2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが19日に自身のアメブロを更新。83歳を目前に父親が他界したことを報告した。この日、広川は「長い間、老人施設に暮らしていた父が、昨晩亡くなりました」と父親の旅立ちを報告し「昨年末に身体が老衰の準備に入った」と説明。「『あとひと月くらいでしょう』と家族は、お別れの時期を聞かされていました」と明かし「そんな状態で父は、2カ月近くも頑張ってくれました」と父親の様子をつづった。続けて「来月で83歳になるところでした」といい「誕生日が迎えられなかったのが残念でした」と述べつつ「83年ということでいいでしょう」とコメント。最後に「83年間お疲れ様でした」と労いの言葉を送り「お父さんの子供に生まれて良かったよ。ありがとう」と父親への感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福をお祈りいたします」「本当に辛いことですね」「寂しいですね」「ご自愛下さい」などのコメントが寄せられている。
2024年02月20日自民党の麻生太郎副総裁(83)の発言がまたも物議を醸してる。1月28日、福岡県芦屋町で講演した麻生副総裁。各メディアによると昨年9月から就任した上川陽子外務大臣を評価した上で、「(党内で)新たなスター、新しい人がそこそこ育ちつつある」「ぜひ女性、若い人、こういった人たちをわれわれは育てねばならない」と語ったという。しかし上川外相が昨年9月、アメリカ・ニューヨークを訪問したことを回想すると、こう述べた。「そんなに美しい方とは言わんけれども、堂々と話をして、英語できちんと話をし、外交官の手を借りずに自分でどんどん、会うべき人に予約を取っちゃう」「俺たちから見てても、『このおばさんやるねえ』と思った」さらに講演内で、麻生副総裁は上川外相のことを「カミムラ」と複数回間違えたほか、「女性が日本の外務大臣になった例は過去にないと思う」とも発言した。しかし’01年に田中眞紀子氏(80)が、そして’02年に川口順子氏(83)が外務大臣に就任している。スピーチ自体は上川外相をほめるものではあったものの、自民党の副総裁という立場でありながら、上川外相について「美しい方とは言えない」と容姿について指摘するような発言をした麻生副総裁。名前や事実を誤認している点も合わさり、ネット上では《つける薬のないセクハラおやじ》《「このおばさん」「そんなに美しい方とは言わんけれども」って!完全セクハラだし!!「女性が日本の外相になった例は過去にないと思う」も間違ってるし》《なんで誰かの仕事ぶりを評価するのに外見にも言及しないといられないんだろう》などと厳しい声が相次いだ。’19年2月に行われた自身の国政報告会では、少子高齢化問題に絡み「年寄りが悪いみたいなこと言っている変なのがいっぱいいるけど間違ってますよ。子どもを産まなかった方が問題」と発言し問題に。さらに、昨年1月には「(少子化の)一番、大きな理由は出産する時の女性の年齢が高齢化しているからです」とも述べ、批判が寄せられるなど、失言の例をあげればキリがない麻生氏。過去の失敗から学ばず、失言を繰り返す麻生氏に対し”引退”を求める声も上がっている。《いつまでも麻生節はいりません。それなら人権に敏感な別の人にその一席譲ってもらいたいものだね》《これだけ失言の多い人も珍しいですね。日本の国会議員の質と品位を疑われますよ。こんな人が国会の中枢にいること自体、不思議です》《他人の容姿に触れることとはハラスメントであること、ご存じない?人権感覚が欠如しているこういう方は国会議員の資格がないし、社会人としたって欠格。辞めて欲しい》《このタイミングでまたこういう発言もう無理でしょう、マズイことを判断できない年齢になってる》《こういう人、引退しないと自民は変わらないね》
2024年01月29日2024年1月5日、写真家の篠山紀信さんが同月4日に亡くなったことが分かりました。83歳でした。産経ニュースによると、東京都出身の篠山さんは、日本大学芸術学部写真学科在学中に、広告制作プロダクションに入社。その後フリーとなり、広告から肖像、芸術的表現までジャンルを問わずに幅広く活躍してきました。篠山さんは、作家の三島由紀夫さんや歌手の山口百恵さん、シンガーソングライターのジョン・レノンさんとその妻で芸術家のオノ・ヨーコさんなど数々の著名人の写真を撮影。1970年代に、女性のグラビア撮影で使い始めた『激写』という言葉は流行語にもなったそうです。また、1991年に発表され大きな話題となった、俳優である宮沢りえさんのヌード写真集『Santa Fe』などを手掛けたことでも知られています。突然の訃報にネット上では悲しみや追悼のコメントが相次ぎました。・偉大な人がまた逝ってしまった。宮沢りえさんの『サンタフェポーズ』、みんなで真似したなぁ…。・数々の素敵な写真をありがとうございました。お疲れ様でした。・驚きました。本当に残念です。内面の美しさも切り取る素晴らしい作品ばかりでしたよね。・本当に偉大な人でした…。ご冥福をお祈りします。篠山さんが残した作品は人々の記憶の中に刻まれ、これからも語り継がれていくことでしょう。篠山さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月05日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子をもつ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談をご紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送ることができたことにとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院をして、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。けれども時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかった瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親に作ってもらっていたごはんを自分で作る練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけないものを保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張ることができました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けることができ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったです。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れていると思います。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ムチコ監修/助産師 松田玲子著者:河村アリス7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。
2023年12月07日転勤族の私は、45歳にして初めて食堂のない単身寮に住むことに。今まで寮の食堂や妻の手料理頼みだった炊事を、初めて自分でおこなうことになりました。毎日3食外食を続けるわけにもいかない事態に困った私は、意を決して料理にチャレンジ! いざ始めてみると意外とハマってしまって……。初めて食堂のない生活をきっかけに自炊することに高校卒業後すぐに就職した私。転勤の多い職場で、短くて3年もするとすぐに引っ越しを繰り返すという生活も、もうじき30年になろうとしています。私の務めている会社は、独身寮と単身寮に食堂がついている場合が多く、寮を利用している間は食事の準備に困ったことがありませんでした。高校時代の同級生であった妻と結婚してからは、妻に食事を作ってもらっています。そういった事情もあり、実家を出てからこれまで、私はほぼ自炊というものをしたことがありませんでした。そんな私に、ある転機が訪れます。妻と離れて単身赴任することが決まったのです。しかも今回の住まいは、会社が単身寮として借上げている一般的なマンションの一室。食堂もなければ備え付けの家具や家電もありません。困った私は妻と相談し、新社会人の初めての1人暮らしのごとく、家電や家具など生活に必要なものを一通り買いそろえることになりました。その際、小さなフライパンや片手鍋など、袋ラーメンや冷凍食品が簡単に調理することができる程度のキッチン用品も購入。こうして45歳にして初めての自炊生活が始まったのでした。やっぱり外食が一番…と思っていたけど住み始めた当初は、好きなものを熱々でおいしく食べられる外食が一番良いと思っていました。妻に都合を聞かずに後輩と飲んで帰れたり、ふらっと立ち寄った居酒屋でひとりお酒を引っかけて帰ったりと、充実した単身赴任ライフを過ごしていた私。しかし、そんな生活も1カ月を過ぎるころには飽きてきて……。後輩にも家庭があるため、いつでもごはんに付き合ってもらえるわけではないことも、外食生活が行き詰った理由の1つでした。そうは言ってもおなかは減ります。「そういえば片手鍋を買ったんだっけな」困った私は、ふとキッチンの戸棚で眠っている、買った当時のまま一度も使っていない片手鍋のことを思い出しました。その日、私は初めて鍋でお湯を沸かして袋ラーメンを作りました。その作業が意外と楽しく、次には野菜を切って入れてみたり、付け合わせに買ってきた肉をフライパンで焼いてみたりと、家で作るたび、味を変えるためにしていた作業は少しずつ料理らしくなっていきます。さらに酒のつまみも作ってみようと、スマホで簡単なレシピを探して見よう見まねで作ってみると、驚くほどおいしいことに気付きました。妻が作っていたものや購入したものもおいしかったのですが、自分で作ると好みの味になることもあり、さらにおいしさが増すのです。ついに私は毎日自炊をするようになり、さらには週末に妻の待つ家へ帰ったときにも、自ら料理を作るようになったのでした。家でも料理するようになった夫に、妻の反応は?家に帰ったときにも料理をするようになった私の変化に、妻は驚きます。しかし、次第に「すごいね!」「これおいしいね!」「次はこんなものが食べたい!」と私のレベルアップしていく料理の腕前を褒めるだけでなく、次に帰ってきたときに食べたいものまでリクエストするようになったのです。妻の反応に気を良くした私は、平日は単身赴任先で料理の腕を磨き、週末は家に帰って成果を披露するという生活を楽しむようになりました。たまに仕事の都合で帰れないときがあると、妻から「今週は帰ってこれないの? ごはんどうしようかな、面倒だな」と笑いながら言われるようになったのは、さすがに私もうれしさとおかしさで笑ってしまいました。どうやら妻は私の作る料理にハマったらしく、できることなら毎日作って欲しいと思っているようなのです。妻にそう思ってもらえることは単純にうれしく、作った料理を褒めてもらえる気持ちよさや今まで任せきりだった炊事の大変さ、その仕事をいたわることの大切さに気付くきっかけとなりました。まとめ45歳にして初めて料理の楽しさや大変さ、食べた人に褒められるうれしさを知りました。こんなことがなければ、死ぬまで料理に挑戦することはなかったかもしれません。また、料理を毎日作ってくれていた妻が、毎回「おいしい?」と尋ねてくる気持ちを理解できたのも、今回の単身赴任が良いきっかけとなりました。今後は料理を続けながらも、妻に任せきりになっていた他の家事にも挑戦してみると、案外楽しさを見つけられるかもしれないなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/山本 さつきパパが大好きな息子と毎日格闘しているママライターです。たくさんの情報をわかりやすく伝えるべく、日々スキルを磨いています。
2023年11月30日年賀状シーズン到来!子どもの「初めての年賀状」はどうだった?小さい子どもは年賀状を知らないかもしれませんが、年賀状は世代を超えて人とのつながりを感じられる日本の文化です。どのような結果となったでしょうか。子どもの年賀状デビューは「4〜5歳」が最多!(N=200,n=200名、単一回答。2023年9月19日〜26日に実施したインターネット調査による)「初めて年賀状を出したのはお子さんが何歳の時ですか?(書いた・作った含む)」に対する回答は、「4〜5歳」が最多で86票を集め、次に「6〜7歳」が57票、「2〜3歳」が28票という結果でした。今回の調査では、保育園・幼稚園の年中クラス〜小学1年生あたりに年賀状デビューを経験している子どもが多いようです。また、「0〜1歳」の回答も複数あり、赤ちゃん時代に年賀状デビューを果たした子もいました。200名中193名の親が「出してよかった」と回答(N=200,n=200名、単一回答。2023年9月19日〜26日に実施したインターネット調査による)「親目線で、年賀状を出してよかったと思いますか?」との質問では、「はい」が96%を占め、200名中193名が“出してよかった”と回答しました。以下、その回答理由を紹介しています。子どもの自信につながった・「字を書くことがあまり得意ではなかった(楽しくなかった)息子が、字を書いて人に喜んでもらえることを知り、また祖父母の嬉しそうな顔を見れて自信になったと言ってくれて、改めて出して良かったと思いました」(30代女性)気持ちをカタチに残せた・「普段絵を描くことがあまり好きではない子どもですが、年賀状は興味をもち自ら描いた。祖父母の喜んだ反応も嬉しかったようです。気持ちをカタチに残せるのがいい」(30代女性)字や絵を描くのが楽しくなった・「ハガキを出すという事が初めての経験で、とても良い思い出になったから。それをきっかけに字や絵を描くのが楽しくなったようだから」(40代女性)祖父母とのよい思い出になった・「どんな風に書いたの話しを聞いたり、ココを頑張ったんだよ!と教えてもらったり、祖父母にとってもいい思い出になったと思います」(30代女性)初めての経験をたくさんできた・「ハガキを買う、挨拶文を書く、ポストに入れるといった初めての経験をたくさんできたからです」(40代女性)子どもの成長を感じられた・「送りたいという気持ちでいるので、自分から進んで絵を書いたりポストに入れに行く姿は成長も感じられたのでとても良かったと思いました」(40代女性)年賀状文化に触れられた・「子どもが嬉しそうにしていましたし、なかなか年賀状の文化は薄れてきていますが、お手紙を書くという経験をさせてよかったと思っています」(40代女性)子どもの可愛い姿を見せられた・「可愛い姿を親戚や、友達などに見せることができたからです」(30代女性)「出してよかった」の回答理由としては、年賀状を通して子どもの成長を感じられたことや、子どもが人に喜んでもらう嬉しさを知れたことなどを挙げる人が目立ちました。また、純粋に年賀状のやり取りを楽しむ子どもの姿を見て、出してよかったと思う人が多いようです。半数以上の子どもが年賀状を「もう一度出したい!」(N=200,n=200名、単一回答。2023年9月19日〜26日に実施したインターネット調査による)「お子さんはもう一度年賀状を出したそうですか?(書いた・作った含む)」と質問したところ、「はい」が139票を集め、次に「どちらとも言えない」が48票、「いいえ」が13票という結果でした。それぞれの回答理由を紹介しています。出したそうにしている・「今年はこんな絵にしようかな。こんなこと書こうかなと自発的に考えて、毎年オリジナル溢れる作品が出来上がっています。一年学校であったことや楽しかったこと、お正月会ったらしたい事、を主に書いています」(30代女性)・「翌年以降も作ると張り切っている様子でした」(30代男性)・「先生からの返信が嬉しくて、毎年楽しみに出しています」(40代女性)どちらとも言えない・「お絵描きと違って字を書くことが大変だった様子のため」(30代女性)・「時間が経って年賀状のことについてもう忘れていそうです。親が年賀状を作る時期になったらやりたいか確認してみます」(30代女性)・「次の年も言えば書いていたが面倒くさそうだった」(30代女性)出したそうにしていない・「LINEで「ありがとう!」と返事がかえってきて一度送ったら満足してそれ以来年賀状は書かなくなりました」(40代女性)・「お返事が来て喜んだりしていましたが、次の年にはすっかり忘れたようでした」(30代女性)・「年賀状に関しては、書き終わったら、あまり興味はなさそうな気がしました。描き終わったことで満足しているようでした」(50代女性)全体的に「もう一度出したそうにしている」子どもが多かったものの、中には「どちらとも言えない」「出したそうにしていない」子も。その理由としては、一度書いて満足していたり次のお正月には忘れていたりなど、子どもらしさ溢れる回答が寄せられました。年賀状デビューのきっかけは「親」と「子」ほぼ同じ割合(N=200,n=200名、単一回答。2023年9月19日〜26日に実施したインターネット調査による)続いて「初めて年賀状を出したときのきっかけは親からですか?お子さん本人からですか?(書いた・作った含む)」と聞きました。結果は「子」が89票、「親」が84票、「どちらとも言えない」が27票で、親と子の票差はわずか5票に留まりました。また、「初めて年賀状を出したときの経緯」を尋ねたところ、「親の姿を見て興味を示した」「保育園・幼稚園で年賀状の話を聞いた」「小学校の宿題だった」「子ども宛に届いた年賀状のお返しを提案した」など、年賀状デビューのきっかけはさまざまな場面で訪れるようです。近年、年賀状離れが進んでいますが、日本の文化に触れつつ子どもの気持ちを直接相手に届けられるのは、年賀状ならではの魅力です。また、子どもの今しかない姿や成長をカタチとして残せるのも、親としては嬉しいもの。今年は親子で、思い思いの年賀状を作ってみてはいかがでしょうか?【調査概要】調査期間:2023年9月19日〜26日調査機関:クラウドワークス調査方法:インターネットでのアンケート調査調査対象:10〜60代以上の男女有効回答人数:200名フタバ(マイナビ子育て編集部)<関連記事>✅「ば~ば」がしてあげたいことと「ママ」がしてもらって嬉しかったこと…ほぼ一致<シニア世代・ママ世代アンケート>✅「年賀状が欲しいものリスト化」「おけおけ」「今年も四六四九」、子どもの面白年賀状に思わずほっこり~✅年賀状の準備、ギリギリでも大丈夫? 7割の人は12月になってから準備を開始、その理由とは
2023年11月07日今回は、娘の映画館デビューに付き添った女性のエピソードを紹介します。4歳の娘と映画館へ行くことになった主人公。初めて行く映画館に、娘は楽しみでいるようです。娘が大好きな映画映画館行きたい!不安がいっぱい…映画を楽しみにする娘映画館に到着初めての映画館に、娘はとても楽しみだった様子。一方の主人公は、上映中のことで不安が募るばかりですが…。果たして、映画を楽しむことはできるのでしょうか。作画:多喜原案:愛カツ読者編集:愛カツ編集部
2023年09月26日米国発のアウトドアブランド「Marmot(マーモット)」からYouTubeチャンネル《オトナ女子の山登り》を展開するモデルの「山下舞弓(ヤマシタ マユミ)」が商品企画に参加したコラボレーションアイテムが発売となります。今回発売となるのは2.5層の透湿防水素材を採用したロング丈のレインジャケットをはじめ、PERTEX(R) QUANTUM AIRを採用した軽量インサレーションジャケット、メリノウール混紡素材のシャツ、シルエットにこだわった4WAYストレッチ素材のトレッキングパンツの全4アイテム。登山を想定したアウトドアシーンはもちろん、下山時の街シーンでも馴染むオトナ女子に嬉しい仕上がりとなっています。2023年9月より日本国内のMarmot正規取扱各店舗にて順次発売予定。(Marmot公式オンラインストアでは9月15日より各アイテムを順次販売)Marmot(マーモット) ロゴオトナ女子の山登り ロゴウィメンズ レウィシア ロングジャケット1ウィメンズ レウィシア ロングジャケット2ウィメンズ レウィシア ロングジャケット3■ウィメンズ レウィシア ロングジャケット38,500円(税込) 10月発売予定Color:ダークベージュ、グレー、ブラウンSize :XS、S、M、L、XL(女性向け)高い防水透湿性、耐久撥水性を備えたロング丈のレインジャケット。フードは取り外し可能な仕様となっており、天候やコーディネートに合わせてスタイルを変化させ幅広いシーンで活躍します。商品名のレウィシアとはロッキー山脈などの砂礫地帯や岩場、乾燥地に自生している寒さに非常に強い花の名前です。ウィメンズ グレイシャーリリー ノーカラージャケット1ウィメンズ グレイシャーリリー ノーカラージャケット2ウィメンズ グレイシャーリリー ノーカラージャケット3■ウィメンズ グレイシャーリリー ノーカラージャケット18,150円(税込) 10月発売予定Color:ネイビー、グレー、ベージュ、ブラック、ダークベージュSize :XS、S、M、L、XL(女性向け)軽さ・しなやかさ・暖かさを兼ね備えたインサレーションジャケット。表地には軽さとしなやかさが特徴のPERTEX(R) QUANTUM AIR(パーテックス クァンタム エアー)を採用しソフトな風合いの中綿を組み合わせることで、身体の動きを損ねることなく効果的に保温します。商品名のグレイシャーリリーとは花の名前(和名:カタクリ)で、花言葉は『謙遜』。うつむき加減で咲くカタクリ。その様子は主張は控えめですが可憐で、ミッドレイヤーとしても使えるこのジャケットの商品名となりました。ウィメンズユーストマノーカラーシャツ1ウィメンズユーストマノーカラーシャツ2ウィメンズユーストマノーカラーシャツ3■ウィメンズユーストマノーカラーシャツ15,400円(税込) 9月発売予定Color:ダークグレー、ネイビー、ブラウンSize :XS、S、M、L、XL(女性向け)メリノウール混の長袖シャツ。メリノウールは吸湿性・保温性に優れており、アウトドアフィールドからタウンまであらゆるシーンで活躍します。商品名のユーストマとは花の名前(和名:トルコギキョウ)です。トルコギキョウはたくさんの色や種類があり、多くのシーンで重宝される汎用性の高い花なので、使い勝手の良いこのシャツの商品名となりました。ウィメンズルピナスパンツ1ウィメンズルピナスパンツ2ウィメンズルピナスパンツ3■ウィメンズルピナスパンツ14,300円(税込) 9月発売予定Color:ブラウン、ブラック、オリーブグリーンSize :XS、S、M、L、XL(女性向け)春夏秋3シーズン対応出来るトレッキングパンツ。耐久撥水加工を施し、縦横に伸びる4WAYストレッチ素材は二重織の生地を採用しており柔らかさと高い保温性も兼ね備えた商品です。商品名のルピナスは花の名前で、別名「昇り藤」とも呼ばれます。すっと伸びた様子からこの美脚パンツを連想しこの商品名となりました。【Marmot(マーモット)】1971年カリフォルニア大学の2人の学生が立ち上げた登山部「マーモットクラブ」をルーツに持つアウトドアブランド。その後、1974年に会社を設立し、1976年にアウトドアアパレル企業として初めてGORE-TEXを採用。現在でも自由で、独創性を追求した初期の姿勢を貫き、アメリカをベースに最高のアウトドアウェアを世界中へ展開しています。Web : Instagram: @marmot_japan 【山下舞弓(ヤマシタ マユミ)】雑誌、CM、TVなどで活動するモデル。登山歴11年目。2019年に長野県へ移住し、1年を通してアルプスから里山での山登りを楽しむ。2020年より『YouTube』で「オトナ女子の山登り」チャンネルをスタート。実際の登山の様子や山ごはんの作り方、山グッズの紹介など幅広く発信している。2023年8月に初の書籍「わたしの山登りアイデア帳」(山と溪谷社)を出版。YouTube : Instagram: @mayu_ya11 《会社概要》社名 :株式会社サードシップ所在地:〒700-0971 岡山県岡山市北区野田5-2-7代表 :代表取締役社長 白石 智設立 :2014年(平成26年)5月12日業種 :スポーツウェアの企画製造販売 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年09月07日発達支援センター2回目の相談Upload By プクティ初めての発達支援センターへ相談に行った日から2ヶ月後、2回目の相談日がやってきました。この日もまた、臨床心理士の方が長男を見てくださっている間に、私たち夫婦は療育に通うまでの流れを説明してもらいました。通う療育のタイプによって異なる場合もあるようですが、私たちが住んでいる地区の発達支援センターの療育に通うには、まず先に「通所受給者証」を取得することが必要とのことでした。その日は療育開始までの流れを聞いた後、次回受ける知能検査の予約を取って帰りました。診断書の取得から受給者証の申請へUpload By プクティ受給者証取得には、基本的には医師の診断書の提出が必要でした(このあたりはお住まいの自治体によって異なる場合があります)。しかし、専門病院へ受診の予約をしたところ、初診の予約日が数ヶ月先になってしまったので、とりあえず、かかりつけの小児科で、支援が必要との意見書を出してもらい、すぐに受給者証の申請を出すことができました。初めての知能検査Upload By プクティ2回目の相談日から1ヶ月後、ついに知能検査を受ける日がやってきました。この日は私の都合が悪く、長男は夫が一人で連れて行ってくれました。発達支援センターに到着すると、長男は別室に案内され、夫は検査が終わるまで、長男が見えないところで待機することになりました。Upload By プクティ検査は臨床心理士の方と長男の一対一で行われたのですが、別室で待機していた夫のところに聞こえてくる声の様子だと、長男はなかなか集中できず、違う話ばかりして手こずっているようでした。そして約1時間ほどで検査が終了。検査結果は後日ということで、その日は終わりとなりました。気になる検査結果は…1ヶ月後、検査の結果ができたということで、今度は夫婦そろって再び発達支援センターへ行きました。そして気になる結果は……Upload By プクティ長男の実年齢4歳に対し精神年齢は2歳と、発達が2歳遅れという結果が出ました。臨床心理士さんからは、ボディイメージが弱く、手足を使っての行動が瞬時に取れないことや、人より物への興味のほうが強く、興味があることへの集中力はあるが、興味がないことへは集中できないことなどを指摘されました。IQに関しては、臨床心理士さん曰く「集中力の問題で実際より低めの数字が出ている」とのことで、また数ヶ月後、検査内容を忘れた頃に再度検査を受けることをすすめられました。執筆/プクティ(監修:初川先生より)療育を受けるためには(プクティさんの地域では)受給者証の取得と知能検査の受検が必要だったのですね。受給者証は福祉サービスを自費でなく受けるためには必要ですし、お子さんのアセスメントとして知能検査やそれに付随する行動観察などはあったほうが支援の精度があがりますね。さて、知能検査に関してですが、「そこまで発達の遅れはなさそう」とこれまで言われてきたこともあり、想定外の結果だったかもしれませんね。ただ、知能検査で大事なのは、数値もそうですが、そこに至るまでの行動面でのアセスメントも同じくらい大切です。注意集中の苦手さや、理解したことを行動で答えることの苦手さ、また、好きな話は上手にできるがゆえに遅れを感じさせない様子がありそうですが、聞かれたことに適切に答えるという面では苦手だったのかも……など、さまざまな特徴、つまり、得意不得意が見えてきそうな感じがしました。そうした数字に表れきらない面もとても大事な知見となります。再検査の提案もあったとのことですが、まずは、今回の結果からも、標準化され客観的な検査(今回は田中ビネー知能検査)に対して、長男くんがどう反応したのか。そこから得られるものがたくさんあるので、そこを活かして療育の内容の工夫や日常生活での支援がより長男くんにフィットしたものになってゆくといいなと思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
2023年09月03日Instagramで漫画を発信されている、のむすんさん(@nomusun777)の漫画「34歳の生きる道」を配信!◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら<<前回のお話はこちら<前回のおはなし>まさとさんの家の前まで来たものの、共有スペースである廊下には何も置いておらず、証拠になるものが見つからないようです……。マンションだと、表札を出していない家が多いですよね……!誰にも気づかれず、まさとさん以外の人が住んでいることが分かると良いのですが……。のむすんさんの漫画は、Instagramでも更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね!◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら■ご協力のむすんさん(@nomusun777)(漫画:のむすん、文:マイナビウーマン編集部)※本記事は公開時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。
2023年06月24日株式会社明治が販売するチョコレート菓子、『きのこの山』。きのこの形を模したお菓子で、傘の部分がチョコレートに、柄がクラッカーになっています。1975年に発売されて以降、日本のお菓子を代表する存在であるため、多くの人が一度は食べたことがあるでしょう。そんな『きのこの山』ですが、キノコ(kinoko_mama0)さんの2歳の息子さんは、まだ食べたことがなかったそうです。キノコさんは、息子さんが初めて『きのこの山』を食べた時の様子を漫画に、Instagramに投稿しました。なぜかチョコレートの部分だけを食べる息子さん。柄の形をしたクラッカーはすべてテーブルの上に捨てていたそうです。息子さんの行動についてキノコさんは「アイスクリームに刺さっている棒に似ているので、食べ物として認識しなかったのかも」と推測しています。その後、キノコさんは息子さんに「柄も食べられるんだよ」と教えますが、食べる気配が一切ないとのこと。いつもキノコさんが柄の部分を集めて食べているそうです。息子さんの『きのこの山』の食べ方には、「なんと贅沢な食べ方!」「私もチョコの部分が好きだから、そうする気持ちは分かるな」などのコメントが寄せられていました。『きのこの山』としばしば比較されるチョコレート菓子『たけのこの里』を、息子さんがどんなふうに食べるのかが、気になりますね![文・構成/grape編集部]
2023年06月17日29歳のガールフレンド、ヌーア・アルファラさんが妊娠中と報じられた俳優のアル・パチーノ(83)。妊娠がわかった当初、彼女にDNA鑑定を受けさせていたとTMZが伝えている。アルファラさんは現在妊娠8カ月だが、パチーノが彼女のお腹に命が宿っていることを知ったのは2カ月前。パチーノは喜ぶどころか、「非常にショックを受けていた」と関係者はShowbiz 411に語った。パチーノは子どもを望んではおらず、「誰かを妊娠させる能力があるとは思えない」と、お腹の子供との父子鑑定を要求。アルファラさんはこれに応じ、パチーノが父親であることが証明されたそうだ。パチーノの3人の子どもたちはこの事実に「激しく動揺している」という。またShowbiz411によると、パチーノに近い関係者は、「2人の関係はもう終わったと思っていた」と首をかしげたという。2人は一度別れたが、1年前にアルファラさんがパチーノのもとへ戻ってきたようだ。その当時、アルファラさんは「私には甲状腺の問題があって、子どもはできない」と語っていたそうで、今回の妊娠はパチーノにとってまさに「寝耳に水」であったようだとShowbiz 411は伝えている。
2023年06月02日名優アル・パチーノが83歳にして再びパパになることが分かった。2022年4月より交際している29歳の恋人ノア・アルファラが、現在妊娠8か月だという。パチーノの代理人が認めた。パチーノには演技コーチのジャン・タラントとの間に34歳の娘、俳優のビヴァリー・ダンジェロとの間に22歳の双子の男女をもうけており、まもなく誕生する赤ちゃんは第4子となる。「People」誌によるとパチーノの恋人のノアは映画・テレビのプロデューサーで、最近ではパチーノ、パトリック・シュワルツェネッガー、チャーリー・ヒートンらが出演する『Billy Knight(原題)』の製作総指揮を務めている。奇しくも、パチーノと20代で知り合い長年の親友であるロバート・デ・ニーロ(『ゴッドファーザー PART II』『ヒート』で共演)も、79歳という高齢でありながら4月に第7子が誕生。おめでたいニュースが続いている。このニュースに、ツイッターには「ミック・ジャガー73歳の時に、第8子が誕生したことにも十分驚いた。それなのに、デ・ニーロとパチーノはもっと年上だ」「2人はぼくらに希望をくれている」「どこまでも似ている2人」「パチーノは83歳には見えない。若すぎる」などの声が寄せられている。(賀来比呂美)
2023年06月01日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、こんにちは! PUKUTY(プクティ)です!我が家の長男5歳。先日初めて…映画館デビューを果たしました!!■映画への興味今までも家では何度も映画を見せたことはあったのですが、いつも途中で飽きてしまっていた長男。しかし長男の大好きなゲームのキャラクターが映画になったCMを見ると、今までにないほどの食いつきで、大爆笑しながら何回も何回も繰り返しその映画のCMを見ていました。■映画館デビューその様子を見た私達は夫婦は…次男はさすがにまだまだ興味もなく大人しく長時間座ることも出来ないので私とお留守番。旦那も大好きなゲームだったことからその映画を見たいというので、旦那と長男で映画館へ行くことに。朝一番の回だったので朝ごはん替わりにポップコーンとチュロスを買ってもらって着席、そしていざ映画がスタート!■成功なるか!?映画が始まると買ってもらったポップコーンとチュロスを食べながらも真剣に見る長男。CMでは大爆笑していたのにどのシーンも一切笑わず真剣に見入っていたので、逆に楽しんでいるのか心配になるほどだったそうです(笑)。映画自体は約90分あり、さすがに最後の方は集中力が切れ始めもじもじしていたらしいのですが、無事最後まで映画を見終わることができました!本人も楽しかったと言っていたので、初映画館デビューは大成功に終わりました!
2023年05月20日長女が初めてパパと話したのは1歳のとき。「とてもうれしかったなぁ」というパパの体験談を紹介します。 初めて「パパ」と言ってくれた日今は5歳の長女ですが、当時はまだ1歳半。話すこともままならず、コミュにュケーションがとれているのか、とれていないのか、わからないくらいでした。 そんなとき、ある日突然「パパ」と声を発したのです。空耳かと思いましたが、もう一度パパと言ってくれました。あのときの感動は忘れられません。 ちなみに「ママ」という言葉は、すでに言えていました。父親が娘と接する期間は短いと聞きます。年頃になれば父親嫌いになることも多いと聞きますし、自分も逆の立場ならそうなると思います。だからこそ、今この大切な貴重な期間を、大事に過ごしたいと思います。 子育てができることに感謝娘とのかけがえのない時間を大切にしたいと私は思います。「育児休業を1年間くらい取っちゃおうかなぁ」と、当時は思いました(実際に取れたのは1カ月でしたが)。でも、1カ月でも育児休業を取らせてくれた会社や同僚、上司には感謝しています。 子育てをできている自体、みんなに感謝の気持ちでいっぱいです。もちろん、一番感謝しているのは妻です。こんなにも素晴らしい宝物を産んでくれたのですから。今では次女も産まれ、4人家族で幸せに暮らしております。5歳と3歳の2児の父親です。仕事と子育ての両立に四苦八苦しております。
2023年04月07日普段はほとんど運動をしない私が山登りに誘われました。体を動かさない私がなぜ誘われたのか不思議でした。でも行き先を聞いて納得。そして、体力のない私でも果たして頂上まで登れるのかと不安もありましたが、良い運動になればという思いで「行ってみようかな?」という気持ちになりました。これは私がとても充実した休日を過ごしたときのお話です。★関連記事:毎日、猛烈な睡魔との闘い! 家事と仕事の両立のため始めた体力づくり。無理なく続けられた方法は山登りしようよ!と誘われて出掛けたらうさぎ年生まれで年女の今年は、なぜだか同級生と「会おうよ!」という機会が増えています。子育てからも手が離れ、休日に余裕が出てきたからかな?と思います。最近みんなで集まると、必ず話題に上がるのが、健康について。ウォーキングを始めたとかジムに通っているなど、自身の体力の保持にきちんと取り組んでいる様子を聞くと、何もしていない自分は少し焦ります。そんな私を山登りに誘ってくれた友だちに感謝しつつ、当日の服装を確認すると、動きやすい格好とスニーカーで十分と聞き、「そんなに大変じゃなさそうかな」と安心して参加しました。予定は数週間後。山頂付近にある大きな岩でできた「うさぎ岩」を目指して、標高600mほどの山に挑戦することにしました。下山後にはご褒美としてランチ付き温泉も予約して、準備は万端です。途切れることなく続く会話うさぎ岩は岐阜県にあり、私の住む名古屋から車で2時間ほどの距離にあります。駐車場に着くと、すでに満車でした。普段は混み合うことはあまりないようですが、今年はうさぎ年。天気の良い土曜日とあって、皆さん考えることは一緒のようです。駐車場で待機中も会話が途切れることはなく、さまざまな話題が飛び交います。家族のことや自身の仕事の話、時には高校生時代の思い出話も飛び出して、あっという間に時間が過ぎていきました。何とか無事に車を駐車して、いよいよ出発です。舗装された道を進んでいくと、山肌に少しだけ草木が途切れた入り口らしき場所がありました。そこからけもの道を登っていく様子です。始めは楽しく、おしゃべりしながら登っていましたが、だんだんと口数が少なくなり、途中から無口になり……。足元の土はフワフワとしていて歩きやすかったのですが、日ごろの運動不足で登り坂のキツいことキツいこと。途中から膝がガクガクしてきて大変です。それでも諦めることなく、人が通った道らしき場所を進むと、うさぎ岩ビュースポットという場所に到着しました。結構登ってきたようで、見晴らしの良いところでした。頂上のほうを見上げるとうさぎ岩が見える、とてもすてきな場所です。ちょうど下山してくる人たちと出会い、あいさつを交わしました。皆さんがトレッキングシューズを履いてステッキを持っているのを見て、本格的な山だったんだと気付きました。最後の力を振り絞ってうさぎ岩へ「ここからはキツイよ。気を付けて」。そう言われたのですが、うさぎ岩はもうすぐそこに見えています。「ここまで来られたし、大丈夫でしょう……」と思いながら、あとひと息の頂上に向かいました。しかし、言われた通り登り坂は今までとは違ってさらに急な上に長く続いています。頂上を見るとくじけそうになるので、足元だけを見て一歩ずつ足を進めました。そしてやっとの思いで頂上に到着。緑のきれいな景色が広がっていて感動的です。「はい。一つずつ」。お茶を飲みながら休憩していると、そう言って友だちがクッキーを配ってくれました。その甘いクッキーがおいしかったこと。疲れを癒やすとは、このことだと改めて実感しました。雄大な景色を眺めながら、「次の年女のときも、みんなで登れるといいね」と誰かが言いました。「60歳で山登りは無理でしょ」とみんなで笑います。体力に自信はないのですが、それを目標に運動を始めるのもいいかなと心の中で思いました。「それまで体力を維持して、健康でいようね」。そう誓い合って下山しました。そのあと食べた食事も、温泉も大満足だったことは言うまでもありません。山登りの最中は無口にもなりましたが、それ以外はずっとしゃべり倒して、まさにストレス発散の1日でした。まとめたまの休日に気の合う仲間と一緒に過ごせるようになったのも、子育てが一段落し自分の時間が持てるようになったからです。これから増えていく自分の時間を、こうやって充実した時間として過ごせる人生が送れたらうれしいなと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/くらげ(46歳)23歳社会人、専門2年、高2の娘を持つシングルマザー。本業の他に収入を増やそうと始めたWEBライターだが、時間の使い方がつかめず悪戦苦闘している。【自由と安定】を求めて絶賛精進中。
2023年04月06日SNSやオンラインゲームなど、ネット上で知り合った人と直接顔を合わせる『オフ会』。そのコミュニティの中で本人の顔写真を使用していない場合、実際に会ってみないとどんな人なのかは分かりませんよね。漫画家の直正也(@zikimasaya)さんは、初めてオフ会に参加する男性の、創作漫画を描きました。『53歳でオンラインゲームをはじめて、人生初のオフ会に参加する話』主人公は、最近オンラインゲーム始めた池田誠、53歳。オンラインゲーム上で知り合った人たちとの、人生で初めてのオフ会に、胸を躍らせます。池田誠がオンラインゲームを始めてから、1番気にかけてくれていて、仲のいい蒼。蒼に対し大人っぽい印象を抱いていた池田誠ですが、実際に会ってみると小学生でした!池田誠は、蒼が想像よりも若くて驚いたものの、いつもゲームを教えてくれていることや、そのおかげで楽しくプレイができていることに感謝を伝えます。しかし蒼は、「楽しいのは俺のおかげじゃなくて、ゲームが楽しいから」と述べ、続けて池田誠の『ゲームを楽しめる人』という個性を称賛。お互いを『人生の先輩』、『ゲーム内での先輩』と敬い合い、いい関係を築けたのでした。次にやってきたのは、ゲーム内での『優しいお姉さん』…かと思いきや?ゲーム内で、みんなのお姉さん的な存在の夢メロ子は、男性だったのです!ネット上で、実際とは異なる性別を設定するのは、よくあること。しかし、ゲーム内のイメージとのギャップを気にした夢メロ子は、挨拶だけして帰宅しようとしていました。対して池田誠と蒼は、「もっとお話ししたい!」といい、帰らないでほしいことを目で訴えかけます。夢メロ子はそんな2人を見て、オフ会から帰ることをやめたのでした。オフ会のメンバーはまだ揃っておらず、集まった3人は、いつも明るく天真爛漫な女の子である、ポテチ大好きを思い浮かべます。その時、突然目の前に、暗く重たい雰囲気をまとう男性が…。朗らかだった空気感が、一変しました。どこか怪しい男性の登場感動のラストへ(5/5)「新生活から漫画三昧っ!ナンバーナイン注目作品フェア」でオフ会の連載版やショタ化連載版やまだ名はない関係の1巻が無料です!その他の巻もセール中です! pic.twitter.com/GUbuTZvjee — 直正也@毎週日曜12時カッコイイ女の子更新 (@zikimasaya) March 21, 2023 ゲーム内とはだいぶ違った印象の、ポテチ大好き。その目から急に涙がこぼれ落ちます。ほかの3人は驚きますが、すぐにスマホでメッセージの通知が。送信者は、目の前にいる、涙を流す男性です。ごめんごめん!!みんなに会えていると思ったら感極まっちゃって涙が出ちゃっただけ!!声が小さいポテチ大好きは、素直な気持ちをメッセージで3人に送信。続けて「みんなに会えて嬉しい」ということを伝え、4人は抱きしめ合い、会えた喜びを分かち合いました。【ネットの声】・泣いちゃった…。・この感じ、オフ会の醍醐味だよなぁ。・心が温まる。・初めてオフ会した時のことを思い出した。・優しい世界…尊い…!年齢も性別も関係なく、誰もが平等にゲームを楽しむことができるのが、オンラインゲームの魅力の1つといえるでしょう。この作品の登場人物はみんな、そのことを体現していますね。人と人との絆を感じる物語に、多くの人が胸を打たれたようです。[文・構成/grape編集部]
2023年03月24日これまでプチプラでまとめ売りされている下着ばかり身に着けていた作者。しかし30歳を過ぎて初めて、かわいい下着屋でおしゃれなランジェリーを買うことに。たくさん種類がありすぎて困ってしまう作者が選んだ下着とは…?エッセイ漫画家・どてらいぬさんが描いた『おしゃれなんて怖くない!』から、下着選びのエピソードが描かれた第6回をご紹介します。30歳すぎて初めてカワイイ下着屋でパンツを買った話【おしゃれなんて怖くない!】Vol.6ファッションという大海原の中で迷子になっていた作者。自分に似合う指標を知って、迷わずにアイテムを選べるようになったのでした。今回で『おしゃれなんて怖くない!』のananwebでの連載は最終回となります。今までありがとうございました。また、別の作品でお会いしましょう。Profileどてらいぬ/エッセイ漫画家おしゃれになりたいけれど、おしゃれがわからないオタク。2018年にパーソナルカラー診断・骨格診断を受けてから、ガラリと意識が変わる。まだまだ自分なりのおしゃれを漫画や文章で模索中!作/どてらいぬ
2022年11月18日フランスで3歳半と1歳5カ月の男の子を育てている私。私は長男が2歳半になるころ、初めて地域の子育てサークルに参加しました。子育てサークルが開催されている部屋の扉を開けたとき、多種多様の家族がいてびっくり! 外国に住んでいて私自身も外国人、多国籍な環境は当たり前なはずなのに私は緊張して戸惑ってしまいました。そんな中、苦手だと思っていたママが声をかけてきてくれたのですが……。 初めての育児サークル子育てサークルの部屋の扉を開けたとき、私は自分が外国人なんだということに改めて気付かされました。参加していた家族はフランス人、アフリカ人、東欧人など見た目も文化もまったく異なる人ばかりで、アジア人は私ひとり。 私は言葉も通じるのかわからず、そのサークルのスタッフの問いかけにただ答えるだけでした。そんな中、たまたま私の横に座っていたアフリカ人のママが「今日初めて? 私も最近通い出したのよ」と声をかけてくれたのです。 アフリカ人のママ今までアフリカ系の友だちはいなかったので、普段触れ合う機会も少なかった私。肌の色も言葉も違うことが、私の中でコミュニケーションの大きな壁になっていました。話しかけてくれた彼女に私は「私も初めて。こういう場所があっていいよね」と返事をしたきり、その日はサークルが終わったのです。 正直、私は彼女の見た目の違いに圧倒されて、会話が続きませんでした。家に帰った私は「せっかく話しかけてくれた唯一のママだったのに」と少し後悔も……。 今では仲良しママ友の1人次の週、同じ子育てサークルに行くと、彼女が子どもを連れて参加していました。前回のことを後悔していたため、今度は私から「お子さんはいくつ? どこに住んでいるの?」と積極的に話しかけました。すると、彼女は変わらず愛想よく答えてくれました。 それから、サークルでよく出会うようになり、その後、お互い困ったときは助け合う仲の良いママ友の1人になったのです。私は「見た目が違っても関係ない」ということを改めて学びました。 外見の違いに圧倒されて、勝手に壁を作ってしまっていた私。しかし、実際彼女と会話をしてみると「国や文化の違いなんて関係ないんだ」ということを改めて痛感しました。私にとっては初めてのママ友。これからも大事にしていきたいと思います。また、見た目で判断せず、自分から積極的に声をかけ、ママ友がさらに増えればうれしいです。 監修/助産師 REIKO著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2022年11月18日嵐』に出ていた松本潤さん。ひと目ぼれよ(笑)。どこがよかったか?そりゃ、男は顔よ!濃い眉、スッとした鼻筋という、キリリとした顔立ちのイケメンが、あたし、大昔の大映映画のころから好きなのよ」以降、松本潤や嵐が登場する番組はすべて録画して、何度も見返すことが日課となる。こうして始まった「推し活」だったが、まさか、そんな自分の日常がSNSに上げられ、日本中の話題になるとは夢にも思っていなかった。「最初は、おばあちゃんの90歳の誕生日に、ツイッターに家族で祝ったときの写真を上げました。ただ、これは私自身の思い出のつもりでした。大好きなおばあちゃんが、90歳という大台に乗ったことのお祝い、記念として。ですから、本人にも家族にも友達にも内緒だったんです」麻咲子さんが、千恵子さんの密かなSNSデビューについて語る。3年前の4月6日のことだ。こうして、祖母が嵐や韓国ドラマに夢中になっている様子などが、孫娘によって次々とツイッターにアップされていった。なかでも多いのが韓流の話題だが、長生きの秘訣であり、80代になってハマったというその魅力について千恵子さんは、「世間で大騒ぎしていた『冬のソナタ』のヨン様のころは、あたしもまだ70代でバリバリに働いていたから、まだゆっくりドラマを見る余裕もなかったのね。最初は、『愛の不時着』のヒョンビンから。『梨泰院クラス』のパク・ソジュンも好き。韓国ドラマのどこがいいかって?美男と美女しか登場しないじゃない。そりゃ夢中になってるうちに、イヤなことなんて忘れちゃうわよ」■推しのライブに行くために、自宅からコンビニまで毎日歩いて自主トレを最近バズったのは、冒頭でも紹介したとおり、嵐の活動休止に落ち込んでいたころに新たに大ファンとなった、辰巳ゆうとの推し活のエピソード。辰巳のライブに行くために、いそいそとおしゃれなどをする様子に、多くのフォロワーが「推しがいて、応援する家族がいる。これぞ長生きの秘訣。元気をもらいました」と声を寄せた。しかし、いちばん元気になっていたのは、当の千恵子さん。裕樹子さんが、動画にはなかった義母の奮闘ぶりを語る。「ライブの1カ月前くらいから、万全の状態で臨みたいと、お義母さんは自主トレを始めたんです。うちから100m離れたコンビニまで毎日歩いて、最初は1往復に3回休んでいたのが2回になり、最後は1回になったと喜んでました。インスタを見て店まで会いに来てくれる人が増えたおかげで、義母は20歳も若返りました」千恵子さん本人は、「SNSの反響は、あたしより、ママ(裕樹子さん)のほうが心配してるの。ほら、93歳のおばあちゃんがパジャマ姿で動画に出たりするからよ。でも、あたしは、みんなが喜ぶなら気にしない。ただね、こっそり、ちょいといいパジャマに替えたりしてるけどさ(笑)」午後は韓国ドラマ、夜は松潤のドラマ三昧。目下の楽しみは来年の大河や推しのライブ。「朝6時に起きて、まずするのはお化粧。あたし、旦那との40年の生活でも、素顔を見せたことはありません。女性のたしなみね。1階に降りると、ママがご飯の支度をしてるので、その時間から午前中はユーチューブで、辰巳ゆうと君の歌を聴きます。で、午後は韓国ドラマ。今、楽しみなのは『キム秘書はいったい、なぜ?』です。うちは、居間の隣が店舗だから、お客さんが来たら、すぐに出ていけますし。5時半に夕食で、夜はネットフリックスで松潤のドラマ三昧。夢中になって、寝るのが11時を過ぎるときもあります」ただし、ニュースは見ないとのこと。「特に最近は、ロシアの戦争のことばかり。実際に戦争を体験したあたしたちには、つらすぎるんです。理屈じゃなくて、戦争はダメということは言いたい」孫の麻咲子さんも言う。「インスタにもありますが、おばあちゃんが突然、セピア色をした昔の写真を見せてくれたことがありました。祖父の軍服姿の写真もあったり。そうか、こんな時代を生きてきたんだと思うと同時に、この貴重な証言をSNSなどで残していきたいと、そんなことを考えるきっかけをもらいました」現在、インスタのフォロワー数は、約1万1000人。「おばあちゃんがパク・ソジュンさんに夢中という記事のときは、1200人だったフォロワーが一気に10倍近くになり驚きました」80代半ばから、大腸と肺のがんや狭心症で4回も手術をした千恵子さんだが、今は「SNSのおかげ」で健康を取り戻し、月に1度の内科と皮膚科への通院だけという。もちろん、目下の楽しみは、年明けからの大河ドラマや辰巳の次のライブだ。「まずは健康。元気なら、ドラマもライブも楽しめるでしょ。うれしいのは、女三代で、嫁も孫も後を継いでくれると言ってること。だから、あたしは、いくつになっても、お気楽に看板娘をやってればいいの(笑)。あとは、家族がいるから安心なのよ」SNSやこの記事で関心を持った人は、ぜひ浅草を訪ねてほしい。今日も千草屋の店先に、93歳の千恵子おばあちゃんのとびきりの笑顔がある。
2022年11月06日中村玉緒(83)が自宅付近で深夜に徘徊し警察沙汰になったと、10月13日にNEWSポストセブンが報じた。記事によると今年の7月下旬、玉緒はサンダルを片方しか履いていない状態で住宅街を歩いていたという。おぼつかない足取りで歩いていたところを近隣住民に声をかけられると「家が分からなくなっちゃった」と言い、交番まで案内されたというのだ。さらには8月中旬にも、真夜中に裸足で歩く姿が近隣住民によって目撃されていたという。記事内で玉緒は深夜徘徊について「嘘ですよ!そんなの」と否定。所属事務所は「ひとりで出歩いていたことは事実ですが、裸足ではありませんでした。交番の件も、ひとりで出歩いていたのを見た警官のかたが心配して声をかけてくださったとのことです」と回答している。今年2月の節分には大本山増上寺で行われた豆まきに艶やかな赤紫の羽織はかま姿で参加して、はつらつとした笑顔をのぞかせていた玉緒。一体どうして、今回のような“深夜徘徊による警察沙汰”が起こってしまったのか。実は現在、彼女はひとりで暮らしているのだ。これまでは付き人も務めていた長女・Aさん(58)と部屋こそ違うものの、同じマンションで暮らしていた珠緒。だが本誌は昨年10月、玉緒がその“同居”を解消して別のマンションに一人で引っ越していたことを報じた。1962年、玉緒は勝新太郎さん(享年65)と結婚。夫の倒産劇や大麻事件など多くの騒動にもめげず、Aさんと長男の鴈龍さん(享年55)を育て上げた。だが2019年、鴈龍さんは暮らしていた名古屋の部屋で急性心不全のため「孤独死」してしまう。「玉緒さんにとって、息子・鴈龍さんを一人前の俳優にすることは長年の悲願でした。制作サイドに頭を下げて回り、バラエティ番組や舞台に一緒に出演させるなど、心を砕いてきました。でも、鴈龍さんはなかなか役者として成功をつかめず、晩年は仕事もなく、経済的にも玉緒さんの援助に頼り切りになっていた。2017年ごろに、玉緒さんは援助をやめたのです。悲劇はその後に起こりました。援助の打ち切りについては玉緒さんとAさんに温度差がありました。鴈龍さんがそのまま亡くなってしまったことが、Aさんとの母娘関係に不協和音を生んだのかもしれません。鴈龍さんの死後、母娘の間で意見や感情の食い違いが見られるようになり、言い争いなどが増えるようになったのです。ちょうど春にも、Aさんが住むマンションのローン返済も終えていたところでした。そして2人で話し合い、玉緒さんが家を出るという結論になったと……」(中村家の知人)本誌が昨年10月に直撃した際、Aさんはこう別居を認めていた。「本人(玉緒)が越したがったから、『どうぞ』と……。別に何もないです」母娘の不仲を否定していたが、その口調は淡々としたものだった。さらに本誌は今年2月、Aさんが電撃再婚していたことを報じた。お相手は玉緒の麻雀仲間で元運転手のBさんだった。「Bさんが雇い主の玉緒さんよりもAさんを優先するようになっていったことで、この2人と玉緒さんの間には、少しずつ溝ができるようになっていったんです」(玉緒母娘の知人)そうして83歳にして孤独を深めていった結果、今回の深夜徘徊騒動へと至った玉緒。前出のポストセブンの記事によるとAさんは玉緒のマンションを訪れてはいるが、本人に会うことはないという。母と娘の間にできた溝は、あまりにも深いーー。
2022年10月14日息子の担当はゆったりとした大ベテラン先生Upload By カタバミまちゃがほぼ2歳半のとき、発達センターで臨床心理士に検査をされたあとで小児科の先生の部屋に入り、いよいよ診察されることになりました。担当の先生はお年を召した大ベテランで優しそうな方でした。息子の日ごろの家での様子を聞かれました。発達検査が10時からで診察室に入ったのはもうお昼に近かったので、息子が空腹でぐずらないか心配でしたが、入ってすぐに大人しく部屋の隅にあったブロックで遊び始めてくれました。診察の最後、まちゃの行動にベテラン先生は⁉︎Upload By カタバミ初めに違和感を抱いたのは「息子さんはスイッチが大好きでしょ」という質問でした。エレベーターのボタンなどが好きなお子さんも多いと思いますが、まちゃそんなことはありません。「そんなことはありません」と正直に答えましたが、そのあと何度も同じことを聞かれました。次に「偏食でしょ。野菜とか苦手だよね」これにも「柔らかく煮れば白菜などはよく食べます」と正直に答えました。「話しても喃語だよね」という先生の問いに「たまにですが単語が出ます」と答える私。私はとにかく正直にまちゃの現状を伝えてしっかり診察してほしかったのです。そのあとおもちゃに飽きたまちゃがやって来て、先生の胸ポケットにたくさんささっていたペンを欲しがり、手を伸ばしました。先生は「これは尖っていて危ないよ」と言ってペンを手で覆い、まちゃが「うわ〜ん」と言いながらゴロンと横になった瞬間「あ!これは癇癪ですよ!これは癇癪です!」と言いながら卓上のメモに何かを書き加えました。私は(これが癇癪?空腹で機嫌が悪いときに欲しい物が手に入らないから怒ったんじゃないの?)と不思議に思いました。ベテラン先生から下された診断名。モヤモヤは増すばかりUpload By カタバミ先生は診察の最後に卓上で書いていたメモ用紙にご自身の判子を押して私に渡しました。そこには「言葉の遅れ(喃語のレベル)、癇癪、自分の興味に向かって動く、マイペース、視線合いにくい、偏食、睡眠障害、発達が横ばい → 自閉スペクトラム症 → 療育」と書いてあり、そのあと幼い子への薬の飲ませ方の工夫について詳しく説明されました。まちゃが治るならと私も必死で聞きました。帰宅後は大ショックでぼんやりしていましたが、処方された薬を言われた通りチョコレートの中に埋めて固めて飲ませました。夫に今日の診察でどう感じたか聞いてみたところ「「君と先生は本当に話がかみ合っていなかったね。俺も口には出さなかったけど、先生の話にはあまり同意できなかったな」と言い、私は先生の質問はまちゃに当てはまらないことも多かったと話しました。担当の先生へのモヤモヤは何日経っても消えませんでした。後日、相談すると…お子さんを発達センターに通わせていた先輩ママに相談したところ、希望すれば担当の先生をかえてもらえることと、ベテラン先生はとてもクセが強いので好き嫌いが分かれることを教えてもらえました。そこで検査をしてくれた臨床心理士に相談し、先生はかえてもらえることになりました。後日、まちゃが発達センターに行くことをすすめてくれた育児支援センターで「カタバミさんごめんなさい。まちゃ君の担当の先生のことを詳しくしらないのにすすめてしまいました」と謝られました。そのときに聞いたほかのママたちが先生に言われたことは私が言われたことよりもさらに驚く内容でした。新たに担当していただいた先生は私への質問も説明も丁寧でまちゃへの投薬はなくなり、私も納得した上で改めて療育が始まりました。Upload By カタバミ最初に診察してくれたベテラン先生の診断通り、まちゃには自閉スペクトラム症がありました。でもこの経験から私は、どんなに肩書きのある方でも、親が違和感や苦痛を覚えるなら"子どもの為に"と我慢して1人で抱え込まずに、いろいろな方の意見を聞いてほかの先生を探しても良いのではないかとお伝えしたいです。執筆/カタバミ(監修:藤井先生より)今後のまちゃさんの成長をみていく上で、カタバミさんが1人にならずに、周りに相談していくことは大事ですね。医師に対して感じた違和感を無視せずに、行動されたことはとても良かったと思います。これからも、医師とだけでなく、療育スタッフ、園の先生、学校の先生など、今後いろいろな方と相談することがあるかと思いますが、困ったときには、ほかの人の意見を聞くことで、別の視点を持つことができることもありますね。
2022年10月06日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子をもつ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談をご紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送ることができたことにとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院をして、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。けれども時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかった瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親に作ってもらっていたごはんを自分で作る練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけないものを保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張ることができました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けることができ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったです。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れていると思います。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ムチコ監修/助産師 松田玲子著者:河村アリス7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。
2022年08月23日現在3歳になる娘を産んだときの話です。初めての出産を控えて、不安でいっぱいだった私。しかし実際は、不安に思っていたことが嘘のように、むしろ「気持ちよかった!」と感じるほどの経験となりました。そんな、私にとって人生で一番感動的な出来事となった出産の体験談です。※コロナ禍前の体験談です 陣痛開始~入院妊娠39週4日目の朝6時、不規則なおなかの張りで目が覚めました。「これは陣痛かな?」と半信半疑で、一応陣痛アプリで間隔を測るものの、間隔はバラバラ。午前中は約20分おきにやってくる痛みに耐えつつ、作り置きのおかずを作ったり、入院バッグの中身を確認したりして過ごしていました。 このときは痛みが続く時間は1分程度。痛くなったら立ち止まり、「もうすぐ会えるのかな?」と赤ちゃんに話しかけてやり過ごしました。そして15時ごろ、一気に陣痛が8分間隔になり、慌てて病院に電話。夫に車で送ってもらいました。 いきみ逃しは呼吸に集中!病院に着いて内診を受けると、子宮口は4cm開いているとのことで、そのまま入院となりました。陣痛が来ない時間は楽しく夫と喋ることができました。そして陣痛がきたら、ひたすら呼吸に集中します。心がけていたのは、長く細く息を吐くこと。助産師さんからは、妊娠33週ごろに参加した出産教室で、5m先のろうそくをそっと消すイメージでと言われていました。 そして赤ちゃんのことを想像し、「じょうずだよ〜。ゆっくり出ておいで。怖くないよ。もうすぐ会えるかな? 楽しみだね。お母さんは痛くないよ」など、赤ちゃんを応援をする声かけをしていました。その間、立ち会いをしていた夫には手を握ってもらったり、うちわで扇いでもらったりなどのサポートをお願いしました。 出産は人生最大の感動的な出来事になったそうやって呼吸と声かけをしていると、だんだん陣痛が赤ちゃんとの対話のように感じられるようになりました。「赤ちゃんが話しかけている」と思うと、痛みはあるものの愛しく思えて、あまり苦になりませんでした。 「よく叫ばないで平気ね」と助産師さんに驚かれたほどです。そして20時ごろ、娘を無事出産することができました。産後すぐ、立ち会った夫に「気持ちよかった!」と言ったことは今でもはっきり覚えています。 私の場合、リラックスした出産シーンをひたすら思い浮かべて呼吸と声かけに集中したことが、「気持ちよかった!」と思える出産に繋がったのだと思います。そして第二子も同様に実践した結果、陣痛から出産まで慌てることなく、リラックスして産むことができました。この経験から、自分に合ったリラックス法を知ることがとても大切だなと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:佐藤ちえみ京都在住、2児の母。おしゃべりが大好きな3歳娘と、よちよち歩きの1歳息子に癒やされる日々を送る。育児や京都観光のジャンルを中心に、フリーのライターとして活動中。
2022年08月05日実録!40代婦人科トラブル第83話。Michikaさんは中2、小4、小3の三姉妹を育てる母。しかし40代になって久々に受けた健康診断で大きくなり過ぎた子宮筋腫が判明し、2020年の年末に子宮を全摘されたそうです。子宮内膜症でもあったというMichikaさんの手術までの日々をマンガでつづります。【医師監修】「同じような病気で悩んでいる誰かのお役に立てれば」という気持ちで、描き始めたというMichikaさん。婦人科の病は、女性なら他人事とは思えませんね。 Michikaです。こちらは2020年末に子宮筋腫の治療で子宮を全摘出した体験を元に書き起こしたオリジナル漫画です。病気治療記と言っても、専門的な知識があるわけではない素人の主観的な記録です。実際に体調に不安のある方の治療のきっかけや不安の解消に繋がれば幸いではありますが、参考程度にしていただき、必要な方はちゃんと病院に行って診てもらってくださいね。 ※実際にはマスクをしている場面も、イラストでは省略しています。 実録!40代婦人科トラブル第83話 入院5日目、術後3日目。 今日もひたすら歩きます。 廊下のどんつきのガラスドアはスモークがかかっていたので、近隣のビルの上層階と空だけが見える感じで。余計になんだか外の世界が遠く感じました。 手術からはや3日。ふと見た天気のいい空に、外が恋しくなったMichikaさん。術後のあれこれを乗り越えて、ついに病棟から出てみることに! 行き先は院内のコンビニ。たった3日とはいえ、閉ざされた場所で生活していると、コンビニだってワクワクしちゃいますよね。そして、Michikaさんはこのコンビニであることに気づくのです。 84話に続きます。 医療監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック 院長) ※この漫画は実話に基づいた体験談であり、ベビーカレンダー編集部を通して、婦人科医の監修を受けた記事です。ただし、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 Michikaさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター Michika横浜に暮らす中2、小4、小3の三姉妹の母。ブログやInstagramで、漫画やイラストを描いてます。
2022年04月14日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第83話。和田さんが入院中に持って行って一切、使わなかったある物とは?前々回、入院中必要になった物について描きました。逆に「コレはいらなかった!」という物もあります。それがこちらです。 「ママならぬ日々」第83話 出産直後は頭の回路がショートしたみたいになっていて、いつもしないような間違いを連発していました。押して開けるドアを一生懸命引いて、ドアに鍵がかかってしまったと看護師さんに言ってみたり、歯磨きのあとでなぜかお茶で口をすすいでしまったり。その後は昼も夜も赤ちゃんのお世話。おっぱいマッサージを欠かさず、よく食べ、時間が少しでもできれば眠り、何かハードなスポーツの強化合宿のような感じ。 「赤ちゃんが寝ている間のちょっとしたスキマ時間に読もう♪」そう思って持ってきた文庫本ですが、私の場合「赤ちゃんが寝ている時間」=「私が寝ている時間」だったので、そんなスキマ時間など存在しませんでした(笑)。結局、本は一度も手に取られることなく、トランクの片隅で邪魔になっていただけ。ホント、私にはいらない物だった〜! 監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月20日「40歳独身で乳がんになりました」第23話。40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさん。初めて抗がんを剤与した夜、何だか手足が熱くなり……。さらに48時間後には強烈な痛みが襲ってきて……。初めて抗がん剤を投与した夜、何だか手足が熱く、熱がこもっているような感じがしました(2020年初夏のできごとです)。その夜は、1〜2時間おきに汗をビッショリとかいて目覚め、眠りたいのに眠れない。今まではどんな悩みがあっても睡眠だけは取れるタイプだったのですが、がん告知以来、寝汗をかくことが増えてぐっすり眠ることができなくなっていました。翌日は5時半に起床。思ったよりも食事が食べられなかったり、体がだるくて重く感じたりしたけれど、 初めてのことで、どのくらいのレベルなのかわからない。でも、好調ではないけれど、思っていたほどでもなかったので、「私、副作用軽いかも〜」と思っていました。ですが、昼ごろに胃の上あたりの痛みが増してきて……。始めは生理の影響かと思ったのですが、夕方にはかきむしりたくなるような胸の不快感と、胃をひねられているような強烈な痛みが……!まさか、胃痛があるとは思わず……。かなりうろたえました。抗がん剤投与から約48時間後のできごとでした。激しい胃痛の原因は何だったのか……次回に続きます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年03月19日冴島(@ontine9neo)さんは、娘さんが1歳だった時、飲食店の店員からかけられた言葉が忘れられないそうです。当時、初めて娘さんと2人きりで外食をした、冴島さん。1歳の娘さんは、手で食べたり、ご飯をテーブルに散らかしたりしていました。冴島さんは、周囲の人々から「あの親子、行儀が悪いな」と思われているのではと、羞恥心や恐怖心を感じたといいます。そのため、冴島さんは娘さんに対し「もー!散らかしちゃだめだよ!」「なんでそんな食べ方するの」と大げさにいっていました。すると、店員が、娘さんに話しかけるように、声をかけてくれたのです。そんなこといわれても困るよねぇ?この食べ方がいいんだもんね!「これが私の食べ方よ!」って、みんなに見せちゃえ!ゆっくり食べてね。また、店員は、最後に冴島さんにも声をかけてくれました。ママも大丈夫よ。娘が1歳の時、用事があり出かけた先で初めて2人きりで外食した。娘は手で食べたりご飯をテーブルに散らかしたりしてしまい、私はその度に恥ずかしくて大袈裟に「もー!散らかしちゃダメだよー!」「なんでそんな食べ方するのー」と娘に話しかけた。周りの目が怖かった。「あの親子、行儀が悪いね」→— 冴島∞オンティーヌ依子 (@ontine9neo) March 9, 2022 誰からも非難の声をかけられていなかったものの、周囲の目が気になり、娘さんを過剰に大人しくさせなければと思っていたという、冴島さん。店員に声をかけられたことで、疑心暗鬼になっていた心が晴れ、心底ホッとしたといいます。この投稿には、さまざまな声が寄せられました。・店員さん、神対応すぎ。最後にひと言「ママも大丈夫よ」っていうのがかっこいい…。・素敵な店員さんですね。店で、子供を厳しく叱る親を見ると「ええんやで」って思うけど、なかなか言葉にできないな。・やりたい放題にさせるのは間違っている。けれど、過剰に厳しくするのも違うよね。・小さい子にお行儀よく食べさせるのは難しい。なので、後片付けをしたり、店員にあらかじめ謝ったりしています。冴島さんは、最後に「もちろん、マナーは大切だけれど、小さい子供の親が必要以上に申し訳なさを感じないように、店員さんのように振る舞いたい」ともつづりました。飲食店で食事をする客には、それぞれ違った事情があるでしょう。互いに優しい気持ちで接することができるといいですね。投稿の全文はこちら娘が1歳の時、用事があり出かけた先で初めて2人きりで外食した。娘は手で食べたりご飯をテーブルに散らかしたりしてしまい、私はその度に恥ずかしくて大袈裟に「もー!散らかしちゃダメだよー!」「なんでそんな食べ方するのー」と娘に話しかけた。周りの目が怖かった。「あの親子、行儀が悪いね」→— 冴島∞オンティーヌ依子 (@ontine9neo) March 9, 2022 とみんなに思われている気がした。すると店員さんが「そんなこと言われても困るよねぇ?わたしはこの食べ方がいいんだもんね!これが私の食べ方よ!てみんなに見せちゃえ!ゆっくり食べてね。ママも大丈夫よ」と大きな声で言ってくださった。その瞬間、見えていた世界がすごく優しいものに変わった→— 冴島∞オンティーヌ依子 (@ontine9neo) March 9, 2022 誰も非難する言葉なんてかけてないのに、私は勝手にビクビクして、過剰に娘を大人しくさせね思っていた。どんなにホッとしたか。もちろんマナーは大切なんだけど、小さなお子さんを抱えたご家庭が必要以上に申し訳なさを感じないように、今度は私があの店員さんの役を担いたい。— 冴島∞オンティーヌ依子 (@ontine9neo) March 9, 2022 [文・構成/grape編集部]
2022年03月13日TikTokに、83歳になる祖母の日常を投稿している、yumi..325さん。祖母が住む地域には、スーパーマーケットが1軒もないといい、代わりに魚を販売しているトラックが週に1回来るのだそうです。普段、魚を買う機会が少ないのは祖母だけではありません。周囲の住民に知らせようと、祖母は…。@yumi..325 去年#疲労骨折#スーパーがない村#魚屋#おばあちゃん#83歳#トラックの移動販売#全力ダッシュ#さっきまで炬燵 ♬ Athletic Meet "Heaven and Hell" (No Introduction) - Shinonomeダッシュしながら、周囲にトラックが来たことを知らせる祖母。その間にも、トラックは走り続けていますが、投稿者さんによると、祖母は無事に魚を購入できたといいます。どうやら、トラックの運転手が祖母に気付き、道路を曲がった角で待っていたそうです。走ってトラックを追いかける祖母に対し、「元気で健康的」と驚く声が相次いでいます。・みんなで協力する関係が素敵。ありがたい存在だろうね。・元気の秘訣なのかもしれない…。自分だったら追いかける気がしない!・自分も同じように店が少ない地域に住んでいるから、この人の気持ちが分かる。店が少ない地域に住んでいたり、運転免許証を返納したりした人にとって欠かせない移動販売車。そうした場所だからこそ、助け合いの心が大事なのでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年03月01日「僕と帰ってこない妻」第83話。夫が妊娠・出産・育児について理解しようとせず、すべて妻任せにして以来、夫に対して苛立ちが募り、失望を重ね、日に日に冷めていく妻。妻が娘を保育園に預けて、復職を考えていることをと知った夫。でも、復職なんてまだ早い…赤ちゃんはお母さんといたほうがいいに決まっている。 復職を考え直してもらおうと「雪穂は母親なんだから、近くにいてあげないと!」と伝えると、妻の顔色が変わって……。 「僕と帰ってこない妻」第83話 「いいね、カズくんは"父親"だから、飲みに行きたいときに行って、休日にゴルフ行けて」 「なのに、私はずっと家にいろってこと?」 妻の言葉に、飲みもゴルフも仕事、これが出世への一番の近道だと言い張る夫。 「じゃあ、いつ出世するの?給料どれくらい上がるの?」 自分は「娘のため」「家族のため」を口実に、休日だって自由に出かけるのに、「母親だから」家でずっと家事と育児だけしておけ、ということ? 本当に「家族のため」になっているとでも思っているの?こんなにずっと我慢ばかりの毎日を過ごしてるのに……? 「俺のおかげでこうやって過ごせてるわけで、雪穂もその恩恵は受けてるじゃん」 この言葉を聞いて、ついに妻がキレた! そして……。 著者:イラストレーター ちなきち都内在住の会社員。「結局、一番怖いのは人間だよね」というテーマで、エッセイ漫画を描いています。ベビーカレンダーでは実話「その人って、本当にママ友ですか?」「夫が消えました」を短期連載。
2022年01月04日