振り返れば、昭和の終わりとともに『ひょうきん族』が幕を閉じ、ダウンタウンやウッチャンナンチャンらお笑い第三世代が中心に。そして昨年はハナコに霜降り明星と若手が躍進。これからの笑いはどうなる!?『東京ポッド許可局』の3人が、お笑い界を総括します。M-1がきっかけで、お笑いはスポーツへと進化した。プチ鹿島:平成元年が1989年だから、平成の初期は‘90年代ですね。サンキュータツオ:‘90年代は間違いなくダウンタウンでしょう。マキタスポーツ:前にPK(=プチ鹿島)が、ダウンタウンの笑いを格闘技になぞらえてリアル路線って言ってたよね。鹿島:ダウンタウンもそうだし、バラエティ番組も‘90年代はファンタジーからリアルへ向かっていった時代でしたよね。それ以前の芸人って、戦後から続く昭和の演芸文化を通過してきた人たちだったでしょう。タツオ:(明石家)さんまさんも落語家に弟子入りしたところからキャリアがスタートしてますし。マキタ:(ビート)たけしさんもストリップ劇場から出てきた人だしね。鹿島:それまでの笑いは演芸としてショーアップされたものだったのが、ダウンタウンが出てきたことによって、街で一番ケンカが強いやつが勝つストリートファイトになった。マキタ:芸能界の先輩はもちろん、プロ野球選手だろうがお相撲さんだろうがメッタメタに殴るスタイル。タツオ:関西のストリート上がりがダウンタウンだとしたら、関東にはとんねるずがいて。鹿島:もうめちゃくちゃリアルだよ。タツオ:そういったリアル路線の10年を経て、‘01年に『M-1グランプリ』が始まって競技化しました。マキタ:M-1を機に、笑いが採点式のスポーツになった。タツオ:一般の人が笑いを審査する『爆笑オンエアバトル』が盛り上がったり、‘03年には『エンタの神様』、‘04 年には『笑いの金メダル』と、お笑いを競技として楽しむ番組もどんどん出てきて。鹿島:競技化と並行するように、‘02年頃に大衆的な芸風でダンディ坂野さんが人気者になったでしょう。あのときお笑いが民主化されたなって思った。それまでは特別な人にしか許されていなかったのが、一気に開かれた感じ。マキタ:お笑いが会員制からオープン制になったんだ。鹿島:視聴者からの投稿を紹介する『爆笑問題のバク天!』(‘03年~)からアンガールズやレイザーラモンが出てきたりもしましたし。マキタ:その頃に、よしもと以外の事務所の養成所にも人が集まるようになって、お笑いが学校化したよね。鹿島:学校で勉強するって、わかりやすい民主化の表れですよね。マキタ:それまで素人と玄人の境界がはっきりあったのが、ベルリンの壁が崩壊したみたいに、民主化とオープン化が進み、学校を出たチルドレンたちがどんどん登場して、整ったフォーマットに従って誰でも参加できて能力を発揮できるようになった。お笑い史にとって‘00年代最大の変革はそれじゃないかな。鹿島:だからM-1で一夜にしてスターが誕生するのもそうだし、お笑いに夢があったんですよね。マキタ:夢あった。‘07年のサンドウィッチマンとか、ドラマティックだったし、センセーショナルだったよ。タツオ:10年ごとにまとめると、異能のお笑い怪獣たちの‘90年代、競技を勝ち抜いたスター選手たちの‘00年代、そして民主化されたことで誰もがお笑いに参加できるようになった‘10年代っていう感じですかね。鹿島:笑い飯が優勝してM-1が一度幕引きをしたのって何年だっけ?タツオ:‘10年ですね。高度に発達したお笑いマナー、揺り戻しとしての裸芸。鹿島:やっぱりそうか。このあたりから下克上が通用しなくなってる。タツオ:『キングオブコント』や『R-1ぐらんぷり』で優勝しても、まだバイト辞められないですからね。マキタ:芸能界をコンビニでたとえると、優勝したくらいじゃ定番商品として並べてくれない。タツオ:一応は新商品として短期間は陳列してくれるけど、棚のほとんどがロングセラーでいっぱいだから。鹿島:それは夢ないなー。マキタ:側(がわ)じゃなくて質のほうの話をすると、やっぱりダウンタウンは確実に世間のお笑いレベルを引き上げたと思う。レベルというか、解像度っていうのかな。民主化にも繋がることだけど、中学生とか高校生にまでお笑い用語を浸透させた。タツオ:ツッコミとかボケとか、オチとかフリとかね。鹿島:大きく言えば関西のノリ。専門用語や関西弁の言葉はもちろん、笑いの文化を一般的なものにしたね。マキタ:さんまさんの影響もあるとは思うんだけど。ほら、『笑っていいとも!』でタモリさんに「そこは拾わんとアカンやろ~」とかってしつこく言って、タモリさんがうっとうしそうにイヤがるっていうやつ。鹿島:くやしそうに「いまのはひと笑いいけたやろ~」とかってね。マキタ:そういう、よしもとの楽屋でのマナーが全国放送で流れてた。タツオ:その時代を境に、芸人はピコピコハンマーを捨てたんですよね。昔はピコッて叩くだけで成立してたのが、ちゃんと言葉でツッコむようになった。そこからさらに進んで、「ちゃんとボケろや~」みたいに、チームプレーとしてのパスまわしやゴールが設定されているゲームにまでなって。マキタ:そのあたりから、お笑いが高度に発達しすぎたよね。タツオ:ゆえに、揺り戻しもきてますよね。裸芸のアキラ100%が『R-1ぐらんぷり2017』で優勝したし、とにかく明るい安村がブレイクした。鹿島:『R-1ぐらんぷり2016』で(ハリウッド)ザコシさんが優勝したときは、久しぶりに夢あるなって思ったね。しかも地下ライブでやってるのと同じネタで勝負してた。マキタ:『キングオブコント2018』で唯一言葉に頼らないネタをやったのが優勝したハナコだったよね。ほかはみんな言葉を駆使する笑いで、気を抜いたら置いていかれる。タツオ:M-1にしても、言葉による笑いが主流ですからね、いまは。東京ポッド許可局“屁理屈をエンターテインメントに!”をモットーにマキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの文系お笑い芸人3人の局員がひっそり語らう深夜の人気番組。TBSラジオで毎週月曜24時~放送中。※『anan』2019年1月16日号より。写真・田村昌裕(FREAKS)文・おぐらりゅうじ(by anan編集部)
2019年01月13日TBSラジオ『東京ポッド許可局』に出演する文系お笑い芸人、マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3人が、まるっと振り返り。「平成お笑い論」をお届けします。品質保証と安定供給。平成を体現する有吉弘行。サンキュータツオ:平成の30年で芸人の仕事が爆発的に増えました。プチ鹿島:芸人の数も増えたしね。タツオ:情報番組のキャスターから、俳優に芥川賞作家まで、いまやどこにでも芸人がいますよ。鹿島:ひとつのきっかけは『アメトーーク!』じゃないですか。スニーカーとか家電とか、好きなものを熱く語る○○芸人というパッケージで芸人の魅力をプレゼンする番組。タツオ:キャスティングする側としてはかなり参考になりますよね。マキタスポーツ:たけしさんが映画監督になったり作家として本を出すっていうマルチ化とはまったく意味合いが違うよね。たけしさんの場合はオフェンスの要として点をとってほしいから依頼が来るわけだけど、ほかの芸人に声がかかるのは、ディフェンスとしての機能を求められてる。鹿島:新番組が始まるときに、決してメインではないけど、とりあえずレギュラーとして呼ばれる感じね。タツオ:たけしさんは完全にメインディッシュで、いま器用になんでもこなせる芸人は、塩こしょうというか、化学調味料ですよね。マキタ:とりあえずぶっかけとけば食える味になるっていう。もしくは出汁。それぐらい芸人の能力が平成の30年で信用されるようになった。と同時に、芸人はタレント化しないと食えない時代になったともいえる。タツオ:芸一本のネタだけで稼ぐことはだいぶ難しくなりましたよ。鹿島:ヤンチャな不良というか、ならず者の雰囲気はもう芸人に求められてないよね。いま一番ちゃんとしてないといけないのが芸人だもん。タツオ:そもそも出自が違いますからね。野良からはい上がってきたような人たちではなく、きちんと学校で訓練されて、かつ優秀な成績をおさめた人たちが芸人として売れていく。いまの芸人は品質保証の安定供給です。マキタ:町にマズいラーメン屋がなくなったように、いまつまらない芸人っていない。そういう仕事は『あらびき団』が最後だったんじゃない。鹿島:平成を通じて洗練されたという意味では、その象徴が猿岩石の有吉(弘行)さんじゃないですか。マキタ:『電波少年』で出てきたときは野良犬みたいな男だったのに、いまじゃスーツ着て安心感の塊。日本一のマスターオブセレモニーだよ。タツオ:しかも途中、表舞台から消えてるし。そこから再浮上して天下獲ったのはすごいですよ。鹿島:まさに平成を体現してる。マキタ:路地裏のマズいラーメンから仕込み期間を経て、日本中に愛される味になったね。鹿島:最近とくに痛感するのは、ものまねって普遍的だなぁと。マキタ:本当にそう。テレビを中心としたど真ん中の芸能界とは違う世界にいるけど、ものまね芸人ほど時代に左右されない芸人はいないね。タツオ:コロッケさんのディナーショーとか、ショーパブでも、いまはお客さんいっぱい来てますしね。鹿島:その流れでいくと、綾小路きみまろさんが‘00年代初頭にブームになったのは、来るべき高齢化社会を如実に表してたんじゃないですか。タツオ:僕の考えでは、綾小路きみまろさんはわかりやすく高齢者向きです、って宣言してるけど、そこはあえて言わずに、高齢者に向けたネタでも現役バリバリを装うような芸人が出てきたら最強だと思うんです。マキタ:そこは鉱脈あると俺も思う。自分を年寄りとは認めたくない初老の人たちはいまものすごいボリュームゾーンだから、当てたらでかいよ。鹿島:次の時代にお笑いで天下獲るなら、若い人たちにキャーキャー言われるよりも、高齢者から支持されたほうが手堅いってことか。タツオ:言うなればハズキルーペ芸ですよ。ハズキルーペって10代や20代には知られてないけど、高齢層にはものすごく響いてるわけですよね。マキタ:正直な話、俺はすでにそっちを狙ったネタ作りはじめてます。タツオ:マジですか!?鹿島:ここにいた!ハズキ芸人!マキタ:だってもう俺の年になったら、若い人に合わせるより高齢層に向けたほうがよっぽど自然だもん。鹿島:でもそんなこと言ったら僕らの番組『東京ポッド許可局』もまったく若者に向けてしゃべってないよ。タツオ:ほんとだ!おじさんとおばさんにしかわからない話ばっかり。俺らすでにハズキ芸人だったんだ。鹿島:そういう芸風のほうがこれからの時代、スポンサーもつきやすい。マキタ:なにより頑丈だしね。お尻で踏んでも壊れない。タツオ:出た、おやじギャグ!東京ポッド許可局“屁理屈をエンターテインメントに!”をモットーにマキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの文系お笑い芸人3人の局員がひっそり語らう深夜の人気番組。TBSラジオで毎週月曜24時~放送中。※『anan』2019年1月16日号より。写真・田村昌裕(FREAKS)文・おぐらりゅうじ(by anan編集部)
2019年01月12日WOWOWの特集番組『はじめての談志×これからの談志』の放送記念トークショーが16日、都内で行われ、お笑い芸人で日本語学者のサンキュータツオ、時代劇研究家の春日太一が出席した。同番組は、2011年に75歳で亡くなった落語家・立川談志の生誕80周年を記念したもの。談志の80回目の誕生日となる来年1月2日(17:30~)の『粗忽長屋』、『芝浜』を皮切りに、5ヶ月連続で談志独演会における10演目を放送する。落語会"渋谷らくご"でキュレーターを務め、落語マニアとして知られるサンキュータツオは、「我々が語るには巨大すぎる存在。亡くなって4年経った今だに喪失感がある」と談志を懐古。「リアルな話、今の若い人は師匠のことを小うるさいオジサンだと受け取ってる人が多いと思う」としながら、「時代の激動の中で、落語をどうやって現代に伝えようか苦心していた。落語の愛し方、味わい方を教えてくれた人。師匠は落語を語る言葉をくれた」と熱く語った。一方、春日は、「落語に関してはズブの素人」と言いながら、「カリスマ性がすごい。気安くない。簡単に近付いちゃいけない雰囲気が出てて、ピリピリした緊張感を高座から出してる」と談志の印象を吐露。「精神的に支配される喜びがあって、中毒性がある。マゾ心をくすぐる落語がたまんない」と続けると、サンキュータツオも、「簡単に笑わせねーよという感じですよね。明らかに他の落語家さんと違う。咳払い一つしたら殺されるっていう感じ(笑)。それがクセになっちゃうんですけどね」と話していた。
2015年12月18日