丈夫なことでも有名なドイツの老舗クリスタルブランド「SCHOTT ZWIESEL(ショット・ツヴィーゼル)」から、秋のボージョレ解禁に合わせておすすめしたい新作グラスが登場した。ショット・ツヴィーゼルのグラスの中でも特に人気の「VINA(ヴィーニャ)」シリーズから今回登場したのは、爽やかな酸味と軽くフルーティーな味わいが特徴のボージョレを楽しむために作られたグラス「ボージョレ」。秋の風物詩としてなじみ深いボージョレワインは、ガメイとよばれる葡萄品種100%で作られる果実味の豊かさが特徴で、基本的には飲み口部分が大きめで丸みのあるグラスが適しているとされる。今回登場の「ボージョレ」は、ショット・ツヴィーゼルならではのすっきりとした優しい丸みと、こだわりの“大きすぎないボウル”の形状で、ボージョレ特有のフレッシュな味わいや独特の深みと香りを最大限に引き出してくれるというワインラバーにはたまらないアイテムだ。ボージョレワインの新酒(ボージョレ・ヌーヴォー)の解禁は11月の第三木曜日(今年は11月17日)。基本的にボージョレは軽い飲み口なので、ワイン好きのママたちの集まりに、マイグラスを持参して集まるパーティーを企画しても楽しそう。高級感たっぷりのクリスタル製ワイングラスだけど、一脚あたり¥1,785と思っている以上にリーズナブルなので、マイグラスとしてまずはこの機会に入門してみては?お問い合わせ:ツヴィーゼル・ブティック代官山 Tel. 03-3770-3553取材/松浦明
2011年10月14日現在発売中の雑誌「Vanity Fair」アメリカ版8月号に、5月29日に亡くなったデニス・ホッパーの生前最後のインタビューが掲載されており、そこでホッパーは係争中だった妻のヴィクトリア・ダフィとの離婚について「大きなショックだった」と語った。昨秋に前立腺がんを患っていることが判明し、余命を告知されながら闘病中に離婚を申請したホッパーは「こんな健康状態の私が離婚しようとしているなんて想像を絶する話だ。大変なショックだったよ」と、破局が大きなストレスになっていたことを明かした。ヴィクトリア夫人はホッパーの5番目の妻で、14年間の結婚生活の間に娘1人をもうけているが、ホッパーが元妻たちの間にもうけた3人の子供と不和があったらしい。ヴィクトリア夫人は裁判で、彼らがホッパーをそそのかして遺産相続をさせないようにしようとしたと発言している。離婚の話だけではなく、役者のキャリアもふり返ったホッパーは自身の出演作のベストとして『ブルー・ベルベット』を挙げた。映画監督や写真家としての才能にも恵まれたが、「私の稼ぎは役者としてのものだったし、演じることは好きだ。だから私は役者だ」と語った。(text:Yuki Tominaga)© Splash/AFLO■関連作品:エレジー 2009年1月24日よりシャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて公開© 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.■関連記事:思い出の地で執り行われたデニス・ホッパーの葬儀にジャック・ニコルソンら参列闘病中だったデニス・ホッパーが前立腺がんの合併症で死去末期がん闘病で余命わずかと宣告されたデニス・ホッパー、念願のハリウッド殿堂入りペネロペ・クルスを新たな高みに導いた『エレジー』 イサベル・コイシェが描く恐怖年齢差30歳の男女が織り成す愛の傑作『エレジー』試写会に15組30名様をご招待
2010年07月01日先月29日に前立腺がんの合併症のため74歳で亡くなったデニス・ホッパーの葬儀が2日(現地時間)、ニューメキシコ州タオスの聖フランシスコ教会で執り行われ、家族やジャック・ニコルソンやピーター・フォンダ、ヴァル・キルマーら友人が参列した。シンプルな木製の棺に眠るホッパーと最後のお別れをしたジャック・ニコルソンは、故人との友情について「非凡な関係だった。ほかの誰とも築けないものだ。私たちはある意味、ソウルメイトだった」と語り、「本当に寂しいよ」と付け加えた。葬儀ではホッパーの息子で、ガス・ヴァン・サント監督の最新作『レストレス』(原題)に主演しているヘンリー・ホッパーがウォルト・ホイットマンの「草の葉」から詩を朗読すると、参列者からすすり泣きが聞こえたという。タオスは、ホッパーが1969年に監督・主演し、ニコルソン、フォンダが共演した『イージー・ライダー』の撮影場所であり、80年代前半まで12年間暮らしていたこともある。数か月前に子供たちとタオスを訪れたというホッパーは、ここに埋葬してほしい、と家族に遺言を残していたそうだ。(text:Yuki Tominaga)© Splash/AFLO■関連作品:エレジー 2009年1月24日よりシャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて公開© 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.ヘルライド 2009年1月17日よりシアターN渋谷、銀座シネパトス、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 The Weinstein Company,LLC.All rights reserved.■関連記事:闘病中だったデニス・ホッパーが前立腺がんの合併症で死去末期がん闘病で余命わずかと宣告されたデニス・ホッパー、念願のハリウッド殿堂入り「妻に看取られたくない」!?がん闘病中のデニス・ホッパーが離婚申請ペネロペ・クルスを新たな高みに導いた『エレジー』 イサベル・コイシェが描く恐怖年齢差30歳の男女が織り成す愛の傑作『エレジー』試写会に15組30名様をご招待
2010年06月04日末期がんで闘病中だったデニス・ホッパーが29日午前(現地時間)、前立腺がんの合併症により、ロサンゼルスの自宅で死去した。享年74。友人のアレックス・ヒッツさんによると、ホッパーはベニス・ビーチの自宅で29日午前8時15分、家族や友人らに見守られながら息を引き取ったという。1950年代から俳優として活躍し、『理由なき反抗』、『ジャイアンツ』でジェームズ・ディーンと共演、1969年には『イージー・ライダー』で監督・脚本・出演を兼ね、アカデミー賞の脚本賞候補となった。その後、アルコールとドラッグに溺れてキャリアは低迷したが、依存症を克服して、1986年の『勝利への旅立ち』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。反骨精神旺盛な俳優、監督として活躍を続ける一方、私生活では5度の結婚で4人の子供をもうけたが、昨年10月に体調不良を訴えて入院したところ、前立腺がんと診断された。その時点で転移が確認され、余命宣告も受けたホッパーは今年1月にヴィクトリア夫人との離婚を申請、4月にはヴィクトリア夫人にホッパーへの接近禁止命令が出ていた。『イージー・ライダー』に主演した盟友、ピーター・フォンダは「デニスは私にポップ・アートと、“失われた映画”の世界を教えてくれた。私たちはアメリカのハイウェイをバイクで乗り回し、ハリウッドで作られる映画の在り方を変えた。私は彼の情熱と友情に恵まれていた」とコメントを発表、90年の監督作『ホット・スポット』でヒロインを演じたヴァージニア・マドセンは「さよなら、デニス。あなたから沢山のことを学びました」とTwitter上で追悼をつぶやいた。今年3月にハリウッドの殿堂入りを果たし、わが子たちや親友のジャック・ニコルソンに囲まれて授賞式に出席したのが公の場に姿を現した最後だった。(text:Yuki Tominaga)写真はアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた『勝利への旅立ち』より主演のジーン・ハックマンとの一幕。© Everett Collection/AFLO■関連作品:エレジー 2009年1月24日よりシャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて公開© 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.ヘルライド 2009年1月17日よりシアターN渋谷、銀座シネパトス、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 The Weinstein Company,LLC.All rights reserved.■関連記事:末期がん闘病で余命わずかと宣告されたデニス・ホッパー、念願のハリウッド殿堂入り「妻に看取られたくない」!?がん闘病中のデニス・ホッパーが離婚申請ペネロペ・クルスを新たな高みに導いた『エレジー』 イサベル・コイシェが描く恐怖年齢差30歳の男女が織り成す愛の傑作『エレジー』試写会に15組30名様をご招待映画賞レースもいよいよスタート!インディーズ映画のゴッサム映画賞授賞式が開催
2010年05月31日末期がんで闘病中のデニス・ホッパーが、余命わずかとささやかれる中、ハリウッドの殿堂「ウォーク・オブ・フェイム」の星を授与され、26日に行われた授与式に出席した。現在5人目の妻のヴィクトリア・ダフィと離婚訴訟中のホッパーは昨年前立腺がんを患っていることを公表したが、その後、転移が進み、担当医は今後回復の見込みはないと診断している。このため、数日前に行われた離婚裁判への出廷にはドクターストップがかかったが、栄誉を讃えられる授与式への出席という経験はポジティブな方向に働くとの判断で、出席にゴーサインが出た。ホッパーの名前が刻まれた星型プレートを設置したハリウッドのエジプシアン・シアターの前には、1969年のホッパー監督・出演作『イージー・ライダー』で共演したジャック・ニコルソン、ヴィゴ・モーテンセン、デヴィッド・リンチ、ドワイト・ヨーカムら友人が駆けつけた。ニコルソンは『イージー・ライダー』をモチーフにした柄のシャツを着て、盟友の肩を抱き、祝福の言葉をかけた。ホッパーはスピーチで「今日ここに私が招待した人々も、そして招待しなかった人々も言うまでもなく、私の人生をとてつもなく豊かなものにしてくれました」と半生をふり返り、「私は全てをハリウッドから学びました。ここは私のホームであり、学校でもあった。みなさんを愛しています。ただ、ありがとうと言いたい。(殿堂入りは)私にとって本当に大きな意味のあることです。みなさん、本当にありがとう」と心から感謝の言葉を述べた。闘病の結果、体重が100ポンド(約45キロ)を切ったというホッパーは弱々しい姿だったが、45分間のセレモニーの間は自力で歩き、過去の結婚でもうけた子供たちや孫や友人に囲まれ、幸せそうな笑顔を絶やさなかった。ちなみに額と右手に包帯が巻かれていたが、これは彼の前に飛び出してきたパパラッチとぶつかって転倒したため。「顔から倒れ込んだんだ。手には眼鏡を持っていたし、大変なことになっちゃったよ」と本人は苦笑いしながら語っていた。両親は離婚係争中でも、7歳の娘は大好きなパパに抱きついて記念撮影。ハリウッドの悪童で鳴らした老優が愛娘を見つめる瞳は、優しく澄んでいた。(text:Yuki Tominaga)© REUTERS/AFLO■関連作品:エレジー 2009年1月24日よりシャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて公開© 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.■関連記事:ペネロペ・クルスを新たな高みに導いた『エレジー』 イサベル・コイシェが描く恐怖年齢差30歳の男女が織り成す愛の傑作『エレジー』試写会に15組30名様をご招待映画賞レースもいよいよスタート!インディーズ映画のゴッサム映画賞授賞式が開催【TIFFレポート31】ペネロペの一押しで傑作ラブストーリーを映画化『エレジー』
2010年03月29日昨秋、前立腺がんで闘病中であることを公表したデニス・ホッパーが、約14年間連れ添ったヴィクトリア夫人との離婚を申請したことを明らかにした。73歳のホッパーにとって5人目の妻であるヴィクトリアとの離婚の理由は、先週木曜(14日)にホッパーが提出した申請書によれば「和解しがたい性格の不一致」。申請書には夫妻が別居した日付も記入するが、それによると別居したのは申請書提出の2日前の火曜日だという。発表された声明でホッパーは「ヴィクトリアの幸せを祈る。だが、この辛い時期にそばにいてもらいたいのはわが子たちと親しい友人だけだ」と、闘病生活をヴィクトリアさんと過ごしたくない意思を綴った。ホッパーとヴィクトリアは1996年に結婚、2003年に娘が誕生していて、過去の妻たちの間にも3人の子供がいる。最初の結婚で生まれた娘のマリンさんは「デニスは勇敢よ。すごく困難な闘いに挑んでいる」と父の闘病について語っている。ホッパーの広報担当者は、夫妻の間にトラブルがあり、がんが骨に転移し余命わずかと言われるホッパーが静かな生活を望んでいることが離婚申請につながったと説明。夫妻は資産の取り扱いなど、婚前契約を交わしていたため、財産分与に離婚による変化は生じないという。(text:Yuki Tominaga)© Splash/AFLO■関連作品:ヘルライド 2009年1月17日よりシアターN渋谷、銀座シネパトス、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 The Weinstein Company,LLC.All rights reserved.
2010年01月20日