や寺山修司が詠んだ句をテーマに新作を描くなど、時代を超える多彩な活動が展開されてきた。「魅惑のサウスポー」とも言われる宇野のファンタジックでときにエロティシズムも漂う、境界のない世界を堪能したい。<開催概要>『宇野亞喜良展AQUIRAX UNO』会期:2024年4月11日(木)~ 6月16日(日)会場:東京オペラシティ アートギャラリー時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)休館日:月曜(祝日の場合開館翌日休)料金:一般1,400円、大高800円公式サイト:
2024年03月25日3月13日に結婚を発表したNEWSの小山慶一郎(39)とAAAの宇野実彩子(37)。発表から5日が経ったが、小山のInstagramにある異変が起きている。結婚を発表した翌日の14日、小山はレギュラー出演している情報バラエティ『よんチャンTV』(MBS)の生放送に登場した。「番組冒頭、共演者から祝福され、『ありがとうございます』と小山さんが頭を下げる場面が。その後は金屏風や花が置かれた“記者会見風”のセットが用意され、小山さんが結婚後の思いなどを語りました」(スポーツ紙記者)ファンの間で物議を醸したのは、生放送の際の小山の左手薬指。小山の左手薬指に指輪が光っているのが見えたのだ。「結婚発表に加えて指輪まで見せられるとなるとファンのショックは大きかったようで、小山さんのInstagramには“アイドルやめたの?”“結婚指輪はドン引き”といった声が寄せられていました。あまりに心ない声が多かったようで、小山さんはInstagramのコメント欄を閉鎖。『よんチャンTV』の生放送後に《番組の皆さんがお祝いしてくれました!》として“HAPPY WEDDING”と飾り付けられた楽屋の写真を投稿していましたが、その投稿以降はコメントできない状態になっています」(前出・スポーツ紙記者)NEWSは昨年、デビュー20周年を迎えたばかり。まだまだNEWSが尽きることはなさそうだ。
2024年03月18日2024年3月13日、アイドルグループ『NEWS』の小山慶一郎さんと、パフォーマンスグループ『AAA』の宇野実彩子さんが、結婚を発表しました。旧・株式会社ジャニーズ事務所であり、芸能事務所の株式会社SMILE-UP.はウェブサイトを更新。小山さんは、同社のウェブサイトで結婚したことについてこのように報告しています。この度、私小山慶一郎は、宇野実彩子さんと結婚いたしましたことをご報告させて頂きます。穏やかで優しい時間を共に過ごしていけたらと思っています。これまで以上に、一つひとつの仕事と真摯に向き合い、精進してまいります。至らない点も多々あるかと存じますが、今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。FAMILY CLUB Official Siteーより引用また、宇野さんも同日に自身のInstagramを更新。手書きのメッセージを添え、ファンに向けて結婚を報告しました。私、宇野実彩子は2024年3月12日に小山慶一郎さんと結婚いたしましたことをご報告いたします。私は昨年1月に最愛の父を亡くしました。入籍した3月12日は大好きな父の誕生日です。父にどこか似ている彼と温かい家庭を育んでいきたいと思っています。また、これからも人として、そしてアーティストとしてさらなる成長を遂げられるように努力してまいります。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。misako_uno_aaーより引用 この投稿をInstagramで見る 宇野実彩子 - Misako Uno(AAA)(@misako_uno_aaa)がシェアした投稿 小山さんは、2003年に『NEWS』のメンバーとしてCDデビュー、2004年5月にはメジャーデビューを果たしました。また、2014年1月から2018年6月上旬まで、報道番組『news every.』(日本テレビ系)でメインキャスターを務めたほか、さまざまな番組でコメンテーターやMCとしても活躍。宇野さんは、『AAA』のメンバーとして、2005年9月にシングル『BLOOD on FIRE』でデビューしました。同年には『第47回日本レコード大賞』の最優秀新人賞を受賞しています。2020年12月31日以降、同グループは活動を休止しているものの、ソロアーティストとして活動のほか、デザイナーやモデル、YouTuberなど、マルチに活躍をしています。宇野さんの投稿によると、2人が入籍をした3月12日は、2023年に亡くなった『大好きな父親』の誕生日なのだとか。2人の結婚に、ネット上では祝福の声が上がっています!!・ご結婚おめでとうございます!幸せなご家庭を築いてください。・大好きな2人が幸せな形で結ばれて、とっても嬉しい!!・おめでとうございます!ビッグカップルだ!夫婦として新たな人生を歩み始めた、小山さんと宇野さん。2人のこれからの人生が、明るいものになることを多くのファンが願っていることでしょう。ご結婚、本当におめでとうございます![文・構成/grape編集部]
2024年03月13日現在、愛知県で活躍している医師の新開貴子さん(58)は、異例の経歴の持ち主だ。彼女が医師になったのは、なんと53歳のとき。まだ、5年目の医師なのだ。そんな彼女が医師になるまでのドラマを追う(全2回の1回目)。■「7浪して医学部に入学。53歳で医師免許を取得」「こんにちは。お体の加減はいかがですか」「それがね、先生。2日前に歩行器に手をかけた途端にダーッと転んでしまって、腰が痛いのよ」1月末の月曜午後2時過ぎ。愛知県春日井市でひとり暮らしをする84歳の女性宅。要介護2で呼吸器疾患の持病もある女性は、訪問医の到着を待ちわびていたかのように、一気にしゃべり始めた。やがて医師は、横たわる女性患者の隣にしゃがみこむと、「めまいはどうですか」「やっぱり立ち上がるときが、いかん。でも、今日はめまいも腰も少しラクになって、大好きなラーメンを食べられたよ」「寒い日は、あったかいラーメンがおいしいですよね」聴診器を胸や背に当てる間も、会話を途切れさせることなく診察するのは、医師の新開貴子さん(58)。今日も所属する同市の勝川よろずクリニックから、看護師とふたりで車で20分かけて在宅診療にやってきた。女性患者の顔から当初の不安げな表情は消え、笑顔で続ける。「診察もていねいだし、何でも話せる貴子先生が大好きだよ」その後も、血圧測定や服薬の指示など1時間弱の診察を続け、「また来ますからね。お大事にしてください」往診用のカバンを手に車まで向かいながら、貴子先生が言う。「私が話しやすいというのは、きっと娘さんと同世代だからでしょう。私自身も、自分の母親と会話するような気持ちで向き合っています。今日のように、患者さんが元気になる姿に接するたびに、ああ、医師になってよかったと思うんです」快活な口調で話す貴子先生は、異色の経歴の持ち主だ。58歳にして、まだ医師歴5年というキャリアが、その事実を物語る。医師を目指したのが32歳のとき。その後、7浪して40歳で医学生となり、3人の子供を育てながら、53歳で医師免許を取得した。当時をふり返って言う。「小中学校を通して成績もずっとクラス最下位だった自分が、まさかお医者さんになるなんて、夢にも思っていませんでした」意外にも、少女時代の貴子先生は、「劣等感と孤独感のかたまり」だったというのだ。■「劣等生だった小学校時代。東京での生活に疲れ、郷里に戻り……」「物心ついたときには、母がクラブや薬局を経営していて、すごく繁盛させていました。父はもともとバーテンダーで、その後は母の仕事を手伝ったりしていました」1965年(昭和40年)3月17日、島根県松江市に生まれた貴子さん。「自宅1階がクラブで、その2階が私たちの住居でしたが、両親はいつも不在で、私と2つ年上の兄は生後3カ月から近所に住む子守りのおばあさんに育てられ、しつけもしてもらいました」幼稚園から小学校、中学校と、島根大学教育学部の附属校へ。「まわりは親が大学教授や医師など教育熱心なご家庭ばかりのなか、うちは勉強に集中できるような環境ではなかった。『水商売の家の子と付き合うな』と親から言われてる同級生もいて、私はつらくて、母に『クラブをやめてくれ』と訴えたことも。先生からもほったらかしの私は、クラス42人中41番目か42番の成績で、もうひとりの男子といつもビリを争ってましたね」家庭にも学校にも居場所がなかった。「劣等感と孤独に苦しみ、4歳ごろから始まった自分の毛を抜くクセがずっと続いてました。のちに抜毛症という病気だと知るんですが。きっと、母が夜もいなくて寂しかったんでしょう」中学卒業後は周囲の同級生たちが進学校に進むなか、「偏差値が足りず」に私立の女子高へ入学。両親の離婚は、その直後だった。「母は家にはおらず、父も外に女の人がいたりで常に両親はいがみ合っていたので、娘の私でも、離婚は当然の結末と思いました。高校を出ると、地元での暗い生活を何とか断ち切りたいと思って、上京します。とにかく、あの家から、島根から出たかった」東京女学館短期大学では、かろうじて好きだった英語を専攻した。「まわりはお嬢さんだらけで自家用車での送り迎えもあるなか、たぶん自転車通学は私だけ」家賃9千円のアパート、弁当販売店でのバイトなど苦学生の生活だったが、家族の煩わしさから解放されて充実した毎日だった。卒業後は東京でレナウンの海外事業部に就職し、3年後には日本航空に転職して羽田空港でグランドホステスとして勤務する。「大好きな高倉健さんのチェックインを3回ほど担当したのは、忘れられない思い出です」しかし、短大を出て社会人になって、順調に過ごしているように見えるが、実際は違っていた。「もう上京してすぐから、拒食と過食を繰り返す摂食障害が始まっていました。一時は、体重も一気に15キロくらい落ちてしまって」心身に限界を感じ、帰郷を決意した。そして、「摂食障害になったり、人間関係をうまく築けない自分の心の空洞の正体を知るために、心理学を学ぼう」そう思い、26歳のときに島根大学教育学部にAO入試(総合型選抜)で入学。以降、実家の薬局を手伝いながら、臨床心理士を目指した。「勉強を続けるなかで、私の根っこには“母に見捨てられた”という消化できないままの感情があると、改めてわかってきました」座学に加えて、2年間にわたりアルコール障害や摂食障害のセルフミーティングに関わるなかで、ある思いに至る。「私の理想とする医療をやろうと思ったら、自分自身が決定的な判断を下せる立場にならなければできないのではないか、と。そのとき初めて、医師になりたい、という思いが芽生えました」32歳の決心を「応援するよ」と誰より喜んでくれたのが、父親の邦洋さんだった。当時、邦洋さんは近所で中華料理店を営んでいた。しかし、そのわずか半年後の1997年9月半ば、貴子さんは顔見知りの酒店店主から、父の店が2日間も閉まったままだと聞かされる。「胸騒ぎを覚え合鍵で店に入ると、父が倒れていました。救急車を呼びましたが、私は意外に冷静で、もうダメだなと思っていました。60代半ばだった父は持病の糖尿病があったうえに酒浸りだったし、なにより私や家族と離れて、ひとりで暮らす寂しさも大きかったのでしょう」そして、貴子さんは思う。「お父さんが苦しんでいるのに、私は何もしてあげられなかった。父のように病に苦しみ、自ら死を選ぶ人を救いたい。患者さんに寄り添い、体も心も支えたい」医学部受験のため、最初に始めたのは、中学の数学からやり直すことだった。(取材・文/堀ノ内雅一)【後編】7浪して医学部、国会試験に2回落ちて53歳で医師になった女性「それでも諦めなかった理由」へ続く
2024年02月25日有限会社エルステュディオインターナショナル(代表:さかより のりこ)がメディアプロデュースをする桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社 代表取締役 渡部貴子氏。地域ニーズに応えるべく、心の不調を予防する「メンタル保健室」を2024年2月に開設しました。コロナ禍で精神疾患の数は400万人から600万人に急増し、「体だけではなく心の健康をいかに維持するか」に注目が集まった。現在も、高齢者の認知症や、学生の不登校、会社員のメタルケア等々……世代問わず、誰もが生活の中で心の病に関わる機会が増えている。後期高齢者が急増する2040年に向けて「訪問看護・在宅医療」の準備が進む中、「心の病の複雑化」にも注目が行く。既に「精神科看護の不足」も指摘される。国の推進で【地域の医療】として精神科の訪問看護を増やすべく【拠点】が次々と立ち上げられる状況で、「あくまで関わる人材の育成(中身)が大切だ」と説く渡部貴子氏。予期せず経営者に就任した彼女が、そこから更に、難易度の高い精神科の訪問看護医療へ転換を決めた理由とは何か。メンタルヘルスを身近にするための新しい試み、「メンタル保健室」に至るルーツを探る。渡部貴子氏 (C)Benjamin Lee〇訪問医療への「土壌づくり」全世代の在宅療養者を対象とした訪問看護が始まったのが1994年。その後、2000年から介護における訪問看護が始まった。渡部貴子氏が「訪問医療」に関わったのは、1997年。千葉のがんセンターでの勤務を経て一次的に休職していた際、医療従事者である妹の務め先(整形外科)で「往診の補助についてくれる看護師がいない」とお呼びがかかったのだ。「前職で家に帰れず亡くなる人々を看取っていたこともあり、地域での医療に興味はありました。今でこそ訪問看護は当たり前ですが、当時はとても珍しかったのです。外来に来られない患者さんの家を訪ねるうちに、訪問看護の必要性を実感するようになりました」折しも、訪問看護の制度が出来ていく段階―訪問看護ステーションを作るに当り、国から予算が付き始めた時期のことだ。4年勤め、辞める頃には大学や専門学校での講師経験も出来ていた。次を考えるタイミングで、医療コンサルを手掛ける社長から声が掛かった。「在宅医療を教えてほしい」必然的な在宅医療の訪れだった。渡部氏はコンサルタントとして参加し、クリニックの中に訪問看護ステーションを立ち上げ、自ら直接看護もする「プレイングマネージャー」へと。その後2017年に至るまで、同所に務める傍ら、外部でもヘルパー養成、教育などの福祉部門の講師を務める。〇ホスピタリティと「場づくりの重要性」多忙な生活を楽しみ、「看護は自分の使命」と語る渡部氏。そのホスピタリティの源泉とは何か。渡部氏は、一度挫折しかけた看護師の夢を諦めきれず、CAの内定を辞退して看護学校に入学した経緯がある。たどり着いた修道院起源の環境は、彼女を優しく育んだ。そこで「その土地で生活する人々が作る場の力」「場づくりの重要性」を知る。だからこそ、訪問看護ステーション立上げ以降の15年間、気力体力ともにハードな状況でも、アグレッシブに「訪問看護の場づくり」と「医療関係者・患者・患者の家族の関係づくり」に取り組めた。しかし、いよいよ、自分で一から『土壌になるような場』作りを課せられることになる。〇やるしかない!突然の経営者転換転機は2013年。社長が「医療法人を売る」と言い出した。訪問看護は儲からないと思われたのだろうが、切り捨てられた形だ。更に渡部氏は「独立して、代表になれ」と促される。「70人も患者さんがいて、行き場もない状況。急に(別の医療機関へ)捌くのは無理でした。当時は、経営のことなんて何も分からない、一介の看護師です。それでも、人に恵まれるタイプだから、助けてくれる人は必ず出てくる……やるしかないと思いました」結果、友人の紹介の税理士に助けを得、時間のない中で法人登記を終えた。だが、閉鎖が決まったクリニックをそのまま借りることはできない。幸い、何とか物件は見つかったが、今度はお金がない。自力で何とか資本をかき集めて、開設にこじつければ、「お金の心配はするな」と言っていたはずの元社長に危うく負債まで引き受けさせられかけた。これも税理士の助言で免れた。「開設は忘れもしない2013年10月1日。看護は一日も休めない為、引っ越しも同時でした。大変だったけれど、患者とスタッフは全員ついてきてくれました」なかば強制的に始まった「場づくり」から10年たった今、社会もだいぶ様変わりした。訪問看護ステーションはすっかり増えて、定着を見せる。〇精神科の訪問看護と、「地域」の関わり2023年8月に心機一転、渡部氏は会社名を「桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社」と改めた。本当の意味での独立――「精神科の訪問看護」の質を高めると同時に、「メンタルヘルスケア活動の拡充」へと舵を切ることにしたのだ。実は、訪問看護ではベテランで、大方のことを経験してきた渡部氏だが、過去には苦い思い出もある。「精神科の患者に対して、何もできなかった……それどころか実際に会うまでは『簡単にケアできるのではないか』という過信をしていたのです」「精神科認定看護師」という国家資格がある。渡部氏は仕事をしながら学び直し、2年かけて取得した。全国で有資格者は800人程度。そのほとんどが病院所属だ。通院できず地域で困っている患者や、リスクのある未病の状態では到底届かない。精神科と一口に言っても、認知症のような高齢者から、メンタルケアを必要とする不登校の若者まで様々なケースがある。ニーズは増える一方。渡部氏は、今では教育する側だ。「精神科の看護できる看護師を増やしたい。日本の精神科医療は遅れています。国も勧めようとしていますが、医療報酬目当てに『拠点』だけを増やそうとする医療業界以外の参入も多い。けれど、必要なのはやっぱり『人』。場所が増えるだけではよくならず、かえって疲弊するだけです」参入者が手を引いた後を引き受けてきた渡部氏の言葉は重い。専門的な学び直しによって、「自信をもって精神科看護に当たれる人材」を増やしたい。渡部氏の狙いは明確だ。「現状、地域でしんどい思いで暮らしている患者さんは多くいます。生きづらさを家族にすら理解されないまま、他人事のように扱われている状況。看護師の理解すら追いついていない……そんな事態を改善するために、まず現場の訪問看護師が学び直し、正しく理解する必要があります。『桂乃貴(このき)』ではそんな看護師を育て、地域医療の土壌を作ります」高い能力が求められ、責任も重い「在宅の精神科看護」は大変だが、高齢者社会に向けて必要不可欠。急増が予期される認知症の方に向けても、自社の看護教育にも力が入る。この先の高齢化社会では、地域でのケアがより求められていく。社会での共存実現に向けて、企業向けの取り組みも強化する。精神科には歴史的に排除されてきたり、隠されてきたりした流れもあり、偏見を無くす為に「多くの人に実態を知ってもらう必要がある」と、渡部氏は言う。人の在り方に対し、視野を広げていくこと――これこそが自分自身でのメンタル予防にも繋がっていく。「企業には産業医や外部のカウンセラーがいると思いますが、利用する必要がない段階の人向けに『自分自身の心の取り扱い方を学ぶ機会』があってもいい。看護の中でも『自分の対処スキルを上げる』ことを教えますが、体の病気だけでなく、心の病気に対しても未病・予防の考え方は重要です」例えば、医者や薬に頼る前に、学校や職場でより早く違和感を見つけてあげられれば……自分の対処スキルを上げることは、看護の中でも重要なことだ。ダイレクトに医療環境を整えること、同時に「地域」に対し、理解の場を整え、自分ごととして「メンタルケア=メンタル予防」できる土壌を、企業や教育の場を通じ提供すること。渡部氏の、大きな「場づくり」への挑戦が始まる。2024年2月に、【メンタル保健室】を開設。「心のモヤモヤを、もっと気軽に専門家へ相談してほしい」という思いで、まずは月一回・第一土曜日に、個人・地域と医療を繋ぐ。心の不調、その予防に繋がる場所を、もっと身近なものへ。メンタル保健室ご案内【渡部貴子 プロフィール】桂乃貴(KONOKI)メンタルヘルスケア株式会社 代表取締役精神科認定看護師リッツカールトン東京にて (C)Benjamin Lee<略歴>鹿児島県生まれ、千葉育ち。三育学院短期大学(現 三育学院大学)看護学部卒。千葉県がんセンターにて、ICU.脳外科、整形外科での最先端治療に携わると同時に多くの方を看取る。三幸福祉カレッジにて、ヘルパー養成講座の講師として従事しながら、街にある小さな整形外科内科クリニックへ勤務。往診の同行をして行く中で、もっとご本人、家族のサポートをしたいと思い、訪問看護部を立ち上げる。株式会社ソシオン(現 株式会社ソシオンヘルスケアマネージメント)にて、本格的に在宅医療を実践。訪問看護ステーションの立ち上げに尽力する。<独立>2013年7月 株式会社ハートフルを設立精神科、認知症専門の訪問看護ステーションを立ちあげ、地域との連携強化を図る。2023年8月 法人名を桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社と変更。現在に至る。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年02月22日1月20日、白井貴子&THE CRAZY BOYSの<『FLOWER POWER 2024』再現ライヴ&SDGsカーニバル>がKT Zepp Yokohamaで行われた。昨年11月1日に、最高傑作と誉れ高い1984年のアルバム『FLOWER POWER』が実に38年ぶりにアナログレコードで復刻され、この発売記念として行われたものだ。このレコードは、リマスターでブラッシュアップされたサウンドと、白井自身による入魂の長文ライナーノーツが付くなど、こだわりの仕上がりとなっている。同様に今回のライヴも、タイトルに<SDGsカーニバル>とあるように、白井が音楽と共に長年に渡って活動してきた自然と環境問題に関する様々な展示が会場のロビーで行われるなど、白井ならではのこだわりに満ちたものだった。ライヴは二部構成で、第一部は『FLOWER POWER』再現ライヴだ。SEと共にメンバーが登場し、1曲目の「It Must Change」、最大のヒット曲「Chance!」と続くと、お客さんはいきなり総立ちで拳を突き上げる。80年代には学園祭の女王と呼ばれた白井だが、客席までその時代を再現したかのようだ。黒いタイトなアウターにスリムジーンズと膝丈ブーツの白井は、まるでクリッシー・ハインドのよう。曲間で「ようこそ、白井貴子&THE CRAZY BOYS、FLOWER POWER 2024へ!」と白井が挨拶し、ライヴは走り出した。メンバーは、本田"ホンチ"清巳(G)、南"ナンチ"明朗(G)、片山"ポッポ"敦夫(Key)、河村"カースケ"智康(Ds)、という80年代当時からのメンバーたち。そして一昨年に亡くなった春山"ハルボー"信吾(B)に替わって加入した岡部晴彦(B)には、奇しくも同じ"はるちゃん"というニックネームが与えられた。アルバムの曲順通りに演奏は進み、5曲目には平和への祈りを込めて「Foolish War」が演奏された。シンプルだが重厚、メッセージがストレートに心に届く名曲だ。驚くべきは白井のヴォーカルで、声のトーンや歌い方、MCのタイミングまで当時とほとんど変わらない。バンドもアルバムのもつスケール感を見事に再現していて、キャリアを積み重ねた余裕とシブ味がほのかに加わっているのは、理想的な進化といえるだろう。第二部は、前日に誕生日を迎えたばかりの白井を祝って、自然発生的にお客さんが「ハッピー・バースデイ」を歌うサプライズからスタート。そして、白井の環境活動の話へと続く。小さな活動の中から、自然との共生やそこに生きる人々とのつながりが生まれ、その中で奏でる音楽がある。ただエコが大事という話ではないのだ。ここで歌うのはそういった人と人の繋がりの中で生まれてきた歌たち。本田のギターで歌った「倉田小学校校歌」は予定になかったアドリブだろう。後半はバンドでの代表曲を披露。ライヴ終盤の定番曲「今夜はIt’s All Right」では、お決まりの"今夜は今夜しかないのさ"のコール&レスポンス。白井は「年を重ねるとこの言葉が真剣に響く」と嘯くが、同様にそれなりの年齢層のはずのお客さんたちが、驚くほどよく歌って腕を振り上げ、今の一瞬を全力で楽しんでいるのが伝わってくる。きっと次の日は筋肉痛だろう。本編の最後は、きたやまおさむと作った「涙河」で締めた。演奏終了後はお客さんと記念撮影。「未来へ咲かそうフラワーパワー!」の掛け声でシャッターを切った。白井が言う〝エコとロックのハイブリッド〟が結実した一夜だった。<公演情報>『FLOWER POWER 2024』再現ライヴ&SDGsカーニバル1月20日(土) 神奈川・KT Zepp Yokohama【セットリスト】■第一部01. It Must Change02. Chance!03. Shining Dance04. Checkしてしまった!!05. Foolish War06. MY Glory Road07. Japanese-Girls & Boys(inside song)HAPPY NEW YEAR08. Back Again09. 遥かなる想い-it must be changed10. Talk To Me■第二部01. Mama02. 竜馬の夢03. 花は咲いている04. Good Wishes05. Theme for Next Gate06. Time Limit07. Stand Up Boy08. Make Up09. PRINCESS TIFFA10. 今夜はIt’s All Right11. Rock Tonight12. 涙河(NAMIDAGAWA)■ENCORE01. Theme for Next Gate 202202. Chance! (Long Ver.)
2024年01月27日白井貴子の名盤『FLOWER POWER』のアナログレコードが最新の技術でリマスター&リカッティングされ、2023年11月1日にリリースされたのを記念して、アルバム完全再現ライブが1月20日(土) KT Zepp Yokohamaにて開催される。そのライブ開催を記念して、『FLOWER POWER』がリリースされた1985年渋谷公会堂で行われたライブから「Chance!」と「Foolish War」の映像がYouTubeで公開された。また、白井は新たな時代へと進む「FLOWER POWER PROJECT」を発足。ライブ会場ホワイエでは、「エンタメと健康〜環境」をつなぐ活動をしているエコロジーオンラインの上岡裕をコーディネイターに迎え、「SDGsカーニバル」を開催。88年のロンドン移住以降、30数年の取り組みに共感した仲間が全国各地から集結する。白井がファンと学びそれぞれの地域で行う、自然に親しむ「PEACE MAN CAMP」をベースに、大石田「ふるさとの風プロジェクト」(山形)、陸前高田(岩手)復興支援「AID TAKATA」、小谷村(長野)、丹南地方(福井県)、南伊豆(静岡)、白井が環境大使を務める神奈川県の「脱炭素推進室」地元横浜で環境に尽力している人の展示などを実施。さらに、世界的に活躍する花絵師、藤川靖彦による『FLOWER POWER』のシンボルマーク「花音符」作品も展示する。そのほか、白井のオリジナルグッズも「環境仲間」とのコラボグッズのほか、白井の「鉄分不足を解消してよりファンの皆さんと一緒に元気な未来へ!」という想いから、鉄のフライパンを製作。地元・横浜の中華街の鍋シェア85%を誇る、一枚一枚手作業で作り上げる「打出し」製法の山田工業所(金沢区)と作り上げたオリジナルフライパンは今回のイベントで初披露。アナログレコードと並んで“フラワーパワー・フライパン”が限定販売される。白井貴子&THE CRAZY BOYS「Chance!」- Live at 渋谷公会堂 1985 -白井貴子&THE CRAZY BOYS「Foolish War」- Live at 渋谷公会堂 1985 -<イベント情報>白井貴子&THE CRAZY BOYS『未来へ咲かそう!「FLOWER POWER 2024」アルバム完全再現ライブ&SDGsカーニバル』1月20日(土) 神奈川・KT Zepp Yokohama開場 15:00 / 開演 16:00■白井貴子&THE CRAZY BOYSVo 白井貴子 / Gt 本田清巳 / Gt 南明朗 / B 岡部晴彦 / key 片山敦夫 / Ds 河村“カースケ”智康【チケット料金】(税込)一般:7,800円中学生以下:3,000円※全席指定※ドリンク代別※未就学児入場不可チケットはこちら:()『FLOWER POWER』特設サイト:
2024年01月15日1981年にデビュー、80年代に「ロックの女王」としてライブシーンを牽引した白井貴子。学園祭クイーンとして、さらには日本武道館、西武球場など大きな会場のステージに立ち、自身のバンド、CRAZY BOYSと共にシーンを駆け抜けた。1985年にリリースされた5thアルバム『Flower Power』が、2023年11月1日に38年の時を経てアナログ盤『FLOWER POWER』として蘇った。そして2024年1月20日(土) にはKT Zepp Yokohamaで「アルバム完全再現LIVE & SDGsカーニバル」が開催されることも決定。そんな彼女に今の心境を語ってもらった。――横浜で伝説のバンド、THE CRAZY BOYSと共にステージに立つことが決定しましたが、その経緯から教えてください。白井まず会場が自分の故郷、横浜だということは私にとっては大きくて。実は20数年前に今回のようなライブを開催したくて事務所をわざわざ横浜に移転したくらいなんです。でもそのときは残念ながら力及ばずで、今に至っていた。今回、二代目のマネージャーだった関野(一美)さんから声をかけてもらって、「ソニーでアナログ盤を出す動きがあるから貴子もどうだ」と言ってくれたんです。今、CDの売れ行きも下がっている中でアナログが海外ではスゴイという話を聞いて、いずれ日本にもその流れは来るんだろうなって思いましたし、私にとってアナログ、手作り感を大切にしてずっとやっているので、とてもうれしいことで。そこでアナログ盤のリリースだけじゃなくてライブもやろうぜっていう話になった。60歳を過ぎて独唱できるアーティストはそんなにいないからやろうって。生きているうちに頑張ろうっていう感じです(笑)。――THE CRAZY BOYSは、各メンバーがその後の日本の音楽シーンで重要な役割を担う重鎮として活躍中です。Gt. 本田清巳[白井貴子自主レーベルROD代表、ECHOESのラストツアー参加]Gt. 南明朗[工藤静香、杉山清貴らの活動に参加]Ba. 岡部晴彦[真心ブラザーズらの活動に参加]Key. 片山敦夫[サザンオールスターズ、桑田佳祐ソロなどの活動に参加]Dr. 河村”カースケ”智康[星野源、福山雅治、藤井フミヤ、桑田佳祐ソロなどの活動に参加]白井残念ながらTHE CRAZY BOYSのメンバー、春山信吾さん(Ba)が亡くなってしまって。それも昨年11月1日、私のデビューの日、「僕の名前を忘れてないでね」と言わんばかりの日に亡くなったんです。実はTHE CRAZY BOYSって6人中4人が湘南出身で。なので余計に神奈川でやりたいということで決まりました。――もうこのメンバーでリハーサルには入っているのですか。白井(取材日の)明後日から入ります。バンドのメンバー、みんな硬派な奴らばっかりだから、あまりメールとかやらないんですよ。頑固なオヤジたちなんで(笑)。――歌謡曲、ポップス、アイドル全盛の時代に女性アーティストがロックに踏み出したのは、貴子さんがパイオニアだと思うので、このメンバーが支えていたからこそ、ツアーや西武球場というスタジアムでも熱狂的なパフォーマンスが実現したのではと想像します。リハーサルさえ観たいくらいの豪華な布陣ですね。白井若い時から力あるミュージシャンだったんだなということは、申し訳ないんだけど今頃になってすごくよくわかる(笑)。そういう人たちを私が、引っ張ってきたとは言えないけど、焚きつけて、もっとああして、こうしてってよく言ったもんだなって思いますね、今振り返ると。――今、改めてライブハウスという会場でロックなパフォーマンスをすることに意義を感じます。今回はスタンディングですか。白井今回はスタンディングではないです。これまでの周年ライブではファンの感想で「貴子のライブはやっぱり疲れる」って(笑)。エンタテイメントとしては疲れさせてもいけないな、リフレッシュして楽しんで帰ってもらわなきゃ。私が促してますから、「そろそろ疲れたんじゃない?座って観ていいよ」って(笑)。――「SDGsカーニバル」と掲げた理由は?白井時代が21世紀になって、私たちが幼い頃は例えばベトナム戦争があってジョン・レノンが反対したっていう時代を音楽を聴きながら育った。今まさか地球でたいへんなことが起こるなんて考えてもいないし、未来は良くなるって思いたいんだけど、どんどん悪い方向に行っていると思うんですよね。だから私が30年やってきた環境のことも大きく伝える良いきっかけなんじゃないかと思って「SDGsカーニバル」と名付けた。FLOWER POWER実行委員会を立ち上げて、みんなで向かっていこうと臨む1日になりました。――「Foolish War」という曲を1986年の西武球場ライブで演奏する際のMCで「今日は西武球場の日だけど、長崎に原爆が投下された日でもあるので祈ろう」という言葉が今も心に響いていて…。白井よく覚えてますね!私も今も覚えています。世界ってその昔はとても大仰な感じに聞こえてましたけど、今ネットの時代になって、実際に世界中の人たちに音楽が届けられる状況になっていますから、望み大きく、世界の人たちに横浜の港町から届けるくらいの意気込みでやってもいいと思うんですよね。私たちは滾々とやるしか手がない。現地に行って食い止めるような力はないのはわかっているけど、でも何も言わないよりはちゃんと発信するということは大切だと思っています。――SDGsという観点から発信していきたいことはありますか。白井今年の6月にバイク冒険家の風間深志さんからご連絡いただいて、「バイクは自然と一体になるスポーツなのに、バイク乗りの人たちが意外と環境のことを考えてないので、貴子さんから言ってやってくれ」って言われたんですよ(笑)。私にとっては「NEXT GATE」というバイクの曲(編集部・注:80年代「鈴鹿8時間耐久レース」のテーマソング)を、2022年にエコとロックのハイブリッドなサウンドに仕立て直して配信していたので、これは良いチャンスだと思って、喜んで出させてもらった。そこで東北大学名誉教授の石田秀輝さんにお会いしました。石田先生は「地球は人間があと12年でちゃんと環境のことを考えた生き方をしないと、酷いところに手をかけることになる」と学会で発表された。私にとって「あと12年」という数字が響いて、「よし12年は続けよう」という意気込みで自分の中のモチベーションの大きな力にしたいと思ったんです。――5月には初の著書「ありがとうMama」を出版されましたね。白井私にとってはコロナ禍が幸いしたというか、歌うこともライブすることも止められる3年間でしたけれども、母がたいへんな状況を迎えていたので「介護をやれ」ということだなと思って専念したんです。母は私の活動の初期にステージ衣装を作ってくれてたんですよ。私、男所帯の事務所に入ったものですから、スタイリストの「ス」の字も知らないような人たちで(笑)。私が10代のときピアノの発表会とか大学入ってからも合唱団の衣装を母に作ってもらっていたので、ライブ衣装も私がデザインして、母と一緒に生地屋さんに行って。母の介護のことはファンには発信してこなかったけど、2019年、私が還暦のとき開催したライブでピアノの横にその衣装を並べて、「Mama」という曲を弾き語りで歌いました。親孝行と思って。素晴らしいメッセージをたくさんFacebookでいただいて、それを参考に母を介護して、痛むことも苦しむこともなく息を引き取ったんです。お通夜もお葬式も実家でやって。やり遂げたときに、本当にシンプルにそこで亡くなってお花いっぱい添えて、スッと玄関から出ていった姿をみて、ストレートでいいなって、「こういう一生って最高だよね、ママありがとう」と拍手する想いだった。在宅介護のことを知らない人も多いから伝えてほしいですって言われたのもあって、皆さんに助けてもらった気持ちにお返しすることも含めて本にしたいと思ったんです。――今後、どのような活動を展開していきたいと思っていますか。白井いつまで現役で音楽活動をできるかわからないけれど、まだまだ生み落としたい曲のストックが山のようにあるのです。曲は作ってもCDにしてない、配信もしてないとか、やらなきゃいけないことが山積みで。できればTHE CRAZY BOYSでもまた新しいことができればいいなって思いますけれど、今回のライブは1回で終わってしまうのか、続いていけるのか、分岐点になっていくと思うので、願わくば続けていけるようにしたいなって思います。35周年の頃は(メンバーのお子さんも加えた)「THE CRAZY BOYS+Jr.」を作りました。カースケの息子さん(河村吉宏)にドラムを叩いてもらった。その頃から自分の中ではずっと「SDGsカーニバル」のような気持ちで、次世代の子たちを想ってメッセージが届くように「Jr.」を作ったんです。周りのスタッフももっと発信したほうがいいよって今回、神輿を担いでくれたんだと思います。SNSの力で市民力もアップしてきているときに、アーティストにファンがついてくるだけではなくて、みんなで良いエネルギーを作ってタッグを組んで、良い方向に行こうという船出の時になったらいいなと思ってます。私は80年代のときにもっと大人が若い世代を牽引してくれたらいいのに、言ってくれる人が少なかったなと思う。自分は若い世代に向けて、未来に向けて言うだけじゃなくて自ら実践しなきゃと思っています。Text:浅野保志(ぴあ)Photo:吉田圭子ぴあアプリ限定!アプリで応募プレゼント★白井貴子サイン入り色紙を3名様にプレゼント【応募方法】1. 「ぴあアプリ」をダウンロードする。こちら() からもダウンロードできます2. 「ぴあアプリ」をインストールしたら早速応募!<公演情報>『白井貴子&THE CRAZY BOYS 未来へ咲かそう!「FLOWER POWER 2024」アルバム完全再現ライブ』日時:2024年1月20日(土) 開場15:00/開演16:00会場:KT Zepp Yokohama出演:白井貴子&THE CRAZY BOYS(Vo.白井貴子Gt.本田清巳Gt.南明男Ba.岡部晴彦key.片山敦夫Dr.河村“カースケ”智廉)料金:一般7,800円、中学生以下3,000円※全席指定※入場時ドリンク代が必要※未就学児入場不可チケット情報:()<リリース情報>白井貴子&THE CRAZY BOYS『FLOWER POWER』(アナログレコード)発売中価格:4,070円(税込)白井貴子&THE CRAZY BOYS『FLOWER POWER』(アナログレコード)ジャケット【収録曲】■SIDE A -Green Side-1. It Must Change2. Chance!3. Shining Dance4. Checkしてしまった!!5. Foolish War■SIDE B -Growing Side-1. My Glory Road2. Japanese -Girls & Boys3. Back Again4. 遥かなる想い~It must be changed5. Talk To Me特設サイト:<その他>初著作本「ありがとうMama」発売中詳細:公式サイト:
2023年12月27日11月24日、フィギュアスケートのNHK杯が始まる。最大の注目は世界のトップを競ってきた宇野昌磨と鍵山優真が出場する男子シングル。本来ならトップスケーターは大会ごとに振り分けられるため、この2人の実力者が同じ大会に出ることはないが、鍵山が怪我の影響で全日本選手権を除き昨シーズンを欠場したことから実現した。選手それぞれの目標へ向けてトップスケーターが競演!宇野は世界選手権連覇をはじめ昨シーズンを全勝で駆け抜け充実の一途にある。今シーズンはより高みを目指し表現に力を注いできた。再起を期す鍵山にとっては本来の滑りをどこまで取り戻せたか試される舞台。両者の演技が楽しみなところだ。さらにシニアに転向し2シーズン目の壷井達也も飛躍が期待される。女子シングルの中心となる存在は三原舞依。体調不良で全休後、’20‐’21シーズンから復帰し徐々に復調。昨シーズンはグランプリファイナル初優勝、世界選手権に6年ぶり出場などたしかな足跡を残した。中国大会は欠場となり、怪我の回復具合が気がかり。日本選手は2シーズンぶりに戻ってきた北京オリンピック代表の樋口新葉、初出場の青木祐奈も出場する。他に、昨シーズンの世界選手権で銀メダルを獲得したイ・ヘインをはじめ韓国の選手も3人出場。近年、選手層に厚みを増す韓国の選手たちの成長の度合いも今後の女子の勢力図を占う上で気になるところ。ペアの三浦璃来/木原龍一は、木原の怪我の回復具合の状況から、シリーズ初戦に続き残念ながら欠場となった。その分、今シーズンから結成された長岡柚奈/森口澄士の活躍に注目したい。アイスダンスには小松原美里/コレト・ティムが出場。近年注目の高まっていたアイスダンスの流れをつないでいく演技が期待される。それぞれの立ち位置から未来を見据える選手たちがどのような姿を氷上に見せるのか。大会はまもなく始まろうとしている。演技の幅を広げ、さらなる高みへ。宇野昌磨選手今夏には開催前から話題となっていたアイスショー「ワンピース・オン・アイス」に出演、主役のルフィを演じ好評を博した。新たな経験は今シーズンこだわってきた表現面の強化にもきっと活かされるはず。怪我から復帰し、新コーチと挑む。鍵山優真選手シーズン開幕を前に、世界でも屈指のスケーティング技術などで活躍したカロリーナ・コストナー(イタリア)をコーチに迎えた。スケーティングをはじめ滑りにいっそうの磨きをかけ、NHK杯に臨む。GPファイナル連覇を目指す!三原舞依選手コロナ禍で変則的な開催となった’20年を除き、実質的には5年ぶりの舞台となるNHK杯。昨年、初出場初優勝を果たしたグランプリファイナル出場は難しくなったが元気な姿を見たい。NHK杯 国際フィギュアスケート 競技大会日程:11月24日(金)~26日(日)会場:東和薬品RACTABドームNHK総合、BS1で放送予定。※『anan』2023年11月29日号より。写真・アフロ文・松原孝臣(by anan編集部)
2023年11月23日女優の高島礼子さんが、同じく女優のとよた真帆さん、常盤貴子さんといっしょにランチ会をした様子を自身のInstagramに投稿しました。豪華な女子会を報告 この投稿をInstagramで見る 高島礼子(@reico.official)がシェアした投稿 高島さんは、とよたさんと常盤さんの名前、さらに「女子会ランチ」や「楽しい会話」「美味しい食事」というハッシュタグをつけて投稿。「会話が途絶えません。やっぱり楽しいですね。頼もしいとても良い刺激を受けました」と素直な気持ちを綴っています。 投稿を見たファンからは「すごいメンバー」「豪華な女子会」「超〜美女トリオ」「皆さん変わらずお綺麗」「美人3人組」などの声が集まっています。 女子会の会場となったのは、とよたさんが今年8月に開いたレストラン「ロジエ」。高島さんのInstagramに再び、とよたさんと常盤さんが登場する日が楽しみです。
2023年10月23日フィギュアスケーターの宇野昌磨が27日(20:00~)、ABEMAで配信された特別番組『「ワンピース・オン・アイス」完全攻略ガイド何度でも楽しめる予習復習SP』に出演。『ワンピース・オン・アイス~エピソード・オブ・アラバスタ~』で演じるモンキー・D・ルフィの役作りについて語った。○■『ワンピース』シリーズ史上初のアイスショー『ワンピース・オン・アイス』は、TVアニメ『ワンピース』シリーズ史上初のアイスショー。11日より横浜公演が開催されると、『ワンピース』とフィギュアスケートの融合を実現させた演出や、日本屈指のスケーターたちの名演に称賛の声が集まっている。同番組では、そのアイスショーを徹底解説し、サンジ役の島田高志郎、トニートニー・チョッパー役の渡辺倫果、ボン・クレー役の本郷理華が出演。3人がオファーを受けた際の心境や、役作りのポイント、話題を呼んだバトルシーンの表現など、『ワンピース・オン・アイス』の裏側に迫る。○■宇野昌磨「本当に思い残すことはありません」また、モンキー・D・ルフィ役の宇野をはじめ、ロロノア・ゾロ役の田中刑事、ウソップ役の織田信成ら、メインキャスト陣への独占インタビュー映像も公開。ルフィの役作りで意識したことを聞かれた宇野は、「僕と性格が全然似ていないので、まずは恥ずかしさを振り切った」と明かし、当初は自分でもルフィを演じる姿は想像できなかったそうで、「現役スケーターだからこそ、他の人よりもエネルギッシュにやれる自信はあった」という。「人よりたくさん練習したり、動画を見たり、原作を見たりできることを模索しながら、すべてに120%を出すつもりで練習しました」と入念な準備で迎えた本番。「もちろん緊張はしたけど」と前置きし、「できるかなとかではなく、全力でやってきたから、本当に思い残すことはありません」と胸を張った。○■宇野昌磨のルフィ役を絶賛した本郷理華そんな宇野の思いに、フィギュアスケートのコーチが同じで、チームメイトでもある島田は、「偉大なスケーターで偉大な先輩なんですが、僕にも“この動き、ルフィだったらどう表現してるかな”とか事細かに聞いて来てくれて。チームメイトとはいえ年下に、自分の違うところを直してもらうって躊躇することだと思うんですけど、それだけルフィをとことん突き詰めていて、かっこいいなと思いました」とコメント。普段は宇野に冷静沈着なイメージがあるという本郷も、「(性格が)1番違うかなって思っていたんですが、ルフィが仲間を守る時の視線と、昌磨くんの試合前の集中した視線に近いものを感じて。バトルシーンは、ルフィだけど、昌磨くんのかっこよさも出ているなと思います」と、宇野のルフィを絶賛していた。なお同番組は、9月17日まで無料で視聴可能。また、「ABEMA PPV ONLINE LIVE」では、9月3日に名古屋にて開催される『ワンピース・オン・アイス』“大千秋楽”を独占生配信する。(C)尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション(C)AbemaTV,Inc.
2023年08月31日活動休止中のダンス&ボーカルグループ・AAAの宇野実彩子が25日、楽天モバイルパーク宮城で開催された「楽天×ソフトバンク戦」の始球式を務めた。宇野が始球式を行うのは、2018年6月以来5年ぶりで、この日は楽天ユニフォームにヘソをチラリと見せる白のショートパンツ姿で登場。背番号は自身の名前「実彩子(みさこ)」からとって「335」にした。始球式直前は笑顔を見せつつも、落ち着かない様子でマウンドに上がった宇野。丁寧に頭を下げた後に美脚あらわな左足を真っ直ぐ上げ、右足一本でしっかりと直立するダイナミックな投球フォームを披露。投じたボールは2バウンドでキャッチャーに届き、スタンドは大きな拍手と歓声に包まれた。セレモニアルピッチを終えた宇野は、「ホームベースまで遠かったです。始球式の前に、球団の方とキャッチボール練習をさせていただいたときは届いていたので、悔しいです」と吐露したが、「スタジアムはとても気持ちよかったです。楽天ゴールデンイーグルスのファンの方もソフトバンクホークスのファンの方もみんな温かくて楽しくできました」と充実した表情で振り返った。投球の自己採点は「85点」。5年前の始球式は「60点だった」そうで、「それよりはうまくできたと思います。15足りなかったのは、(ホームベースまでノーバウンドで)届かなかったからです」と、前回からの成長に笑顔を浮かべた。今年はソロ活動5周年の節目の年。9月6日には、ソロ活動5周年記念アルバム『PEARL LOVE』をリリースする。16日からは、新アルバムを引っ提げて全国8都市を回るライブツアーも行う予定で、ソロアーティストとして多忙な日々が続く。今後の意気込みを聞かれると、宇野は「秋から始まるツアーは、ソロ活動5周年の集大成なので、駆け抜けていきます。最高のツアーにして、皆さんと最高の思い出を作りたいので頑張ります!」と気合い十分。東北楽天ゴールデンイーグルスに対しても、「いつもスポーツには勇気をいただいているので感謝しています。怪我に気をつけて、選手生活を楽しんでください」とエールを送り、「私も頑張ります!」と改めて自らを奮い立たせていた。
2023年08月26日OverviewMEDEL GALLERY SHUでは、8月29日より9月10日まで湯浅万貴子の個展「肯う地平」を開催いたします。「湯浅万貴子の作品は点描の密度と色箔の面の空間の対峙で構成されている。しかし、近年は対峙/拮抗だけではく、双方の時間軸の関係性をより見出す為、より鑑賞者を基点にした時間軸を取り入れようとする試みが見える。「普遍的なものや能動的なもの(身体のモチーフ)をデフォルメするということは、言葉にすると無茶な気がするが、アートに関して言えばとてもイージーなものになる。」と湯浅は語っている。前回の弊廊での個展は2021年12月でした。およそ1年半ぶりに出会う、静寂とダイナミズムが共存する作品の数々をお楽しみください。湯浅万貴子個展「肯う地平(うけがうちへい)」会期:2023年8月29日(火)〜2023年9月10日(日)会期中無休時間:11時〜19時(最終日は17時まで)会場:MEDEL GALLERY SHU住所:東京都千代田区内幸町1-1-1帝国ホテルプラザ東京2F*入場無料展示告知ポストカード出品作品個展に寄せて湯浅万貴子は、点描と箔で構成された絵画を制作するアーティストである。点描画として描かれる図像は、《さようならの亡骸》(2019)などに顕著に示されるように、しばしば人間の身体をデフォルメした形象をモチーフにしている。いくつかの外見的特徴から、その人物は女性であると推測することができる。だが、湯浅の作品に現れる人体のようなイメージは多くの場合で顔を欠いていることもあり、そのアイデンティティは意図的に不明瞭にされている。そうした行為には、これまで絵画の領域のなかで女性の身体、特に女性のヌードが暴力的に男性の視線によって——男性芸術家には制作の対象として、そのほか多くの男性には鑑賞や窃視の対象として——領有されてきた歴史を踏まえると、ひとりの女性作家が女性の身体を点描というユニークな手法で描くことに意義を見出すことができる。だが、芸術において女性自身が自らの身体を奪取することの重要性だけではなく、湯浅の実践はより普遍的な美術史的・芸術学的考察に刺激的な示唆を与える。例えば、アクリル絵の具と色箔で作られた背景と点描画の図像を備えた彼女の絵画は、「図と地」の構図を形成しているとみなすことができる。いわゆる「ルビンの壺」に象徴されるように、20世紀前半に発展したゲシュタルト心理学の重要概念とされる「図と地」だが、学術的な概念として言語化される以前から絵画の構図として至るところに見られる。そのひとつが、湯浅自身も影響を受けていると語る、グスタフ・クリムトらを代表とする「ウィーン分離派」における「ジャポニズム」の絵画である。クリムトが1895年に制作した《愛》という絵画では、縦長の外面の両サイドに金箔を想起させる金地が施されており、明らかに日本画の様式的影響が感じられる。湯浅はウィーン分離派のジャポニズムを自己流で再解釈しており、ウィーン分離派のジャポニズム自体が日本画を自己流で再解釈したものであると考えると、そこには「再解釈の再解釈」という創造的な連鎖を発見することが可能だ。加えて、不明瞭なデフォルメ化された形象が前景化するとき、湯浅の絵画においては「図と地の逆転現象」とでも呼べる事態が起こることは視覚文化研究の観点から眺めて非常に興味深い。今回の個展に際して、湯浅はこれまでの取り組みを軸に据えながらも、いくつかの新しい試みに挑戦しているという。そのひとつが、人体的なモチーフを微妙にずらして重ね合わせ、まるで「連写」のような視覚効果を生成させる試みである。美術史的な視座から分析すれば、そこにはイタリア未来派の画家たち——ウンベルト・ボッチョーニ、ルイジ・ルッソロ、ジャコモ・バッラなど——が挑んだ、動的ダイナミズムの静的メディア(すなわち、時間を含む4次元性を表現することのできない媒体としての絵画)における描出の試みとも近接性を見出すことができる。あるいは、類似の関心になるが、キュビズムの画家たち(特に、ジョルジュ・ブラック)が試みた、4次元性の平面における再構築への探究とも共鳴するように思われる。このように、湯浅万貴子の芸術実践が問いかける地平は限りなく広い。山本浩貴(文化研究者、金沢美術工芸大学講師)参考作品参考作品Profile湯浅万貴子|Makiko Yuasa1988年新潟市出身2011年東北生活文化大学家政学部生活美術学科退学主な個展2014年Shounandai MY Gallery MY Gallery2020年s+arts「静かな荒野」2021年s+arts「不変の前兆」2021年MEDEL GALLERY SHU「身に悖ること勿れ」2022年金沢アートグミ 「eimi ousia」主なグループ展2011年GEISAI♯15ランキング展/ Hidari Zingaro gallery2012年Roppongi a Art Week/ Shounandai MY Gallery2015年「MY duo」/ Shounandai MY Gallery2016年「WILL」/ Shounandai MY Gallery2018年「Composition」/ Shounandai MY Gallery2019年「amrta」/ s+arts2020年「荒地のアレロパシー」/ Mitsukoshi Contemporary Gallery2021年「ストレンジャーによろしく」/ 金沢市内各所2022年「s+arts summer exhibition」/ s+artsアートフェア2012年ULTRA005(東京)2015年 YOUNG ART TAIPEI(台湾)アワード2011年YOUNG ARTIST JAPAN vol.4 TOGBOAT/山本美知子賞2011年GEISAI #15 来場者ポイントランキング第3位レジデンス2021年金沢市「CORN」山本浩貴、齊藤恵汰・招待作家掲載2012年月刊アートコレクター9月号「新人アーティスト300人」2018年美術の窓5月号「新人大図鑑2018」2020年Webレビューとレポート(みそにこみおでん)家船参加作家インタビュー2021年月刊アートコレクター7月号「ヌード 愛の美のちから」2021年中日新聞にてレジデンスインタビューGallery InformationMEDEL GALLERY SHU|愛でるギャラリー祝東京都千代田区内幸町1-1-1帝国ホテルプラザ東京2F info@medelgalleryshu.com 11:00〜19:00(最終日は17時まで)MEDELとは、日本語で「物の美しさをほめ味わうこと」を意味する「愛でる」からきています。唯一無二のアートを賞美し、慈しむという行為を介して、アーティストと鑑賞者、ギャラリーの間に喜びの行き交いが成立してほしいという想いを込め名づけました。“時代を共にする人々にとっての財産であり、未来の社会を照らす火である”とアーティストの活動・作品を定義し、人々の心に残る独創性に富んだスタイルの作品を鑑賞者と共に愛でつつ、次世代に残るようなマーケットや美術史的評価を確立してゆくことが当ギャラリーのミッションです。そのような私たちの活動を通して、独創的な表現を受け容れる多様な社会的風土の醸成に資することができれば、これに勝る喜びはありません。The word “MEDEL” is from the Japanese word “めでる,” which means "to praiseand appreciate beauty" in Japanese.We named the gallery MEDEL to create a pleasant exchange between the artist, and the appreciator,through the unique artwork.We define artists’ activities and works of art as "an inheritance for the people who share the same era and a fire that will light up the society of the future”, and we hope to establish a market and an art historical reputation that will last for the next generation while appreciating works of art with the viewers, which are full of originality and style that will remain in people’s minds.Through our activities, we are more than happy to contribute to the development of a diverse social culture that accepts creative expression.: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年08月02日カラーフィールド出版は、歌手・白井貴子 初の著書『ありがとう Mama』を2023年5月14日に発売いたします。また、書籍の発売と同日には新曲「Mama」シングルおよびミュージックビデオの配信リリースを実施いたします。白井貴子オフィシャルWebサイト: 白井貴子 著書『ありがとうMama』■著書『ありがとうMama』昨年5月に他界した母、昨年3月に他界した父、そして6年前に認知症とALSを併発し亡くなった叔母――。介護から看取り、自宅で執り行った葬儀まで、リアルな体験を元に綴った本『ありがとうMama』。たくさんの思い出とともに、介護の現実や、それを支える50~60代の「わたしたち世代」の奮闘と葛藤。そして「ひとりで辛く苦しい介護」は「介護新時代」へと動き出す!「ウルトラ身内のお話」が母の愛の尊さを伝え、「わたしたち世代」を勇気づけるメッセージに。白井貴子、生まれて初めての著書。タイトル : 『ありがとう Mama』定価 : 2,500円+税発売日 : 2023年5月14日出版社名 : カラーフィールド出版装丁 : 表紙、見返しに越前和紙を採用した特別仕様。帯文 : 「読み進むうちにMamaへの愛が、美しいファンタジーのような心地よさに思えてくる」―― 俳優・榎木孝明購買はこちらから: ■初著書『ありがとうMama』発売と同日、新曲「Mama」シングルおよびミュージックビデオの配信リリースを実施白井貴子 配信シングル「Mama」<同日配信リリース シングル「Mama」&Music Video>作詞・作曲・ピアノ:白井貴子80年代、「ロックの女王」白井貴子のステージ衣装を手作りしてくれた母へ、感謝を込めて捧げた歌「Mama」。初披露は2019年1月19日。MVは同年、箱根ロープウェイなどで撮影し、白井の初の個展「母 TSUNAGU 未来」展(京都沸立ミュージアム)で上映された。<白井貴子(しらい・たかこ) プロフィール>シンガーソングライター。1984年、『Chance!』のヒットを機に「ロックの女王」と呼ばれ、日本の女性ポップロックの先駆者的存在となる。1998年、ロンドンに移住。帰国後、音楽活動再開。第61回全国植樹祭神奈川大会の歌『森へ行こう』、ESDユネスコ世界会議の歌『僕らは大きな世界の一粒の命』を作詞・作曲。2016年、白井貴子「北山修/きたやまおさむ」を歌うアルバム『涙河』リリース。2019年、京都佛立ミュージアムにて初個展「母 TSUNAGU 未来展」開催。2022年、「Cheer Up RV Fes.」with 白井貴子「茅刈り PEACE MAN CAMP」を長野県小谷村にて開催。神奈川県環境大使。環境省3R推進マイスター。文科省 ESDオフィシャルサポーター(2012年~14年)。今秋、80年代の楽曲をアナログレコードで再リリース予定。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年05月11日活動休止中AAA(トリプル・エー)のメンバー宇野実彩子さん(36)はキュートなルックスやファッション、メイクなど女子から憧れの存在に。先日、自身のインスタグラムにお腹の見えるセットアップを着て美くびれを披露したところ注目が集まっているようです。早速チェックしてみましょう!グリーンカラーの大胆セットアップから覗く美くびれに注目 この投稿をInstagramで見る 宇野実彩子 - Misako Uno(AAA)(@misako_uno_aaa)がシェアした投稿 「トークショーの新衣装だよ。プリザーブドフラワーを顔にも体にもつけた春メイク。大胆なセットアップで、ジム行ってて良かったコーデ」と春っぽさ全開のセットアップファッションを公開。ブリザーブドフラワーを付けたメイクやおだんごヘアもとてもお似合いで真似したくなった方も多かったのでは。コメント欄には「岡山TSで見た実彩子の腹筋背筋がカッコ良すぎて筋トレ始めました」「元々ほっそ!!って思ってたけど、努力されてるんだなぁっていうのがわかるウエスト腹筋ライン」「きれいすぎる、、、うつくしい」とジムに行って鍛えてたという腹筋に注目が集まっていました。年を重ねるたびに可愛さを増している実彩子さん。次はどんな姿を見せてくれるか楽しみですね!あわせて読みたい🌈「最高だあああああ」「美しいビーナス」美くびれの谷まりあさんに反響
2023年05月11日俳優の堺雅人と女優の常盤貴子が出演する、日本マクドナルド・サムライマックの新CM「宇宙への挑戦」編が、4月4日より放送される。新CMでは、堺と常盤が宇宙飛行士役で登場。地球に代わる新たな居住地と資源を求めて、宇宙船「SAMURAI号」に乗船し、突破不可能な旅に挑む。今回の撮影で2007年の舞台以来、約15年ぶりの共演となった堺と常盤。宇宙服を身に着けると、「このボタンが要なんでしょうね」とヘソの上の辺りを指差しながら話しかける常盤に、堺が「そうですね。きっと生命の危険が訪れたら脱出できるような装置がついているんですよ(笑)」と返すなど和やかな雰囲気で撮影は進んだ。■堺雅人&常盤貴子インタビュー――久しぶりの共演はいかがでしたか?堺:常盤さんがマドンナ役を演じた舞台以来の共演ですが、今回も本当に凛々しくも美しい、「炙り醤油風 ベーコントマト肉厚ビーフ」のような華やかさ、力強さがある常盤さんとご一緒できて嬉しいなと思います。常盤:宇宙へ行かせていただくに当たって、堺さんとご一緒できるのであれば、もう怖いものはないなと。「炙り醤油風 ダブル肉厚ビーフ」のような堺さんに、喜んでついていきます! という感じでした。――撮影中はどんなお話をされていたのでしょうか?堺:宇宙のお話で、佐治晴夫先生という方の。常盤:数学者ですよね。堺:以前、現場で常盤さんからお借りした佐治先生のエッセイに、宇宙はすごく遠い世界でもあるけど、今の自分の生活をごく短く見ていったら、そこに宇宙の永遠を感じることができる、というような文章があって、まさに今回のテーマにぴったりですよね、という話になって。食べた瞬間のちょっとした動きが、ひょっとしたら永遠と繋がっているのかもしれないなと。すごく夢がある、フワーッと視点が遠くなるようなエッセイなんですよ。常盤:たまたま佐治先生のエッセイを持っていて、これは堺さんが好きそうだなと思って、「読みますか?」とお渡ししたという。堺:僕自身、別の機会で佐治先生と面識があって、こういう文章も書かれてるんだ、本当に素晴らしいと思います、といったような会話をしていました。――「宇宙に飛び立つ」というCMのテーマについて、どのような感想をお持ちになりましたか?堺:“宇宙に飛び立つ”いいんじゃないですか! どんどん飛び立っていけば! 僕は今回、宇宙に飛び立つシーンで、自動車教習所で初めて免許を取った時の感覚を思い出しました。常盤:免許持ってるんだ。堺:しかも、オートマではなく、マニュアルです。常盤:時代ですね。私もそうです。堺:撮影のために取ったんですけど、マニュアルの坂道発進の感覚を思い返しながら、操縦桿を握っていました。半クラッチでアクセルを踏み込んで、クラッチを離した瞬間、車が動く……。常盤:それが出来た時の喜びたるや(笑)。堺:あの坂道発進は、なんだか宇宙に飛び立つ感じがしました。――ワイヤーアクションはいかがでしたか?堺:素敵でしたね。常盤:もっと怖いのかな、痛いのかなと思ったら、スペシャリストの皆様がサポートしてくださったので、何も心配することなく。堺:一流のチームに吊られて、無重力を楽しめました。――空中浮遊しながら「サムライマック」を食べたことがあるのは、世界中でお2人だけなのでは?堺:これから増えてくるんじゃないですか。ぜひ宇宙ステーションでも「サムライマック」を食べていただきたいですね。――「サムライマック」を食べた感想をお聞かせください。堺:「炙り醤油風 ダブル肉厚ビーフ」は本当においしいですよね。ビーフの力強さがガツンとくる感じがとっても大好きです。常盤:「炙り醤油風 ベーコントマト肉厚ビーフ」は、フレッシュなレタスやトマトとかお野菜がたくさん入っているので、女性でもあまり罪悪感なくいただけるのかなと。バーガーをいただく時、女性はそれなり「よしっ」と思うじゃないですか。でも、これなら大丈夫だろうって。堺:野菜もたくさん摂れるし。常盤:だって、野菜も一緒に摂っているから、と思えるのはすごく救われますよね。堺:彩りもすごくキレイです。――宇宙に行く挑戦を描いたCMのストーリーにちなんで、人生で最大の挑戦だったと思うことをお聞かせください。堺:坂道発進ですかね。劇中でマニュアルに乗るから免許を取ることになったんですけど、撮影に間に合うのかというぐらい、なかなか上手くできなくて。マニュアル車は本当に挑戦でした。常盤:私は今回のCMで、宇宙に行こうと決めたことです。ハーネスで吊られるとか、結構な挑戦だったなと。なかなか宇宙に行こうという決断は普段できないですから。堺:どんな宇宙の旅になるのか、完成した映像を見るのが楽しみですね。実は、セリフも当初「宇宙でこんなこと言うの?」と思っていたんですよ。でも、実際に「人生半分か、いやいやまだ半分もある」とか、「挑戦しない自分を恐れるんだ」とか、操縦しながら言ってみると、案外ぴったりだなというか。宇宙の懐の広さに救われた感じがしました。常盤:さすが宇宙ですね(笑)。――宇宙を突破するぐらい熱量を持ってハマっているもの、好きなものは?常盤:私はガーデニングが好きで、お野菜もやっていて、今年はキンカンもできました。無農薬で作れるし、全然見た目は良くないけど、愛情をかければちゃんと育ってくれるのがすごく嬉しくて、愛情を持って熱量を持ってやっています。堺:僕は宮崎出身なんですけど、キンカンは宮崎の特産です。常盤:あ、そうですね。堺:そろそろ出始めて、知人に送っていただいたんですけど、おいしかったです。宮崎は庭に絶対キンカンがありましたね。常盤:宮崎の方々は、キンカンさえ食べてれば風邪ひかないみたいな。堺:それ、よく言ってた!常盤:そうでしょう。それでキンカンを植えたの。信じています、宮崎の人たちのこと。堺:たしかに。キンカンさえ食べておけば、大きな病気はしないんじゃないかと、ちょっと思っているところがあります。キンカンバーガーとか、出てくるといいのに。常盤:いいかも(笑)。柑橘系でサッパリして。――それでは最後に、視聴者に向けてメッセージをお願いします。堺:4月4日からサムライマックの新CMが始まります。常盤:今回は堺さんと私、常盤が、宇宙服に身を包んで、宇宙に飛び立つという壮大なストーリーになっています。堺:僕らは何歳だって挑戦できる。常盤:何かを始めるのに遅すぎることなんてない。堺・常盤:さぁ、新しい景色を見に行こう!堺:大人が満足する食べ応えを追求した「サムライマック」の味わいとともに、あなたも新しいことに挑戦して、大人を楽しみましょう!
2023年03月30日AAAの宇野実彩子とお笑いタレントのお見送り芸人しんいちが13日、都内で行われた「CHANGE YOUR LIFE! 2022」グランプリ決定記者発表会に出席した。今年が2回目の開催となる「CHANGE YOUR LIFE! -美容師はエンターテイナーだ。-」は、今だからこそできる美容師のためのコンテストをスローガンとしたSNS型美容師コンテスト。インスタグラムを活用して、モデルのビフォーアフターを比較し、見た目の変化やその変化の幅、さらに、そのモデルの人生まで変えてしまうようなカットやカラーがほどこされているかなどを審査し、この時代だからこそのNo.1美容師を決定する企画となっている。コンテスト名にちなみ、自身の人生が変わった出来事を尋ねられると、宇野は2002年に受けたエイベックス・オーディションを挙げ「それを受けていなかったら今この場にはいないので、まさに人生の扉が開いた瞬間ですね」と回顧し、今回の会場の雰囲気が当時のオーディション会場と似ているそうで「今回は(特別)審査員でしたけど、あのときは審査される立場だったので、すごく懐かしく、みなさんの気持ちもわかるというか、思い出しましたね」としみじみと語った。一方、しんいちは「バチッとハマる話なんですけど」と自信ありげに話し始め、2年前の自身の写真パネルを手にすると、とある方のアドバイスで髪型を変え、黒髪だった髪を金髪にし、服装も変えたこと明かし、「髪型と髪色を変えたことで徐々に仕事が増えていくんですよ。ネタは変わってないのに、ネタもちょっとウケ出すんですよ。それでR-1グランプリ2022で優勝して、マジで髪型で人生が変わったんです」と打ち明け、気持ちの変化もあったそうで「自分はアーティストなんじゃないかって思いだしたら、それで芸人さんには嫌われたんですけど、その勘違いが舞台でウケたんですよ。見た目を変えて気持ちが変わるのは大事だなと気づきました」と力強く語った。また、今年のクリスマスの予定を聞かれると、宇野は甥っ子に会いにいくそうで「サンタさんはできるだけ多いほうがいいなということで、出動命令が出たので、3姉妹にプレゼント持って帰ろうかなと思っています」と声を弾ませ、しんいちがついて行きたいという雰囲気を出すと「来ないで!」と断固拒否しつつ、「プレゼントは配送してください」とお願いして笑いを誘った。そしてしんいちは「営業が入っているので、たぶん芸人と一緒に鍋パでもするのかなと思います」と明かし、宇野は「楽しそうー!」と声を上げたが、しんいちから誘われると「行きません!」と拒否した。さらに、来年挑戦したいことを尋ねたれると、ソロデビュー5周年を迎える宇野は「トークショーツアーを新しくやったり、ライブのツアーもあったりと盛りだくさんな5周年なので、めでたい活動がみなさんにいろんなところで目に耳に届くような音楽活動をしていきたいと思っています」と意気込み、しんいちは「歌ネタをこの5年、6年やっているんですけど、コントはやっていないので、コントとかもやってみたいなと思いましたね」と吐露し、宇野から「1人でコント?」と聞かれたしんいちは「1人でコントです。『キングオブコント』に出ます? "宇野しんいち"で」と誘ったが、宇野は「やりません! 気になっただけです(笑)」と全力で拒否していた。
2022年12月13日白井貴子の所属事務所である有限会社ロッドは、Cheer up RV Fes. 実行委員会と共同で、空前のキャンプブーム到来と言われる2022年、神田明神ホールにて40周年ファイナルライブを終えた「80年代ロックの女王」白井貴子と長野県小谷村にてキャンプイベント『Cheer up RV Fes. in 小谷村 with白井貴子「茅刈りPEACE MAN CAMP」』を11月5日(土)11月6日(日)に開催することをお知らせします。詳細URL: Cheer up RV Fes. イベントトップ写真■開催概要開催日時 :11月5日(土) 12:00 スタート開催場所 :長野県北安曇郡小谷村「白馬乗鞍スキー場」ゲレンデ及び「白馬アルプスホテル」駐車場(雨天の場合 白馬アルプスホテルの屋内施設)イベント内容:物産展、トークイベント、コンサート、花火、茅刈り体験、大抽選大会など。一般参加料金:11月5日 ¥3,000 11月6日 ¥1,000※11月5日のみ当日券会場にて販売 ¥3,500<詳細>参加申込:車中泊参加の方(CAMP JAPAN HP): 一般参加(車中泊参加以外) : 一般参加料金 : 11月5日 ¥3,000 11月6日 ¥1,000※11月5日のみ当日券会場にて販売 ¥3,500■「白井貴子 デビュー40周年!」のこれまで昨今では「女子ロック」は珍しくありませんが、40年前は「歌謡アイドル全盛時代」。そんな中デビューしたのがシンガーソングライター白井貴子でした。その後、自身のバンド「白井貴子&The Crazy Boys」として乱立し始めるバンドブームへと突入します。81年デビュー以来「女子ロックの線路引き」「バンド戦国時代」と言われた過酷な時代を一旦ストップさせ88年ロンドンへ移住。2年間ロンドンでの充電生活を送る中、ビートルズの故郷“リバプール”や、農村の風景を崇拝した画家ミレーの故郷、フランスの“バルビゾン”をキャンピングカーで旅しました。その時の感動、その空気感を90年帰国後も維持しながら、以来30年間「音楽と環境」を共に追求。20年ほど前、南伊豆にプライベートキャンプ場として海にも近い3,000坪ほどの森を購入。2018年より「自然体験」を通じてファンの皆さんと共に過ごし「自給自足」への備えと豊かな未来を守る野外イベント「PEACE MAN CAMP」を開始!2018年 第1回 京都大原 田植え体験2019年 第2回 京都大原 摘み菜体験第3回 「南伊豆マーガレットグラウンド」と名づけた自身の森でのライブと津波の際の避難階段整備のための間伐作業体験&磯遊び(今回の小谷村で10回目となる)。南伊豆マーガレットグラウンド南伊豆マーガレットグラウンド「PEACE MAN CAMP」風景■そして「満を持して」2022年、“Cheer up RV Fes. 実行委員会”とタッグを組む!地球環境配慮を踏まえ「SDGs」な世界を誰よりも早く目指した白井貴子。これからの時代に必要な大切な「地球への愛」溢れるエネルギー満載のイベントが『Cheer up RV Fes. in 小谷村 with白井貴子「茅刈りPEACE MAN CAMP」』です。白井貴子の「PEACE MAN CAMP」と「キャンピングカーで日本を元気に!」を合言葉に、コロナ禍に負けず「三密を回避」し日本全国キャンピングカーで旅して、地元の名産や観光PRに貢献し地域を盛り上げ、自然の中で家族や友人と心豊かな休日を過ごすことを大切にしている「Cheer up RV Fes. 実行委員会」との「夢のコラボレーション!」がこの秋実現します。(RV:Recreational Vehicle)日本全国からたくさんのRV(キャンピングカー)愛好家の皆さんが小谷村「白馬乗鞍スキー場」に集結します。<11月5日(土)12:00~>地元の小谷太鼓・小谷小学校の子供達との白井貴子ライブ、小谷屋根ドキュメンタリーTV『とうちゃんは茅葺師』松澤さん親子 特別対談、ラストには花火も上がる!2,000円の地域クーポンもイベント当日、参加者全員に配布されます。(小谷村の皆さんは参加費無料)<11月6日(日)10:00~ イベント最終日>茅刈り体験、大抽選大会「Cheer up RV Fes.」の風景 茨城県「キャンプ村やなせ」2021年■『Cheer up RV Fes. in 小谷村 with白井貴子「茅刈りPEACE MAN CAMP」』で地域貢献特筆すべきは11月6日(日)朝10時から小谷村の貴重な茅場(牧の入茅場)での「茅刈り体験」が開催されることです。それにあたり前日の11月5日(土)ゲレンデのステージでは、「日本の伝統文化を学び広める」ため、3代にわたり日本の伝統家屋「茅葺き屋根」を守り続けている「小谷屋根」の親方、松澤朋典さんと大親方の松澤敬夫さんと白井貴子の対談も開催されます。茅葺師・小谷屋根 大親方 松澤敬夫さん茅葺師・小谷屋根 親方 松澤朋典さん今回のこの「夢のコラボ」実現はそもそも、一昨年放送され、2021年度の日本民間放送連盟賞「優秀賞」を獲得した信越放送の特別番組「とうちゃんは茅葺師」のナレーションを白井貴子が担当したことに端を発しています。<白井貴子からのメッセージ>小谷村の大空の下、三密を回避しライブ!みんなで歌って、踊って、地元食材をふんだんに使ったキッチンカーや小谷村の名産品もゲレンデに並ぶ。「みんなでもう一度、大自然の輪の一員に入れてもらいましょう!」子供達に豊かな地球をバトンタッチするどころか、今は真逆の「大人になれない大人達」による恐ろしい悲惨な出来事が続く混乱の地球!そんな悲しい世界に“母なる愛”を力にLove & Peaceの拳を挙げる、エコロッカー白井貴子の「新地球生活」への「夢」に是非ご賛同ください!Cheer up RV Fes. 白井貴子さんお手紙白井貴子 小谷村牧の入茅場2022春■「白井貴子単独では」前々日の11月3日より白井貴子 第10回「PEACE MAN CAMP」として開催いたします。11月3日(木)ブティックロッジ「椛」にて14時から「スペシャルライブ&ディナー」。11月4日(金)杉玉作りワークショップ開催!イベント詳細&申込: 白井貴子「NEXT GATE 2022」配信今春、自主レーベル「ROD」初配信「エコとロックのハイブリッドビート」に生まれ変わった「NEXT GATE 2022」 新しいサウンドに乗って走り出す!■Cheer up RV Fes.実行委員会キャンピングカー(RV:Recreational Vehicle)ユーザーを中心とするメンバー有志が集まり、日本中の魅力ある地域をもっと楽しむため、地域の方々と一緒に企画を考えイベントを開催することで「キャンピングカーで日本を元気に!」するための活動をおこなっています。■白井貴子プロフィール84年「Chance!」のヒットを機に、西武球場・新宿厚生年金5Daysを成功させるなど「ロックの女王」と呼ばれ日本の女性ポップロックの先駆者的存となる。1998年ロンドンに移住。キャンピングカーで各地を巡る。帰国後、そのライフスタイルを守り音楽活動再開。2010年第61回全国植樹祭神奈川大会の歌「森へ行こう」、2014年「ESD世界会議」の歌「僕らは大きな世界の一粒の命」作詞・作曲。2016年フォーククルセダーズの北山修氏(精神科医)より「きたやま作品を歌い継ぐ歌手」に抜擢され、白井が幼い頃大好きだった北山ソング「あの素晴らしい愛をもう一度」や「花嫁」をはじめ、共作の新曲3曲を含むアルバム「涙河」発売。全国150カ所陸路10万キロのキャラバン敢行!2019年京都佛立ミュージアムにて初個展「母TSUNAGU 未来」展開催。2021年信越放送ドキュメンタリー「とうちゃんは茅葺師」のナレーション担当。同年。自らの活動「PEACE MAN CAMP」で長野県小谷村にて初、茅刈りキャンプを開催。今春、自身デビュー40周年に「NEXT GATE 2022」と題し、装いも新たにエコとロックのハイブリッドサウンドニューバージョンを配信!神奈川県環境大使・環境省3R推進マイスター・2012~14年文科省ESDオフィシャルサポーター。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年10月21日歌手・宇野実彩子のライブ映像「UNO MISAKO LIVE TOUR 2019 “Honey Story”」など2タイトルが、dTVで配信を開始した。2005年に男女混合パフォーマンスグループAAAのメンバーとしてデビュー後、2018年にシングル「どうして恋してこんな」でソロデビューを果たした宇野。今回公開されたのは、ソロ2度目の全国ツアーで1stソロアルバム『Honey Stories』を引っ提げたツアー「UNO MISAKO LIVE TOUR 2019 “Honey Story”」ファイナル公演と、その翌年に開催された3度目の全国ツアーで1stソロミニアルバム『Sweet Hug』を引っ提げたツアー「UNO MISAKO Live Tour 2021 “Sweet Hug”」ファイナル公演の模様を収録したライブ映像2作品。ライブ初披露となった新曲でのパフォーマンスや、楽曲それぞれのイメージにあわせた世界観が繰り広げられるステージセットなど、宇野の魅力が詰まった作品になっている。
2022年10月05日2022年9月18日、フィギュアスケート選手の宇野昌磨(うの・しょうま)さんが自身のウェブサイトを通じて交際発表をし、反響を呼んでいます。お相手は、過去に一部メディアで交際が報じられた、同じくフィギュアスケート選手の本田真凜(ほんだ・まりん)さん。宇野さんは「報道内容におきましては一部事実と異なる部分がある」としつつも「今後とも温かく見守っていただけますと嬉しいです」とコメントしています。この度の一部報道にもありましたように、私、宇野昌磨は本田真凜さんと以前より良いお付き合いをさせて頂いております。報道内容におきましては一部事実と異なる部分もございますが、今後とも温かく見守って頂けますと嬉しいです。どうぞ宜しくお願い致します。宇野昌磨宇野昌磨公式サイトーより引用日本フィギュアスケート界を代表する宇野さんと本田さんの交際発表に、ネット上では祝福の声が殺到。また、ジュニア時代から活躍してきた2人なだけに、まるで親目線のようなコメントも目立ちます。・お似合いの2人だし、とってもほほ笑ましい。・交際宣言をするとか、かっこいい!・あの小さかった2人が今や恋人同士とは…。これまでにもSNSなどで、仲むつまじい姿を披露してきた宇野さんと本田さん。交際発表した今、さらに2人に対する注目が集まりそうです。[文・構成/grape編集部]
2022年09月18日“笑わない男”こと、ラグビー選手の稲垣啓太選手(32)は、かねてよりお付き合いしていたモデルの新井貴子さん(31)と2022年1月に結婚。貴子さんは2012年にミス日本コンテストでグランプリを受賞。身長177cmのスラリと伸びた長い手脚に美しい黒髪が印象的で、パリコレをはじめとする数々のショーや広告でモデルとして活動しています。先日、自身のインスタグラムに見えそうで見えないセクシー水着姿を公開したところ反響を呼んでいるようです。早速チェックしてみましょう!美尻あらわ&超ハイレグなセクシー水着をカッコよく着こなす貴子さん この投稿をInstagramで見る Kiko Arai(@kikoarai)がシェアした投稿 「日陰を探しています。」とセクシーな水着姿の貴子さん。透き通るような白い素肌に黒い水着が映えますね。布の面積が小さく見えそうで見えないセクシーな水着をオシャレでカッコよく着こなす貴子さんにフォロワーはくぎ付けに。コメント欄には「きこさん、カッケー♡」「脚長っ」「スタイル激ヤバ」「おっふ」と素敵すぎる美ボディに羨望のまなざしが向けられておりました。貴子さんのインスタグラムにはオシャレなファッションはもちろんのこと、稲垣選手とのツーショット写真などバラエティ豊富で、普段見ることのできない笑っている稲垣選手の写真を公開したりとフォロワーを楽しませてくれます。次はどんな写真を投稿してくれるのか待ち遠しいですね!あわせて読みたい🌈お腹ふっくら?第1子妊娠の大島優子さん、オーバーサイズシャツ姿がキュート
2022年08月26日歳を重ねる度に美しく、豊かで、さらに新しい。anan世代の女性たちにとって宇野実彩子さんはきっと道標のような存在。7月16日に36歳の誕生日を迎える宇野さんがこれまで紡いできたストーリーとは?7月16日に誕生日を迎える宇野実彩子さん。「36という数字には、正直びっくりします」と屈託のない笑顔を見せる。「デビューした19歳の頃は、36歳になった自分の姿も、歌を歌い続けているかどうかさえも想像がついてませんでしたから。そう思うと、今もアーティストとして歌い続けてこられた自分に対しては、ほめてあげたいし、単純によかったなと思います。デビューから17年。大人になったと思う半面、まだまだ大人になりきれてない自分もいる。きっと根っこの性格みたいなものは、歳を重ねても変わらないのかもしれません。周りにいる大人たちも、意外と子供っぽい一面がある人ばかりで、そういった根っこの部分をさらけ出せるのも大人だからなのかな?と思うこの頃です。私は、昔から“こう見られたい”“こう見せたい”という願望があまりないほうではあったけど、最近はよりナチュラルでありたい気持ちが強い。みなさんに見てもらっている私が、そのままの私なので、ギャップみたいなものはどんどんなくなってきている。アーティストという肩書があると、取り扱いが難しいと思われがちですが(笑)、そういった見られ方に対してもおおらかでいられるようになりました」すっかり大人になった宇野さんにも、子供っぽさが色濃く表れる“唯一の瞬間”があるという。それは、クリエイションに携わっているときだそう。「モノづくりをしているときは、一番純粋というか、わがままになっているだろうなと思います。でも、それはあえて心がけている部分でもあるんです。経験を重ねていくと、何か狙いを考えたり、物事を斜めに捉えてしまったり、“大人の余計なもの”が無意識のうちに顔を出してしまうから。だけど、モノづくりの瞬間にはピュアでいたいし、そうあるべきだと思っています」昨年末にAAAが活動休止を迎えてから約半年。宇野さんはソロとして、2ndアルバムの発売やツアーなど、立ち止まることなく精力的に活動を続けてきた。「グループ活動が休止になった後、いったん休むという考えはまったくなかったんです。むしろライブをすることを止めたくなかった。応援してくれる人たちに会えなくなるほうが私は不安でした。それに今回ツアーをやってみて、これまでとは違った意識も生まれました。今までは、ステージに立ってパフォーマンスをするという役割のみにフォーカスしていたけど、今回のツアーでいろんな力が合わさってひとつのものを作り上げていく“チーム力”に対して集中できるようになれた。改めて『私のチームなんだ』と強く実感できたんです。今は私が発信しなければ、何も動き出さない環境。すべてのきっかけが自分次第なので、より能動的ですし、実際に自分が何をやりたいのか、そして何ができるのか?を突き詰めるようになりました。本気度や熱量は中心から広がっていくので、もし私が適当にイエスと言ってしまうと絶対にうまくいかない。私がどれだけ気持ちを込められるかによって、プロジェクトの推進力が変わっていくと痛感しています」自分は何が好きなのか?心をないがしろにしない。アーティストとして発信を続けるためにインプットは必要不可欠。宇野さんの表現の源には2つの大切なものがある。「もちろん流行っている音楽はチェックするけれど、“好き”だと思わなければ心には残らない。だからまず、自分は何が好きなのか?を明確にしておくことがひとつ。次に、ずっとやってきたAAAとしての音楽活動が私の根っこにあるので、それが今もずっとインプットになっています。他には、友達との日常会話かな。相手とちゃんと会話をしていると、心が動くから、そのときの情景や言葉、感情が記憶に残っていく。それらの要素をより具体的にふくらませて、イメージを言葉に落とし込んでいくと、歌詞が生まれてくるんです」歌詞を紡ぐとき、宇野さんはいつも「どうしたら心に届くか?」を思案する。「私の音楽を一曲聴くにしても、ライブに足を運んでくれるにしても、大切な時間を割いてくれているわけだから、ほんの短い時間だとしても、その中で何かを伝えたり、心に届くような音楽を作りたいと思っています。誰かに届けるという点で忘れてはいけないのは、独りよがりにならないようにすること。人の日常や世の中を知った上で、自分の想いやオリジナリティを加えていく。作詞をするときも、自分色の言葉ばかりを並べすぎないようにして、シンプルにわかりやすく伝えることで、より多くの人に共感してもらえるようにと心がけています。それは音楽以外の活動でも同じで、コスメブランドのプロデュースにしても、最先端と平均を知って、平均のちょっと先を想像して発信する。そのバランスをとるのがすごく難しいけど、モノづくりをする上では欠かすことができない視点」確固たる自分らしさで輝きながらも、それを押し付けもしないし、執着もしない。現在の宇野さんの飾らない心は、4年ぶりの写真集『All AppreciAte』にも投影されている。「写真集というと、いつもなら撮影までにカラダづくりをするなど、準備を重ねた上で臨むものというイメージがあったんですが、この作品に関しては本当にそのままの姿でカメラの前に立ちました。36歳になる今だから、“立つことができた”というほうがしっくりくるかもしれない。その時どきで100点の自分って変わると思うんです。今の私にとっては、何も繕わず、等身大の姿をカメラマンさんに撮っていただくことが100点のカタチ。過去のいろんな経験が背中を押してくれたと思うし、心とカラダのバランスもすごくいい。これが今の私にできる表現であり、今の私そのものなんです」うの・みさこ1986年7月16日生まれ、東京都出身。2005年、AAAのメンバーとしてメジャーデビュー。「All AppreciAte」ファイナルとなるアリーナ追加公演を10月8日・9日にぴあアリーナMM(神奈川)にて2DAYS開催。36歳の誕生日に4年ぶりとなる写真集『All AppreciAte』(講談社)を発売。ワンピース¥99,000(コー/イースランド TEL:03・6231・2970)ジャケット¥64,900(リビアナ コンティ/グルッポタナカ TEL:0120・135・015)靴¥108,900ブレスレット¥60,500ピアス¥60,500(以上ジミー チュウ TEL:0120・013・700)※『anan』2022年7月20日号より。写真・SASU TEI(W)スタイリスト・柾木愛乃ヘア&メイク・megu取材、文・長嶺葉月(by anan編集部)
2022年07月18日