新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)対策としてロックダウンが行われているベルギーでは、レストランの店内での飲食が禁止されています。2020年5月、ブリュッセル郊外に住むナタリー・モアマンさんの16歳の娘が「マクドナルドの食事が食べたい!」といいだしたのだそう。マクドナルドはナタリーさんの家から500mほどの場所にあり、ドライブスルーのみ営業中。それが彼女にとっては問題でした。なぜならナタリーさんの家には車がないのです。マクドナルドに行きたい!親子が思いついた仰天のアイディアは…車がないのでドライブスルーを利用できず、感染防止のために車を持っている人に連れて行ってもらうこともできません。そこでナタリーさんはあるアイディアを思いつきます。「段ボールで車を作って、それに乗って行きましょうよ!」海外メディア『Brussels Times』によると、その案を聞いた娘は「何それ?嫌よ!恥ずかしいわ!」と乗り気じゃなかったのだとか。仕方なくナタリーさんは1人で段ボールを使って車を作り始めます。するとそれを見た娘が手伝い始めたのだそう。そしてついにお手製の段ボールカー『マクド・モービル』が完成!ナンバープレートは『COVID-19』、またボディには「マクドナルドで買い物をしたいけど、車がないのです」と書かれています。こうして母と娘は『マクド・モービル』に乗って、いざマクドナルドへ出発しました。Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020マクドナルドへ向かう途中、2人を見た町の人たちは大爆笑!通りがかった車からクラクションを鳴らされたり、親指を立てて「いいね!」と合図をされたり、止まって一緒に写真を撮る人もいたそうです。さらにパトロール中の警察官に職務質問され、事情を説明すると、警察官も大笑いだったといいます。Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020そしてついにマクドナルドに到着した2人はドライブスルーの列に並び、店員さんに事情を話したところ、快く売ってくれたということです。まさに親子のマクドナルド愛の勝利!Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020Posted by Nathalie Moermans on Friday, May 1, 2020ナタリーさんがFacebookに投稿した写真は拡散され、世界中の人たちを爆笑させています。コロナウイルスの影響で不便なことも多い毎日ですが、こういう時だからこそナタリーさんたちのようにユーモアあふれる発想で楽しく乗り切っていきたいものですね![文・構成/grape編集部]
2020年05月13日どうもこんにちは、のばらです!今回は休校中に起こった出来事。ある朝起きると長女が先に起きて、何やらキッチンで準備をしていました。はやっ。夫は「手紙書く手間が減ったもん。悲しくなんかないもん。」と精一杯強がっておりました(笑)。パパがひそかに楽しみにしていたのに1週間で飽きてしまうとは! でも、短い時間とはいえ、父と娘たちの仲がますます深まったのでした♪
2020年05月01日4歳になる娘さんを育てている、母親のRumiko(@Rumiko72439009)さん。ある日の朝に撮影した2枚の写真をTwitterに投稿したところ、多くの人の笑いを誘いました。写っているのは、投稿者さんが作った娘さんの朝ごはんと、投稿者さん自身の朝ごはん。まずは、娘さんの朝食をご覧ください。皿の上に乗っているのは、クマの顔の形に切り抜かれたパンや、栄養満点のフルーツ。とてもかわいらしい朝食を前にした娘さんは、「いただきます」と手を合わせています。一方、母親である投稿者さんの朝食は…。クマの形に切り抜いた後の食パン…!左→娘の朝ごはん右→母の朝ごはん pic.twitter.com/A083iQppAr — Rumiko (@Rumiko72439009) April 9, 2020 娘さんにかわいらしいパンを与えるため、くり抜かれたパンを食べることになった投稿者さん。2枚の写真はその差が面白いだけでなく、あふれんばかりの親の愛が伝わってきます!投稿は拡散され、多くの人が心癒されたようです。また、子育て中の人からは共感する声が寄せられました。・親の日々の努力や愛が垣間見えて、本当に尊敬しかない。・分かりすぎる!我が子の食事を作る残りかすを食べることになるんですよね。・普段は見えないところに親の愛があるのだと再確認した。きっと、母親の愛は最高のスパイスとして食事をさらにおいしくしてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年04月11日最愛の母を亡くしたダウン症の娘と父親が悲しみを乗り越え、互いを理解し合うかけがえのない旅へと歩みだす姿を描いて、2019年のベルリン国際映画祭パノラマ部門・国際批評家連盟賞を受賞したイタリア映画『わたしはダフネ』(原題:DAFNE)が、6月6日(土)より公開決定。併せてポスタービジュアルと本予告が解禁された。本作は、長編デビュー作『Mar Nero』(’08)が第61回ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門に選出され、最優秀女優賞をはじめとした3部門を受賞して新鋭監督として注目されたフェデリコ・ボンディ監督待望の最新作。予告編では、明るく、はつらつとしたダフネが周囲の人々に愛されていることが見て取れるシーンや、母親の喪失に悲しみ戸惑うダフネと父親の姿が映し出され、後半ではダフネのハミングが印象的な主題歌が映像を盛り立てている。主演をつとめるのは、自身もダウン症であり、普段はスーパーマーケットで働きながら自伝本を2冊上梓するなど活発に創作活動をしていたカロリーナ・ラスパンティ。監督自らFacebook上で見出し、演技未経験ながらも主役に抜擢された。ボンディ監督はカロリーナの存在そのものが脚本や撮影に大きな影響を与えたと語り、実際にベルリン国際映画祭での上映後にカロリーナ本人が舞台上に登壇した際には、彼女のチャーミングかつ、シニカルな自然体の演技に割れんばかりの拍手が送られた。母親役を演じるのは、1977年『サスペリア』で主人公の友人サラ役を演じ、昨今は脚本家・監督としても活躍するステファニア・カッシーニ。エグゼクティブ・プロデューサーには、『幸福なラザロ』(’18)やマッテオ・ガローネ監督の『ドッグマン』(’19)『Pinocchio』(’19)など昨今の良質なイタリア映画に数多く参加してきたアレッシオ・ラザレスキー。併せて解禁となったポスタービジュアルは、ダフネと父ルイジ(アントニオ・ピオヴァネッリ)が窓際で寄り添い、外を見つめている印象的な2ショットが切り取られている。『わたしはダフネ』は6月6日(土)より岩波ホールほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2020年03月09日次女が幼稚園の頃のお話です。あまり行ったことがないお店での買い物中、急いで店内のトイレを探し、ようやく見つけました。「ここで待ってるからいっておいで」と言うと次女は急いでトイレの中に入っていきました。見つかってよかった〜、と安堵したのも束の間…と娘が困惑した顔をしながら戻ってきました。「どうした?」嫌いな虫でもいたのかとトイレに一緒に入ってみると、なんのへんてつもない和式トイレでした。そうか、次女は初の和式トイレか…、と思い、その場でレクチャーしました。トイレの前でしゃがんでいる最中、ふと我に返り、この姿を人に見られていなくてよかった…と急に恥じらいを覚える私をよそに、「ヤンキー?お肉の名前?」不思議そうに私を見る娘。そうでした。次女はまだ幼稚園児、ヤンキー座りという用語もまだ知らないハズ…。気を取り直して、「このままじゃ漏らしちゃうからトイレにまたいでしゃがんでみて」と言うと「ええ!こわいよぉ」と言いながらおそるおそるトイレをまたぎました。「このまましゃがめばいいの?」と言う娘。すると…逆…!!家でも幼稚園でも洋式トイレが主流になっている時代。テレビで見たことはあるけど、実際に和式トイレを利用するのはこれが初めての次女。私が幼い頃は学校のトイレは和式でした。私にとっては当たり前にできるトイレでも次女にとっては未知の世界。大人でも初めてのことは怖いですよね…、結局私が手伝いながら用をたすことができました。次女によると、和式トイレは落ちてしまう恐怖があるとのこと。私も娘と同じくらいの歳だった頃、同じ理由で和式トイレですることが怖かったことを思い出しました。娘の気持ちは痛いほどわかる。次女はその後も和式トイレだと我慢してしまうことがありました。我慢することは身体にもよくないし、このままじゃよくない。これを機会に、最初はまたぐだけ、次はしゃがんでみる、次はしゃがんだ時に体制を少し前かがみにしてみる…など、次女が怖くないと思えるように、そして「できた」という達成感を感じてもらえるように、少しずつ練習していきました。実践するうちに落ちないと分かるようになった次女、恐怖心も薄れついに和式トイレを克服できました!公園のトイレや昔ながらののお店など、今でも和式トイレしかない場所はたくさんあります。今後のことを考えると練習させてよかったなと思った出来事でした。
2020年02月21日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。早いものでもう年度末!!我が家は卒園、入学、入園、引っ越しが重なってしまい、忙しい毎日を送っています。子供がいると引っ越し準備が全然進みません…どうしよう…終わらないよ…(泣)さて、今回は「子供の名言」特集ということで、娘との会話でかわいいなぁ‥と思ったエピソードを描こうと思います。■3人目問題。娘はどう思ってる?人と関わるのが大好きな娘。一人で遊ぶのが大の苦手です。なので、一緒に遊べる妹がほしいんだろうなぁ‥と、勝手に思い込んでいましたが…■娘の現実的な答えに驚き!迷いなく「欲しくない」と答えたのでびっくりしました。さすがもうすぐ小学生!ずいぶんしっかりした意見だなぁ…と感心しちゃいました。そうそうお金は大事だよね…。お金があればすぐにでも3人目欲しいな…うんうん。素直に自分の気持ちを伝えてくれた娘がかわいくて、ギューっとしました。娘はとても嬉しそうでした。子供にとって親からギューっとしてもらうことは、どんなことよりも幸せなことなんでしょうね。兄弟が増えると、抱きしめてもらう回数も減ってしまうという不安もあるのかな?姉歴3年の娘。弟が生まれてから、我慢することもたくさんあったんだと思います。もうすぐ1年生で、だいぶしっかりしてきましたが、まだまだ親に甘えたいお年頃。これからもたくさんギューっしたいと思った出来事でした!!
2020年02月19日2018年、FUKAIPRODUCE羽衣が上演した二人芝居『春母夏母秋母冬母』。母と子の関係を描いた今作は、初演時「FUKAIPRODUCE羽衣の新たな代表作」とも言われ、大きな反響を呼んだ。この作品に惚れ込んだCBGKシブゲキ!!のラブコールに応えるかたちで、2月13日(木)より再演が行われる。オリジナルキャストである深井順子、森下亮のふたりに加え、声優でもある土屋神葉、東京パフォーマンスドールの上西星来が参加。オリジナルのふたり、新しいふたりのペアだけでなく、深井と土屋、森下と上西の組み合わせもあり、じつに4バージョンの『春母夏母秋母冬母』が上演されることとなる。舞台は、夜中の公園で中学生カップルが遊ぶシーンからスタートする。公園に置かれた遊具は夢で見る景色のように、非現実的にぐにゃぐにゃとしている。ふたりの男女はそれぞれ、自分と母との物語を紡ぎながら、14歳から40歳までを自在に行き来する。自らの作品を妙なミュージカル、「妙ージカル」と称するFUKAIPRODUCE羽衣。ふだんは性愛の部分もたっぷり描くことが多いが、今作では母子の愛が中心。あたたかく優しい、けれど決してそれだけではない母という存在……。観ていくうちに、自然と観客が自分の母についてあらためて考えるような作品だ。また、劇中では作・演出の糸井幸之介がつくるオリジナルの楽曲がいくつも披露される。彼の曲はいつも、孤独な気持ちにひっそりと寄り添ってくれるようなメロディと歌詞で、胸を打つ。初演は、主宰である深井順子の40歳記念公演と銘打たれていた。糸井も森下も、深井と同じ77年生まれ。あのとき3人が作り上げた舞台が、共に96年生まれの若いふたりの息吹を得て、再び立ち上がろうとしている。CBGKシブゲキ!!presents『春母夏母秋母冬母』は、2月13日(木)から19日(水)まで東京・CBGKシブゲキ!!にて上演。文:釣木文恵
2020年02月11日1組の男女が時を超え、性別も超えて織りなす舞台『春母夏母秋母冬母』が2月13日(木)からCBGKシブゲキ!!(東京都渋谷区)で上演される。FUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介が作・演出・音楽を手がけ、オリジナルキャストの森下亮(クロムモリブデン)と深井順子(FUKAIPRODUCE羽衣)に加え、土屋神葉(劇団ひまわり)と上西星来(東京パフォーマンスドール)が本作に初挑戦する。登場するのは、深夜の公園で遊ぶ「こなこ」と「ユキユキ」の中学生カップル。そのシーンの中に、こなこと母、ユキユキとママの、幼年期・思春期・壮年期の物語が挟み込まれ、それぞれの「母」との関係性が描かれる。1組の男女が、母と子を自在に演じ分け、こなことユキユキのさまざまな年齢の物語が展開される。2018年5月に吉祥寺シアターで初演。「母」という普遍的テーマや、韻を踏んだ歌詞と耳に残るメロディ、詩的な世界観が評価され、今回の再演に至った。オリジナルキャスト同士、新キャスト同士、そして新旧キャストが入り混じる公演と、計4パターンでの上演が予定されている。初日まで2週間ほどとなった1月下旬、都内で行われている稽古を見学した。この日、行われていたのは、中学生になったこなこと母のシーン。母の帰りを待ちながらどこか寂しさを感じるこなこと、酔っ払いながら一人本音を漏らす母を描く場面だ。糸井の作品は、ミュージカルならぬ「妙ージカル」と称される、芝居と歌を融合させた独特な作風が特徴。どんな稽古をしているのか想像がつかなかったのだが、細かく場面を区切りながら、糸井が気になったポイントで、適宜修正点を提示して、再度芝居をするという、意外とスタンダードな手法をとっていた。キャストの組み合わせを代えて稽古をしていくので、自然と互いの芝居を見合う。40代のオリジナルキャストの森下と深井が、20代のフレッシュな新キャストの土屋と上西に動線や演技のアドバイスを伝えたり、若手の土屋と上西も自分らしさを出そうと動きやセリフの言い回しを少し変えてみたり。キャストによって演出が大きく変わることはないようだが、それぞれの創意工夫が見られたのが面白かった。初演をご覧になった方も、ご覧になっていない方も、楽しめる舞台になりそうだ。公演は2月19日(水)まで。チケット発売中。取材・文・撮影:五月女菜穂
2020年02月03日母娘旅のはじまりUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ優しい空港警備員さんの気遣いのおかげで、無事に入場ゲートを確認。少し時間もあったので、一休みすることにしました。思いもよらぬストレートな質問に考えさせられる...Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ私がヘルプマークの着用を娘に勧めたのは、トラブルがあることを「認知してもらう」ことで、聴覚過敏があるためイヤーマフをしている娘が冷たい視線を浴びることなくノビノビできたらと思ったからです。これまで、イヤーマフのことを聞かれるたびに、私が説明し理解してもらってきました。ですが空港で、こんなにも真っ直ぐで温かい質問を受けた私は、どう答えていいものか、しばらく黙り込んでしまったのです。「例えば座り込んで動かない...とか、顔色が悪く様子がおかしいといったときは、他の体調不良のお客様と同じように、持病を伺ってもいいと思いますよ」とは言ったものの、それは「何か起きてしまったときの措置」というだけで、「ヘルプマークを付けている人になにができるのか」という答えではないように思います。ヘルプマークを付けている人に何かしらトラブルが起きてからでなければ、手助けできないということなのか?...とも考えました。ヘルプマークには、はっきりとした効力はないように思いますが、ヘルプマークのことをわからないながらも電車の席を譲ってくれたら私は涙が出るほどうれしいです。そして、今回のようにわからないことを真っ直ぐ聞いてくれることも、母としてすごく嬉しかったです。「私にできることってなんだろう」と思ってくれている人に出会えたことは、おそらく私も娘も一生忘れないと思います。
2020年01月23日明けましておめでとうございます! マメ美です!新年1発目のテーマは『子どものお片づけ』で書いていきたいと思います!■片づけが苦手な娘我が家の3歳の娘はお片づけが苦手です。と言うより自分だけでお片づけするのは稀で、私や夫が手伝いながら声がけをして、最後の最後だけ片づけるというのが主流でした。しかしこのままではいけない…!保育園や幼稚園に入った時に困るのは娘!!ここは何とかお片づけをする心を育てなければ!!と、私は立ち上がったのです。その名も…その名の通り『おもちゃ出しっぱなしだと掃除機でおもちゃ全部吸っちゃうぞ』という作戦です(笑)しかしここまでは何度かやったことがある作戦…。ここからが娘の心を響かせるポイントなのです!■娘の大好きな◯◯を取り入れた作戦と、ここで一気に切り替えます!3歳になってから娘が好きなもの。それはいわゆる『可愛い女の子たちが悪者を倒すアニメ』。あんなに好きで毎日観ていたアンパンマンやおかあさんといっしょを呆気なく卒業し、目を輝かせて観ているのです。これになびかないワケがない!!気がつくと娘のキャラクタースイッチも入っていてノリノリです!あとはみんな(オモチャ)を避難(お片づけ)させるだけ!!こうして娘のお片づけのスキルが少しずつ上がっていき、今では「掃除機かけるよー」と声をかけると自分からお片付けできるようになってきました。■1つだけあった落とし穴ただ1つ…落とし穴がありまして…。それはそう。子は親の鏡ということ!キッズコーナーなどでどこでもかしこでも真似をするようになってしまいました(^^;)おまけに言葉達者な娘は「ママもいつも真似っこしてるもんね!」と暴露までしてくれてます…!!(涙)まあでもこれを機にお片づけが習慣化してくれたらいいなぁ〜と、思う今日この頃なのでした。
2020年01月05日こんにちは、とまぱんです。最近眠さが増しているんですが、何なんでしょうか。体が勝手に冬眠に入らせようとしてるんですかね。さて、今回は「娘と母親らしく遊ぼうとするけどできないエピソード」を書こうと思います。■テレビをまねて体を動かすのが好きな娘最近娘はテレビの中の動きをまねしてよく踊っています。 「かわいいな~」とぼーっと眺めてましたが、「あ、これ、子育てが上手なお母さんだと子どもの横で一緒に踊るやつだわ」と気付きました。横で一緒に踊った瞬間、動きを制御してくる娘。一緒にやっちゃいけなかったようです。次はテレビの動きをまねて手を叩く娘。「あ、これは座りながらできるやつだ」と思い、娘と一緒に音楽に合わせて叩くと…。叩いちゃダメだったようです。その後もテレビに合わせて歌うと怒り出したので静かに娘を鑑賞することにしました。■お風呂でも制御してくる!?「保育園では娘ぐらいの歳の子は名前を呼ぶと手をあげる」というのを知人から聞いたので、練習してみることにしました。私「とまちゃーん」娘「…。」私「“とまちゃん”って言われたらこうやって手をあげるんだよ~」そう言って自分の手をあげると…。またもや制御してきました。何でしょう、私が日頃動いてないので急に動かれるのが嫌なのでしょうか。引き続き娘をおとなしく見守っていこうと思います。
2019年12月29日内戦続くシリアの真実を世界に伝えるため、そして戦火で生まれた小さな命のために、母となった監督がカメラを回し続けた緊迫のドキュメンタリー『娘は戦場で生まれた』の予告編とメインビジュアルが完成、公開日が2020年2月29日(土)に決定した。死亡者が数十万人にものぼるとされ、第二次大戦後、史上最悪の人道危機ともいわれるシリア内戦。本作は、デモ運動への参加をきっかけにスマホでの撮影を始めたワアド・アルカティーブ監督が、結婚、妊娠、出産をへてなお、激化の一途を辿る内戦の模様をカメラに収め続けたドキュメンタリー。「ママは撮り続けた」と娘サマに呼びかける彼女のカメラの映像を通して、2012年から2016年までの間の時間軸を絶えず往還しながら、アサド政権によって美しい景観を誇っていたアレッポの街が無残にも破壊され、朽ち果てた廃墟に変わり果ててしまった過酷な現実を、仮借ないまなざしで、人々に寄り添いながら描き出す。全ては娘のために…。すでに2019年・第72回カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞ほか55(12月19日現在)を超える映画賞を受賞。マイケル・ムーア監督が「史上もっともパワフルで重要なドキュメンタリーの一つ」と絶賛を贈り、世界の映画人を衝撃と感動の渦に巻き込んでいる本作。本年度アカデミー賞ドキュメンタリー賞の呼び声も高い衝撃を、まずはここから見つめてみてほしい。『娘は戦場で生まれた』は2020年2月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2019年12月24日登場人物母/ふみ子(とまぱん):あわよくばすぐ横になる。ぼーっとすることが好き。夫/よたろう:ちょっと変わった性格。うんちくやマニアックな情報をたくさん持ってる。娘/とまちゃん:2017年9月生まれ。常に動き回ってる。乳児用せんべいが大好き。シャイガールとまちゃん…!娘は昔、ご年配の方が好きだったのですが最近は遠くから微笑みかけるお年寄りの方が苦手です。話しかけてきてくださる方は大丈夫なのですが、なぜかじっと見られるのは苦手なよう笑勢いよくベビーカーの日除けカバーを下げるので、毎回心の中ですみません...と思っています。日除けカバーを下げて個室のようになったベビーカーを覗くとひたすらじっとしている娘の姿が。私も周りを遮断したくなったときいつでも個人空間を作れるカバーが欲しいと思ったとまぱんでした。(とまぱん)とまぱんさんの連載は今回でひとまず最終回です!とまちゃんの愛らしい姿をたくさんみせていただき、とても癒やされました。とまぱんさん、ありがとうございました!また会う日まで…!(編集部)とまぱんさんのマンガが動画になりました!ままのてで大人気の育児マンガが動画でも楽しめるようになりました。今後もとまぱんさんのマンガ動画を随時更新していく予定です。その他の育児マンガや育児に関するお役立ち情報、生活の知恵がたくさん配信されていますよ。どの動画にも字幕が付いているので、赤ちゃんや子どもが寝ているときでも音声なしで楽しんでいただけます。ぜひチャンネル登録してみてくださいね。過去のエピソード妊娠・育児に関するお役立ち情報発信中!ままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひフォローしてください!著者情報東京都に暮らすアラサー母。1歳の娘を育て中。マイペースにInstagramで子育て日記を更新してます。
2019年12月17日モデルで女優の水原希子が、世界一周旅行に出かけるHuluオリジナルドラマ「ブラを捨て旅に出よう~水原希子の世界一周ひとり旅~」の配信が決定した。本作は、旅作家・歩りえこの著書「ブラを捨て旅に出よう」を原案に据えた“半分ドラマ、半分ドキュメンタリー”という新ジャンルの作品。原案エッセイの実話エピソードをベースとしたストーリー展開は予定されているものの、いざ現地へ赴けば、あとは水原さんにおまかせ。想定している旅から180度変わる可能性を大いに秘めた“水原希子の瑞々しい感性&力強い生命力が炸裂するドキュメンタリー”の一部始終を、カメラがとらえ配信していくのだという。「今年も仕事とプライベート合わせて32都市に行ったほど、私は旅が好き!」と話す水原さんは、「この作品は本当に特殊!セリフを丸暗記して臨むのは違う気がするし、自分でもどう消化して表現していけばいいか、まるで想像がつかないというのが正直な気持ちです。でも、カジュアルに旅をしている感覚で、自分が見たいものや行きたい場所はフレキシブルに取り入れていきたい。どう転んでも“私自身の旅”になるのは間違いないので、楽しみです!」と今回の企画について語る。さらに、自身は「海外へ旅に出ると、強くなるタイプ」「不測の事態にも強くて、特に言葉が通じず“会話ができない”みたいなシチュエーションが好きなんですよ」と、知らない土地での旅への強みを明かした水原さん。「中国で仕事をし始めた時も、全然言葉は通じないけど、中国人の友達をいっぱい作って、みんなで遊びに行ったりしてたんです。言葉が通じないからこそ、人としての度量が試される…じゃないけど(笑)、その時に起こる化学反応やムード自体がすごく好きで…。何でも面白いと思うと、乗り切れちゃうんですよね。今回も本当に“答えのない実験的なプロジェクト”なので、とにかく果敢に挑んでいきたいです」と意気込んだ。また行ってみたい場所は「中国の成都」だと言い、「以前、中国でカモの血をゼリー状に固めた『鴨血』にチャレンジしたら、見た目に反して本当に美味しくてハマったことがあるんですけど、今回はぜひ大好きな四川料理を本場で堪能したいです。成都は若者の活気に満ちているらしいので、その雰囲気も絶対に味わいたいですね」とコメント。そして「世界はすべて繋がっていて、境界もないということを感じていただきたいですし、言葉が通じなくても同じ人間同士であって、パッションや想いなど、色んな側面で伝わり合うことができるということ、そしてお互いのカルチャーをシェアしたり、学んだり、受け入れ合うという事の喜びや、美しさを知っていただきたいです。私自身もこの作品ですべてを解放して、オープンな気持ちでいろんなものを吸収したいと思いますので、少しでも皆さんにポジティブなメッセージを受け取ってもらえたら嬉しいです」とメッセージを寄せている。Huluオリジナルドラマ「ブラを捨て旅に出よう~水原希子の世界一周ひとり旅~」は2020年1月より毎週1話ずつHuluにて独占配信(全6話予定)。(cinemacafe.net)
2019年10月28日10月18日より日米同時公開された『マレフィセント2』から、本当の母娘のように仲良しなアンジェリーナ・ジョリーとエル・ファニング、そしてサム・ライリーらキャスト陣のまるで家族のように和やかな撮影裏を捉えた特別映像が解禁となった。美しきヴィラン・マレフィセントと“純粋無垢なプリンセス”オーロラ、カラスのディアヴァルは、困難を乗り越えて“家族”のような絆で結ばれている。それぞれのキャラクターを演じたアンジー、エル、サムもまた、役柄と同じくまるで家族のように仲睦まじい。映像では、撮影現場ではアンジーとサムの子どもたちがセットで楽しそうに走り回っていたり、アンジーとエルは撮影の合間に卓球を楽しんだりと、アンジー自身もキャストたちの関係は「家族のようだった」と撮影を振り返っている。 エルも「前作の時と同じように、アンジーとサムと私の3人で楽しもうと思っていたわ」と語り、 お互いを信頼し合っていることが伺える。そんなキャストたちのリアルな仲の良さは、母娘のような真実の愛で結ばれているマレフィセントとオーロラ姫の姿からもスクリーンを通じて伝わってくる。製作総指揮も務めているアンジーは、今作について「 母と娘の物語が気に入っているわ。マレフィセントとオーロラ姫はぎこちない家族なの。失敗もいろいろとあったけど、ふたりの間にあるのは正直な関係よ。それが美しい家族を作っているわ」と断言する。本作を鑑賞した人からは、「マレフィセントがオーロラ姫を我が子のように愛しているのが印象的。現代社会においての家族のあり方に対する問いかけのようなものを感じました」「マレフィセントとオーロラの母娘としての愛を感じるシーンは泣きながら見てた」「血のつながりを超えた母娘の愛という深い物語がとにかく素晴らしくて泣いてしまった」など、家族愛に感動したという声がSNS上に溢れている。『マレフィセント2』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:マレフィセント2 2019年10月18日より全国にて公開©2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
2019年10月22日北海道最大級の滞在型リゾート〔星野リゾートトマム〕から、鮭尽くしの宿泊プラン「鮭旅(しゃけたび)」が登場!お部屋からお料理、アクティビティなど「鮭旅」でしか味わえない特別なプランは必見です。2019年9月1日(日)〜10月31日(木)までの期間限定ですよ!鮭の魅力を存分に堪能できる「鮭旅」〔星野リゾートトマム〕から期間限定で登場する、宿泊プラン「鮭旅」。北海道は、国内有数の漁獲量を誇る鮭の産地。そんな北海道で、鮭の魅力を感じて欲しいという思いから実現した特別なプランです。鮭になった気分を味わえる(⁉︎)特別な体験が用意されていますよ。さっそく、「鮭旅」ならではの注目ポイントを詳しく見ていきましょう!鮭がたっぷり「鮭ルーム」宿泊するお部屋は、鮭の姿や切り身をモチーフとしたインテリアがたくさん設えられている「鮭ルーム」!ベッドルームは、さながら鮭の川流れ。ブルーのカーペットで川を泳ぐ鮭が表現されています。そして、ベッドボードには、鮭を狙うクマの姿も!鮭になった気分を味わえるこだわりがいっぱいの空間です。お部屋の中にはマグカップやバスタオルなど、かわいらしい鮭グッズがたくさん!オレンジ色のパジャマを着て、鮭になった気分でゆったり過ごせます。そしてご覧ください、このお風呂場!鮭ルームに設置されたバスルームでは、いくら丼をイメージしたお風呂を楽しめるのです。用意された入浴剤を入れると泡が立ち、ご飯のような見た目になるのだそう。プチプチのいくらを模したボールがところ狭しと浮かんでいる様子は、「鮭旅」ならでは。至る所に鮭、そして鮭。極上の「鮭体験」があなたを待っています……!ごはんもやっぱり鮭・鮭・鮭!鮭の豪華ディナーメニューメインの「鮭フィレの塩釜焼」朝食「究極の鮭茶漬け」気になるご飯もやっぱり鮭尽くし!鮭のさまざまな部位を使ったコース料理や、こだわりの食材を堪能できる朝食など、旬の鮭をたっぷり満喫できるぜいたくなお料理ばかりです。これぞ「鮭旅」!特別なアクティビティ体験も♪「鮭旅」でしか体験できないアクティビティもご紹介。リゾート内のプール「ミナミナビーチ」では、鮭がデザインされたボードで水上スポーツを楽しめます。鮭が川を遡上するような気分を味わえるかも……⁉︎また、オプションですが、鮭の燻製作りができる体験など、トマムの大自然を感じられるアクティビティも魅力的です。「鮭旅」で鮭を満喫しよう♪今回は、〔星野リゾートトマム〕の期間限定プラン「鮭旅」をご紹介しました。鮭を存分に感じ、滞在を満喫できる特別な体験は「鮭旅」ならではですね!詳細は、公式サイトをぜひチェックしてみてくださいね♪施設名:星野リゾートトマム住所:北海道勇払郡占冠村中トマム期間:2019年9月1日(日)〜10月31日(木)チェックインまで料金:1泊39,100円(税別)〜※2名1室利用時、1名あたり。夕朝食付。定員:1日1組限定(1組は2名まで)※掲載している情報は2019年8月時点のものです。〔星野リゾート トマム〕の詳細はこちらから♪
2019年09月06日幼稚園児によくあるキャラクターへの「なりきり」が絶賛発動中のムギ。オタクの母としては、そんな姿もとても愛おしく感じます。そんな娘が6歳になり、母と子、やっと共通して好きなアニメができました!■母と娘のオタクトークに花が咲く■アニメを観賞する姿勢がすごいこの出来事のあと、ポ●モンセンターに遊びに行ってきたのですが、ムギと私の2人でエキサイトしてしまい、ついつい1人1体ずつぬいぐるみを買ってしまいました。大変楽しかったです…!そして買ったぬいぐるみと大好きなキャラとの楽しみ方ですが…いただきもののハンモックを最大限に活用する方法、考えました!ドレッドヘアは、夫がかなりの時間をかけてほどいてくれました。ありがとう!! そしてムギがハンモックにのるときは、帽子をかぶるのがルールに!そして、この事件の翌日は、何を思ったのかハンモックのまわりにこども用の柵を立てていました。柵に囲まれたハンモックに寝転がっている姿は、動物園のパンダそっくりでした…。
2019年09月04日是枝裕和監督長編14作目となる、母と娘の愛憎渦巻くドラマを描いた最新作『真実』より、待望の特報映像が公開された。様々な家族の形を描いてきた是枝監督が、新しい家族の形を映し出す『真実』。国民的大女優のファビエンヌが、「真実」というタイトルの自伝本を発表したことから、次第に母と娘の間に隠された、愛憎渦巻く”真実”が炙り出されていく物語。到着した特報映像では、カトリーヌ・ドヌーヴ演じる大女優ファビエンヌが暮らす大きな家の庭に、大きな荷物を抱えて歩くファビエンヌの娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)と、夫ハンク(イーサン・ホーク)、そして、本作のために是枝監督がフランスで自ら見出した孫娘のクレマンティーヌ・グルニエと、幸せそうな若い家族が映し出される。自身の自伝本「真実」の出版祝いのため、久々の娘家族との再会にファビエンヌもは喜ぶ様子を見せるが、一転、自伝本の内容を巡り、「あれは事故よ」「ママを許さない 絶対に」と母と娘のやり取りが始まる。そして物語は、母と娘の嘘と真実が徐々に明らかになっていく。映像ラストには「ママ、あなたの人生嘘だらけね」という本作のキャッチコピーが登場。ナレーションの声も相まって、重厚感溢れる特報となっている。『真実』は10月11日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開。(cinemacafe.net)
2019年08月16日「お互い、もう介護される年齢に近づいているわね」という話から始まった“認知症介護対談”。年を重ね歴史のある母娘でも、母が認知症になればその関係は変わってくる。いままで見せなかった弱さを見せるようになったヤマザキマリさん(52)の母は、これまで着ていた鎧を脱いで穏やかに。阿川佐和子さん(65)の母は家族のかせから逃れて、自由になった。母娘が向き合って、その距離がぐっと近くなった介護の時間はとても豊かなものだった――。阿川「うちはいま、認知症の母(91)をきょうだいとお手伝いの方とローテーションを組んで、在宅介護しています。その合間にショートステイで外泊サービスを利用しているんです」マリ「私の母(86)は北海道の実家の近くに住む妹が、在宅介護をサポートしてくれていました。それが、認知症に加え、パーキンソン病も併発して……。足元がおぼつかなくなり、今年1月、部屋で倒れているところを妹に発見されて、入院しました」阿川「高齢者専門の施設なの?」マリ「専門ではないですが、認知症患者が多い病院なんです。我が強い母ですから、同室の人と合うわけがないと思っていたのに、4人部屋で和気藹々と過ごしています。お互い、会話はまったく成立していないんですけど、ワイワイ楽しそうでした」小説家、エッセイストの阿川佐和子さんの母親は、昭和2年生まれで、現在は91歳。父は作家の阿川弘之さん(’15年没、享年94)。外では温厚だが、家庭内では絶対君主で、専業主婦だった母親は振り回されていたという。漫画家のヤマザキマリさんの母親は、昭和8年生まれの86歳。北海道に渡り、札幌交響楽団のビオラ奏者として、2人の娘を女手一つで育て上げた。親の介護が始まったのは、阿川さんが57歳、ヤマザキさんが49歳のときだった――。マリ「佐和子さんは、どうやって親の認知症がわかったんですか?」阿川「8~9年くらい前かな。あるとき、長年、実家で働いてくれた家政婦さんが電話で『こんなこと、私から申し上げるのも何ですが、奥さまがヘンです』って。もともとトボけてるからなあって言ったら『そういう問題じゃありません』って、ピシッと言われたんですね。それで“ついに来たか”と」マリ「母は、80歳を過ぎたあたりから、物忘れが目立ってきたんです。でも、犬の散歩も欠かさず、毎日、元気そうでした」阿川「うちも日常の家事には支障がなかったけど、同じことを繰り返し話したりして“ん?”っていうことが少しずつ……」マリ「あるとき、北海道の実家に帰ると、母が外に立って青ざめた顔で『変な外人さんがうちに来ちゃって!』って。あわてて家に入ると、外国人が出ている料理番組が放映されていて、それを見て、うちの台所に外国人が来たのだと勘違いしたようなんです。そうした症状が増えて、ようやくレビー小体型認知症(症状の1つに幻覚がある)だと診断されました」阿川「うちの母は、いまだに、自分でできることはいっぱいあるんです。お医者さんに行って、勝手にパソコンをのぞいたとき“アルツハイマー”という文字を見て、『誰のこと?』って聞いたりね」マリ「本人も認知症だって認めたくないですよね。母も『一過性のもの』『疲れているだけ』と抵抗していましたから」阿川「いままで、自分を見守ってくれていた親が、だんだん壊れていく姿は、子どもとしてもつらいもの。だから、初期のころは特に必死になるよね」現在でも、認知症の症状は少しずつ進んできているが、母たちは平和で穏やかな日々を過ごしている。阿川さんは、父を’15年に亡くしたが、母は、夫の死をどこまで理解できているのかわからないという。ヤマザキさんの母は、人生を支えてきた楽器演奏から離れて久しいが――。マリ「この間も病院に行くと、母が遠くに歩いている看護師さんを見て『今、コンサートホールの支配人を呼ぶから、挨拶しなさい』って言うんです。私もその“妄想”に付き合って『今日は何を演奏するの?』と聞くと、『プログラムを読んでいないの!』って怒られたり(笑)。母は元気なころ、コンサートのプロデュースもしていたんです」阿川「そういう物語には、乗っかるほうが楽しいよね。うちの母は、なぜかいないはずの赤ん坊の話をするんです。『赤ん坊どうしたの?』って聞かれると『さっき帰った』『ちゃんと寝かせているの』『うん、2階で寝てる』って、話を合わせたりして」マリ「認知症になっても、あえて否定するのもよくないし、羞恥心や感情面の尊重も大事ですよね」阿川「特に排せつに関してはね。以前、母が部屋で頭から布団をかぶっていたんです。どうしたのかと思って布団をめくると、片足だけ私のストッキングをはいているの」マリ「どういうことですか?」阿川「聞いても『んー』と言って答えないの。多分、自分の下着を汚してしまって、それが恥ずかしいと思ってはき替えようとしたのに、どうしていいのかわからなかったと思うんです。それで私のクローゼットから着替えを探したけど、パンツではなく、靴下の引出しを開けてしまったのだと」マリ「親の排せつの失敗は、娘もついつい情けない気持ちになったりするけど……」阿川「考えてみたら、隠すこと自体がカワイイじゃんて思うようになりました」マリ「認知症になって、とても自由に生きられている部分もありますからね」阿川「うちは圧倒的に父が強かったんです。絶対君主的で、それによって家族が振り回されていました。でも母は、『なんでそんなに言うことを聞けるの?』って思うくらい従順だったんです。だから私は、きっと7歳年上の父が早く死ぬだろうし、そうしたら母を旅行に連れていったりして、家庭の束縛から解放してあげようって、ずっと思っていたんです。それなのに、母が先にボケてしまって、悔しかったですよ」マリ「それは無念」阿川「でもね、ボケてみると、100%不幸だとはいえない。むしろ母は自己主張が強くなりましたよ。入院中だった父が『お前の作ったちらし寿司が食べたい』と言いだしたときも、さらっと『あーちらし寿司ですね、そこの百貨店に売っていますよ』って」マリ「素晴らしい!」阿川「いま、母はとても自由に愉快に生きているんです。私が『ねえ、母さん、ご飯作ってよー』って言うと『んー、明日』って先延ばし。マリちゃんのお母さんは、女手一つでずっと闘っていらしたわけでしょ?」マリ「闘魂そのままというイメージを持っていたんですが……。もともと物を書くのが好きな人で、日記帳を渡していたんですね。ところが、認知症に加えパーキンソン病も併発しているから、手が震えてうまく文字が書けない。それであるとき、母の部屋から、書こうと思ったのに、何度も何度も途中で諦めてしまっている書き損じの紙の束が出てきて……。それを隠していたんですね。手にしたときは、もう涙が止まりませんでした」阿川「切ないねえ」マリ「前の母とは違うんだと改めて感じて、喪失感を覚えました。いかに母が私の心の大きな支えになっていたかって痛感して……。50歳にして、初めて精神的自立を余儀なくされた焦りも(笑)。でも、認知症になって、肩肘張らず、強がらず、いまの母は穏やかです」阿川「よかったねえ」マリ「いままでの母なら『会いたい』なんて言わないタイプだったのに、お見舞いに行くと『今度はいつ来るの?』なんて聞いてくるんです。“なんだ、この弱々しい母は”って感じてしまうけど、『1人で娘2人を育て、世間と闘ってきたけど、ようやく甲冑を脱げたんだ』と、いまの姿が本当の母なんだと思えるようになりました」
2019年06月29日ウーマンエキサイト読者の皆様、こんにちは。koyomeです。次女オコメがこの間2歳になりました。もう赤ちゃんっぽさも抜けて、子育てがちょっと次のステップに進んだかな、という印象です。姉妹はあいかわらず仲良しです。最近は2人ともおしゃれに興味があって、微笑ましく思っていたのですが…4歳の娘のおしゃれのこだわりだんだんこだわりについていけなくなりました(笑)…2歳の娘のおしゃれのこだわりオコメはほぼ毎日、スカーフを首に巻くので、すっかり近所の名物(?)に。プリンセスが大好きなムスメは、幼稚園から帰ってきたらほぼ毎日、お気に入りのワンピースをチョイス。特に出かけない日でも、2人はおしゃれを楽しんでいます。娘たちもだいぶ成長したし、私ももう少しおしゃれに気を使わなきゃいけないな、と思いつつ、今日もほぼすっぴん、楽さ重視のゆるいTシャツとパンツに手が伸びてしまう、悩ましい母です。明日からがんばろう…!
2019年06月25日パピマミをご覧の皆さま、こんにちは。おませな7歳娘と、自由人の4歳息子を育ているずぼら母のぺぷりです。子どもが生まれてから、やたらとイベントごとに力を入れるようになりました。それまでは、「え?今日こどもの日だったの?忘れてた~」ということもざらでしたが、不思議な変化です。七夕のになると、色んな七夕飾りの作り方を調べては子どもたちとつくってみたり、お月見になると子どもと一緒に月見団子を作って食べたり・・・とにかく、イベントを楽しむようになりました。また、これまで作り方をよく知らなかった新聞紙で作る兜なんかも、子どもが生まれてから作れるようになりました。そして迎えた今年のこどもの日。最近忙しかったのもあり、今年は事前に準備ができていませんでした。これまでは私が全部お膳立てしていたイベントでしたが、今回は娘が・・・!そして、娘のいつか母になった時に、その子どもに受け継いでいくのかな・・・と嬉しくなった出来事でした。●ライター/ぺぷり
2019年06月19日わが家には小学6年生、4年生、1年生の娘がいます。4年生の次女が小学校で1/2成人式を終えた2月のある週末、次女と二人きりで初めての2泊3日の旅にでかけました。子どもと1対1の時間、そこから親の私が学んだこととは…。母をひとり占め、特別な時間かなり前からこの旅を楽しみにしていた次女。出発の金曜日は学校を早退して帰ったので、特別感が5割増しです(笑)。そして三姉妹のわが家は、当然ですが母を独り占めする時間はゼロ。きょうだいの多い子どもたちにとって、この“自分だけの特別な時間”、“特別あつかい”はとても心に残るようです。ちょうど4年前、長女と2人旅をしたときに彼女が発した、「今の私は、一人っ子に見えているのかな~?」。このフレーズが今でも印象に残っています(笑)。いつも上と下に挟まれている次女、今回の旅では自分のペースを貫くことができました。見たいもの、食べたいもの、歩くスピードや食事のペースも、この旅の間は完全にマイペース。親の私も、次女のペースを改めて知るよい機会になりました。娘のリクエストに応えた旅プラン・観光「まだ行ったことのない、四国に行ってみたい」という次女のリクエストに応え、行き先は愛媛県松山市。山口県柳井市から愛媛県まで船の旅、娘は初めてのフェリーです。私も車の運転から解放され、2人でゆっくり話ができるので、この選択はナイスチョイスでした。宿は旅気分を味わうために、あえて道後温泉のど真ん中にとり、浴衣姿で商店街を歩いたり、温泉を楽しむことができました。・食「珍しいものを食べたい」、「おいしいスイーツを食べたい」と言っていた次女の旅のテーマは“グルメ”でした。愛媛といえば“みかん”。大好きな柑橘系の生ジュースやジェラートもはずしません。その他、ご当地グルメの三津浜焼き(お好み焼き)など、食べたいものをひとつずつ制覇しました。・カメラそしてもうひとつのお楽しみがカメラ。わが家は2人旅の際には、娘にもカメラを1台持たせるようにしています。今回は絞り、露出、被写界深度を手元で簡単に調整できるコンパクトデジタルカメラを持たせました。最初に必要最低限の操作方法を教え、その後は自由に撮りたいものを撮りました。道後温泉や松山城などを“観光”しながら、歩いては撮って、食べては撮って(笑)。親子の旅というよりは、“女子旅”。こうして一緒に楽しめるまで成長したんだなと、感慨深いものがありました。この旅で親の私が学んだことは…このような特別な旅には何らかの意味や、子ども自身にも変化を求めたくなるのが親心。私にも“娘と向き合う時間にしたい“という気持ちが、なかったわけではありません。東京から田舎へ引越し、いろいろなことがとあった1年だからこそ、聞きたいことや話したいことがたくさんありました。いつ話そうかとタイミングを見計らっていましたが、結局話を切りだしませんでした。というのも、次女が彼女のペースで旅を楽しんでいたから。日常の話をして、現実に引き戻すのはかわいそうだと思ったからです。「この際、私も純粋に旅を楽しもう!」 と、話したい気持ちを封印したのでした。今回の旅で母親の私が一番学んだのは、毎日見ているはずの娘なのに、知らない部分があるんだなということ。要するに、「親だから分かっている、知っているという思い込みがある」ということでした。子どもは常に成長し、変化しています。しかしその変化は、毎日見ているからこそ見逃してしまったり、気づかないことがあるのかもしれない…。私自身の視点を省みる機会にもつながりました。そして「最近の次女はパステルピンクが好き」「こんなテーマで写真を撮るなんて面白い!」と、彼女の趣味や趣向にフォーカスすることができたのも、新鮮な発見でした。松山城や道後温泉の商店街など、訪れたところで撮った2人のセルフィーには、次女らしい笑顔がたくさん。彼女が何を考え、何を感じていたかは分かりませんが、記憶に残ったことは間違いないでしょう。母の私が楽しかったので、きっと次女も楽しかったはず。それでよしです。“子育ては思い出作り”、どこかで聞いたこのフレーズを思い出しながら、現在、旅の写真と記録をまとめているところです。<文・写真:フリーランス記者林未香>
2019年03月22日いま注目度を増している「旅育」とは、「旅を通じておこなう子ども教育」のことです。でも、ただ子どもと旅に出ればいいのでしょうか?旅育初心者のため、その第一人者である旅行ジャーナリスト・村田和子さんが具体的なアドバイスをしてくれました。旅育をするにあたってまず重要となるのは「子どもを子ども扱いしない」ことだそう。そして、「体感をもって学ぶ」ことの重要性に子ども自身に気づかせることだとも。構成/岩川悟(slipstream)取材・文/清家茂樹(ESS)写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「子どもを子ども扱いしない」という姿勢旅育とは「旅を通じておこなう子ども教育」。つまり、旅によって「子どもが大人に向かって成長する」ことが目的です。であれば、まず重要となるのは「子どもを子ども扱いしない」ことではないでしょうか。大人の友人同士で旅行するというときに、行き先を告げないとか相手の希望を聞かないということはあり得ませんよね。でも、家族旅行となると、親はどうしてもそうしてしまいがちです。そこで、子どもを子ども扱いしないために、「旅の計画から子どもと一緒にする」のです。ただ、小学校に上がる前くらいの幼い子どもだと、現実的な旅行プランを出すことは難しいでしょう。それに、せっかく子どもが「あれをしたい」「これをしたい」と言ったのに、現実的に難しいからと却下してしまうと、教育という点から見れば逆効果。自己肯定力を下げることになってしまいます。そこで、夏休みに海に行くのか山に行くのかといった複数の案から選択させるのです。ただ選択するだけですが、それでも子どもにとっては自分が決めた旅になるので、旅に臨むモチベーションがまったくちがってきます。意欲的に旅に出るわけですから、旅がもたらしてくれるさまざまな効果(インタビュー第1回・第2回参照)も格段にアップするというわけです。旅の計画を立てることは頭を使うことだらけもう少し子どもが大きくなったら、計画を立てるときに家族会議をしてください。家族それぞれが行きたい場所を挙げてプレゼンをするのです。どうしてその場所に行きたいのかといった理由を各自が訴え、他の家族はそれをしっかり聞く。すると、子どもは、「パパの案もいいな」と思ったりもします。そして、自分の案とどう折り合いをつければいいのかと考えて答えを導こうとする。こうして、社会に出たときにも重要となるコミュニケーション力や他者理解の力が自然と養われるのです。小学校中学年になれば、旅の計画の一部を思い切って子どもにまかせてみてください。目的地への行き方もひとつではありません。車がいいのか、電車がいいのか、電車でも新幹線を使うほうがいいのかと考えさせてみるのです。旅の計画というのは、本当に頭を使うことが多いものです。宿はどうするのか、観光はどうするのか、さらに予算も絡んでくる。考える要素がたくさんあるうえに、正解もない。それこそ、「正解がない」といわれる時代に必要な「考える力」を育むことになるのです。これにはインターネットの普及が好影響を与えてくれています。インターネットがない時代に、時刻表とにらめっこして予定を組むのは子どもには難しかったことでしょう。しかも、目的地周辺の観光や宿の情報を得る手段も限られていました。でもいまなら検索をすれば複数の経路に宿や観光の情報がすぐに示されます。いまの時代だからこそできるようになった教育だともいえます。身をもって「百聞は一見にしかず」を知るただ、インターネットにはデメリットもある。幼いときからあたりまえのようにインターネットに触れてきたいまの若い世代は、頻繁に旅行をする人とまったくしない人というふうに二極化しています。以前ならなかなか得られなかった情報に触れたからこそ「実際に体験してみたい」と思う人と、「家にいて得られるものになぜ時間やお金をかけるのかわからない」と思う人にわかれているのです。後者には「情報=リアル」という価値観が根底にあるのだと思います。でも、実際に旅先で本物を見ると、思っていたものとちがうということはよくあることですよね。それは、「思っていたよりも良かった」でも「思っていたほど良くなかった」でもいいのです。重要なのは、「情報とリアルはちがう」と体感すること。つまり、身をもって「百聞は一見にしかず」を知ることなのです。わたしの息子が小さいときにはじめて海に行ったときのことです。息子もテレビなどを通じて海も波も知っていて、海が見えてきたときには「わー!海だ!」とはしゃいでいました。ところが、実際にビーチに立ったら、「波が怖い」と言って海に近寄ろうともしなかった。息子はまさに五感で海を体感し、息子なりに海というものを知ったわけです。幼いときから体感をもって学ぶことの大切さを知る。そういう経験があれば、どんな情報化社会になろうとも、本物の重要性を見失うことはないと思うのです。『家族旅行で子どもの心と脳がぐんぐん育つ 旅育BOOK』村田和子 著/日本実業出版社(2018)■ 旅行ジャーナリスト・村田和子さん インタビュー一覧第1回:子どもの人生は“旅”で幸せになる。いまの時代こそ親子で旅に出るべき理由第2回:旅先での行動は“親子別々”に。“親の不在”が深める子どもの「自信」第3回:旅の計画には“正解がない”。子どもの「考える力」を育む旅行プランの立て方第4回:忘れてはいけない“旅の記録”。旅先での成功体験を思い出すたび「自己肯定力」が高まる(※近日公開)【プロフィール】村田和子(むらた・かずこ)1969年8月29日生まれ、神奈川県出身。旅行ジャーナリスト。2001年、生活情報サイト「All About」運営スタート時に旅行情報のガイドに就任したことを機に執筆活動を開始。モットーは「旅を通じて人・地域・社会が元気になる」。現在は家族旅行を応援する旅行情報サイト「家族deたびいく」を運営しながら、消費者視点での旅の魅力や楽しみ方を年間100以上の媒体で紹介する他、旅行に関する講演、旅行サイトや宿泊施設のコンサルティングもおこなう。得意なテーマは旅育、家族旅行、ひとり旅、記念日旅行、ヘルスツーリズムなど。特に旅によって子どもの生きる力を育む旅育を村田式教育メソッドとして著書等を通じて啓蒙を進めている。一児の母。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年02月10日こんにちは!ことは母です。1人娘のことはさんと、長身お髭がワイルドな主人と仲良く暮らす、天然パーマ三人家族です。今回は私が実際に使ってみて役に立った(と言うか現役バリバリで役に立っている)ベビーグッズをご紹介します!授乳クッションまず一つ目は、授乳クッション妊娠中期頃に購入しました。ボタンを外すと抱き枕状になるタイプのもので、大きくなってきたお腹に負担がかからないように寝る事が出来て毎日愛用していました!いざ娘が産まれてからは授乳クッションとして毎日お世話になり、娘がお座りをし始めてからはいざ転がっても頭を守ってくれたりととてもとても重宝しました!一年以上共に過ごしてきたので多少へたった感じはしますが、まだもう少しお世話になる予定です。ベビーサークル二つ目は、ベビーサークルです。我が家が購入したのはかの有名なベビー専門店のもので、簡単に畳んだり広げたり出来るんです!畳むと片手で運べるくらいのサイズになり、収納も楽々!骨組み以外の布部分は自宅で洗う事も出来ます!サークルとしては勿論の事、我が家ではベビーベッドとしても使っています。なんとこのサークル、ベビー布団がすっぽりぴたっと収まるんです!!木製のベビーベッドでは寝返りの時に柵にガンガンぶつかり、添い寝では主人と私より早起きしてベッドを脱出してイタズラしまくることはさんにはぴったりのベッドです!番外編そしてこちらは番外編!ベビーグッズでは無いのですが…とにかくママは自分にかける時間がありません!どんなに酷い寝癖がついてもサクッと出かけられる帽子。我が子を抱っこしても走り回る我が子を追いかけても安心なスニーカー。オムツや着替え、飲み物やおやつ等膨大な荷物を持ち運び易いリュック。お財布と携帯、ハンカチティッシュはすぐ出せるように肩掛けポーチ。これらは私が娘とお出かけする時の必需品です。こんなグッズも用意しておけるとより安心ですね!いざ購入しても意外と使わずに終わったり、お古で貰ったものをものすごく活用したり、なかなか選ぶのが難しいベビーグッズ。その子の性格やそれぞれの家庭の生活スタイルでも必要な物は違うのでしょうが、少しでも参考になればと思います!●ライター/ことは母
2019年02月08日娘を産む前、私は「自分は素敵なママになる」という謎の幻想を描いていました。もともと小さい子がすごく好きで、友達の赤ちゃんとかそれはそれはかわいくて仕方なかった!!いつまででも抱っこしていられると思っていました。そんな私が念願の赤ちゃんを授かった!!さてどうなったか??■「素敵なママ」にはほど遠い現実の姿ずっと抱っこ??んなもん無理無理無理無理!!娘にベッタリ構ってあげるどころか、普段の生活をやり遂げるだけで精一杯の日々でした。ただでさえ要領が悪いのに、娘のお世話の度に中断して進まない家事…。ついには爆発して…あり得ない暴言を吐く始末。私は自分の計画通りに事が進まないとすぐに頭がパンクしてしまうので、娘に対して度々自分の中のヒステリー鬼が飛び出してくることがありました。それを見ていた旦那もドン引き&避難の眼差し…。汗■母を苦しめていた“ある呪縛”自分ではまだ何もできない子に酷いセリフを吐いてしまったと、今でも本当に申し訳なく思っています。当時の私も、八つ当たりしてしまった後で「こんなママになるはずじゃなかったのに…」と、後悔と自己嫌悪で涙することが多かったです。それもこれも、こんな鬼のような自分が出てきてしまう原因は「自分が素敵なママになる」と勝手な妄想を抱いていたからなんだと、娘が2歳を過ぎたあたりでようやく気づきました。よく考えてみたら、失敗ばかりであまり要領がいいとは言えない私が、子育てだけ完璧にこなせるわけがなかった!!! 汗ろくに勉強もしない&できないくせに、テストで満点取れるはずと勝手に思い込むのと同じですね。笑それに気づいてからは、うまくいかない時も……と、いい意味で諦めがつくようになりました。苦笑ほぺこにもテキトーになる代わりに、以前のようなキーキー怒る自分は激減して、まぁ結果オーライかなぁと。心に余裕ができると、自然とスキンシップは増えるし、子どもにとってママの笑顔が何よりの精神安定に繋がると理解するところまで、ようやくたどり着いたのでした。その教訓を春に生まれる第2子に活かせたらいいな……ていうか、ちゃんと活かせよ自分!!!
2019年01月30日人口35万人の東京都北区から山口県の瀬戸内にある人口2800人の小さな町(現在は2800人を切る)へ、母娘4人で引っ越したのが2017年の12月末。この1年の子どもの生活、家族の生活について振り返ってみました。“経験値”が増えた小学生3人わが家の3人は現在全員が小学生。1学年4クラスあった東京の学校から、1学年10人にも満たない学校に転校したのだから、カルチャーショックは大きかったはず。そんな彼女たちもすっかり学校になじみ、日々の生活を楽しんでいます。活躍の場、チャンスが増えた全校66人の小学校、みんなで役割を分担しなければ学校の行事やイベントが行えません。会のあいさつや司会、委員会や運動会での仕事もみんながまんべんなく経験することができ、活躍の場が劇的に増えました。さまざまな役割を経験すること、また頻繁に人前に出ることで度胸もついてきたように見えます。バーチャルではないホンモノの体験海に囲まれた町ならでは、6年生では地元の漁師さんの“おさかな教室”が開催されます。船に乗り、たてあみ漁を体験。水揚げされた魚で漁師さんたちがさばき方と調理まで教えてくれる体験授業。これぞまさに究極の食育!今年は天候が悪く船には乗れませんでしたが、初めてアジとタチウオをさばいた長女、帰ってくるなり「自分で魚を3枚におろしたよ!おいしかった~!」と自慢げに話してくれました。タコのぬめり取りもおもしろいまたほかの学年では、みかん農家の摘果作業や収穫体験などが年間スケジュールに組み込まれていたり、小学4年生から6年生で結成されている和太鼓チームの練習や発表の機会もたくさんありました。地域のお祭りでは神社で巫女の舞を踊ったり、子ども会のスキー旅行に行ったりと、“はじめて”をたくさん経験できた1年でした。これらは地域のみなさんの理解と協力があってこそ。インターネット上や動画でいつでも何でも見られる時代に、実際に見て触れて、ホンモノを体験できることはとて貴重でありがたいことです。夏休み、海で魚や生き物を探しているところ異学年、異年齢との交流大きな学校では学年間の垣根はなかなか崩せませんが、小規模学校になるとクラスの人数も限られるので、全学年が互いの顔と名前を覚え一緒に遊んでいます。特に長女は、慕ってくれる低学年の子がかわいくてたまらない様子。垣根がなく縦の繋がりがあるという意味ではとても良いのですが、ときにケジメがないと思えることも…。そこは昔から同じ地域で育ってきた子どもたち、良くも悪くも互いに遠慮がないようです。娘たちに「最近の生活はどう?」と聞いてみたところ、「公園が近くにないし、遊ぶ友だちもいないのが寂しいかな…」、「習い事も友だちと一緒に歩いて行けていたのに、いつも車の送迎だから…」、「たまに東京にも行きたいな」と、ない物ねだり。東京では学校以外にも社宅や私の仕事関係の大人や子どもたちなど、多種多様な人と交流していたので、物足りなく感じるのは仕方がないのかもしれません。母の生活=子どもと仕事と趣味の絶妙なバランス昨年7月に夫がブラジルから帰任となり、娘3人と私は現在の住まいで、夫は東京で単身赴任を継続するという、特殊なライフスタイルのわが家。拠点が変わっただけで大きな変化はありませんが、家族間の距離は縮まっているように感じます。絶妙なバランスを保てた、母の生活2018年の私の生活は、全体的にバランスよく過ごせたかなと思います。“健康第一”を目標に掲げつつ、子どもたちの世話をしながら、フリーランスの写真とライターの仕事を細々と継続。魚好きが高じて、9月からは地元の道の駅で魚の加工場でパートも始めました。加えてPTAにも参加しているので、保護者や地元の知り合いも増えてきました。生活のバランスが取れている理由のひとつに、通勤時間が短いことと、パート勤務の時間を子どもの帰宅時間に合わせられている点があげられます。一緒に働くおばちゃんたちにも「かわいい子どもが待っちょるけ、はよ帰ってあげんさい」と言ってもらったり。子どものことをまだまだしっかりと見ていきたいので、両立する上でとても助かっています。そして古い実家をリノベーションしたり、実家のお店のウッドテーブルを作ったりと趣味のDIYも楽しみました。スペース的ゆとり、また気持ちにもゆとりがあるので子どもに対して、以前よりもやわらかく接することができています。設計から自分で。自信作のウッドテーブル生活面での顕著な変化は…外食が減った一番大きいのは外食が減り、“食が豊か”になったこと。外食するには車で出かけないといけないことと、出かけたとしても東京に比べ選択肢が少ないので誘惑に負けなくなりました。地元で獲れる魚や野菜が簡単に手に入る今の環境は、“新鮮なものをおいしく食べたい”という私の食のスタイルにとても合っていて、食生活がより豊かになっています。魚からも季節を感じられることに幸せを感じ、またいかにおいしく食べるかを考えるのも楽しみです。新鮮なネタで子どもとお寿司屋さん物欲も減った“外食”と同時に、“物欲”も減っている気がします。買いにいける場所が限られているのもありますが、今シーズンは持っている洋服で楽しもうと思えるようになりました。化粧も薄くなったかな(笑)。小学校が私服から制服になったこともあり、子どもの洋服に使う金額も減少。長女の誕生日に「何が欲しい?」と聞いたのですが、「うーん、欲しいものがないんだよね」と驚きの返事。結局誕生日には勉強に必要なものを買いましたが、今あるもので生活が十分満たされていることを再認識した出来事でした。2019年はこの地の人間としてしかし何でもかんでも削減しているわけではありません。子どもたちにはいろいろな経験をさせたいし、家族の思い出も作りたいので、長期休みには家族でキャンプや旅行に出かけています。昨年の春休みには、娘3人だけで電車と新幹線を乗り継ぎ、関東にある夫の実家へ帰省するという挑戦を試みました。今しかできない経験や家族の思い出はプライスレス、ケチらないようにしています。お迎えなし、3人で夫の実家まで私も年に1~2度のペースで上京し、写真展をしたり仲間とのイベントを楽しんでいます。夏休みには東京から山口に遊びに来てくれる友だちもいます。この地のよさを共感してくれる友だちがいること、また都会との繋がりがあることも、今の生活を楽しめているポイントなのかもしれません。新築の家に住んでいるわけでもなければ、最新の家電や家具に囲まれているわけでもない。けれど、この1年は時間に追われている感覚が減り、心に余白ができました。移住者としての賞味期限は1年で終わりです。2019年はこの地の人間として新たな展開ができるよう、仕事や地域に関わっていきたいな。今年もスーパーマルチで楽しんでいきます!<文・写真:フリーランス記者林未香>
2019年01月13日発達障害の娘、社会人になって6カ月が経ち…Upload By 荒木まち子発達障害の娘には、忘れっぽい、先の見通しが立たないと不安になる、手先が不器用などの特性があります。日々の生活していく上での困り感を減らすため、娘は小学校の時から家庭でスケジュールボードやタイマーなどを使っていました。また、高校生になると生理周期のアプリなども使って体調管理をしていましたが、社会人になってからはそれらを使っていませんでした。子どもが自ら片付けや身支度をするようになる方法~スケジュールボードをつくろう!~不調の原因がわからず不安になる娘社会人は学生のように宿題もテストもなく、生活態度を指導する”先生”もいません。自由に使えるお金が増えたことで、娘は趣味に費やす時間が増えました。働く上で趣味や余暇の時間はとても大切ですが、娘は上手く時間配分できず、寝不足気味になることもしばしばありました。また気候が不安定な時や生理前に、体調不良は顕著に表れていました。それだけが原因ではないとしても、体調が悪くなるのは「どんな時か」「何をした時」「どのような症状なのか」などを記録し視覚化することは自分を知る為にとても大切な事です。でも、タイマーやスケジュールボードの使用や体調管理表を付けることをやめていた彼女がそのことを知る由もなく、原因がわからないことで娘は不安をさらに強めていました。そこで冒頭の漫画の会話となったわけです。一方通行のサポートにならないためには私は娘が「今までのサポートや工夫は娘自身の自分の困り感を減らすためではなく、周りの人が娘を管理するために行っている」と感じていたことに驚きました。子どもに障害があると親や支援者は当然のようにサポートをしがちです。でも時には「なぜそのサポートが必要なのか」を本人に分かりやすく説明し、本人の自覚を促すことも必要なのだと気づかされました。成長に合わせて振り返りと見直しが必要成長と共に不要になるサポートや工夫も当然あります。それはとても嬉しいことです。でも継続して必要と思われることは、本人の成長に合わせて見直しながら、本人が“窮屈”“面倒”と感じないような工夫をしていくことも大切なのだとつくづく感じました。
2018年11月29日目標であり、ライバルであり、反面教師であり――。さまざまな親子のカタチがあるけれど、自分の人生は“母から自立できたとき”に始まります。そんな母と娘の関係について話を聞きました。題して「“母”が歩いた道、私が歩く道」。「私も、進んで母と縁を切りたかったわけではありません。正直、本の出版がきっかけになって、ごく普通の親子関係を取り戻せればという期待もありました」女優の小川真由美(78)の一人娘である小川雅代さん(49)が、母との壮絶な40年間を綴った『ポイズン・ママ』(文藝春秋)を出版したのは’12年春。2歳のときに両親が離婚し、雅代さんは母親に引き取られるが、売れっ子女優だった母は子育てを放棄。雅代さんは、虐待や、ときには餓死寸前になるほど心身共に追い詰められていく。20歳で家を飛び出し、仕事をしながらパンクロックバンドを結成したが、母の過剰な干渉は続き、38歳でうつ病とパニック障害で、心療内科医と弁護士の双方から、「母親に会ってはいけない」とドクターストップをかけられた。1カ月に13キロも痩せるほどの衰弱ぶりだったが、これを機に自立の道を歩み始めた。翌年には母にまつわる写真を、自分が赤ん坊時代の2枚だけを残して捨てた。『ポイズン・ママ』の出版は、さらに3年後。「実はその前年、母同様に向き合ってくれなかった俳優の父・細川俊之(享年70)に死なれていたので深く後悔しました。だから、せめて母とはやり直せたらと思い、最後の手段としての出版でした」ところが本が出た直後、母は雅代さんに言い放った。「あんた、また周囲やマスコミに洗脳されたんだね」かえって、吹っ切れたような気持ちになったとふり返る。「『洗脳』は、母が自分にとって都合の悪いことがあったときに口にする常套句。結局、いまだに本は読んでくれていないようです」母からは無視されたが、自分の心情を吐き出した本には、思いがけない反響があった。「母のファン世代からの“お叱り”は覚悟していましたが、『真由美さんがマーちゃんを理解するときが来ますように』との手紙が何通かあって、救われました。あとは、驚くほど多くの、『私も同じ体験をした』という女性からの声が届きました」その後は同じ「毒母」に育てられた人たちとフェイスブックでつながったり、毒母ミーティングを開催したり。一方で母親とは、出版から6年たった今も会っていない。「母は、現在は都内のマンションで一人暮らしをしています。性格の激しさは相変わらずのようで、生活を支えてくれるヘルパーさんらにもむちゃぶりして、担当がコロコロ代わっているとか。ただ、私がそこに介入するのは精神的負担も大きいので、一度だけ、ヘルパー事務所の責任者の方にご挨拶だけして帰ったことがありました。毒親との関係に傷ついた心に完治はないと思います。ただ、自立するなかで、自分を守るのは自分しかいないと知りましたし、親とのほどよい距離感も学びました」自身の体験から、毒母との関係に向き合い、それを客観視して文字にするという作業は“デトックス”につながると話す。「本でなくても、日記でいいと思うんです。ただし、私もそうでしたが、つらい作業でもあるので、専門家と相談するなど、無理のないよう取り組んでください」
2018年11月18日目標であり、ライバルであり、反面教師であり――。さまざまな親子のカタチがあるけれど、自分の人生は“母から自立できたとき”に始まります。そんな母と娘の関係について話を聞きました。題して「“母”が歩いた道、私が歩く道」。「一緒にいると疲れることも多い人ですが、私にとっては“母という友達”ですね」『アウト×デラックス』(フジテレビ系)や『サンデージャポン』(TBS系)で母娘共演もおなじみの、タレントの矢部みほさん(41)。母・文子さん(69)はバツ4という波瀾万丈な経歴の持ち主だが、矢部さんは現在も同居しているというからまさに一心同体。この関係は、どうやって育まれたのだろう。「物心ついたときから、母は私にとって“母親”ではなく“女”だったんです。というのも、父に暴力を振るわれて、私たちを置いて家から逃げ出すことがしばしばありましたから。そんな母を見て、私と弟、妹2人の4人きょうだいは、『自分たちがしっかりしなきゃ』と考えていたことを覚えています。でも、誰も母を恨んだり、嫌うことはなかったんですよね。それは、やっぱり母にしかない温かみや、独特のパワーを感じていたからだと思います」その例をたずねると、矢部さんは困った顔をしつつも、楽しそうに語ってくれた。「たとえば、サービス精神がすごいところですね。テレビに出させていただくときも、母は毎回、ギャラを全部つぎこむぐらい大量の差し入れを持っていくんですよ。そして、人を引きつける力も強い。以前2人で仙台を歩いていたら、母が先に気づかれて、10人ぐらいに追いかけられました。いま私1人でそんなことはないので、すごいなと(笑)。おまけに誰でもウエルカム。『写真?どんどん撮っていいですよ!』と言っちゃうんです。さすがに『私がちゃんとした格好をしていないときは勘弁して~』と、あとでお願いしましたけれど」そんな2人の同居歴は、なんと約20年!これから同居ならまだしも、文子さんが上京以降、ずっと一緒なのは、いったいなぜ?「母は自称『霊感がある』ため、絶対1人では暮らせないんです。1年半だけ母と妹で暮らしたこともありましたが、妹が結婚したので私がまた同居することに。最近、ご近所の方が相次いで亡くなったのですが、『怖くてお宅の前が通れない』と、タクシーで遠回りして帰ってくるので、失費がかさんでもう大変です。『それじゃあ、この先どこも歩けなくなっちゃうじゃない!』と言ったら『そうなのよ、どうしよう!』って」あらゆる面で、一家の大黒柱はもはや娘。だが矢部さんは、それでも文子さんを「人間としてすごいと思っているんです」と慕う。「気ままなのに温かくて、面倒だけど、憎めない。どんな話も受け入れてくれる、いい意味で“変人”。母を嫌いな人なんていないんじゃないかと思うんです。実際に、私が経営するバー『YABEKE』では開店当初からママをお願いしていますが、いまや母が目当てのお客様ばかり。そして、母のおかげでテレビの仕事にもつながっているので、本当に感謝しています」もはや「仲よし」を超越し、お互いになくてはならない関係という母娘。今後のことを尋ねると。「もし、私が結婚することになっても、もれなく母がついてきます。かなり大きなオマケですけれど、1人じゃ寝られないというんだから、もうしょうがないですよ(笑)」一言でいえば「愉快な仲間です」と矢部さん。母と娘の愉快な関係は、これからも続いていく――。
2018年11月17日目標であり、ライバルであり、反面教師であり――。さまざまな親子のカタチがあるけれど、自分の人生は“母から自立できたとき”に始まります。そんな母と娘の関係について話を聞きました。題して「“母”が歩いた道、私が歩く道」。「5人きょうだいの末っ子だった私が、いちばん母の影響を受けているかもしれません」料理研究家の浜内千波さん(63)が高校卒業後に短大の栄養科に進んだ理由は、「母のように家族に喜ばれる料理を作りたかったから」。「母は私の理想なんです」と語る。「実家は海の目の前で、漁業関係の小さな会社を営んでおり、両親は常に忙しくしていました。母は、旧家の跡継ぎ長女だったのですが、父と大恋愛の末、駆け落ちした女性。当然結婚式も挙げられず、大変に貧しいなか、苦労して私たちを育ててくれたんです。それでも母は、欠かさず料理を作ってくれました。末っ子だった私は母を占領したくていつもそばにいたのですが、台所で素材を吟味する母の姿は、いまでも目に焼き付いています」質素倹約の暮らしのなかで、工夫しながら料理をしてくれたという浜内さんの母。地元・徳島では端午の節句に盛大なイベントが行われるが、フノリから寒天を手作りしたフルーツ味のデザートや、卵を桜色に染めて花の形にあしらった卵焼きなど、工夫をこらした3段重ものごちそうを、5人全員に1つずつ作ってくれたという。「さつまいもや里芋にあんを着せておはぎのようにいただく郷土料理の『出世芋』や、金時豆のちらしずし。先日、期間限定発売の『阿波の国の満足膳』というお弁当を監修させていただきましたが、できるだけ母の味を再現しました」とめどなくあふれる母の味の思い出。それはまさに「幸せと愛」の記憶であり、今も浜内さんの心のよりどころになっているという。「実家を出てから、いかに母が私たちのために心を尽くしてくれていたかがわかりました。いつの時代も親が子どもを思う気持ちにまさるものはありませんが、それを継続して伝えられるのが、毎日のお料理だと思っています」7年前に亡くなった母の味を「もう食べられないの」と涙ぐむ浜内さん。短大卒業後は3年間のOL時代を経て料理の世界に飛び込むが、目指したのは「家族の健康を守れる料理を作ること」。「実はすぐ上の兄が小学校6年生で他界しまして、そのときの母の嘆きようは今も忘れられません。以来、私が風邪ひとつひいてもすごく心配されました。家族の健康を守ることがいかに大事かを、身にしみて学びましたね」その後独立し、クッキングスクールを開校。母から受けた「幸せ」の記憶を、いまも伝え続けている。女性の自立が難しかった時代に、人気料理研究家となった浜内さん。その視線の先には、常に台所に立つ、あの日の母の姿がある。
2018年11月17日