リン・チーリン、美容整形疑惑に怒り心頭!台湾の人気女優、リン・チーリン(37)が幾度となく報じられる自身の整形疑惑に対し、医師の証明書を公開し整形疑惑を完全否定する行動を起こしたと聯合報が報じている。写真はAmazonよりリン・チーリンの整形疑惑台湾一の美女と称されるチーリン。ここ数年は整形疑惑が幾度も浮上し、メディアの前で否定を繰り返してきた。またもや整形疑惑が浮上した今回は、怒り心頭に達したのか中国版のツイッターに「頬を膨らませ怒った表情の写真」や「整形無しとの医師の診断書」、「弁護士の声明」の3点セットを投稿して抗議した。チーリンは「本当に怒っています。本当の私、本当の鼻、本当の目、本当の胸、本当の心。整形はやっていないし、する必要も無い。」と久々のツイッターに怒りのコメントを掲載している。弁護士の声明文では同様の報道が続きチーリンの名誉を傷つけたら法的手段に訴えるとしている。元の記事を読む
2012年09月30日独身時代の僕は、恋人同士の同棲や寮生活といったいわゆる赤の他人同士の暮らしというものを経験したことがなかった。血縁以外の人間と同居するのは現在の妻であるチーとの暮らしが初めてであり、だからこそ、今まで気づくことがなかった自分の人間性をあらためて実感することも少なくない。結婚とは、すなわち自己発見なのかもしれない。中でも自分自身がもっとも驚いたのは、洗面所での理不尽な心境である。これを説明してどこまで伝わるかはわからないが、なぜか僕の中には「洗面所にいる姿を誰かに見られたくない」という、わけのわからない性格が潜んでいるのだ。たとえば外出先から帰ってきたとき、僕が最初にすることは洗面所での手洗いとうがいである。その後、コンタクトを外して、家の中でのリラックススタイルを完成させるわけだが、この行程の途中でチーが洗面所に入ってきたら、さあ大変。どういうわけか僕の胸がざわざわと波打ち、得体の知れない嫌悪感が台風のように襲ってくるわけだ。かくして、人間ができていない僕は洗面所に途中入場してきたチーに対して、露骨に不機嫌な態度をとり、時には「ちょっと向こうに行っててくれ」や「入ってくるなよ」といった理不尽極まりないクレームを発することもある。当然、チーにしてみればわけがわからないことだろう。彼女は洗面所に別の用事があって、入室してきただけなのだ。これと同じようなことは朝の身支度や風呂上りにもあるわけで、たとえば髪の毛を乾かしている姿や洗顔をしている姿をチーに見られると、これはもう排泄行為の最中をまじまじ観察されているかのような嫌悪感がある。我ながら思春期の女子みたいだ。しかし、だからといって僕が極度の羞恥心の持ち主というわけではない。風呂場の浴槽に悠々と浸かっているところをチーに見られても別に平気であり、たまに気分が乗ったときは全裸でリビングをうろうろしたりもする(どんな気分だ)。排泄行為もそうだ。さすがに大は恥ずかしいが、小の最中を妻に見られるぐらいなら、どんと来いである。ならば、この嫌悪感はいったいどういうカラクリなのだろう。独り暮らしをしていた時代はもちろん、大阪の実家で暮らしていた時代もまったく気づかなかった自分の知られざる性分。「結婚したことによって伴侶の意外な姿が次々に発覚する」ということはよく見聞きする話だが、「結婚したことによって自分の意外な姿を自分で発見する」ということもあるとは、さすがに予想できなかった。これもまた結婚の真理ということか。話を展開すると、ここでの嫌悪感のメインターゲットは、おそらく「完成途中」というものにあるのだろう。過去を振り返ると、僕は子供のころから何事も「途中」を見られることに不快感を覚える人間だった。たとえばプラモデルを作っている「途中」、絵を描いている「途中」、作文を書いている「途中」。完成したものを他人に見せるのは大歓迎で、むしろ積極的に見せたがるところがあったのだが、その「途中」を見られるのはどうにもケツの座りが悪い。だから、いまだに身支度の「途中」を見られるのが嫌なわけだ。そんなことを考えていると、以前ある取材で出会ったストリッパー女史の話をふと思い出した。彼女はキャリア約10年を誇るベテランストリッパーであり、「他人に裸を見せることに抵抗感はすっかりなくなった」と話す独特の女性であった。しかし、そんな彼女であっても衣装を脱ぐ「途中」を不意に、つまりステージ上ではなく楽屋などで見られるのは、それがたとえ女性であっても不快なのだという。全裸で楽屋回りなどのバックステージをウロウロ歩き回り、それを男性スタッフに見られるのは平気であることを考えると、ステージ上かそうでないかはあまり関係ないのだろう。ちなみに、そんな彼女に「生活の中で一番羞恥心を感じる瞬間はどこか? 」という質問をしたところ、それに対して返ってきた以下の答えが実におもしろかった。「服を着ている途中を見られたとき」。そう、彼女はここでも「途中」を嫌がるわけだ。しかも、普通の人間なら「服を着る途中」より「服を脱ぐ途中」のほうが恥ずかしいに決まっているのに、彼女は職業柄か、「服を着る途中」のほうが嫌だという。人間の羞恥心とはつくづくわからないものだ。翻って結婚生活とは、それまで赤の他人同士だった男女がある日を境に共同生活をするようになることであり、それによって夫婦は様々な恥部(裸という意味だけではない)を見せ合うことにもなる。だから時間の流れとともに、ある程度は恥部の公開に慣れてくるものであり、そのストリッパーと同じく、伴侶の前では羞恥心が麻痺したりもする。しかし、それでもやっぱり「完成途中」は恥ずかしいわけだ。裸を見られることには抵抗がなくなっても、身支度をしている「途中」に関しては、それが服を着る「途中」であろうが、コンタクトを外す「途中」であろうが、無性に恥ずかしい。もっと正直に打ち明けると、原稿を執筆している最中を見られるのもなんとなく抵抗がある。だから、僕は家に書斎があるにもかかわらず、よく外の喫茶店などで執筆するのだ。果たして、僕と同じ感情を抱いている方はおられるのだろうか?【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年09月14日最新CM発表で台湾のモデル兼女優で、世界的に活躍するリン・チーリン。アジアナンバーワンの美女との声も高く、日本でもさまざまな活動を行っている。そんな彼女だが、突出した美しさゆえか、たびたび美容整形を行っているのでは?という疑惑も浮上してきた。そうした度重なる疑惑報道に、みずからの過去の写真を公開して対抗、疑いの封印を図っているもようだとYes娯楽が伝え、話題となっている。この写真公開は、台湾におけるP&Gの「パンテーン」シャンプー、コンディショナーの最新CM発表でなされたそうで、彼女の小学生時代から現在に至る写真を、過去の回顧フィルムのよううに見せているという。地元台湾では食事が美味しくて一気に太る?チーリンは、この台湾「パンテーン」イメージキャラクターに就任し、今年で8年目となるそうで、今回のCMでは、ナチュラルな美しさを全面に出し、すっぴんのようなごく薄いメイクと純白のドレスという、清楚で可憐なスタイルで臨んでいる。CM発表では、普段グローバルに活動し、各地を飛び回っているため、地元台湾へ帰ると、食べなれた味わいの食事の美味しさに、ついつい食べ過ぎて一気に太ってしまうとも明かしたそうだ。この写真公開で完全に疑惑が払しょくされるかどうかはわからないが、これまでの歩みを見れば納得する向きも増えるかも?元の記事を読む
2012年09月07日チーと結婚して2回目の盆が過ぎたわけだが、僕はいまだにチーのことを人前で称するとき、「妻」という言葉を口にできないでいる。この「妻」という表現は連載第25回目でも書いたように、本来自分が理想としていたはずの呼称である。それにもかかわらず、実際に口にすると、無性に恥ずかしくなってしまう。文章だと平気で書けるのにね。僕なりに自己分析してみたところ、この恥ずかしさの正体はいわゆるナルシシズムに対する抵抗感だと思う。つまり、男性が自分の配偶者を人前で呼ぶときは、昨今巷で流行している「嫁」という表現より、「妻」という表現のほうが適切かつスマートで、どことなく品もあると僕自身が強く自覚しているからこそ、そういう独りよがりの強い自覚を人前で晒そうとする行為が、ある種の自己陶酔の顕示に思えてしまうということだ。例えるなら中学生ぐらいの頃、初めて髪形をセットして登校したときに感じた気恥ずかしさに似ている。山田の奴、かっこつけやがって――。あの頃は友達にそんな風に思われないかと妙にドキドキしたものだが、「妻」という言葉にもあれと似たような感覚がある。今風の言葉を使うと、いわゆるドヤ顔をしながら「僕の妻が~」と口走っているのではないかと、顔が熱くなってしまうのだ。そう考えると、「嫁」という表現は確かに便利だと思う。嫁という字は「女は家」と書くぐらいだからか、自分の配偶者を下に位置付けている印象となり、人前では非常に使いやすい。これは「家内」もしかりであり、だから最近の僕はチーのことを「家内」と呼ぶことが多くなった。「妻」に比べると気位が低く感じられ、なんと言いやすいことか。ところが、この「嫁」や「家内」という表現は一部の若奥様方には不評なようだ。ある若奥様は「上から目線な感じがする」と言い、別の若奥様は「嫁とか家内とかには、女は家にいるものだっていう古い価値観が見え隠れしていて、抵抗がある」と憤慨する。なるほど、それはそれで正当な心理かもしれないが、僕はここにこそ男性と女性の認識の違いがあると思う。世の男性は、いや少なくとも僕は、自分の配偶者を見下しているから「嫁」や「家内」といった言葉のほうが使いやすいのではなく、単純に人前における謙遜の一種であり、言わば自虐ネタなのだ。この言葉を使うことで、妻だけでなく自分も(つまり夫婦全体を)相手より下に位置付けようと、へりくだっているわけだ。これは日本人特有の恥の精神とも関係している。今となってはすっかり古くなった表現だが、かつての日本人男性は自分自身のことを「小生」「拙者」などと謙遜して称することが当たり前で、その名残は現代社会にもしばしば見受けられる。僕自身もそうだ。公の場では自分の著書のことを「拙著」と表現することが、なかば当然の作法になっている。考えるに、男性という生き物はそもそもそういう精神性の持ち主なのではないか。例えば男友達で酒を飲んでいるとき、自分の恋人や妻のことをノロケたり、自分の会社を絶賛したり、そういった自己礼賛が肴になることはほとんどない。たまにそういうことを平気でのたまう男がいても、嫌われたり、馬鹿にされたりするのがオチである(マジで)。その反面、男は「うちの会社なんか最低だぜー」などと自虐に近いボヤキを笑いながら放出することは日常茶飯事だ。これは男性誌にも見られる傾向で、男性誌の特集の多くは自己礼賛ではなく、「サラリーマンなんかやってらんねー! 目指せ、脱サラ! 」といった現状卑下を前提とした打開策ばかりだ。男性社会とはそういった現状卑下のもと、「お互い大変ですなー」と肩を叩き合う仕組みになっているのだ。その一方で、女性誌を見てみると、これがもう驚くほど現状肯定及び自己礼賛のもとに特集が組まれていることが多い。「キャリア・ウーマンは素晴らしい」「シングルマザーはかっこいい」「これからは主婦の時代」などと、様々な環境に生きる女性たちの現状をお得意の美辞麗句を駆使して肯定し、すべての女性たちの自己愛を満たそうとしている印象がある。男性誌のように「主婦なんかやってらんねー! 」などと特集したら、女性の共感は得られないのだろう。女性は皆一様に素晴らしくなくては困るのだ(たぶんですよ)。だからこそ、「嫁」や「家内」といった言葉の印象は男と女によって大きく異なるのだろう。現状卑下を好む男性は夫婦全体を謙遜する言葉として使っているつもり、極端に言えば本心ではないジョークなのだが、そのジョークは自己礼賛を好む(?)女性には通じにくく、彼女たちはそれをストレートに受け取ってしまう。その結果が、前述した「上から目線」になるわけだ。正直、「真面目か! 」とツッコミたくなる。かくして、最近そんな男女の認識差をも埋める理想的な「妻」の別称に気づいた。それは「カミさん」である。これなら妻のことを目上の人として扱っているため、女性も悪い気はしないかもしれない。また、別にかっこいい表現でもないため(というか、古くさい表現のため)、僕自身が変なナルシシズムを感じて、恥ずかしくなることもないだろう。よって最近の僕は、いつかチーのことを人前では「カミさん」と呼べるようになろうとひそかに計画している。その古くささをチーが嫌がるかもしれないけど。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月24日去る6月末日、それは夫婦共働きの山田家にとって大きな変革の日であった。妻のチーがそれまで勤めていた会社を円満退職したのだ。直接的な退職理由は、今春以降のチーがどういうわけか体調を崩すことが多くなったからだ。月に数回のペースで発熱に悩まされ、仕事と家事の双方ともが疎かになりがちだったため、家族会議の結果、ここらへんで仕事をやめて体調管理を優先しよう、すなわち生活リズムを改めようということになった。なお、今のところチーが新たな別の仕事を始める予定はない。要するに、これにてチーはいわゆる専業主婦になるということである。もともと、僕らの中では以前からその予定だった。近い将来、子供だって欲しいことを考えると、いずれはチーに家庭中心の生活を送ってもらいたい。チー自身もそれを望んでいたため、今回の件がちょうどいいきっかけとタイミングになったわけだ。金銭的には確かに痛い。これからはチーの給料分がなくなるということを踏まえたうえで、最低限の生活ができるよう金策に励まなくてはならない。もちろん、それは僕の仕事である。チーに対しては「金ならなんとかなる」とは言わなかったが、「金ならなんとかする」とは言った。いささか見切り発車な感じもするが、今はチーの体調優先だ。かくして7月以降の山田家は、世間で言うところの夫婦共働きではなくなった。チーは専業主婦として家事に勤しみ、僕は執筆業を中心に、そこから派生した様々な仕事に励んでいる。これによってチーの精神的負担もずいぶん軽くなることだろう。と思いきや、実際はそうでもなかった。会社を辞めた当初のチーは、それまで何年間にもわたって当たり前のように継続していた「仕事をして給料をもらう」という生活がパタッと終わったことに対する奇妙な違和感を覚え、どうにも気持ちが落ち着かなかったという。仕事をしていない自分に、ある種の罪悪感があったのかもしれない。また、会社を辞めるときに、それまで共に机を並べてきた同僚女子や、その他の女友達から「いいなあ、専業主婦。わたしも楽になりたーい」などといった羨望の言葉をかけられたことも、チーの中の罪悪感を微妙に刺激したのだろう。専業主婦は世間一般から気楽な存在だと認識されていることに気づき、心がモヤモヤしたらしいのだ。これはまさに勤勉と評される日本人の性である。もちろん個人差はあるものの、一般的に多くの日本人は、世界的に見ると非常に真面目で働き者だとされている。大昔から質素倹約、節度節制、禁欲、勤勉というストイックな精神を美徳としてきた歴史があり、「働かざるもの食うべからず」をモットーに驚異的なスピードで戦後復興を果たした誇りが、日本人のDNAには刻まれているのだろう。日本人は働くことが好きなのではなく、楽をしながら怠惰に気ままに暮らすことを、笑って肯定できない国民なのだ。それを証拠に、宝くじにまつわる興味深いエピソードがある。某調査機関が「もし宝くじで数億円当たったらどうする? 」というアンケートを日本で行ったところ、第1位は「家を購入する」で、実に半数以上もの割合を占めたという。その他には「貯金する」「世界一周する」「別荘を買う」といった回答が目立ち、男性に限って言えば「会社(店)をおこす」という回答も少なくなかったらしい。一方、同じアンケートを欧米でも行ってみたところ、第1位は80%以上もの圧倒的な割合で「仕事をやめてのんびり暮らす」だったとか。欧米の人々にとって働くということはあくまで金銭を得るための手段でしかなく、その金銭が手に入るのなら、わざわざ働く必要はないということだ。家よりも世界一周よりも、まずは仕事をやめる。悠々自適に楽をして生きていくということは彼らの憧れであり、決して罪悪感を覚えることではない。彼らにしてみれば、「会社(店)をおこす」と答えた日本人男性はアンビリバボーな存在だろう。大金を手にしてなおも働こうとするとは、まさに東洋の神秘である。話を戻すと、そんな東洋の神秘、あるいは勤勉のDNAがチーの潜在意識にも横たわっており、だから会社をやめた自分にこそばゆさを感じてしまう。ビバ、日本人だ。だから僕は、チーに「専業主婦は立派な職業だ」と話すようにしている。実際、そうだろう。よく考えてみると、チーは会社をやめたことで仕事をしなくなったのではなく、家庭を守るという仕事に専念できるようになっただけだ。プロスポーツ選手が体調管理も仕事のうちだと主張するように、いずれ出産を目指している若奥様にとっては母体の健康を促進することも立派な仕事の1つだ。ましてや出産してからの育児に至っては、男女問わず、すべての人間にとって最大級に尊い仕事だと言えなくもない。要するに、結婚によって会社をやめた女性のほとんどは、仕事をしなくなったのではなく、専業主婦という別の仕事に転職したということなのだ。その転職先がハードなのか否か、報酬(夫の稼ぎのうちの生活費)が高いのか安いのか、そのへんは各家庭によってばらつきがあるだろうが、少なくとも離職ではなく転職なのは間違いない。そういう解釈をすることで、今後のチーの精神衛生が保たれるなら、それもまた良しである。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月03日リュック・ベッソン監督がビルマ(現ミャンマー)民主化のリーダー、アウン・サン・スー・チー女史の半生を映画化した『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』のジャパン・プレミアが6月26日(火)に開催され、ベッソン監督と主演のミシェル・ヨーが舞台挨拶に登壇した。軍幹部に危険視されていることから国民が気軽にその名を呼ぶことができず“The Lady”と呼ばれたスーチー女史。15年にわたって自宅軟禁を強いられた彼女の戦い、家族との絆や悲しい別れ、深い愛を描き出す。ミシェルの来日は『ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝』以来4年ぶり。「これは“愛”だけで作った映画です」と語り、「苦労はありましたが、ビルマのみなさんが味わった苦境とは比べものになりません。この映画に参加し、周囲の人々に優しく接すること、良い人間であろうとすることを学ぶことができました。10キロ体重を落とすことは大変でしたが、監督との仕事は喜びであり、最高の自分を引き出していただけたと思います」と笑顔を浮かべた。ミシェルが話し終えると、監督は覚えたての日本語で「ソウデスカー?」と応答し、会場は笑いに包まれた。本作のメガホンを握ることになった経緯について、監督が「ミシェルが脚本を持って僕に“プロポーズ”してくれたんだ」と語ると、すかさずミシェルは監督に求婚のポーズをとって会場を沸かす。当初、ベッソン監督はプロデューサーを務める予定だったそうだが「脚本にあまりに心を揺さぶられて『監督がしたい』と言ったら、心優しいミシェルが『いいですよ』と言ってくれたんだ」とユーモアたっぷりに明かした。バンコクで撮影が行われている最中にスーチー女史の解放が報じられ、ミシェルはスーチー女史の元を訪れた。「飛行機で45分ほどの距離だったので、みんなで行こうということになったんですが、ビザが下りたのが私だけだったんです。自分が4か月間にわたって(映画の中で)生きてきた人物に会えるということで興奮し、ナーバスになっていました。彼女の家は監督が作ったセットと全く同じで、彼女を支えるNLD(国民民主連盟)の人々も映画と同じで、勝手知ったる家に入るようでシュールな気持ちでした。『ハロー』と声を掛けられ、ふり向くと彼女がいたんです。どうしていいか分からない私を彼女は手を広げてギュッと抱きしめてくださいました」と謁見の様子を明かした。その数週間後に監督もスーチー女史と顔を合わせたが、「家も映画と同じで“The Lady”も映画と同じ(笑)。現実と夢を同時に体験してるような気分でした。人生のことや子供たちのこと、あの国の未来について話しましたが、肝心の映画のことで聞きたかったことを聞き忘れてしまいました」と本物のスーチー女史を目の前にした興奮をふり返った。会場には多くの報道陣が訪れており、そのうちのひとりで、ビルマから政治亡命し現在は都内の大学院で学んでいるというジャーナリストが、スーチー女史とビルマの人々へのメッセージを求めると、監督は「私のメッセージは2時間あり、いまから始まります」とこの映画自体がビルマの人々へのメッセージであることを強調。ミシェルも「私たちが伝えたい思いは全て、この映画に込められています」とうなずき、「みなさんのことを決して忘れず、常に関心を持ち続けていきたいと思います。多大な努力が必要ですが、外側からみなさんにスポットライトを当て続けていきたい」と心の内の思いを語り、会場は温かい拍手に包まれた。『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』は7月21日(土)より角川シネマ有楽町ほか全国にて公開。■関連作品:The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛 2012年7月21日より角川シネマ有楽町ほか全国にて公開© 2011 EuropaCorp - Left Bank Pictures - France 2 Cinema
2012年06月26日去る休日、久しぶりに家族でお出かけした。家族といっても、我が家にはまだ子供がいないため、メンバーは僕と妻のチー、そして愛犬のポンポン丸くんだ。お出かけの目的はドライブである。我が家はマイカーを所有しておらず、これまで車でどこかに出かけることは皆無に等しかった。だからチーは、かねてから「たまにはレンタカーでドライブしたい」と切に希望していたのだ。そんなリクエストに応えるべく、その日の僕はレンタカードライブを決行した。午前中に近所のレンタカーショップで車を借りて、いざ出発。チーとポンポンはよっぽどドライブが楽しみだったのか、朝からやけにハイテンションだった。ところが発進させてまもなく、ある計算違いが発覚した。チーはドライブ用のCDを大量に持ち込んでいたのだが、借りた車にはCD機器が装備されていなかったのだ。もっとも、これは僕にとってはほんの些細なことで、CDが聴けないならラジオを聴けばいいじゃないかと思うのだが、チーにはかなり堪えたようだ。せっかくCDをたくさん用意したのにすべて無駄になったという徒労感が、彼女の繊細な神経にずっしりのしかかったのか、チーはたちまち頬を膨らませ、みるみる不機嫌そうな表情になっていった。僕はチーの機嫌を回復させようと、慌ててFMのスイッチを押した。しかし、どの局からもチーが好きそうな音楽は流れてこない。それどころか、最近のFMはやけにトークの時間が長く、音楽目的で聴くこと自体が適していないのかもしれない。かくして僕らのドライブのBGMは、見知らぬ男性DJの妙な人生相談コーナーとなったわけだ。その後、チーはますますおとなしくなった。あれだけドライブがしたいと強く希望していたわりに、いざ実現しても嬉しそうな表情を見せない。僕としては、そんなチーの反応が気になって仕方なかった。たかだかCDぐらいで、そこまで落ち込むものなのか。それからしばらくして、ようやくチーの不機嫌の原因がわかった。さすがにCDの件だけではなく、それとは別の生理的な原因もあって気持ちが沈んでいたようだ。要するに、お腹が減っていたのである。これも一見些細なことだと笑われるかもしれないが、チーにとっては重大なことらしく、彼女はどういうわけか昔から腹が減ったり喉が渇いたりすると、極端に機嫌が悪くなってしまう。要するに子供なのだ。案の定、ほどなくして食べ物と飲み物を与えると、チーは一気にご機嫌になった。BGMがわりのFM番組からは相変わらず音楽が一切流れてこず、なぜかオカルトチックなテーマで謎のDJたちがトークを展開していたが、チーは空腹が満たされたことで心が寛容になったのだろう。いつのまにかBGMについて不満を漏らさなくなり、ようやく休日のドライブらしい楽しい空気が漂い始めた。よし、ここからが本番だ。僕はアクセルを強く踏み、車を快調に走らせた。前もって目的地を決めていたわけではないので、そのときの思いつきで富士五湖のあたり、中でも河口湖を目指す。今日は天気がいいから富士山が綺麗だろう。緑豊かな大自然に囲まれながら、河口湖でボートに乗る。静かにたゆたう水面と絶景の富士山が、忙しない都会で働く僕らの心身を癒してくれるはずだ。それが、このとき咄嗟に描いた青写真だった。東京の首都高速から中央道に入り、車は一路河口湖へ。1時間も走ると都会の喧騒は背後に消え、前方に美しい山々が広がってきた。遠くに富士山も見える。これだこれ、やっぱりドライブはこうでなくっちゃ。待望の絶景に、僕の胸はみるみる高鳴った。ところが一方のチーは、またもおとなしくなっていた。都会の景色から田舎の景色に移り変わっていくにつれ、どういうわけかテンションが下がっていく。おかしい、チーはこの絶景を見てなんとも思わないのか。僕はめちゃくちゃ楽しい気分だぞ。すると、ほどなくして原因が解明された。チーは生まれついての田舎育ちのため、こういう景色には逆に慣れており、心がまったく躍らないのだ。高校卒業まで大阪で育ち、以降も東京で15年以上生活している僕とは日常の心象風景が大きく違う。アスファルトの道路や高層ビル、街にひしめく人混みばかりを見て育った僕と、美しい山々や湖、牧歌的な田園風景ばかり見て育ったチー。田舎の景色に新鮮さを覚えるのは、当然僕のほうだ。しかもチーは田舎の退屈さに辟易して、東京に出てきた女性である。そう考えると、富士五湖の周辺はチーにとって退屈だった時代を思い出させる、言わばマイナス要因にもなりえる。少なくとも癒されることはないだろう。僕の独善的な勘違いだったのだ。それは河口湖畔に到着してからもしかりだった。昔からなぜか水辺が好きな僕は、ポンポンを連れて大はしゃぎするのだが、チーのテンションは依然として低いままだ。「見て見て、いい景色だよ! 」。僕がそう促しても、チーは「普通じゃない? 」と一蹴する。なんでも子供のころから自然に慣れ親しんできたため、多少の絶景では驚かないらしい。こうして僕らは、微妙な消化不良を感じながら河口湖をあとにした。もしかしたらチーとのドライブは東京都内で良かったのかもしれない。それを証拠に、夜に東京に戻って以降のチーは、渋谷や六本木を車で走りたいと一転して目を輝かせたのだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月18日前回の続きである。4月下旬に発症したチーの高熱は、ゴールデンウィークに入ってからも一向に治まらなかった。おかげで4月29日の我らの結婚記念日も、チーは一日中寝込むことに。休日のため病院もやっておらず、僕ができる限りの看病をした。しかし、僕は30日から大阪出張に行かなければならなかった。いくつかの仕事がまとめて入っていたため、帰京は6日の予定だ。そこでチーの母親に出張中の看病をお願いしたところ、ありがたいことに4月30日~5月3日まで家に泊まりこんでくれるという。5月に入ってからも、チーは39度以上の高熱が続いていた。以前の夜間診療でもらった解熱剤はまったく効果がなく、その後また別の病院に行ったのだが、そこでは「ウィルス性の風邪の疑い」と診断され、抗生物質を処方された。しかし、それでもチーの容態は変わらなかった。それどころか胃痛や腹痛まで発症し、事態はますます混迷を極めた。かくして、また別の病院に行った。そこでチーは前の病院で診断された「ウィルス性の風邪の疑い」ではなく、新たに「マイコプラズマ肺炎の疑い」と診断された。しかも胃痛や腹痛といった新たな症状は、前の病院で処方された薬が合っていないためらしく、だから別の薬を処方された。これで病院は3軒目だ。もうわけがわからない。マイコプラズマ肺炎。もしそれが事実だとしたら、厄介なことになりそうだ。1週間やそこらで完治する病気ではなく、さらに他人に伝染するため、外出はもちろん禁止。だったら僕としては入院を勧めたいところだが、入院するにしてもGWが終わるのを待たなければならない。いずれにせよ、あと何日かは家でしのぐしかないわけだ。前述したように5月3日までは、チーの母親が泊まり込んでくれたため、どこか安心だった。チーの母親は生来の世話好きであり、福祉の仕事もしているため、こういう状況には慣れている。チーにしても、実の母親に付き添われるのが一番だろう。しかし、4日以降はどうすればいいのか。チーの母親にはどうしても外せない用事が入っており、そこまでが限界だ。僕も僕で、6日までは身動きが取れない。そこで大阪に住む僕の母親(通称・マリーバ)、つまりチーの義母を東京に派遣することにした。マリーバについては本連載の第5回目でも紹介しているので、そちらもあわせて読んでいただきたい。とにかくマリーバは、僕の近い友人たちから「山田家の最終兵器」と称される、一風変わった女性なのだ。東京に派遣する直前、僕はマリーバにチーの病状と注意点を丁寧に伝えた。主な注意としては「胃が弱っているから食事には気をつけること」「伝染するかもしれないからマリーバ自身も気をつけること」「外出は絶対に禁止」の3点。当然マリーバもそれぐらいは心得ているようで、「大丈夫、任せなさい! 」と自信満々の笑みを浮かべていた。そして5月4日の昼、マリーバはいよいよ東京に上陸した。そのままチーが寝込む我が家に向かい、チーの母親とバトンタッチして看病に入る。チーは依然として39度以上の高熱が続いており、食事も満足に摂れない容態だという。マリーバ、頼んだぞ。ところが、である。その夜、病に伏せるチーから僕に電話が入った。そして今日一日の報告を受けたのだが、それを聞いた瞬間、僕は思わず椅子から転げ落ちそうになった。報告1マリーバはチーに刺身を食べさせた。報告2マリーバはチーを散歩に連れ出した。報告3マリーバはチーをファミレスに誘って、2人でお茶をした。報告4マリーバはチーが食べ残したものを迷わず食べた。なんだそれは――。女子同士の普通の休日じゃないか。あれほど胃に負担をかける食事はダメだと言ったのに、よりによってナマモノを食べさせるとは。あれほど外出禁止だと言ったのに、「散歩→ファミレス」という荒業を強行するとは。あれほど伝染に気をつけろと言ったのに、チーが食べ残したものを平気で食べるとは。事前の注意は完全無視か。頭が痛くなった。マリーバの天然ボケはある程度予測できていたものの、まさかここまでとは思わなかった。状況が状況なだけに、チーのことが余計に心配になってしまう。しかし不思議なことに、ここにきてチーの熱が下がり始めたのだ。10日以上続いていた39度の高熱が、いつのまにか38度になり37度になり、そして僕が帰京した5月6日にはついに平熱の36度台に突入。さらに翌7日、つまり久々の平日に病院に行くと、あろうことか医師から「完治」の診断まで受けた。なんという、スピードだ。なんでも医師曰く、詳しく調べてみるとマイコプラズマ肺炎ではなく、複数のウィルスをこじらせた結果のため、原因の特定はできなかったとか。すなわち謎の病気というわけなのだが、「治ったのなら、深追いはしない」ということで、いまだわからずじまい。うーん、いったいなんだったのだろう。気になるなあ。ちなみにマリーバは「わたしのおかげね」と明るい声で言っていた。僕は断じて「それは違う」と主張したい。きっと三軒目の病院で処方された薬と、マリーバの前に看病してくれたチーの母親のおかげだろう。いずれにせよ、散々なゴールデンウィークでした。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月11日事の発端は去る4月の下旬である。妻のチーが微妙な体調不良を訴えたのだ。実はこのところのチーは、よく体調を崩していた。月に一度は発熱し、頭痛や倦怠感に襲われる。なんでも20代後半の女性はホルモンバランスが乱れることが多いらしく、それが原因で体調不良を起こしやすいという。だから僕は、今回もいつものことだと高を括っていた。男にはわからない女性特有の苦しみだと理解し、あまり気に留めなかった。その後、チーの体調不良は続き、ついに会社を休むまでになった。最近、このパターンも多いため、会社での印象が悪くならないか心配だ。共働きの山田家ではチーも貴重な収入源である。もし欠勤増加によって、なんらかの処分が下されたら死活問題だ。このときの僕は、なおもチーの体調より、そういった我が家の事情を重んじていたのだ。そして去る4月27日のことである。その朝のチーは少し体調が回復したようで、2日ぶりに会社に出勤した。仕事が溜まっているため、多少の無理は仕方ないという彼女なりの判断だ。僕はチーが出勤したことで、恥ずかしながら簡単に安心してしまい、その日はもっぱら自分の仕事に集中した。本当に気に留めていなかった証拠だろう。ところが昼過ぎになって、チーから「会社を早退する」というメールが入った。なんでも仕事中に気分が悪くなり、みるみる体温が上昇したという。そのときの僕は仕事で外出していたため、帰宅したチーの顔色を見ることができなかったのだが、それでも焦りはなく、夜に帰宅してから対応すればいいだろうと思っていた。我ながら呑気な男だ。すると夜7時ごろになって、僕のケータイにチーからメールが入った。なんでも熱がますます上がり、ついに39度を超えたという。食欲もなく、全身の倦怠感もひどいため、仕事が終わったら夜間診療の病院に連れて行ってほしいと訴えてきたのだ。今思えば呑気な自分がほとほと嫌になるが、僕はここにきてようやく狼狽した。大人で39度を超える熱なんて滅多に聞かない。ましてや、これまでのチーにもまったく見られなかった症状であるため、これは僕が勝手に決めつけていた女性特有のホルモンバランス云々の問題ではないだろう。要するに、「いつものこと」ではないのだ。かくして仕事が終わると、僕はタクシーを飛ばして帰宅した。電車で帰宅しても、かかる時間はそんなに変わらないはずだが、それでも咄嗟に運賃の高いタクシーを選んでしまう。今さらながら湧いてきた焦りが、冷静な判断力を麻痺させたのだろう。帰宅すると、チーは予想以上に衰弱していた。顔色が異様に悪く、全身にまるで生気がない。僕は急いでチーを再びタクシーに乗せ、近くの救急病院に搬送した。僕らが住む界隈では有名な、老舗の総合病院。ここなら夜間診療でも受け入れてくれるはずだ。病院に着いたのは午後9時を過ぎたころだ。夜間受付で症状を訴え、内科に伝えてもらう。その際、初診の患者には通常の医療費の他に「選定療養費」という名の別途費用がかかる旨を説明され、それが3,000円もしたので、一瞬戸惑った。はて、選別療養費? なんだそれは。初めて聞く名前だ。通常の保険診療の費用だけでは済まないのか。もっとも迷っている暇はない。こちとら自分たちだけではどうにもできないから、藁をも掴む想いで救急病院に望みを託したのだ。それでチーが回復するなら安いものだ。その後、チーは内科に通され、まずは看護士のもとで一応インフルエンザの検査を受けた。その結果、インフルエンザではないとわかり、いよいよ医師の診察に委ねられる。救急の夜間診療のためか、院内に他の患者の姿は見当たらない。これならゆっくり時間をかけて診察してもらえるはずだと、僕は素人ならではの勝手な期待を膨らませていた。しかし、いざ診察が始まると、そんな期待は露と消えた。チー曰く、その医師は見るからに若く、いかにも軽薄そうな長髪をなびかせながら、夜間に訪れた患者を煩わしそうにあしらったという。患者に聴診器をあてることもなければ、問診をすることもなく、さらに極めつけは患者の顔も見ることなく、「熱があるなら家に解熱剤あるでしょ? それを飲めばいいから」と言い、チーが「解熱剤がないんです」と訴えると、「じゃあ、それだけ出しとくから」と応戦して、ものの3分程度で診察を終了させたらしいのだ。しかも出された解熱剤は、薬局などで誰でも購入できる市販の薬3錠だけである。たったそれだけの診察と処方で、料金は前述した選定療養費あわせて約6,000円。病院までの往復のタクシー代も加えると、計1万円近くも出費して、この有様だったわけだ。もちろん日本の病院の夜間診療の実態ぐらい、僕も情報としては知っている。もしかしたら、その医師はアルバイトの研修医だったのかもしれず、だから訳知り顔の人は「夜間ってそんなもんだよ。日本の医療は……」などと講釈したりもするだろう。しかし、それが我が身に降りかかると、たまったもんじゃない。だったら、せめて医療費は安くならないものかと感情的に訴えたくもなる。いくらなんでも6,000円でこれはないだろう。その後、チーはどうなったかというと、この原稿を執筆している現在、依然として高熱が続いている。当然、違う病院にも行ったが、それはまた別の話だ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月04日先日、古い友人と飲んでいるとき、彼がこんなことを言った。「山ちゃんとチーちゃんって、いつか別れるんじゃないかって心配になるときがある」。え、マジで――!? 思わず目を剥いた。驚きすぎて、飲んでいた酒を吐き出しそうにもなった。我が夫婦がそんなふうに見られていたとは、夢にも思っていなかったのだ。友人曰く、その心配は普段の僕とチーの会話に端を発しているという。チーに対する僕の言葉遣いが少々乱暴に聞こえることがしばしばあるらしく、そのためチーが内心辟易しているのではないか、あるいは夫婦仲が殺伐としているのではないか、かような勘繰りが働いてしまうらしい。平たく言えば、うまくいっていないように見えるわけだ。確かに、似たようなこと言われた記憶が他にもある。例えば僕ら夫婦が贔屓にしている近所の居酒屋でのことだ。その店の主人と女将さんは、いつもカウンターに座って飲み食いする僕とチーの様子が自然と目に入ってくるわけだが、2人とも仕事をしながら冷や冷やすることがよくあるらしい。原因はもちろん、以下のような僕らの会話である。「ねえねえ、飲み物は何がいいと思う? 」。チーはメニューを見ながら、そんな質問をしてくることが多い。一方の僕はそんなチーの質問にまともに取り合わず、「好きにしいや」と乾いた口調で一蹴することになっている。しかし、それでもチーは「じゃあ、ビールにしよっかなあ。ねえ、ビールでいい? 」としつこく同意を求めてくるわけだ。「だから、好きにしいって言ってるやん。自分の飲み物なんやから、俺に同意を求めてこんでもええやろ」「そうなんだけど、迷っちゃうから」「早く決めえや」「よし、決めた。ビールにする」「じゃあ、早く頼みな」「ええ、でも2人とも(店主と女将さん)忙しそうだし……」「そんなこと気にしてたら、いつまでたっても注文できへんやん」「いやあ、やっぱり気が引けるなあ」「だったら、頼まんかったらええやん」「けど、飲みたいし……」「だったら、早く注文しいや」「ねえねえ、代わりに注文してよ」「なんでやねん! 」と、まあ、こんな感じである。会話が後半に進むにつれ、僕の口調はどんどん荒くなっていく。こういったチーの意味不明な言動は以前から日常茶飯事だったため、つまり僕の中でも慣れっこになっているため、いつのまにか言葉に気遣いがなくなっているのだ。他にも、チーのノロマさに辟易した僕が「早く歩きいや! 」「早く食べえや! 」「早く帰り支度しいや! 」と毒づくことも多く、はたまたチーの声の小ささに対して「えっ、何言ってるか、全然聞こえへん! 」「声が小さい! もっと大きい声で喋りいや! 」と語気を強めることも当たり前のようにある。そう考えると、確かに傍からは僕がいつもチーを怒鳴っているように見えるかもしれない。チーの胸中が心配になるのもうなずける。また、僕らは人前で互いのことをあまり褒め合わないという理由もあると思う。チーがどう考えているかは別として、少なくとも僕自身は人前で妻にやたらと優しい物言いをしたり、気遣いを見せたり、あからさまな褒め言葉を口にしたりすることに、何とも言えない恥ずかしさを感じてしまう。だから、つい人前では照れ隠しで冷たい態度をとってしまうのだが、もしやそれが他人からは「怖い夫」に見えるのかもしれない。実際、最近僕が出会う同世代の夫婦を見ていると、みんな人前なのに互いに優しく、気遣いも行き渡っている。先日もそうだった。前述の馴染みの居酒屋でたまたま同席した若夫婦の様子に衝撃を受けた。とにかくご主人が奥様に優しい。その口調はどこまでも柔らかく、奥様への愛が周囲にも伝わるような振る舞い。決してバカップルのように人目もはばからずイチャイチャしているわけではないのだが、互いが互いを心の底から思いやっており、まさに笑顔の絶えない新鮮な仲良し夫婦に見えるわけだ。これかあ。僕は自分との違いを思い知った。「人前で妻に優しくする」という行為に無性な気恥ずかしさを感じてしまう僕は、古いタイプの人間なのかもしれない。何事もわかりやすさを求める現代社会だけに、理想の夫婦像も2人の仲睦まじさが周囲に伝わってこそのものだ。一見殺伐としていて、実は仲が良い。これは時代遅れの価値観なのか。とはいえ、他人から夫婦仲を心配されるのは、やはり本意ではない。チーに確認したわけではないが、そこは僕なりに大丈夫だと自信をもっている。確かに我が家は夫婦喧嘩も多く、喧嘩が激しくなれば物が飛び交ったり、トイレの壁が壊れたり、愛犬のポンポン丸が鳴き叫んだり、それなりにバイオレンスな事態に発展することもしばしば(暴力は絶対にありません。念のため)だが、心の中では互いに強くつながっている。たぶん。それに、家の中ではチーの言葉の暴力もすごいのだ。チーは典型的な内弁慶タイプの性格をしており、外ではおとなしく謙虚にしているものの、いったん家に帰ると僕以上の毒舌女に変身する。夫婦喧嘩中に「黙れ、ハゲ! 」「消えろ、クソデブ! 」「うるさい、このブサイク! 」などと、容赦ない罵詈雑言を浴びせられたことは一度や二度ではない。「あんたみたいなクソ変人と結婚する女の顔が見てみたいわ! 」と怒り狂ったチーが、そのまま洗面所に駆け込み、そこの鏡を見た瞬間、「ここにいたー! 」と叫んだこともあった。きっと僕らにとって、互いを罵り合うことも愛情表現のひとつなのだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年04月27日妻のチーは生粋ののんびり屋である。家事にしても、出かける準備にしても、歩くスピードにしても、とにかく何かと行動が遅い。これはチーの几帳面な性格にも起因しているようで、たとえばチーは食器を洗うのも、料理を作るのも、化粧をするのも、とにかく丁寧に細かくやるので、どうしても作業スピードが遅くなってしまうというわけだ。中でも、そんなチーのスローペースが最大に発揮されたのは、題して「着物騒動」である。僕らが結婚するとき、女性にとって一生モノの着物も必要だろうという判断から、高価な訪問着を購入したのだが、今回はそんな山田夫妻の家宝にまつわる話だ。昨年2011年11月19日、僕らは結婚して初めて、夫婦そろって親しい友人の結婚式に招待していただいた。結婚式となると、女性はどんな服装をするのかでおおいに悩むところだろうが、そのときのチーは迷わず、その訪問着をセレクトした。なお、その訪問着は普段、大阪にある僕の実家に保管している。我がマンションには収納スペースが足りないため、使うときになったら大阪から取り寄せ、使い終わったら、再び大阪に送り返すということだ。たまにしか着ないのだから、それで充分である。したがって、今回も結婚式が終了してすぐに、訪問着を大阪の実家に送り返す予定だった。僕の実家は築70年以上のおそろしく古い日本家屋で、風通しが良く、乾燥した和室もいまだに多いため、着物の保管に適している。着物は湿度でいたむ場合があるからだ。「着物がいたむと良くないから、早く大阪に送りなよ」。僕が促すと、チーは当然といった表情で「もちろん、そうするつもり」と答えた。宣言通り、チーは使い終わった訪問着を丁寧にたたみ、保管箱にしまう。あとは宅配業者に連絡して、集荷を依頼するだけだ。ところが、ここからが驚異的なスローペースだった。結婚式が終了して1週間、2週間と経過しても、一向に集荷を手配する兆しがなく、いつのまにか年末が迫ってきたのだ。僕はだんだん心配になってきた。結婚を機に購入した夫婦の一生モノの家宝が、1カ月以上も寝室の床に無造作に横たわっているのだ。いやはや、なんという雑な扱いだ。この光景を見て、不快に思わない夫はいないだろう。おまけに我が家の寝室はそんなに広いわけではないため、それが床に転がっていると、足の踏み場が一気になくなってしまう。あわや家宝を足で踏みつけそうになったことも、一度や二度ではなく、そういう危険回避の意味でも、チーにはできるだけ早く行動を起こしてもらいたい。「ねえねえ、チーさん。いつになったら着物を送るの? 」。年末のある日、僕は勇気を出して、おそるおそる訊ねてみた。「このままだと、年を越しちゃうよ」。その瞬間、チーの顔色が変わった。あきらかに不機嫌そうに頬を膨らまし、下唇を剥きながら言う。「今やろうと思ってたところなのに、そういうこと言わないで! 」。ああ、やっぱりこのパターンか。普段からチーは、他人に時間を急かされるような苦言を呈されると、途端に憤慨するところがある。なんでも子供のころから、何かと周りに「遅い! 」「早く! 」と怒られ続けてきたため、その手の台詞に嫌悪感があるらしい。したがって、僕もこれ以上はしつこく追及できなかった。チーが「今やろうと思ってたところ」と言うのだから、それを信じるしかない。いや、期待するしかない。果たして、結果はまたもや期待外れだった。結局、夫婦の家宝が寝室に転がった状態のまま、2012年の年が明け、あっというまに正月もすぎた。早いもので結婚式が終わって2カ月以上が経過した1月の下旬になっても、寝室はいまだに足の踏み場がない状態だ。さすがに我慢の限界が近づいてきた。いくら行動がスローペースとはいえ、これは限度を超えている。だいたい、業者に集荷を依頼するだけじゃないか。何事も丁寧にやる性格ということが、ここまで遅い理由にはならないだろう。電話1本じゃないか。僕はチーが憤慨するのを承知で、再び急かすことにした。「いいかげん、着物を何とかしろよ! 集荷を依頼するだけだろ! 」。すると、チーは案の定、膨れっ面になり、「集荷を依頼するのも簡単じゃないのよ! 」と逆ギレ。「業者の人が家に来る時間とわたしの在宅時間を合わせないといけないから、スケジュールの都合が色々あるのよ! 」。なんだそれ――。呆れて物も言えない。スケジュールが合わないといっても、いくらなんでも2カ月以上も合わなかったわけではないだろう。怠慢の言い訳じゃないのか?その後、2月に入っても状況は変わらなかった。そのころになると、寝室の床に転がっている我が家の家宝の上で、愛犬のポンポン丸が優雅にくつろいでいるという、なんとも罰当たりな光景を目にする機会も増えた。「ポンポン、そこはベッドじゃないんだよ。僕ら夫婦の宝物なんだ。お願いだから、降りておくれ」。そんなふうに何度も諭したものの、当然ポンポンは理解できるわけもなく、ヘラヘラした顔で寝返りを打つだけだった。結局、その後どうなったかというと、驚くなかれ、である。あの結婚式から5カ月近くが経過した現在(2012年4月)もまだ、我が家の家宝は寝室に置かれたままだ。業者との集荷予定を合わせるというのは、そんなに時間がかかるものなのだろうか。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年04月06日アミノコラーゲンの魅力をアピール女優として、トップモデルとして活躍する、アジアNo.1美女の呼び声も高いリン-チーリン。彼女が明治「アミノコラーゲン」の新CMで、なんと自らアカペラの歌声を披露している。この新CMは4月1日から全国オンエアされるもの。CMは、商品テーマソングの「アミコラ、アミコラ、ナンバーワン」というフレーズを歌い、視聴者にアミノコラーゲンを強く印象づける仕上がりとなっている。公式サイトでは、すでに新CMが公開されているほか、メイキング映像も視ることができる。新CM発表会にも可憐に登場新CMのオンエアに先駆け、29日には東京都内でCM発表会が行われ、リン-チーリンも出席。ミロのヴィーナスをイメージしたという、シャーリングも美しいワンショルダーのセクシーな純白ドレスを纏って登場した。アカペラの挑戦はとても緊張したという彼女。いつもと違う私が出ていると思うと、新しいCMにぜひ期待してほしいと語ったそうだ。手軽に摂取できて美容にうれしい「アミノコラーゲン」。その魅力をさらにアピールする彼女の新CMを、商品とともにぜひチェックしよう。元の記事を読む
2012年03月31日アジア代表の美しさ、ロンジンの輝きもアピール25日、ロンジンは6月1日~7月15日の期間で開催していた「ロンジンドルチェヴィータフォトコンテスト」の受賞作品を発表、エレガンス・アンバサダーを務める女優リン・チーリンも来場し、授賞プレゼンターを務めた。ロンジンは“エレガンスは生き方に表れる”をブランドメッセージにしており、このコンテストでも“心豊かでエレガンスな生き方”が大きなキーワードになっていた。幅広い世代から投稿された作品の中から、リン・チーリン賞、Dolce Vita賞、エレガンスグランプリ賞の3賞が決定したそうだ。外見のエレガンスだけでなく、内面からも美しさを持ち合わせた人として、アンバサダーに選ばれたリン・チーリン。アジアo.1の呼び声も高い、その凛とした美しさを今回の会場でも存分に放っていたのは印象的だった。リン・チーリンもお気に入り☆受賞作も合わせてチェックを『ロンジンドルチェヴィータ』は、彼女もとてもお気に入りの時計なのだとか。「心を穏やかに、そして豊かにしてくれる」「身につけるとエレガントになり、パワーを得ることができる」と、流暢な日本語で、その魅力を語ったそうだ。今回のフォトコンテスト受賞者には、彼女から『ロンジンドルチェヴィータ』も授与されたそうだ。なおこの受賞作を含む計20作品は、8月27日から9月11日まで、期間限定で六本木ヒルズのTORAYA CAFEにオープンする「ロンジンドルチェヴィータカフェ」で展示されるそうなので、ぜひそちらもあわせてチェックしてみて。元の記事を読む
2011年08月29日「サロンスタイル」の新ミューズコーセーコスメポートのヘアケアブランド「サロンスタイル」の「地肌美人アワード授賞式」が7月20日開催され、「サロンスタイル」が"理想的な地肌美人"と考える、台湾のトップモデルで女優のリン・チーリンさんが受賞した。あわせて、同商品の新ミューズとして出演のCMが発表された。劇団EXILE 「レッド クリフ -愛-」に出演授賞式の様子がYouTubeで配信されているが、清楚でいてセクシー。1974年生まれ36歳の「アラフォー」世代。非のうち所もない。2010年にはSMAPの木村拓哉主演のテレビドラマ『月の恋人~Moon Lovers~』に出演。今年は、劇団EXILE W-IMPACT 「レッド クリフ -愛-」(8月8日~31日ルテアトル銀座)に出演する。元の記事を読む
2011年07月25日リチャード・ギア、ドン・チードルと共演の『クロッシング』が日本公開中のイーサン・ホークが先月28日、ニューヨークでホームレスや元受刑者の就労を支援する団体「Doe Fund」のチャリティ・ガラに出席した。「Doe Fund」はホームレスや薬物・アルコール中毒といった負の状況を克服しようとしている人々、服役して罪を償った人々の就労を支援するプログラムを実践していて、先日そのプログラムを見学したというイーサンは「彼らが逆境をくぐり抜け、戦いに勝った姿を見て、畏敬の念に打たれました。新聞やテレビは敗北の話題ばかりで占められていて、こんなにもたくさんの勝利の物語があることを私たちは忘れているようです」と感想を語った。この日はロシア出身のモデルで、サッカーのクリスティアーノ・ロナウド選手と交際中のイリーナ・シャイクもガラに出席、同プログラムに参加して社会復帰を目指す人々たちと一緒にカメラの前でポーズをとった。(text:Yuki Tominaga)© Splash/AFLO■関連作品:クロッシング (2008) 2010年10月30日よりTOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 BROOKLYN’S FINEST PRODUCTIONS, INC.デイブレイカー 2010年11月27日より新宿バルト9ほか全国にて公開© 2008 Lionsgate and Paradise Pty Limited, Film Finance Corporation Australia Limited and Pacific Film and Television Commission Pty Limited.■関連記事:人間とヴァンパイア、共存の行方は?『デイブレイカー』試写会に20組40名様ご招待ヴァンパイア役でイーサン・ホークにアラフォーの渋味『デイブレイカー』画像解禁リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードルが警官役で共演!
2010年11月01日デンゼル・ワシントンにアカデミー賞をもたらした『トレーニング デイ』のアントワン・フークア監督が、リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードルら実力派キャストを迎えて贈る『BROOKLYN’S FINEST(ブルックリンズ・ファイネスト)』(原題)がこの秋公開されることが決定した。物語の舞台となるのは、ブルックリンの犯罪多発地区。自身の内に抱える問題と刑事としての正義の狭間で苦しむ3人の刑事の心の闇を描いたクライム・サスペンスで、北米公開時には初登場2位を飾り、スマッシュヒットを記録した。『正義のゆくえI.C.E.特別捜査官』で正義感の強い捜査官を演じたリチャード・ギアが今回演じるのは、退職目前のベテラン警官・エディ。野望や野心を抱くことなくひたすら無難に過ごしてきた彼が最後の仕事として、最も苦手とする新人教育を任される。熱い思いを持つ若者と自分の警官人生を照らし合わせ、苛立ちと、そしてなぜか焦りを感じている。信仰深く家族想いの麻薬捜査官・サルを演じるのは、『トレーニング デイ』にも出演しているイーサン・ホーク。病弱な妻と子供たちに約束した新居の購入の為、金の工面に奔走していたサルは、麻薬捜査のたびに目にする大金を前に自らの正義に疑問を抱き始める。そして、出世と引き換えに危険な潜入捜査官の任に就くタンゴを演じるのは『ホテル・ルワンダ』、『アイアンマン2』のドン・チードル。なかなか出世を約束しない上司、腐敗が進む警察組織に不満が募る一方で、潜入しているギャングのボスの人間味に魅かれ始める捜査官を熱演する。決して交わるはずのなかった3人の刑事たちだが、ある日起こった、警官による強盗殺人事件をきっかけに、それぞれの“正義”が思わぬ形で交錯することに――。ダンディでクール、そして渋さをにじませる、映画ファンの人気の高い3人の共演とあって、日本でも話題を呼びそう。三者三様の不揃いな正義がぶつかった先に待ち受けていた、衝撃の結末とは――!?『BROOKLYN’S FINEST』(原題)は2010年秋、TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほか全国にて公開。■関連作品:BROOKLYN’S FINEST (原題) 2010年秋、TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 BROOKLYN’S FINEST PRODUCTIONS, INC.
2010年07月21日6月11日(金)に日本公開の『アイアンマン2』で、前作のテレンス・ハワードに代わってローディ中佐を演じているドン・チードルが、国連環境計画(UNEP)親善大使に任命された。チードルは「世界環境デー」にあたる5日、自身の代表作『ホテル・ルワンダ』の舞台となったルワンダの首都・キガリで開催された式典にUNEP親善大使として訪れ、気候変動対策と向き合い、環境保護を促進すると宣言、「私がUNEP親善大使になることによって、人々が環境保護のために行動を起こすモチベーションを与えることができるよう、願っています」と語った。ルワンダは、世界的に希少なマウンテンゴリラの生息地でもあることから、チードルはUNEP啓発プログラムの一環として、インターネットユーザーによって「ゾヤ」という名前を選ばれたゴリラの赤ちゃんに命名する役目も果たした。(text:Yuki Tominaga)『アイアンマン2』のL.A.プレミアでのドン・チードル。© REUTERS/AFLO■関連作品:アイアンマン2 2010年6月11日よりTOHOシネマズ スカラ座ほか全国にて公開Iron Man 2, the Movie: © 2010 MVL Film Finance LLC. Iron Man, the Character: TM & © 2010 Marvel Entertainment, LLC & subs. All Rights Reserved.■関連記事:スカーレット・ヨハンソン、ルイジアナの新居は超質素!ランキング企画!シネマカフェ読者ゴコロなんでもベスト5社長になってほしい俳優といえば?「ルイ・ヴィトン」ロンドン旗艦店オープニングに、大胆衣裳のグウィネスらが出席獅童玉置浩二に脱帽「あの面白さには勝てない」ロバート・ダウニーJr.最新作『アイアンマン2』女性限定試写会に30組60名様ご招待
2010年06月07日