「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「新日本紀行」「きょうの料理」「大河ドラマ」・・・。アニメ、特撮、映画音楽など様々なジャンルへ優れた音楽を提供した冨田勲(1932―2016)。日本が世界に誇るトミタの音楽を、壮大なオーケストラ、シンセサイザー、合唱、ダンスなどで堪能する贅沢なコンサート「冨田勲 映像音楽の世界」が9月17日(月・祝)に東京・東京国際フォーラムCで開催される。開催に先立って、12日に東京・浜離宮朝日ホールにてリハーサルが行われた。【チケット情報はこちら】場を引き締め、エネルギッシュな指揮で音楽を作り出すのは藤岡幸夫。世界中のオーケストラで活躍する藤岡の指揮で音楽を聴くと、自然と笑顔になり、前向きなエネルギーが湧き出るようだ。リハーサルは、総勢50名を超えるオーケストラ・トリプティークと、50人に及ぶ混声合唱によって『マイティジャック』『キャプテンウルトラ』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『新日本紀行』などが奏でられた。リハーサルで聴いても壮大でゴージャス。あまりの迫力で、本番はさらに良くなると考えるとワクワクする。オーケストラ・トリプティークの演奏も素晴らしく、笑顔で進むリハーサルのなか、パーカッションのホールを揺るがす低音や、トランペットの強烈な響き、弦楽の美しい旋律、フルートのきらびやかに彩る音色など、カラフルな音の万華鏡のようだった。このコンサートは冨田勲の没後企画としても最大規模のひとつ。手塚治虫アニメ、NHKの大河ドラマ、「マイティジャック」など、映像のために作曲された傑作をゴージャスなオーケストラ演奏で楽しむだけでなく映像上映とオーケストラ、女子高生のダンス、合唱、シンセサイザーなど、通常のコンサートでは味わえないコラボレーションも予定しているとのこと。コンサートへの推薦コメントを寄せてくれた庵野秀明監督は、『マイティジャックの歌』を人生で1番聞いているとコメントしているが、今回のメインイベントのひとつが特別編集版『マイティジャック』の400インチ画面での上映にあわせてのオーケストラ演奏だ。リハーサルでも映像を上映しての細かい確認や調整がキビキビと行われていたが、日本でもこのようなシネマ・コンサートを行えるスタッフは限られており、プロフェッショナルな仕事の素晴らしさを垣間見ることができた。コンサートの最後には『マイティジャックの歌』みんなで歌おう!というお客様への気の利いた計らいも用意しているとのこと。今回は、様々な形で冨田勲にゆかりあるミュージシャンやクリエーターも参加する「冨田勲フェスティバル」とも言える大規模になり、夢のような大コンサートとなった。これは期待するしかない!チケットは発売中。取材・文:仁木高史(ライター)
2018年09月14日さんさんと太陽の光が降り注ぐ、7月下旬の早朝。都内の自宅前で植木の手入れに励む、南果歩(54)の姿があった。南といえば今年5月、渡辺謙(58)と離婚。昨年3月に渡辺と21歳年下の女性との不倫が発覚してから1年余りの決断だった。だが離婚から2カ月、早くも渡辺の“再々婚”報道が――。「『王様と私』のロンドン公演のため6月から渡英した渡辺さんですが、現地では不倫報道の相手・A子さんと一緒にいる姿が目撃されているそうです。公演が終わる9月29日以降に、かつて密会を重ねたNYの教会で極秘挙式すると報じられたのです」(芸能関係者)この日、自宅周辺の掃除に4時間も没頭していた南は、午後2時過ぎに近くのケーキ店へ。女友達と一緒にあれこれと楽しそうにケーキを選び、談笑していた。店から出て来たところを、顔なじみの記者が直撃した。――離婚されてから2カ月になりますが、その後はいかがでしょうか?「ありがとうございます。おかげさまで仕事も再開しました!でも、(心の)傷が癒えるのはもっと時間が必要だと思います。もう、一生癒えないかも……」――そうでしたか。そこでこんなことを聞くのは申し訳ないのですが、謙さんに再々婚報道が流れているのをご存知ですか?「(しばらく絶句して)、まったく知りませんでした……。とはいえ、もう自由じゃないですか。祝福するまでには至ってないですけど(笑)」そんな彼女は16年3月に乳がんの手術を受け、現在も闘病中。最後は笑顔で自分ならではの“使命”を語ってくれた。「同じ病気で苦しんでいる方々に対して、“私も元気で頑張っています”と伝える役割ができたと思っています。少しでも、みなさんの支えになれたら嬉しいです」そう言い残して去っていった彼女の後ろ姿には凛とした覚悟がにじんでいた――。
2018年08月01日5月17日に渡辺謙(58)との離婚を発表した、女優の南果歩(54)。2人はドラマの共演がきっかけで友人関係になり、渡辺の前妻との離婚成立後の05年に結婚。おしどり夫婦として知られていたが、昨年3月に元ホステスでジュエリーデザイナーの女性と渡辺との3年に及ぶ不倫が『週刊文春』で報じられた。離婚発表後、彼女は自身のツイッターに《これからは曇りのない笑顔で、私らしく歩んで参りたいと思います》と綴っているが――。 「果歩さんは周囲を心配させまいと明るく振舞っています。でも13年も連れ添った夫婦ですから、平気なわけがありません。不倫はいけないことですが、謙さんだって果歩さんのことを心から愛していました。彼女の乳がん闘病も謙さんは献身的に支えていましたし。離婚という結論に至ったとはいえ、果歩さんは今でも謙さんに感謝しています」(南の知人) そんな彼女の複雑な気持ちとは裏腹に、離婚発表後は南が受け取る“多額の慰謝料”について複数の記事が出た。5月23日発売の『女性セブン』は、“渡辺が南に支払う慰謝料は10億円”と報道。記事によると2人は“婚前契約”を交わしており、渡辺側に何らかの不都合があって離婚することになった場合、“夫婦の財産はほとんど南に譲る”という取り決めがあったというのだが――。前出の南の知人は、この記事に真っ向から反論する。 「婚前契約なんて、2人はまったく交わしていませんよ。婚前契約について尋ねられた果歩さんは、あまりに根も葉もない記事に呆れていたそうです」 こうした憶測が飛び交うなか、当事者である彼女はいま何を思うのか――。離婚発表から1週間が経った、5月下旬。六本木の一流ホテルに到着した南に記者は声をかけた。何度も取材してきた顔なじみの記者だったからか、離婚後はノーコメントを貫いてきた南が、困惑しつつも初めて口を開いてくれた。離婚したばかりとは思えないほど明るい口調だったが、“慰謝料10億円”報道についてたずねると表情は突如として曇ってしまった。 「どうしてこんな記事が出るんでしょうか……」 驚き呆れた表情の南は頭を横に振りながらこう続けた。 「10億円なんて、とんでもない。全部嘘です!だって、(渡辺には)借金しかなかったんですもの……」 ――え!?借金ですか? 「はい。でも、そんな記事にいちいち反論していても仕方ないですからね(苦笑)」 さらに、南は慰謝料の報道以外にも心を痛めていることがあるようで――。 「うちの母が『(離婚は)私のせいじゃないか』ってひどく傷ついているんです」 実は、南の実母と同居していたことで、息が詰まる生活を強いられた渡辺が“不倫に走った”と、これも一部では報じられてきたのだ。 「同居が不仲の原因と言われていますが、そんなことはないと思うんです。というのも、もともと私たち家族が住んでいた家に向こう(渡辺)が入ってきた形なので、母との同居はいまに始まったことではないんですよ。でも母は『自分が出ていけば何とかなるんじゃないか』と思ってしまったみたいで、騒動後はあの家から引っ越していきました。母とはいまも一緒に住んでいませんし、住民票まで移したんです。もう80歳を過ぎた母にそんなことをさせてしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなんです……」 悲痛の真相を明かした南。最後に、今後の人生についても聞いてみた。 「いまは何も考えられない状態なんです。女ひとりの人生って、心細いですよ。でも、これが私の人生ですからね、負けずにしっかり歩いていきたいと思います。頑張っていきますから、これからも応援よろしくお願いいたします!」
2018年05月29日女優の南果歩(54)が17日、自身のブログを更新し、俳優の渡辺謙(58)と離婚したことを報告した。南は「ご報告」と題してブログを更新し、「この度、離婚という形に到りましたことをご報告申し上げます」と報告。「出会いから16年、様々なことを学びました。そしてこの1年は、自身の生き方を見つめ直す時間を与えられました。これからは曇りのない笑顔で、私らしく歩んで参りたいと思います」とつづり、「今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます」と呼びかけた。2人は2005年12月に結婚。昨年3月に『週刊文春』で渡辺の不倫が報じられ、渡辺は同年7月に会見を開き、不倫を認めて謝罪していた。
2018年05月18日「謙さんはNHK大河『西郷どん』の撮影を終え、6月からブロードウェーミュージカル『王様と私』のロンドン公演を控えています。4月中旬には現地入りしてしまうそうなので、離婚協議を進めるなら“最後のチャンス”だと思うのですが……」(スポーツ紙デスク) 昨年3月、年下ジュエリーデザイナーとの不倫関係が報じられた、渡辺謙(58)。妻の南果歩(54)は報道後、すぐに別居を決断。以来、夫妻は何度も“離婚秒読み”といわれてきた。 離婚協議中だと報じられた今年1月、本誌は南を直撃取材している。彼女は離婚協議中であることを否定したうえで、夫との話し合いが実現していない理由についてこう語っていた。 「いま、彼は『西郷どん』の仕事で九州にいますし、忙しいでしょうからね」 あれから3カ月。別居から1年が経ち、大河の仕事も終わった。節目を迎えて決着はついたのだろうか――。 4月初旬の昼下がり。桜の名所として知られる都内の公園で、南の姿を目撃した。実母と女友達を連れて、楽しそうにそぞろ歩く。やがて散歩を堪能した一行は、園内のフレンチレストランへ。眺めのいい窓側の席に陣取り、花見ランチを楽しんでいた。食事を終え、店から出て来た南に記者は声をかけた。 ――今日は、お花見がてらのランチですか? 「ええ。ついこの間までドラマの撮影が続いていたのが、やっと終わったので」 顔なじみの記者に笑顔でこう答えてくれた南。4月21日スタートの連続ドラマ『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』(NHK)の撮影を終え、この日は久しぶりのオフを楽しんでいたようだ。 ――1月に取材をさせてもらったとき、大河の仕事が終わったら話し合いをするとお話されていましたよね? 「たしかにそうですね。でも、いまはまだ何も……」 ――離婚という結論もありえるのでしょうか? 「ごめんなさい。まだお話できません」 夫に対して思うことはあっても“何も語れない”という、複雑な心境なのだろう。 だが最後に『西郷どん』を見ているか聞いたところ、「はい、見ていました」と、この質問にだけはキッパリと答えたのだった。そして、どこか自信に満ちた表情でその場をあとにした――。 「同じ俳優として、謙さんの仕事を支えて来た南さん。彼女は仕事への影響も考慮して、謙さんに“猶予期間”を与えてあげているんです。13年間も連れ添ってきた夫婦ですから、そう簡単に結論は出せませんよ」(南の知人) 彼女は毎週、画面に映る夫をどんな気持ちで見つめていたのだろうか――。
2018年04月11日ニューヨークのリンカーン・センター16か月の公演と、ソールドアウトを記録した渡辺謙の主演ミュージカル「王様と私」が、ロンドン・ウエストエンドにて公演されることが決定。今回新たに大沢たかおが参戦し、初共演の渡辺さんとともに“ミュージカルの聖地”でデビューを果たす。舞台は1860年代のバンコク。シャムの王様と、傲慢な王様の王妃たち、王子・王女たちの教育係として迎えられたイギリスの教師アンナとの間で発展する、感情が激しくぶつかり合う関係を描いていく本作。リチャード・ロジャースの音楽、オスカー・ハマースタイン2世の脚本と作詞による、代表的なこの傑作は、「Getting To Know You」「Hello Young Lovers」「Shall We Dance」「I Have Dreamed」「Something Wonderful」など、誰もが知るクラシックなナンバーに溢れている。■トニー賞4部門受賞チームに大沢たかおが参加!トニー賞を受賞した「誰もが認めるブロードウェイ・ミュージカルの女王」(サンデー・タイムス)ケリー・オハラがアンナ役を務め、トニー賞およびアカデミー賞ノミネートの渡辺さんが王様役、そしてトニー賞受賞のルーシー・アン・マイルズが第一夫人チャン王妃役を務めるチームに、今回参加することになった大沢さん。人気TVシリーズ「Jin-仁-」の主演を務めたほか、映画やドラマで数々の賞を受賞した日本を代表する俳優として、本作に王様の忠実な右腕となるクララホム首相役で出演。1995年、蜷川幸雄のシェイクスピア作品でイギリスにて舞台デビューしており、2008年・2010年共に記録的な動員数を残した人気ミュージカル「ファントム」以来、待望の舞台出演となる。渡辺さん、大沢さんともに今回がウエストエンドデビュー、夢の初共演を果たす。また、“若い恋人たち”ルンタ役とタプティム役には、ディーン・ジョン=ウィルソン(ディズニーオリジナル「アラジン」ウエストエンド公演主役)とチョン・ナヨン(「レ・ミゼラブル」ウエストエンド公演フォンティーヌ役)の参加が決定。数々の賞を受賞したロジャース&ハマースタインのミュージカルが、ブロードウェイからロンドンのパラディウム劇場へ移り、6月21日(現地時間)にプレビュー公演が開幕。本公演は7月3日よりスタート、チケット販売好調を受け、9月29日まで3週間公演期間を延長することも決定している。■渡辺謙、大沢たかおは「僕よりミュージカル経験は豊富」「最初のNY公演(2015年)のときに、日本でいい俳優はいないのか?と言われていたタイミングで大沢君が観に来てくれて」と渡辺さん。その際はスケジュールが合わずオーディションは実現できなかったものの、「僕よりミュージカル経験は豊富だし、『日本の俳優はこれくらいのポテンシャルがあるんだ』ということを証明するいい機会になる」と断言。「大沢君のある種の勇気と、こういった機会を作ってくれたロンドンのプロデューサーにも感謝したいと思います。日本の俳優同志として一緒にウエストエンドに立てるというのは、NYに1人で行くよりも誇らしい気持ちで行けるなという気がしています」と力強くコメント。大沢さんについても、「娘(杏)と一緒に出ていたミュージカル『ファントム』で初めて舞台で観たのですが、それまでのイメージと全く変わらない誠実な芝居をされるし、舞台に立たれる方だなという印象」と語り、「セリフとして舞台で表現できるための英語なので全く一からやり直すくらいの分量になる」としながらも「自分が納得できるところまでやってきてほしいと思います」とエールを贈っている。■大沢たかお「いまはドキドキの方が強い」大沢さんは「舞台デビューが蜷川幸雄さん演出のイギリス公演で、お客さんのレベルの高さや厳しさを聴いていたので、よりによってその厳しい場所なのかと思うのと、いい意味でも試される、自分の実力でしか期待に応えることができない本当の意味で挑戦できる場が訪れたなという感じです」と緊張気味に意気込みを明かす。渡辺さんについては、「僕はNYに追いかけて観に行くくらいのイチファンなので、尊敬以外の何物でもない」とコメント。「若い人たちがもっと頑張らなければいけないところを謙さんが1人で戦っているのを見ると言葉もないですし、どれだけサポートができるのかと考えさせてくれる素晴らしい先輩」と語り、初対面の際に「『海外いつ来るの?来るとき絶対電話してね』って言われたのを覚えています」とふり返る大沢さん。「まさか自分が出ると思っていなかったので、そこから公演へ向けて調整していくのが大変ですが、今回改めて声をかけて頂いて、言い訳ができない状況になっているので潔い気持ちで挑めると思っています。5月頭からのリハーサルに向けて準備は始めていますが、なかなか思うようにいかないですし、通訳も入らず、その中でどれだけ挑戦できるのか、いまはドキドキの方が強いです」と胸の内を明かしている。「王様と私(The King and I)」はプレビュー公演:6月21日より、本公演:7月3日よりロンドン・パラディウム劇場にて上演。(text:cinemacafe.net)
2018年04月05日大人気ゲーム「ポケットモンスター」のハリウッド実写映画『Detective Pikachu』(原題)に渡辺謙さんが出演するようだ。同作はすでにロンドンで撮影がスタートしている。「The Hollywood Reporter」によれば、渡辺さんが演じるのは「ディテクティブ・ヨシダ」という探偵役とのことだ。具体的な役柄は不明だが、同作は父親を誘拐されてしまったジャスティス・スミス演じる主人公と、ライアン・レイノルズが声を演じるピカチュウがタッグを組んで救出に奮闘するという物語。渡辺さんが探偵役であるならピカチュウたちの捜査に加わる可能性が高そうだ。監督は『モンスター VS エイリアン』のロブ・レターマン、キャストは現在のところライアン、渡辺さん、ジャスティスのほか、「ビッグ・リトル・ライズ~セレブママたちの憂うつ~」のキャスリン・ニュートンの4人が出演することがわかっている。『ラスト・サムライ』でアカデミー助演男優賞にノミネートされた渡辺さんは世界を舞台に活躍中。今年公開されるウェス・アンダーソン監督のアニメ『犬ヶ島』にも出演しブライアン・クランストン、ビル・マーレイ、エドワード・ノートンら錚々たるキャストと声優を努めている。(Hiromi Kaku)
2018年01月25日俳優の渡辺謙(57)が17日、自身のツイッターを通じ、事実と異なる内容を創作してネット上にデマを流しているユーザーに向けて苦言を呈した。今年3月以来、更新が途絶えていた渡辺のツイッター。「反論が無いことを良いことに全く根拠の無い話が世の中に出る事に呆れます」と嘆き、「パソコンの前で適当に書いた文があたかも信憑性あるかの様に垂れ流される。もう人の人生を勝手に創作しないで欲しいなぁ」と訴えた。渡辺は今年3月に週刊誌『週刊文春』で不倫疑惑が報じられ、7月に会見を開いていた。このツイートがどのようなデマに対する主張なのか定かではないが、同情の声のほか、賛否両論さまざまな意見が寄せられている。
2017年08月17日俳優の渡辺謙さん(57)の不倫問題を巡って、芸能界でさまざまな意見が飛び交っています。中でも注目されているのが、タレントの西川史子さん(46)と俳優の坂上忍(50)さんのコメント。西川さんは2017年7月16日の『サンデー・ジャポン』に出演した際、『みなさん謙さんには優しいというか、甘いなってすごく思った』『昨今のゲス不倫の中でも結構すごい事やってる』などと辛口批判をしました。一方、坂上さんは2017年7月17日放送の『バイキング』にて、渡辺さんが開いた会見の中で「世界の渡辺謙も普通の男だったんですね?」などと質問した女性リポーターたちに対し、『何聞いてんだよ。説教してんじゃん』『俺なら途中で「はぁ?」ってなっちゃう』などと発言。先輩俳優である渡辺さんを擁護するスタンスを取りました。この二人のコメントを受け、ネット上では両者への賛否がくっきり分かれる形となっています。●ネット上では西川を賞賛する声多数渡辺さんを批判した西川さんに対し、ネット上では『西川の言う通り。奥さんのこと愛してたら不倫なんてできない』『これは西川さん正論。世界の渡辺とか言われてるけど、不倫の罪は誰でも同じだよ。潔くドラマ降板してほしい』『奥さん闘病中なんでしょ?そんな状況でなんで不倫なんてできるの?残酷だよ。西川さんが怒るのも理解できる』『この発言で一気に西川さん好きになりました。ホントにそう思う!世の中の「謙さんだから許そう」という風潮にイライラする。不倫は不倫でしょ』『西川さんはもともと医師だから、正論をきちんと言える人。芸能界が擁護に動いている中、よくぞ言ってくれた』など、賞賛の声が相次いで上がりました。一方、先輩を擁護する形となった坂上さんに対しては、『大物に媚び売ってコソコソするのが坂上。西川史子を見習えよ』『下の者は徹底的に叩くくせに、目上の者にはめっぽう弱い。こんな奴がお昼の顔なんて芸能界おかしいよ』『坂上は毒舌が武器と言われているけど、相手によってコロコロ態度を変えるから全然毒舌じゃない。ただの弱いものイジメ』『最近坂上忍は謎の大御所感出してるけど、目上の人にかみつけないようじゃまだまだ。今回の件でいかに小物なのかが分かった』『仮にもMCなんだから、中立性を保たないとダメでしょ。この人いつも自分の主観ばかりでイライラする』など厳しい意見が飛び交っています。自分の正直な意見を言い放った西川さんに対し、普段のような毒舌を使えなかった坂上さん。世間は“権力に弱い大物司会者”よりも“自分に正直な一タレント”の方を強く支持する結果となりました。※画像はイメージです。●文/ぶるーす(芸能ライター)
2017年07月18日鈴木亮平主演で西郷隆盛を描く来年の大河ドラマ「西郷どん」。瑛太、黒木華、北川景子、高梨臨ら豪華俳優陣に加え、青木崇高、渡辺謙ら新たな出演者が発表。語りを市原悦子が務めることがわかった。西郷吉之助(隆盛)は、薩摩(鹿児島)の貧しい下級武士の家に育った。家計を補うため役人の補佐として働くが、困った人を見ると放っておけず、自分の給金も弁当も全部与えてしまう始末。西郷家はますます貧乏になり、家族はあきれかえるが、西郷は空腹を笑い飛ばす。盟友・大久保一蔵(利通)との深い友情や反目。生涯の師・島津斉彬との出会い。篤姫との淡い恋。3度の結婚、2度の島流し…波乱の生涯のなかで、唯一無二の揺るぎなき「革命家」へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げていく。この度、新たな出演者が発表。島津斉興と由羅の子で、異母兄・斉彬の死により薩摩藩の最高権力者となるが、斉彬に心酔し自らを田舎者扱いする西郷を疎み、遠島に処すなど対立を深める“西郷生涯の敵”・島津久光役に、これまで大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」にも出演した青木さん。「島津久光という人物については様々なエピソードがありますが、私にはどれもがとても人間らしく愛おしく感じます。少しでも深くその人生を生きられれば幸せです」と思いを寄せた。島津家第28代当主にして、聡明で卓越した知識を持ち、壮大な政治哲学で時代を牽引したカリスマ・島津斉彬役に、名優・渡辺さん。大河ドラマ「独眼竜政宗」で主演を務めたこともある渡辺さんは「俳優としての基礎を育てて頂いた『大河ドラマ』に恩返しさせて貰う機会を頂きました。鹿児島で絶大な人気を持つ斉彬公ですが、彼の苦悩、無念、希望、勇気、様々な思いを感じながら、生きていこうと思っております」と意気込みをコメント。西郷生涯の師であり、その遺志を抱き続ける“偉大なる父”を如何に演じるか期待だ。そのほか斉彬の側室・喜久役に、戸田菜穂。「この度、林真理子さん、中園ミホさんのお作りになる『西郷どん』の世界の一員になることが決まり、ヤッター!と、興奮しています。島津斉彬の妻喜久役、クランクインが待ち遠しいです!」 と収録を心待ちにしているよう。斉彬の側近・山田為久役の徳井優も、「157cmの私はもともと『執事系』、尽くすの大好き。今回、尽くしがいのある(身も心も)ビッグな殿と西郷どんに翻弄までされる小さな山田。…シンクロの妙!」と出演の喜びを語った。そして、本作の語りには、「まんが日本昔ばなし」では何役も演じ分け、独特の「語り」が国民的に愛される市原さんを起用。「素敵な台本ありがとうございます。ナレーションを担当する者としては本が第一です。最後の決めゼリフが良いですね。チェスト。わくわくします。喋り方に工夫しなくちゃ」と話し、放送への期待を高まらせた。2018(平成30)年大河ドラマ「西郷どん」は2018年1月7日より放送予定。(全50回)(text:cinemacafe.net)
2017年06月27日3月末、渡辺謙(57)とジュエリーデザイナー・A子さん(36)がニューヨークで密会する姿が『週刊文春』にスクープされた。 「騒動以降、渡辺さんは南さんのいる自宅には帰らず、都内のマンションでひっそり暮らしていると聞いています」(芸能関係者) 当初、妻の南果歩(53)は夫の“裏切り”を知り、憔悴しきっていたという。そんな南に追い打ちをかけたのが、渡辺が口にした“不倫弁明”だった。 「A子さんをわざわざニューヨークに呼んだのは、きちんと別れ話をするためだったと説明されたそうです。ところがお金の問題もあって別れ話がこじれてしまった結果、“不倫密会”が文春で報じられてしまったと、渡辺さんは南さんに主張したのだとか。つまり『俺はハメられたんだ』ということでしょう」(映画関係者) この説明を受けた南はますます混乱するばかりで――。 「『私、どうしたらいいの?』と家族や親しい友人に相談しています。彼女のなかには“離婚”も選択肢にあるのかもしれませんね。反面、11年間も寄り添ってきた大事な相手を、いまさら見捨てることはできないという思いもあるみたいです」(南と親しい知人) 答えが見つからないなか、彼女は今、仕事に専念しようとしているのだという。 「乳がん闘病中は仕事をセーブしていた南さんですが、今年は女優業に本格復帰されると聞いています。7月から始まるドラマ『定年女子』(BSプレミアム)の主演も決まっていますからね」(芸能リポーターの城下尊之さん) 6月中旬、彼女の「女優再開」現場を本誌は目撃した。正午過ぎ、都内の老舗洋菓子店のショーウインドウを覗き込む南の姿が――。15分後、店から出てきた彼女を直撃した。 ――渡辺さんの不倫報道から3カ月、南さんはどのようなお気持ちですか? 「本当に皆さんにはご心配をおかけしてしまって申し訳ございません」 ――離婚を決意されたとも聞いているのですが。 「ごめんなさい。いまはまだお答えできないんです」 離婚するのか否か、はっきり明言を避けたところに、彼女がいまも逡巡している様子がうかがえた。 ――渡辺さんとお話されましたか? 「それもまだ、言えません」 最後に「これから仕事なので」と頭を下げると、車に乗って、去って行った。揺れる思いを断ち切るように、しばらくは「妻より女優」の生活が続きそう――。
2017年06月22日ハリウッド俳優渡辺謙さん(57)が、ジュエリーデザイナーで元ホステスの30代女性と不倫関係にあるとして、先週より週刊誌がスクープ。結婚を見据えていたとか、3年越しであったとか、子どもを望んでいたなど、次々出る生々しい情報に世間が驚愕しています。 世間的に許されないのは、妻の南果歩さん(53)が乳がん闘病中の不倫記事であること。妻の闘病中に夫はNYで熱々不倫をしていたわけで、世界のケン・ワタナベのイメージダウンにCM各社も今後の対応を検討しているようです。今のところ渡辺さん側からコメントは出ていませんが、気になるのは世界のケン・ワタナベですら不倫でその地位を失墜してしまうのかという点です。 昨年から続く不倫スクープに世間も飽き飽きという空気はあるものの、そんな中でも対応を誤って“干される”人がいた反面、対応をその人なりに正しく行って何事もなかったように立ち直る人もいます。世界のケン・ワタナベという、ビッグスターの不倫。これはどう対処したらよいのでしょうか。 ■叩かれる不倫と叩かれない不倫の違い 世間からバッシングされる不倫。たとえばベッキーさん(33)や乙武洋匡さん(41)、テレビ朝日のアナウンサー同士の不倫などが最近では大きくバッシングされました。当人たちは休業や離婚、降板などを経験し、現在は新たな道をゼロから歩み始めているようです。 そんな彼ら叩かれた不倫に共通するのが、“誠意ある”謝罪不足です。誠意あるというのは、何も土下座したり号泣したりするのではありません。嘘や裏側を認めるという点が、誠意あるという意味です。 今の世の中はネットという場所で加工した情報発信ができるため、画像加工やオーバーリアクションなど誰もが意図せず“小さな嘘”をついている状態です。反面、他人が作り出す嘘に拒否反応を示す人が多く、不倫発覚によりあからさまな嘘や裏を感じ取ると世間はバッシングのスイッチを入れるようです。 叩かれる不倫かそうでないかは、本人が正しく見極めれば切り抜けられるトラブルともいえるのです。 ■実は不倫して無傷の人たち 正しく見極めればといいましたが、実際この不倫ブームの中、無傷で芸能活動を続けている人も多いです。たとえば最近では『女性自身』本誌がスクープしたお笑い芸人「千鳥」の大悟さん(37)。 彼は2度の不倫スクープをされ、先日それをネタにコントを披露。奥様から「死ぬ気で笑いをとってこい」と言われたようで、芸人仲間からいじり倒され、芸人としての腕を見せつけました。彼の場合、奥様含め全てを使いまくって笑いにしているわけですが、不倫を無視しなかった点が1番のポイントでしょう。 またそこまで捨て身ではなくても、他にも無傷の方はいらっしゃいます。たとえば桂文枝師匠(73)です。昨年不倫発覚時に謝罪会見を行いましたが、それ以降も特に不倫に触れることなく、いまだに「新婚さんいらっしゃい」も続行中。さすが大御所という感じですが、文枝師匠のようにしっかりとした実績と実力があれば、不倫なんてさらっと流しても実は許されるのです。 同じくさらっと流した例でいえば、漫画家の浦沢直樹さん(57)。彼も不倫発覚後の謝罪はゼロ。先日新ラジオ番組の会見で不倫の件を突っ込まれると「語るわけないでしょ」と、普通に突っぱねていました。 そんな桂文枝師匠と浦沢直樹さんの例をみていると、世界のケン・ワタナベについても対応方法が見えてきます。そう、ケン・ワタナベはこんな不倫で涙を流したり動揺した姿は見せなくていいの!!ってこと。 若干筆者の個人的な希望が入ってしまいましたが、今まで通りに俳優業をこなしていれば日本での対応は勝手に沈静化。そして世界のケン・ワタナベは再び勝手に偉大な存在になっていくと思うのです。 実力がある人には、世間のバッシングも通用しないのが今の流れ。もちろん謝罪すべき人は謝るべきですが、それは身内で解決すべきこと。今回不倫の正しい対応方法という話をしましたが、妻を裏切ったことはあくまでも内輪の話。それは当人同士で謝罪ができれば良いと思っています。 現在の世の中はどうにもこうにも“イメージ通り”以外の行動を認めず、人の弱みをフルボッコにする傾向が強い。世界のケン・ワタナベごときがそんなネット民やらの小物の声で倒れるとは思いませんが、「日本の俳優が世界進出」というイバラの道を切り開いてくれた偉大なるスターの歩みを、こんな些細なできごとで終わらせたくはないと、個人的には思うのです。
2017年04月14日*画像はイメージです:俳優の渡辺謙さんが、一般人女性と不倫していたことが判明。報じた週刊誌には「動かぬ証拠」の写真が掲載されており、不貞関係にあったことは間違いないよう。「ラスト・サムライ」の裏の顔に、ショックの声があがっています。現在渡辺が海外にいる模様で、記者会見などは開かれていません。妻で女優の南果歩も沈黙しており、離婚となるのか、容認するのかは不明です。仮に離婚となった場合は、南果歩さんが望めば慰謝料を支払う義務が発生するものと思われます。では、金額はどのくらいになるのでしょうか? ■不貞や婚姻期間に応じた金額が請求される金額を決定するうえで考慮される事情としては、不貞の期間や回数、婚姻期間、子どもの有無などがあります。婚姻期間については長ければ長いほど、慰謝料は高額化します。原則的に慰謝料の金額に「収入」や「職業」は算定要素になりません。混同されがちですが、基本的にはどのような職業、いかなる収入であろうとも、慰謝料には直結することはありません。ただし、例外的なケースとして慰謝料増額に職業が加味されることがあります。過去の判例でいうと、弁護士やプロ騎手などの裁判で、職業が慰謝料の算定要素となったことがありました。渡辺謙さんの場合、上記のように原則的には一般人と変わらず不貞期間と婚姻期間に応じた慰謝料になると思われますが、過去の芸能人と同じように、社会的な心象などを考慮し、自ら高額な慰謝料を支払う可能性があります。また、彼は日本を代表する俳優であることから、「例外」になることも考えられます。以上の要素からやはり慰謝料を支払うことになるとすれば、それなりに高額になるものと思われます。 ■当然の代償芸能人の不倫についてはかつて「芸の肥やし」、という考えもあったようですが、現在は認識が厳しくなっています。どのような人間であろうと、結婚している相手を裏切るという行為は、倫理的に許されるものではありません。仮にそれが発覚すれば、法的に代償を支払うのは当然といえます。 *記事監修弁護士:理崎智英(高島総合法律事務所。離婚、男女問題、遺産相続、借金問題(破産、民事再生等)を多数取り扱っている。)*取材・文:櫻井哲夫(フリーライター。期待に応えられるライターを目指し日々奮闘中)【画像】イメージです*Graphs / PIXTA(ピクスタ)
2017年04月12日『週刊文春』にニューヨークでの不倫現場をキャッチされたのは、日本を代表するハリウッドスター・渡辺謙(57)。 2月中旬、渡辺が元ホステスのA子さん(36)を連れ込んだのは、ニューヨークの高級アパート。だがこの部屋は、妻の南果歩(53)がつい前日まで泊まり込んでいた部屋だった。 南は、異国の地で奮闘し続ける夫のために、日本から持っていった食材で甲斐甲斐しく和食を用意していたのだ。 「こんな報道が出ると、あの2人は“仮面夫婦”だったのかと思う人もいるでしょう。でも、それは違います。いまも2人は夫婦でいっしょに行動することも多く、実際、仲の良さは端から見ても伝わってきます」(2人を知る関係者) 今年1月には、こんな光景も見られた。 「渡辺さんの所属事務所の新年会が、代官山のレストランを借り切って行われたのですが、渡辺さんと南さんは2人で手をつないで参加されてました。冷え切った夫婦には無理な芸当と思いました」(プロダクション関係者) だがその裏で、渡辺は元ホステスとの不倫に溺れて……。いったい南とA子さんとの“二重生活”を、渡辺はどう決着させるのか。所属事務所ケイダッシュの川村龍夫会長は、本誌の取材にこう話した。 「離婚の可能性はゼロですよ。彼は事態をきちんと収拾できるはずです。彼は前の離婚の渦中にうちに移籍してきて、私は彼の苦悩や憔悴ぶりをつぶさに見ています。あんな苦労を再び背負うわけがない。助言?まず果歩さんに謝ることでしょうね。すべてはそれからです」 渡辺はいまの自分があるのが誰のおかげか、もう一度よく噛みしめるべきだろう。
2017年04月04日4月1日放送の『胸いっぱいサミット』(関西テレビ)で、はるな愛(44)が渡辺謙(57)の不倫報道に言及した。 『週刊文春』は、渡辺とジュエリーデザイナーの女性(36)との3年にわたる交際の様子をスクープ。女性は田中みな実(30)似の美人で、北新地の元ナンバーワンホステスだったという。だが同誌に掲載されている2人の写真がごくごくプライベートなものだったこともあり、「女性側から情報が漏れたのでは」との憶測を呼んでいた。 そうしたなか、はるなも「(写真がどこから流出したかは)まだ分からないけど」としながらも「相手のホステスの女性が写真を見せたりしてたんでしょ~」と推測。「昔、水商売してるときにお客さんに芸能人が来たら2ショットの写真を撮って。『今日こんな人が来てくれた』とか見せたくなるんですよ~」と共感。さらに「でも、女の子同士ってありません?彼を自慢したいって」と“女心”を分析。スタジオの女性陣からは共感の声があがっていた。 北新地のホステス女性(20)はこう語る。 「お相手の女性のことは北新地でもかなり噂になっていますよ。もちろん不倫は良くないですが、彼女の気持ちは理解できます。もし謙さんほどのハリウッド俳優と付き合ったら、私は自慢しますし。ホステス同士って見栄の張り合い。マウンティングっていうんでしょうか。お客さんにどんなすごい方がいらっしゃったか。どれだけ貢いでもらったか。バーキンをいくつ持ってるか。そういう世界ですから。その分、やっかまれると怖いですけどね……」
2017年04月03日ダウンタウンの松本人志(53)が4月2日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演し、『週刊文春』が報じた俳優・渡辺謙(57)の不倫疑惑についてコメントした。 番組では同記事をもとに、渡辺は2月18日に映画の撮影のため訪れていたニューヨークで女性との“手つなぎデート”が目撃されたと説明。司会の東野幸治(49)は、これまでに不倫騒動となったタレントのベッキー(33)の事例を挙げ、「今回は擁護の声が多い印象」と考えを述べた。 これに松本は、「ベッキーのときも、最初のときはわりと(世間は)擁護していたと思うよ、俺の記憶では。今はまだ、難しい微妙なラインにおられるなあと。謙さんの場合、有名人ファミリーだから、そっちに(批判が)行くと大変」と配慮を見せた。 続けて番組では、過去に不倫を報じられた乙武洋匡氏(40)のtwitterを紹介。twitterでは「これが世に言う“忖度”か」と、今回の疑惑について批判的な報道の少ないマスコミに対する怒りの声が綴られている。 これに対し松本は、次のように持論を展開した。 「“忖度”を言うならば、ニューヨークで手をつないで歩いていたというのも、これも僕は謙さんの忖度だと思うんですね。女性のほうから『手をつなごう』と言われたらね、忖度なんですよ。(それを払いのけたら)『何?愛してないの?』って、なるわけじゃないですか。これがまた逆恨みを生むかもしれない」 現在も撮影のため日本を離れている渡辺だが、芸能レポーターの長谷川まさ子(54)は「(渡辺は)近々に帰国する予定。まずは事務所の方に説明をして今後の対応をお考えになる」と説明。松本は「擁護ではない」という立場をとりつつも、渡辺に対し、「頑張ってほしいと思ってるんです。“ラスト・サムライ”となって、一刀両断。不倫というものをこれで終わりにしてほしい」とエールを贈った。
2017年04月02日女優の杏が31日、東京・銀座の三菱電機イベントスクエア「METoA Ginza」で行われた同施設の誕生1周年を記念した記者発表会に出席。終了時に報道陣から「渡辺謙さんに不倫報道が出ましたが?」と父の不倫疑惑について質問が飛んだが、無言で一礼して立ち去った。「METoA Ginza」は、三菱電機グループのテクノロジーがアートや伝統、文化と結びつき、新しい価値を創造・発信する場所として昨年3月31日に誕生。このたび来場者が100万人を突破したことも記念し、三菱電機家電製品のイメージキャラクターでもある杏を迎えて発表会を行った。杏は「1周年おめでとうございます。それから、100万人も訪れたということで二重におめでたいなと思っております」と祝福。「たくさん関わらせていただいているので勝手に身内のような気持ち(笑)。さらに、私としてもいろんな魅力を伝えていけるように頑張っていきたい」と意気込みを語った。また、「METoA Ginza」の印象を聞かれ、「こんなにエンターテインメントというか、最新なものだけでなく、伝統や日本の和も織り込まれた空間なんだなと」と感激した様子。「私たちみたいな世代も、もっと上の方もそうですが、お子さんたちも楽しめる工夫がされている」と魅力を伝えた。「METoA Ginza」では、現在「家電リサイクル」をテーマにしたイベント「Re-Birth in Ginza - 家電リサイクルが創る、出会いと驚きの世界。」(~6月14日予定)を開催しており、本イベントでシンボルオブジェ作品を手掛けた工業デザイナーの川本尚毅氏も発表会に出席。クラッチバッグ「ORISHIKI」のMEToAオリジナルバージョンもお披露目され、手に持った杏は「遊び心がある」「すごく軽い」「フィットします」と絶賛した。
2017年03月31日女優の真矢ミキが、30日に放送されたTBS系情報番組『白熱ライブ ビビット』(毎週月~金8:00~9:55)で、俳優・渡辺謙の不倫疑惑について、『週刊文春』の"世界進出"に驚きを示した。番組では、この日発売の『週刊文春』で報じられた渡辺の不倫疑惑を特集。相手の女性は36歳のジュエリーデザイナーで、誌面にはニューヨークでデートを楽しむ2人の写真が掲載されている。この報道に、真矢は「文春さんが渡辺さんを見習ってか、世界を股にかけるようになったんだなということに一番驚き」とコメント。国分太一も「ニューヨークまでいきましたからね」と返した。また、お笑いコンビ・極楽とんぼの加藤浩次も、日本テレビ系情報番組『スッキリ!!』(毎週月~金8:00~10:25)で、「ニューヨーク…そこまでいく!?」と驚きを示した。
2017年03月30日*画像はイメージです:年の5月に音楽活動をしていた冨田真由さんが、ファンの男にナイフで刺され重傷を負った事件で、東京地裁立川支部は2月28日、加害者の男性に懲役14年6ヶ月の判決を言い渡しました。冨田さんは男性に首や胸など少なくとも34か所を刺されており、加害者男性には極刑を望んでいましたが、今回のは有期刑という判決が下されました。事件の残虐性などから、無期懲役、または、冨田さんが望んだとおりに“極刑”になる可能性もあったわけですが、殺人未遂では、そのような判決が下されることはあまりありません。そこで、今回は何故本件が有期刑という判決になったのか、また、事件について思うことを綴っていきたいと思います。 ■法定刑の上では極刑もありうる殺人未遂は、故意をもって他人を殺そうと殺害行為に着手したが、死亡という結果に至らなかった場合に成立する犯罪です。法定刑の上では、刑法43条但書の中止犯が成立する場合を除けば未遂であっても法律上の減刑は必須ではなく、したがって、極刑も可能は可能です。 ■刑を決める事情法定刑の範囲内で判決が最終的にどのような刑罰(懲役何年か)を選択するかは、犯行態様、動機、被害結果、共犯関係、年齢・性格、被害弁償の有無、反省の有無、被害感情、更生可能性、再犯可能性など様々な事情を総合的に考慮されます。特に、犯行態様と結果は一番重要視される情状となります。殺人未遂の場合、死亡結果が生じていないことから、極刑とされるのは、死亡結果が生じていないことを考慮しても、よほど凄惨な事情が必要となります。現在の裁判実務では、死亡結果が生じた場合であっても、被害者1人の事案ではなかなか死刑とされませんから、刑罰のバランスからも、殺人未遂の場合に極刑とされるのは慎重となっています。ただし、無差別事件で殺人未遂の被害者が多数おり、負傷結果も寝たきりになるなど、犯行態様と被害結果が著しく悪質である場合は、極刑とされることは、今後ないわけではありません。 ■本件の事情首や胸など少なくとも34か所刺しており、まさに死の危険性が高い事案でした。報道によれば、法廷で被告人が怒鳴るなどの行為もあったようです。他方、一応表面的には謝罪し、賠償を申し出るなどの事情もあり、結果的には、有期刑となったものと推測されます。ただし、殺人未遂だから、どんなに危険な行為をしても、有期刑程度にとどまる、ということではありません。被害者側の処罰感情は強いものがあったと思いますが、現在の裁判実務では、被害者の処罰感情が最優先とされる扱いとはなっていないことも、被害者側の希望どおりの判決にはなかなかならない原因ではないかと思います。 *著者:弁護士 星野宏明(星野法律事務所。不貞による慰謝料請求、外国人の離婚事件、国際案件、中国法務、中小企業の法律相談、ペット訴訟等が専門。)【画像】イメージです*JanPietruszka / PIXTA(ピクスタ)
2017年03月08日新春ドラマ特別企画「しあわせの記憶」(TBS-MBS系/2017年1月8日・日曜/午後9時~)の合同取材会が都内にて開催され、出演の渡辺謙、北川景子、二階堂ふみ、麻生祐未が出席し、家族の思い出を明かした。同作は、人気脚本家・大石静が現代の家族の姿をユーモアとペーソスたっぷりに描くホームドラマ。5年前に姿を消した父親(渡辺さん)が家に舞い戻り、別れた妻(麻生さん)や2人の娘たち(北川さん、二階堂さん)の生活に首を突っ込み始める。渡辺さんは、「家族って、いわゆるひとつのキチッとした形ではなくて、色々な形態の家族というものが世の中には存在しているのかもしれないと、逆にリアリティを感じるような気がしています」と撮影に臨んでいる際の心境を言葉にした。取材会では、4人から、それぞれの“しあわせの記憶”が語られた。渡辺さんは、「子どもがらみのことは多いかもしれません」といい、「いま、大学に行っている息子がいるのですが、高校くらいのときに取っ組み合いのケンカをしたのですよ。たぶん、あれが最後のケンカだったと思うのですが、嫁が間に入って『止めて!』とか」と回顧。続けて、「でも、ちょっと俯瞰で見てみると、『ドラマみたいだな』と思っちゃって」と笑顔を浮かべた。「もちろん、その時はお互いに真剣にケンカをしているのですが、そういうのって、ある意味幸せという定義に反するのかもしれませんが、『家族として真剣に向き合っていた時だよな』と改めて感じたりします」と実感を込めて語った。麻生さんも子どもとの思い出を紹介。「バケツよりも大きなたらいみたいなものにお水を入れて、夏休みに遊ばせていました。それが子どもがとっても好きで、よく写真を撮っていたのですが、撮った写真と、私が子どものころに撮った写真がまったく同じようなショットでした」とにっこり。「何から何まで一緒で、撮り方も一緒だったりして、『ああ』と思ったことはあります」と声を弾ませた。北川さんは、子どものころの習っていたピアノの発表会でのエピソードを語り始めた。譜面を完璧に憶えて臨んだものの、おじぎをし、頭を上げた瞬間に、「まったく自分の曲が思い出せなくなってしまって、ひとつも弾けなかった時間が10何秒くらいかありました」と述懐。北川さんの状態を理解したピアノの先生が譜面を持って来てくれたものの、演奏は「ボロボロ」。北川さんは、「ほんとうに号泣したときに、親がすごく優しかったのを覚えています。当時はすごく悲しかったのですが、いまは『幸せだったな』と思います」とふり返った。二階堂さんは、3年前に自動車運転免許を取得して、乗りたかったという「大きな車」を中古で手に入れたことを明かした。「父を迎えに行ったときに、父からは聞いていなかったと思うのですが、その車が父がずっと乗りたかった車だったということが発覚しました」と続けた。「実は、小さいころを思い返してみると、父が大きな車に乗っていて、私を迎えに来たときに、助手席に乗った私が『わあ、大きな車いいね』と言ったところから、たぶん私も大きな車が好きになりました。そういうときに、『親子なのだな』と感じました」としみじみ。また、北川さんと二階堂さんは同作で初共演を果たした。北川さんは「さっきも、私は『ふみちゃんの顔がかわいい。こんなにぱっちりした目で、こういう外国人みたいな顔がよかった』と言ったら、ふみちゃんが『北川さんみたいにシュッとした顔がよかった』って話をされて。女同士の兄弟だったらこういう話をするのかなと思いました」と笑顔を見せた。二階堂さんも「ほんとうに北川さんみたいなシュッとした顔立ちに憧れているので、まさに『無い物ねだりなのですね』みたいな話はしていました」と声を弾ませた。そんな2人に、報道陣から、「なんて美人姉妹なのでしょうか」との称賛の声があがると、すかさず渡辺さんが、麻生さんの肩を抱いて「だって、この夫婦ですよ!」とニンマリ。そのやり取りが会場を温かい空気に包んだ。新春ドラマ特別企画「しあわせの記憶」(TBS-MBS系)は、2017年1月8日(日)午後9時~放送予定。(竹内みちまろ)
2016年12月15日俳優・渡辺謙を主演に迎え、MBS開局65周年記念 新春ドラマ特別企画「しあわせの記憶」が来年1月8日(日)に放送されることが分かった。太郎(渡辺謙)が事業の失敗から離婚し、家を出てから早や5年。元の家には長女・夏波(北川景子)、次女・冬花(二階堂ふみ)、母・純子(麻生祐未)が暮らしている。娘たちは久しぶりに口紅をつけて外出する母の動向が気になる。そんな折、家賃滞納で金策に苦しむ太郎が夏波の会社を訪ねてくる。ネット販売ビジネスが好調の夏波に金の無心に来たのだ。父の代わりに一家を支えてきた夏波は、彼の相変わらずの風来坊ぶりに激怒。結局、太郎はかつて暮らしてきた家に転がりこむ。共同経営者の友人・吉岡(三浦貴大)との関係がぎくしゃくする夏波、アルバイト先のコンビニでチーフの田島(千葉雄大)に厳しく当たられ、落ち込みがちの冬花。別れた妻・純子は、恋の相手・尾方(菅原大吉)を見つけ、太郎が手放した懐かしい家では、それぞれが新しい人生を歩み始めていた。幸せだった頃の思い出を胸によぎらせながら、太郎は不器用にそれぞれの葛藤に関わっていく――。「セカンドバージン」「家売るオンナ」なども担当する人気脚本家・大石静が手掛ける今回の2時間ドラマ。「家族って何?」。家族はいつしか離ればなれになるものかもしれない――。本作は、ホームドラマの王道とも言えるテーマにあらためて挑み、“現代家族の姿”を描く。主人公の父・太郎役には、映画・ミュージカルなど国内外の最高峰で活躍を続ける渡辺さん。本作は新春放送ということで、「こんな“ダメ男”の話でいいのかと不安になりました」と笑いつつも、「ドラマを作り上げていく段階で、いまはいろんな形態の家族が世の中に存在しているので、逆にすごくリアリティを感じるのかもしれないという気がしています。現代版の寅さんのような感じで演じていますが、いままでにない不思議な形のドラマになっていると思います」とも語る。さらに「ほっこりして笑えるところもあり、シリアスに家族をふり返るところもあり、家族で観られるほんわかしたドラマです。(ドラマの中にでてくる家族を見て)『うちはまだましかな?』と思って頂けると思います(笑)」とアピールした。また太郎の娘2人には、長女・夏波役に前クールドラマ「家売るオンナ」での主演が話題にもなった北川景子、次女・冬花役に『蜜のあわれ』、『オオカミ少女と黒王子』(山崎賢人とW主演)、『ふきげんな過去』(小泉今日子とW主演)など主演作が続き、いまや日本映画界で欠かせない若手演技派女優・二階堂ふみ、そしてコミカルからシリアスまで幅広い役柄を演じる麻生祐未を母親役に迎える。そのほか、若手人気俳優の千葉雄大や三浦貴大ほか、旬なキャストも集結している。本作についてプロデューサー・志村彰は、「一観客として笑ってしまったり、ジーンとしてしまったりして、とてもいい雰囲気になっていると思います」と太鼓判を押し、プロデュース・演出の竹園元は「今回豪華で素敵なタイプの違う芸達者なキャストのみなさんに恵まれ、現場ではどんどん物語が膨らみ、これからの新しい家族の形を提示します。堂々の自信作となっていますので、ぜひご覧下さい」とコメントを寄せている。MBS開局65周年記念 新春ドラマ特別企画「しあわせの記憶」は2017年1月8日(日)21時~TBS・MBS系にて放送。(cinemacafe.net)
2016年11月24日俳優の渡辺謙が、2017年1月8日に放送されるTBS・MBS系の新春ドラマ『しあわせの記憶』(21:00~2時間SP)で主演を務めることがこのほど、明らかになった。共演には北川景子、二階堂ふみ、麻生祐未らが名を連ねる。MBS開局65周年記念番組として放送される同ドラマは、借金を抱え離婚し、家を去った父親が、しばらくぶりに舞い戻り、別れた妻の再婚話や悩める2人の娘の生活に首を突っ込んでいくというストーリー。時に迷惑がられ、波乱を巻き起こす男の愚直な行動に、家族や周囲の人々は、やがて自分の本当の気持ちに気づかされていく。「家族って何?」というホームドラマの王道とも言えるテーマで、現代の家族の姿を描く。主人公の父・太郎を演じるのは、渡辺謙。長女・夏波役には北川景子、次女・冬花役には二階堂ふみ、母・純子役には麻生祐未、そのほか千葉雄大、三浦貴大らも出演する。脚本は『セカンドバージン』『家売るオンナ』の大石静が担当する。主演の渡辺は「新春ということで、脚本を読んだとき、こんな『ダメ男』の話でいいのかと不安になりました(笑)」と打ち明け、「ドラマを作り上げていく段階で、今はいろんな形態の家族が世の中に存在しているので、逆にすごくリアリティを感じるのかもしれないという気がしています」とコメント。また、「現代版の寅さんのような感じで演じていますが、今までにない不思議な形のドラマになっていると思います。ほっこりして笑えるところもあり、シリアスに家族を振り返るところもあり、家族で観られるほんわかしたドラマです」とアピールし、「(ドラマの中にでてくる家族を見て)『うちはまだましかな?』と思っていただけると思います(笑)」と話している。
2016年11月24日本質にこだわる男性のための情報誌「GQ JAPAN」が、その年“最も輝いた男性”を表彰する「GQ MEN OF THE YEAR」。2016年の受賞には菅田将暉、渡辺謙をはじめ、指揮者の小澤征爾、ミュージシャンの吉川晃司、「リオオリンピック」メダリスト選手ら多彩な面々が揃ったが、この度「GQ JAPAN」1月号表紙にて、受賞者らが一堂に会す豪華ビジュアルが公開された。「GQ MEN OF THE YEAR」は、生き方、仕事、スタイルにおいて、「GQ JAPAN」読者をインスパイアし、各分野において圧倒的な活躍を見せた男性に贈られる賞。アメリカで1994年にスタートして以来、イギリス、ドイツ、インド、中国、韓国など世界14か国(2015年実績)で展開するインターナショナルなアワードだ。第11回目を数える今年の「GQ MEN OF THE YEAR 2016」では、「Set The Pace=時代を先駆ける男たち」に注目し、各界から旬な男性たちが選出された。『何者』『デスノート Light up the NEW world』『溺れるナイフ』と今年も数々の映画・ドラマで活躍した若手俳優筆頭・菅田さん。『追憶の森』『怒り』の渡辺さん。2016年2月に世界最高峰の音楽の祭典「第58回グラミー賞」にて自身が指揮したラヴェル「こどもと魔法」がクラシック部門最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞した小澤さん。アーティストとしても俳優としても活躍する吉川さん。2015年年末開催のM-1グランプリで優勝して以降、2016年はテレビで見ない日はないほど売れっ子となったお笑い芸人「トレンディエンジェル」。そして、この夏行われた「リオオリンピック」にて活躍した、柔道男子金メダリストのベイカー茉秋選手や、陸上男子400メートルリレー日本代表の飯塚翔太選手、桐生祥秀選手、ケンブリッジ飛鳥選手、山縣亮太選手らスポーツ選手が並ぶ。そして、11月24日(木)発売の「GQ JAPAN」1月号にて、「GQ MEN OF THE YEAR」受賞者7組11人のインタビューがポートレイトとともに掲載決定。また、豪華ラインナップが揃う贅沢なビジュアルが表紙に登場。2016年を華麗に彩った男性たちとともに、今年をふり返ってみては。「GQ JAPAN」1月号は11月24日(木)より発売。(text:cinemacafe.net)
2016年11月21日俳優の渡辺謙が14日、東京・EXシアター六本木で行われた山田太一脚本のドラマスペシャル『五年目のひとり』(テレビ朝日系、19日21:00~23:06)の試写会に登場。自身にとっての今年の漢字を「驚」としたためた。壇上に用意された、約120cm×140cmの巨大な紙に「驚」の字を書いた渡辺は「私自身、1月に早期の胃がんが見つかって内視鏡手術を受けましたし、その後、妻・南果歩の乳がんも見つかったり、さまざまな天変地異もあって、本当に2016年はサプライズがたくさんありました」とその理由を説明。「今年は、僕にとって驚きの年でした」と1年を振り返った。ドラマは、東日本大震災から5年が経過した東京のとある町を舞台に、渡辺演じる孤独な中年男・木崎秀次と、中学生・松永亜美(蒔田彩珠)の不思議な交流を通じて、震災のその後と再生を描くもので、上映中には涙をぬぐう人も。渡辺は「被災された方々の心に寄りそったドラマにするべきと思わされた脚本でした。すばらしいキャストの皆さんと繊細にワンシーン、ワンシーンを積み重ねて撮影しました」と力強く語った。蒔田は「東日本大震災は私が小学2年生のときのことで、はっきりと覚えていなかったのですが、震災についてあらためて考え直すことができました」と報告。亜美の兄・晋也を演じた関西ジャニーズJr.の西畑大吾は「あふれ出る色気、フランクさ…渡辺さんはうらやましいところばかり! 大人になったら渡辺さんのような人間になりたい!」と、尊敬のまなざしで語った。脚本の山田氏も「渡辺謙さんには震災に遭われた方々の代表になってもらいたいと思っていましたが、謙さんの真面目さはすごい」と絶賛。「脚本を本当によく読んで、考えて、ひとつひとつのシーンを演じてくださった。大変感謝しております」と気持ちを伝えていた。
2016年11月15日2016年5月に生涯を終えた電子音楽家・冨田勲さんの追悼コンサートの初演が11日、東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われ、遺作となった「ドクター・コッペリウス」が上演された。公演は、冨田さんが晩年にソリストとしてボーカロイド・初音ミクを迎えて制作した「イーハトーヴ交響曲」の再演、プロデューサーなどで知られるエイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」のダブミックスのパフォーマンスからなる第1部と、「ドクター・コッペリウス」を上演する第2部で構成。「ドクター・コッペリウス」は、冨田さんが完成を夢見て、亡くなる数時間前まで制作に向かっていた作品だ。「イーハトーヴ交響曲」では、オーケストラの厳かなハーモニーに乗って、ミクが可憐な歌声を披露。ステージ中央に設置された装置に映写されたミクは、舞台上を行ったり来たりしているかのように、あどけない仕草を見せながら動き回り、コーラス隊と共に合唱してみせた。エイドリアンのパフォーマンスへ転換する間の小休憩時には、「これからの演奏は通常のクラシック音楽とは異なり、大音量で強いビートが響く。ぜひ席を立って音に身を委ねてほしい」といった放送が。思わぬアナウンスに客席からも笑みがこぼれたが、再び幕が上がると、すぐにエイドリアンによる太いシンセサイザーの音色と弦楽器隊のハーモニー、その両者を支える激しくも複雑なブレイクビートがホールを揺らした。ガラリと変わった雰囲気から、前列に躍り出る観客も続出した。そして、「ドクター・コッペリウス」。小気味良いシンセの断片的な音のかけらがこだまし、第2部が始まった。この楽曲の主人公は、宇宙を夢見る科学者・コッペリウスと不思議な力を持つ少女・ミク。コッペリウスは重なる重圧に苦しみながらも、ミクと出会って宇宙へ飛び立ち、彼女とバレエを踊りだす。そんなSF的な世界観が、コッペリウス役の実際のダンサー・風間無限と舞台上に立体像で投影されたバーチャルシンガー・"初音ミク"のダンスで表現された。「イーハトーヴ交響曲」の荘厳さも感じさせるアンサンブルから一転、オーケストラは鮮やかな音色を奏でてみせる。そして、それに飛び乗った軽やかな電子音が、サラウンドで縦横無尽に飛び回る。ステージでは、コッペリウスが重力に抗いもがくようなパフォーマンスをみせ、ミクの動きと合わさる。実在しているのにどこか不可思議で複雑な演技を披露するコッペリウス、画面の中にいるのに生き生きと歌い踊るミク、ストーリーも相まって、その対比が近未来的な映像として浮かび上がっていく。カーテンコールでは、風間をはじめ、コンサートの演奏面と演出面を力強く支えた電子音楽家・ことぶき光も立ち上がり、深々とあいさつ。最後に、客席の中央に座っていた長男・冨田勝さんら親族がかつての冨田さんの写真を抱えながら起立すると、「ブラボー!」という声援があがり、スタンディングオベーションで歓喜を伝える観客も現れた。終演後、ホールを後にするオーディエンスを見返すと、集まった層は実に多様。老若男女を問わず、クラシックに精通する観客も、ボーカロイドに慣れ親しんでいる観客も、電子音楽を敬愛する観客も、文化の壁を超え"冨田勲"という音楽家が遺したものを共有している喜びに包まれているようだった。「ドクター・コッペリウス」は2017年4月、東京・すみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を携えての再演が決定。詳細は、後日発表される。(C)Crypton Future Media,INC.www.piapro.net/photo by 高田真希子
2016年11月12日今年5月に逝去した作曲家/シンセサイザーアーティストの冨田勲の遺作『ドクター・コッペリウス』がプロジェクトチームにより制作され、11月11日(金)・12日(土)の追悼特別公演で初披露される。10月26日に開かれた制作発表記者会見でその全貌が明らかになった。【チケット情報はこちら】『ドクター・コッペリウス』は、亡くなる1時間前まで打ち合わせをし、冨田が上演を最期まで夢見て創作し続けていた作品。“日本の宇宙開発・ロケット開発の父”と呼ばれ、バレエダンサーでもあった糸川英夫博士の「ホログラフィと一緒に踊りたい」という夢を形にするとともに、『イーハトーヴ交響曲』(2012年)のときに生のオーケストラ演奏で歌い踊ったボーカロイド・初音ミクにバレエ作品『コッペリア』を踊らせたいという冨田の思いが詰まった壮大な交響曲。オーケストラとシンセサイザー、バレエとホログラフィを融合させた“スペースバレエシンフォニー”となる。今回は、3Dで浮かび上がるバレエの衣装に身を包んだ初音ミクが、バレエダンサー風間無限とともに“パ・ド・ドゥ”を踊り、歌う。演出/エレクトロニクスのことぶき光は「映像は当日をお楽しみ」と明言を避け、振付の辻本知彦は「一番最後の曲はとてもいい振付になったと自負してます」と満足の表情でアピールした。1970~1980年代に冨田が制作した音源が入ったオープンリールテープもこのたび発見され、「再サンプリングしてかなりの場所で使います」とことぶき光。楽章の構成は7楽章。ストーリー原案とほとんどのサウンドファイルが遺されていたが、第1楽章と第2楽章はテーマや歌詞が遺されているのみ。プロジェクトチームから冨田氏へ思いを捧げる第0楽章『飛翔する生命体』を冒頭に据え、1と2は欠番となる。指揮の渡邊一正は「リハーサルはこれから。わくわくしています」と笑顔で語った。既存の楽曲を素材として用い、新しい世界観を作り上げるのが冨田の手法。本作には、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』やレオ・ドリーブ『コッペリア』、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、最後の劇場用映画音楽となった映画『おかえり、はやぶさ』メインテーマが素材として用いられ、新しい世界を作り上げている。当日は、『ドクター・コッペリウス』のほかに、『イーハトーヴ交響曲』、冨田の代表作である『惑星 Planets』(1977年)のリミックスも披露される。冨田勲 追悼特別公演『ドクター・コッペリウス』は11月11日(金)・12日(土)に東京・Bunkamuraオーチャードホールにて開催。チケット発売中。取材・文:門 宏
2016年10月31日電子音楽家・ことぶき光らが26日、11月11日と12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる故・冨田勲さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」の制作発表会見に登壇し、意気込みを語った。ことぶきのほか出席者は、国際交流基金理事長・安藤裕康氏、公演の音楽監督を務める指揮者・渡邊一正、ダンサーで振り付けを担当する辻本知彦、そして勲さんの長男・冨田勝氏、音楽ライター・前島秀国ら。コンサートでは、ソリストとしてボーカロイド・初音ミクが迎えられた「イーハトーヴ交響曲」の再演、勲さんが最期まで公開を夢見ていた「ドクター・コッペリウス」の初上演などが行われる。「ドクター・コッペリウス」は、2012年に「イーハトーヴ交響曲」が完成した直後から、勲さんが「必ずやり遂げなければならない」とまで語っていた大作。勲さんは上演を待たずして、その生涯を終えたものの、公演では舞台上に投影されるミクと風間無限とのバレエと共に披露される。勝氏は、これを「父が何十年も温めてきた企画」と説明。勲さんの生きざまを「最後まで『どうやったらお客さんに感動を伝えられるか』と考えた"前のめりの人生"」と形容しながら、「楽曲に込められた父の思いを一人でも多くの方に聴いていただきたい」と呼びかけた。続いて前島が、「ドクター・コッペリウス」を制作するにあたり勲さんには、ミクにバレエを踊らせたいという思いと、日本の宇宙開発に尽力した故・糸川英夫さんをイメージさせる作品として成立させたいという構想があったと解説。糸川さんが大空に向かって飛び立つ意志を持っていたように、「冨田先生が伝えたかったのは『重力のしがらみを乗り越えようとする人間の情熱』ではないか」との見解を述べた。コンサート全体をサポートすることぶきは、演出面のシステムの素材を組み立てていると発表。制作は、冨田家も借りて行っていると明かした。また、その場で眠っていた勲さんの機材を鳴らしたところ、勝氏が「ノコギリ波(シンセサイザーの基本波形の一つ)だ」とその音を言い当てたことを振り返り、「幼い頃から聴いていたからかな。ビックリして一気に仕事がはかどりました」とほほ笑んだ。会場では、バレエ衣装に着飾ったミクのイメージもお披露目。さらに、かつて勲さんがオープンリールに残していた音源も公開され、ことぶきは「ミクが歌い踊ります。そしてモーグ・シンセサイザーの音や、オープンリールの音源をサンプリングして、フレーズごとに振り分けたものを何らかの方法で走らせます」とアピールした。
2016年10月27日●冨田さんとは一歩超えたところでコミュニケーションさせてもらえた2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuiraオーチャードホールで開催される。前回、前々回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶきの言葉を紹介したい。コンサートは、冨田さんが遺した音を再現することだけでなく、舞台上に投影されるミクと、実際のダンサー・風間無限の共演も見どころとなる。また、タックヘッドなどのダブアーティストを輩出してきたイギリスのレーベル・On-Uサウンドの設立者で、ナイン・インチ・ネイルズやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといったインダストリアルアーティストのプロデューサーとしても知られるエイドリアン・シャーウッドが冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」をリミックスすることも大きな注目点だ。「イーハトーヴ交響曲」の再演、ミクたちのダンスも見られる冨田さんの遺作「ドクター・コッペリウス」の上演、エイドリアンによる「惑星」の再解釈…公演ではこの3点から、冨田さんの遺志を引き継いだ音を響かせつつ、オーディエンスに新たな未来を提示する。ことぶきは、その演奏面だけでなく映像の演出面やリミックスの素材制作の面でもコンサートの裏側をサポートしている。一見、ハードワークにさえ思えるそんな活動を通じて、彼がオーディエンスに届けたい思いとは。晩年の冨田さんとの仕事で抱いた感触なども思い返しながら、ことぶきはそれを言葉にしてくれた。○何でここまで繋がるのか――お話を伺っていると、幼少時から当時のP-MODELでの活動、そして現在の冨田さんのお仕事は繋がっている部分が多々ありますね。ね、それ自体がすごいよね。飲み屋で冨田先生に何でモーグを買ったのか聞いたら、ウェンディの話が出てきて。しかも70年の万博の時に大阪に行って、現地のレコード屋さんで見つけたのかな。性転換直前…ウォルターの頃のジャケを見て買って。「これは!」と思ってモーグも買った訳ですよね。そんな流れとか、あとはオケとコンピュータの同期の話とか、冨田先生がやっていたサウンドクラウドとかにも繋がってるというのもある。「何でここまで繋がるのか」っていう話はご本人ともしてましたね。――「イーハトーヴ交響曲」の始動が12年ですよね。NHKの特別ドキュメンタリー『音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~』(13年放送)でもサウンド設定に苦労されている姿が捉えられていました。実際にはいつくらいから打ち合わせが始まったのでしょう。初めて声がかかったのは、その年の6月頃じゃないですかね。(交響曲の)構想自体は多分ずっと前からあって、音も作っていって、実際にライブで披露するというのは一番後なので。話をいただいてからは、実のところ3カ月くらいでやりました。○"共有感"を喜んでもらえていたのでは――そんなに短期間だと相当疲れたんじゃないですか。いや、それはないです。よく「俺は何時間しか寝てねぇ」とか自慢するヤツいるじゃないですか。でも例えば、何もやることがないまま3日寝られないっていうのは病気ですよね。そこでもう1つ考えられるのは、アイデアが降りてきてしょうがなくて、冴えて寝られないというパターン。そう思うと、「俺は何時間寝てねぇ」って人は「俺はこれくらい才能があるんだ!」と言って回っているのと同じですよね。そうじゃなきゃ、本当に倒れるように寝ちゃうはず。本当に寝られない時というのは良い意味で寝られないので、そこに疲れるとかしんどいというのは一切ないですね。――インスピレーションも次々湧くような楽しみながらのお仕事だったんですね。冨田先生から夜中とか朝5時とかに電話がきて、思いついたことをめちゃくちゃ言ってて。最初は「あれ、まだ起きてたの」とか言ってくれるんだけど、どんどんそれがなくなってくる。そうなると、誤解かもしれないけども、僕も「冨田先生も喜んでくれてるのかな?」と思ってね。寝てなきゃいけない時間に作業してるということ自体がうれしそうな感じ、世間一般とは違う時間感覚で物を作れてるということがうれしい感じ。昼間でも夜でも関係なく、そういう時間軸じゃないところで物を作ってるんだという。おこがましいけど、そんな"共有感"を喜んでくれてたんじゃないかと思ってます。――他に共作する中での印象に残ったエピソードはありますか。一つ一つ印象は強いです。音の仕組みとかを瞬間的に理解できるというのも他の人ではあり得ないし。そこにメーカーのスポンサーが入った場合、彼らも自分の開発物を売らなきゃいけないから、機能として何ができるかっていうスペックをアピールしますよね。でも、その情報は現場ではほぼ使い物にならない。冨田先生は、メーカーが言うのとは別のところで現場的に何が使えるかを瞬時に察する感覚というのを理解されていた。おこがましいですが、そのステップを一歩超えたところで、飲みに連れて行っていただいてお話してくれたのが本当にうれしかったですね。●ミクとオケのスペースバレエシンフォニーを体感してほしい○アイデアは先人に生んでもらった――今回の公演では音の面だけでなく映像にも関わってらっしゃると伺いました。そちらはどういう段階までディレクションなさっているのでしょう。僕は絵とかCGとかわからないので…振り付けとかにも口出ししていると思われたりもしますが、ダンスも全然(笑)。なので、雰囲気だけ伝えて、基本はお任せですね。ただ、作業スピードを上げるために、撮り方のシステム自体は組んでて。ゲームでやるようなモーションキャプチャーのシステムとは違うやり方で撮ってるというのは、一つあるんです。仕事のスピードって、作品に影響するじゃないですか。すごいスピードで進行している感じを作り上げるために、その仕組みを提供しています。――そのアイデアは一から作ってらっしゃるんですか?いや僕のステージじゃないのもありますから、そこは(着想を)誰かに生んでもらったっていう。先人のおかげですよ。やっぱり先人への畏敬が全部のベースにあって。ちなみに基礎技術開発みたいなのは、また別途あります。なぜそれが別途かと言えば時間がかかるからですね。基礎技術って、使えるようになるまでに何年もかかったりするもんだから。それをゼロから作る必要はなくて、基礎技術開発の選択の組み合わせでイノベーションが起きる…そこを狙ってます。かと言って、開発をしてないわけでもなくて、何年後かのために常にやってもいます。――エイドリアンのパフォーマンスにも企画当初から関わってらっしゃるんですよね。初期段階から、「やってもらうならエイドリアンしかいない」というのがありました。冨田先生の世界観にある意味でのハサミを入れられる人は多分、エイドリアンかリー・ペリーかどっちかじゃないですかね(笑)。打ち合わせは、メールベースで「こういう風にアプローチしよう」といったやり取りして、サウンドファイルも送っているんですが「聴いてないけど、良いんじゃない」って(笑)。――それは信頼されているということですよね(笑)。何かすごい余裕とスケール感を感じちゃいますね。ほっといても大丈夫だと思われてるのかな。○初音ミクはクリエイトの母、冨田さんが父――ことぶきさんは、二足歩行シンセのように枠組みにとらわれず色んなデバイスを作ってらっしゃいますよね。ご自身から見た初音ミクはどのようなものでしょう。クリエイトの母ですかね。要するに、それがルーターみたいなハブみたいな機能を果たしていると思うんです。それをベースに何かを作れるっていう意味ではものすごい存在ですよね。初音ミクという母がいて、冨田先生という父がいて、僕らはステージに向かって作っていけています。――最後に今回は冨田さんの追悼公演という側面が一つあると思うのですが、冨田さんの遺志をオーディエンスに届けるという部分もあるかと思います。そこで、ことぶきさんとしてオーディエンスに伝えたいことを教えてください。スペースバレエシンフォニー。これ、3月終わりか4月頭に冨田先生に言った時は、全然真に受けられなくて、シャレみたいに受け止められちゃったところもあるかもしれないけど(笑)。コンピュータとオーケストラのスペースバレエシンフォニーを感じていただきたいです。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月26日●解凍P-MODELと平沢進ソロでの"ライブの方法"で課題をクリア2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで開催される。前回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶき光の言葉を紹介したい。冨田さんとの共演での課題となるのは、躍動的な生楽器たるオーケストレーションと統制された電子音たるミクの音をいかにして適切なタイミングで重ね合わせるか、そして両者を違和感なくオーディエンスに聴かせるかといった問題だ。ことぶきと冨田さんの仕事は、2012年の「イーハトーヴ交響曲」の初演以来であるが、これらの課題をクリアするカギは20年以上も前、90年代初頭の解凍P-MODELでのパフォーマンスや平沢進のソロライブにあったという。解凍P-MODELとは、"凍結"と呼ばれる一旦の活動休止期間をおいて、91年から93年に"解凍"と称して再始動していた時期の同バンドを指す。ことぶきは解凍以前よりP-MODELに参加していたが、その時のレコーディングの成果は残念ながらライブ映像音源としてしか残されていない。一方で解凍P-MODELは、凍結以前よりも積極的にシーケンサーやサンプラーといったデジタル機材の使用を前面に押し出し、洪水のような電子音とバンドアンサンブルとが共存した、クラブシーンなどとも異なるテクノサウンドを展開。そのステージでことぶきは、当時のドラマー・藤井ヤスチカが刻むバスドラムから、全体のシーケンサーを回す"ヒューマン・クロック"と呼ばれるシステムを披露。自身を取り囲むようにシンセを縦(!)に並べた奇抜なパフォーマンスもみせ、そのアクロバティックなスタイルから"キーボード妖怪"とも評された。"ヒューマン・クロック"のシステムは、冨田さんと共に作り上げてきたステージの核の一つ。第2回は、その点に着目しながら、解凍P-MODEL時代の逸話や平沢との楽曲制作の裏側までを振り返ってもらったエピソードを中心にお伝えしたい。○解凍P-MODELの映像を見た冨田さんが「できるじゃん」って――冨田さんのお仕事の話も少しずつ出始めたところで、今回のコンサートでのことぶきさんの役割をあらためて教えていただけますか。プレイヤーとしてのエレクトロニクス奏者というのが1つあります。それらを含んだ同期とかシステムの枠組みを作る役割、それと舞台の演出という役割、その3つですね。――冨田さんから声がかかったのはいつ頃ですか?「イーハトーヴ交響曲」の仕込みの段階。シンク(同期)システムとか"ヒューマン・クロック"で周りを走らせる仕組みをどうやって作るかと試行錯誤していた時ですね。――"ヒューマン・クロック"というと解凍P-MODELで使われていた手法ですよね。よくご存じで! まさにそうなんですけど、でもそれって今になって分かる話で。90年代当時のオーディエンスは誰も気付いてなかった。ただ、それは知らなくて良いことで。例えば劇団四季やディズニーランドが「私たちはこういうシステムでやってます」と説明するわけないじゃないですか。むしろバレない方が良い。でもなぜこのように、舞台裏の話を聞いていただいているかというと営業、要は金の話です。そして、なぜこれが必要かというと、次を作れないから。今思えば、こういうのって2、30年前にはある意味、必要なかったのかもね。それか、僕らがバカすぎて気付いてなかったか(笑)。――冨田さんは、その解凍P-MODELでのことぶきさんのプレイをご存じだったんですか。仕込みの初期段階で「例えばこういうことです」と『BITMAP 1979-1992』(92年)*なんかの映像を見てもらいました。と言うのも、「テンポを30%以上の揺らぎで制御するなんて無理だよね?」って話を振られてね。冨田先生も色んなシステムを作っていて、すごく現場をご存じ…むしろオーソリティー(権威)なくらいですが、「いや僕ら30%以上どころか完全に(演奏を)止めてからBPM180まで、0から加速していくみたいなのをやってましたので、OKです」って返すと「えー!?」と驚かれたんですよね。それで実際に映像を見てもらったら「できるんじゃん」って。*『BITMAP 1979-1992』:解凍P-MODELのツアーを収めたライブVHS。2014年にはDVDとして再発された。○冨田さんとの2つの課題――当時の「NO ROOM」の演奏なんてまさにそれでしたね。一度止めて、一気に加速するという。まさにそう! ああいうのはクラシック界、ハイ・アート*の世界だと、多分雑に見えると思うんだ。でもぶっちゃけ、ハイ・アートの方が中身だけ見れば雑なんだよね。彼らのテンポの揺れってハンパない。そのズレを人数で上塗りして作り上げている、つまり目くらまし戦法のものすごいやり方です。もっと言えばオーケストラって装置は、人数を重ねるために倍音を削ってるわけじゃないですか。弦1本弾けば世界観ができる楽器の豊かな倍音をわざわざ削って、音の豊かさも消したがゆえに人数を重ねることによって、別の音色を作り上げることが可能になった。なので揺らぎはあったほうが、あの世界を出すためには有効で。それを冨田先生はシンセでやっちゃったわけだ。シンセのダメなところとして単音の中に入ってる情報量があまりにも少ないということがよく言われますよね。ただ、それだったらオケの楽器の方が一つ一つで見ればもっと少ない。なぜ皆が「オケ楽器の音は豊かな音響を作れる」という勘違いをしてるかと言えば、(音を)重ねてるからです。それを冨田先生は理解しちゃった。何の性格も持たないものにリメイクしちゃった楽器の音を、あえて人数重ねて別の音響感を作るやり方。それをシンセでやったのが冨田先生なんですよ。*ハイ・アート:ポップ・ミュージックなどの大衆芸術(ロー・アート)に対して、理解するのに一定の教養を必要とする芸術のこと。クラシック音楽や古典的な演劇、絵画など。*倍音:基本となる音の周波数に対して2倍以上の周波数を持つ音。音には正倍数の倍音が含まれている。ギターやベースのハーモニクス奏法などでも身近に知られる。――"ヒューマン・クロック"の仕組みは今回のコンサートでも生かされてるんですね。そうです。やってることは何年も変わってないですね(笑)。――冨田さんには、平沢さんのソロライブ映像も見せられたと伺いました。それは「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」*ですか?何で知ってるんですか(笑)。その通りです。冨田先生との仕事にはテーマとなる課題が2つありました。1つは"ヒューマン・クロック"での同期をどうするか、もう1つはオケとコンピュータをどうやって共存させるか。前者は『BITMAP 1979-1992』を、後者を平沢さんソロのものを、それぞれ参考にしながらやってみました。*「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」:90年に行われた平沢のソロライブ。電子音を基調としながら、看護師の仮装をした生楽器の演奏チームがバックにつき、ことぶきもキーボーディストとして参加していた。公演タイトルは、70年代から活動しているシンセ・ポップバンド、オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじり。●物を作るために「条件下で何ができるか」を楽しむ○"ピコる精神"としての『スウィッチト・オン・バッハ』――先に『スウィッチト・オン・バッハ』の話が出ましたが90年代当時、平沢さんからの勧めがあって聴かれたという経緯もあるんですよね。そうそう。どうやってP-MODELを解凍させるかって話を2人で散々してた時、"ピコる精神"の音楽を作ろうって平沢さんがおっしゃって。「それは何だ?」と話してたら、リファレンス(参考音源)のような扱いで「『スウィッチト・オン・バッハ』を聴け」って言われたんですよ。当時からCD含めて音楽は買わなくなってたんですけどね。――それは学生の頃からですか?中2までは、底が抜けるくらい散々買いました。でも自分で作るようになってからは他人の音楽は全く聴かなくなった。伊福部昭さんの作曲本に「作曲を志す人間は音楽を聴いちゃダメだ」って書いてあったんです。「中途半端に毒された音を聴いちゃうと作曲ができなくなるから聴くな」と。○"元をとる"ために生まれた「2D OR NOT 2D」――なるほど。それでも『スウィッチト・オン・バッハ』は買われたんですよね。そう、金を払ってわざわざ買った。でも良くなかったです。平沢さんには「何てものを聴かせるんだ」って言ったんですけども。「まぁ自分の意思で買ったんだし」って返されちゃった(笑)。それで、これは(アルバム代金分の)元をとんなきゃいけないって、また曲を作りました。でも、何がしかのことがあって、その元を取るために次何やるかを決めるというのは、今でも全てにおいてそうです。言い方を変えれば「条件下で何ができるか」という作り方です。――それで完成した曲は『P-MODEL』(92年)に入っている楽曲ですか?「2D OR NOT 2D」ですね。あれは、僕が全部オケを作って…歌メロも作ってたんだけども、平沢さんがボーカルブースに入って、全然違う風に歌っちゃってね(笑)。スタジオに入る前の音を作ってる段階では、平沢さんはいなかったですね。僕と当時のエンジニアとマネージャーの3人でトラックを作って、その後、多分僕がジェットコースターに乗りに富士急ハイランドに行ってる間に平沢さんが全然違う歌にしちゃってましたね。まぁそういうのもアリかな(笑)。○具体的な個人に向けないと作り始められない――その偶然を楽しむ感覚は、冨田さんとの仕事にも感じられます。「条件下で何ができるか」ね。ちなみにこれから演出面で、キューブ型のパイプを12本はわせて上に吊るす装置のテストするんだけども、それが内径3600ミリなんです。なぜ3600かって言うと、4000ミリにすると上の蛍光灯にぶつかって割れちゃうから。そんな風に、全部条件下で決めてますね。例えば、曲をためてやりくりしてる人がいますけど、僕は全然そういうのを信用してなくて。少なくとも僕自身は、具体的に誰かに向かって作るというのが無ければ、事を始められない。一応、聞かれたら「皆さんに喜んでもらうために」とか言ってますけど、実際それを成し得るには、当然ながら物ができなきゃいけない訳です。その上で、まず誰のために作るか。それは、端的に言えばディレクターに向けてです。担当ディレクターが一番喜ぶ物を作って、その先に皆の喜ぶ顔があるわけで。――そこをクリアしないことは先にアプローチできないということですね。そうそう。冨田先生みたいな崇高なキャリアがある方であれば、作ったら世界の人を喜ばせることができるでしょう。創作と聴き手がイコールで直結してる。でも僕クラスの人間がそれを言うのはおこがましくて。その前に世界にリーチできる物を作らねばならない。そのためには、具体的な誰か個人に向けて作らないと、というのがあります。ここまで話を聞いてみると、幼少時から現在の活動まで、ことぶきが体験してきたことは、全て一つの線で結ぶことができるのではないかという思いが湧き出てくる。それに、「具体的な個人に向けて作らないと事を始められない」との言葉は、冨田さんとの仕事での姿勢を示唆しているようにも感じられる。それは、冨田さんの作った曲を舞台上で再現することにあった。その再現性自体もまた一つの作品と言えるのではないか。次回紹介する、冨田さんと過ごしてきた時間の中でのエピソードは、そんなことぶきが冨田さんという個人に向けて作ってきたとも言えるだろう音の背景をのぞかせるものだ。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月24日●すごい音を体験しちゃった2016年5月、電子音楽の巨匠・冨田勲さんが、84歳でその生涯の幕を閉じた。冨田さんは生前、1950年代に活動を開始。NHKなどのテレビ番組の音楽を作曲しながら、60年代末にアナログ・シンセサイザーのモーグに出会い衝撃を受ける。74年には、モーグを使って、ドビュッシーの楽曲を再解釈したアルバム『月の光』を発表。クラシカルでありながら時代の先端を鳴らしたサウンドは世間の注目をさらい、国内電子音楽の歴史を大きく塗り替えた。その後も、それまでの音楽を現代的に解釈し直した作品を発表しながら、常に先鋭となるべき音を求め続け、晩年はボーカロイド・初音ミクをソリストに迎えた「イーハトーヴ交響曲」を制作。12年の初演では、日本フィルハーモニー交響楽団とミクの歌声が融合するパフォーマンスを披露して話題を集めた。しかし、オーケストラとボーカロイドの音を有機的にミックスしながら、ライブとして臨機応変に対応するのは容易なことではない。それを可能にした主要メンバーの1人が、現在はプノンペン・モデル、かつては平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELの一員として活動していたことでも知られる電子音楽家・ことぶき光だ。解凍P-MODELのステージで"ヒューマン・クロック"と呼ばれるバンドサウンドと電子音を同期させるシステムも披露してきた彼は、その経験から冨田さんのミクを用いたステージも強力に支えてきた。ことぶきは、11月11、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる冨田さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」も全面的にバックアップ。コンサートは、「イーハトーヴ交響曲」の再演に加え、冨田さんが最期まで公開を夢見て制作していた「ドクター・コッペリウス」の初上演、エイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表作「惑星 The Planet」のリミックスパフォーマンスで構成される。この冨田さんの遺志を受け継いだ公演を前に、ことぶきはどのような思いを持っているのか。それを聞いてみたところ、コンサートの舞台裏だけでなく、"冨田サウンド"との出会い、音楽制作への向き合い方、P-MODEL時代の秘話、冨田さんと共演してきた上での思い出、そしてプライベートでの音楽体験にいたるまで、さまざまなエピソードを饒舌に語ってくれた。これを3回にわたってお伝えする。第1回は、幼少時に大阪万博で受けた大きな衝撃から、シンセサイザーを手にするまで、アーティストデビュー以前の彼の物語を紹介したい。○万博で全部経験しちゃった――ことぶきさんが最初に冨田さんの音楽を聴かれたのはいつ頃でしたか。テレビを介して気が付いてたら聴いてましたね。それこそ大河ドラマとかの劇伴は、20世紀音楽の開花と言えるようなインパクトで。僕のような世代は、日常的にすごいものを聴いてた訳ですよ。60年代、70年代にね。――大阪万博の頃(70年3月~9月に開催)くらいですかね。まさにそう。僕は全部を万博で体験しちゃったんです。幼稚園の卒園式を抜け出して行ったんですけども。――卒園式を!?小学校に上がるタイミングでちょうど大阪万博があったんです。そこで、お祭り広場に行く途中、松平頼暁*さんの作った曲が流れてたのを聴いちゃった。ただ、僕は1週間くらい通ったんですけど、松平さんの音楽はその途中ですぐ中止になって。コンパニオン全員が体調不良になるという当時の事件があったんですね。松平さんは独特な楽理で音を構築していて、それが影響しちゃったんだ。その話を07年か08年に松平さん本人から聞いて、「わー」って思っちゃって。そのようなことが幾つかあって、冨田先生とお話しできた時も、僕が万博で体験しちゃったものの裏側を40、50年後に作家本人から聞けたっていう…これはもう信じがたいことで。万博の後に、半分くらいの作家は皆、死んじゃうわけですから。すごい音を70年に全部、体験しちゃった。*松平頼暁:現代音楽作曲家。50年代後期からさまざまなオーケストラ、ピアノの楽曲を制作している。○小学校以降は"余生"――5、6歳でそこまで大きなショックがあったんですね。僕、小学校以降は全部"余生"だと思ってて。それまでの体験を何十年もたった後に分析してるくらいです。それは大きなポイントで、今、学生に音楽を教えてもいるんですけど、何も作ったことのない人間に音楽を教えても、ほぼ意味がない。例えば、音楽大学の作曲科の生徒に教えるとします。あの世界は積み上げられたメソッドが分厚くあって、対位法とか和声法とかを一からやりながら、楽器の奏法も修得しなきゃいけない。これじゃ10年とかすぐたっちゃう。*対位法・和声法:対位法は一つ一つのパートの独自性を保ちつつ、複数のメロディを重ね合わせる手法。和声法は主となるメロディに対して、どのようなハーモニーを接続するかに重きを置いて音を作っていく手法。――理論的な部分からガチガチで攻めるわけですね。と言うより、何を何カ月でマスターして次に行くって手順が決まってるんです。彼らって、それを修得しなかったら作品は作れないと思ってるんですよ。――え、そうなんですか? フィーリングではダメ?彼らは練習課題として色んなものを作りながら、最終的に自分自身の作品を作るための訓練を10年以上かけてやってる。それに、音大は義務教育の中で教わった内容だけでなく、特殊訓練を受けなきゃ受験もできない。訓練を何年も受け続けてる子どもたち、そして何でも知ってる子どもたち、その学生が何も作れないっていう事実ね。その一方で、特訓もせず、ほとんど何も学んでないままに、自分の持ったポップミュージックのセンスを信じて何かを作ってる"バカ"たちもいる訳です。でも、両者を並べた時にどっちに可能性があるかは明らかですよね。"バカ"の方は自分で音楽を作って、後から分析して次のステップに行くんです。ただ、それができるようになるためには早い段階、吸収力がピークに達している段階で、何らかの音楽的な洗礼を受ける必要が恐らくあって。僕はそれが6歳頃だった。まぁ僕が何か作ったわけじゃなくて、ただ聴いたってだけですけど(笑)。それでも、後はもういいやって感じでしたね。それくらい本当にデカい出来事でした。――とすると、6歳という絶妙なタイミングで冨田さんの音楽にも衝撃を受けられたのでしょうか。ただ、その時には"冨田サウンド"とは気付いてなかったですね。(カールハインツ・)シュトックハウゼンにしても冨田先生にしても、テレビで流れていたので、それが普通だと思ってました。誰の作ったものかって意識し出したのは後からですね。●僕らがやっていけるのは「冨田先生がいたから」○冨田さんの名前は「街の事情で知った」――それはいつ頃でした?その後、図らずも住んでた街の事情でピアノ教室に通わざるを得なくなって。ピアノを習ってる女子は4人いたんだけど、男がいなかったんです。そこで、ピアノの先生が「男子を生徒としてどうしても入れたい」って言うので、僕が行くことになった。生徒が何人以上、男女比何割っていうのがフランチャイズ経営で決められていたらしいんですよ。それをクリアしないと教室がなくなってしまうという。――ノルマですね(笑)。そういう事情で入れられちゃって。そこで先生から冨田勲の名前を聞いた。それも今思えば偶然で、ある種の"おかげ"ですね。その時が小学2、3年かな。○シンセサイザーとの出会い――それが初めてじっくりと楽器に取り組んだ時になるんですよね。最初からシンセサイザーを使ってらっしゃるイメージだったので意外です。シンセサイザーを、その時はまだ知らなかったですね。8歳だから、72年か…その時期だと、『スウィッチト・オン・バッハ』(68年)*はリリースされてると思うんだけども、その当時はシンセサイザーを知らなくて、『NHKニュースおはよう日本』がきっかけでした。「世の中のあらゆるサウンドを再現できるマシンが登場した!」って触れ込みでシンセがテレビに出ちゃった訳ですよ。その頃の僕は、地元ではあり得ないくらいのお年玉をもらう子どもだったんで、「これは大変だ」って、お金をかき集めて買いに行きましたね。*『スウィッチト・オン・バッハ』:後に性転換を経験するウェンディ・カルロス(発表当時はウォルター・カルロス名義)がモーグ・シンセサイザーを駆使してバッハの演奏を再現したアルバムで、日本国内の電子音楽アーティストにも多大な影響を与えた。モーグを全面的に使用した作品では初のミリオンセラーを記録したアルバムでもある。――小学生で?それは多分、中学2年ですね。と言うのも、72年の段階だと、そもそも冨田先生が買ったような1,000万円レベルのシンセしかなかったので。○大前提にあるのは先人への畏敬――当時の冨田さんと言えば、モーグですものね。そうそう(笑)。でもモーグ*は、テレビで映されてなかったです。紹介されるようになったのは、冨田先生が『月の光』(74年)とかをリリースして売れた後、「この音を作った楽器は何なんだ!?」っていう声が出始めて。それから30年たった今、11月のコンサートでいなくなった冨田先生を、復活させるんです。これは、ある種のリミックスですね。冨田勲という存在自体をリミックスしてる。まぁ、そんな冨田先生のモーグの登場を受けて日本のメーカーがコンシューマーレベルの…10、20万円の機材を出し始める。まだ手を出せる範囲での減算方式のシンセの原型が現れたのは70年代後半くらいですね。*モーグ:ロバート・モーグ博士が開発した革命的なアナログ・シンセサイザー。ザ・ビートルズやクラフトワークをはじめとして、さまざまなジャンルのアーティストの作品に使用され、現在でも国内外問わず非常に高い人気を集めている名機。流通しているものは非常に高価。――MS-20とか?おっしゃる通り。僕は後に、エレキギターのアウトプットを3本に分岐して、それぞれをMS-20*に繋げて演奏するようになるんですが、そんなマシンを持って、ある国に行った時は「日本から来たMS-20を同時に操る人間」といった一定の評価を受けています。「なぜか?」と考えると、冨田先生がいたからです。それも完全に"おかげ"で。そんなところから僕は、先人への畏敬というのが、まず前提としてあって。冨田先生がやってくれたから、僕らが外国でそのようにやっていける、大きな事実がある訳です。話を戻すと、NHKの朝の番組では、(実際にはその前からあるけれど)シンセっていうのが「世の中に登場した」って言い方で紹介されていたと記憶しています。「世の中のあらゆるサウンドを再現できる。例えば猫の声」とかね。で、自分で買って、実際に操作してみると、確かに猫の声は出ました。でも、猫の声しか出なかった。そこで「ああ、これがシンセか」と。それで1回は離れちゃいました。*MS-20:VCO、VCF、VCA、EGを2系統搭載していた、コルグのアナログのモノフォニック・シンセサイザー。P-MODELでも田中靖美が使用したように、1978年発売当時からプロアマ問わず多くのアーティストから関心が寄せられた。現在は、コルグから当時のアナログ回路を完全再現した小型版も発売されている。アーティストとしてのデビュー前、6歳の頃の大阪万博での衝撃から音楽に惹かれてきたことぶき光。中学2年生でシンセを初めて購入するまでの期間にも、冨田さんの影はそこかしこに見られた。そんなことぶきは、その後何十年もたってから冨田さんとの共演を果たす。用いられていた同期の仕組みは90年代初頭にP-MODELの一員として、披露していたもの。次回は、そんなP-MODEL時代の平沢とのエピソードなどの舞台裏から冨田さんとの仕事にいたるまでの間を振り返ってもらっている。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月21日