鹿児島市から南に約380km、飛行機から海を見下ろすと森がぽっかり浮かんでいる…?沖縄とも九州とも異なる独自のシマ文化を楽しむことができる魅惑の島、奄美。美しい砂浜、心地よい潮風、そして島の恵みを味わいに、海を越えて出かけよう。【伝泊】集落の中で暮らすように過ごす。今いちばん心地よい旅の形。喧騒から遠い北部地域で、波音と風に身を委ねる。北部に位置する笠利町は空港からほど近くの集落文化が色濃く残るエリア。そこで地元出身の建築家が、「伝統・伝説的な建築と、集落の文化を次世代に伝えていく」宿として始めたのが〈伝泊〉。原生林や驚くほど澄んだ海といった自然に加え、方言、島唄、そして料理など〈シマ〉に根付いた文化や慣習を、集落の人たちとの交流を通じ、感じ、楽しめるという唯一無二の施設です。伝泊には、元スーパーだった建物を改修した〈まーぐん広場〉を中心に、モダンなヴィラ、古民家を再生した宿、そしてフレキシブルに使えるホテルの3種類の宿が点在。リトリートが目的ならば、ビーチに立つヴィラの〈伝泊 The Beachfront MIJORA〉がおすすめ。大きな窓の向こうに広がる海は、朝、昼、夜それぞれの表情を見せてくれ、リトリート効果抜群。個人的なおすすめは明け方に乗るハンモック。徐々に明るくなる空を見ながら小さな波音に包まれ揺れていると、奄美の自然に溶け込むような感覚が味わえます。ミニキッチンもあるので、地元の食材を買ってくれば海を見ながらの楽しいディナーも可能。こんな贅沢な空間で、暮らすようにステイができるなんて、夢のよう。伝泊 The Beachfront MIJORA海と自然と、ただのんびり向き合う。何もしない時間の贅沢さを味わって。部屋に入るとガラス越しに広がる美しい海が目に入り、それだけですでに心が洗われる海沿いのヴィラ。テラス部分にあるラタンのハンギングチェアやハンモックに座り、潮風に当たりながらまどろむ時間はまさに非日常。自然を感じながらおこもりができる。シアタールーム併設の部屋なども。伝泊 The Beachfront MIJORAの部屋から穏やかな海を望む。天気が良ければ夕日に染まる海も眺められる。部屋からすぐに海に出られるのが嬉しい。面しているのは内海なので比較的穏やか。屋外シャワーもあるため、海遊びも気兼ねなく楽しめる。レセプションを兼ねたレストランで、海を見ながら地元産食材を使った朝食を。パンにつける用にサーブされる自家製の黒糖キャラメルは絶品!奄美市笠利町大字外金久亀崎986‐1TEL:0997・63・1910(「2 waters」レセプション兼レストラン/受付時間8:00~20:00)Cozy suite Villa 1棟貸し切り、定員大人1~2名。朝食付き2名1棟利用時1人¥26,800~チェックイン15:00~19:00チェックアウト8:00~10:00アクセス/奄美空港から車で約10分、名瀬から約40分。伝泊 奄美 古民家シマ文化を感じられる古民家に、一棟借りでごゆるりステイ。奄美の伝統建築といえば、緑の生け垣に囲まれた高床式、束石の上に柱を乗せただけの〈ヒキモン構造〉といった特徴があり、そんな要素を持つ古民家を一棟借りし泊まることができるのがこの施設。奄美大島内に8つあり、写真はそのうちの一つ、宿から海が見える〈水平線と朝陽の宿〉。中央の部屋(オモテ)を外廊下でぐるっと囲い込む構造。窓を開けると通る風が心地よい。台所併設なので料理も楽しめる。広さ97平方メートル。テラスにはソファセットが。水平線から昇る朝陽は見逃せない。水平線と朝陽の宿奄美市笠利町大字用26‐11棟貸し切り、定員1~6名。2名1棟利用時1人¥12,100~チェックイン15:00~19:00チェックアウト8:00~10:00アクセス/奄美空港から車で約20分、名瀬から約1時間。伝泊 奄美 ホテル最近ではワーケーション利用も増加中。アクティブに過ごしたい人はこちらへ。集落の人たちに愛されていたスーパーを改装した複合施設〈まーぐん広場〉の2階にあるホテル。余計なものがないシンプルな部屋は、一人旅やワーケーションにもぴったり。島の日常を感じながら心地よく過ごせる、ミニマムな空間です。1階には奄美の物販コーナーやカフェ、また高齢者施設が併設され、地元住民と観光客が集う〈まーぐん広場〉。広いカウンターテーブルがあるスーペリア・シングルの部屋。奄美市笠利町大字里50‐2TEL:0997・63・1910スーペリア・シングル1室朝食付き1人¥9,150~チェックイン15:00~19:00チェックアウト8:00~10:00アクセス/奄美空港から車で約10分、名瀬から約40分。バスの場合、奄美空港からしまバスで約15分(バス停「赤木名入口」で下車)。伝泊の情報は総合サイトにアクセスを。また各種SNSでも情報を発信中。※『anan』2023年7月5日号より。写真・千倉志野(by anan編集部)
2023年06月30日雑誌でタレントさんの撮影をするとき、あるいはドラマなどの収録現場において、宅配弁当、通称“ロケ弁”というものが存在します。7年前、前代未聞のロケ弁が登場したと雑誌業界で話題になったのが、山本千織さんが作る〈チオベン〉。皮を2重に巻いた春巻きに、アジアの香りがする唐揚げ、紫の食材を多用した惣菜など個性的なおかず群を仕切りなく詰め込んだ〈チオベン〉の出現は、その後の弁当界を大きく変えたといわれています。弁当を作るつもりはなかったのに、箱に詰めてみたら、意外と楽しかったんです。――以前は札幌で飲食店をされていたと伺っています。どんな経緯で上京されたんですか?山本さん:24歳のときに、当時結婚していた夫が小さな飲食店を始めたのがスタートです。夫が料理担当で、私がサービス担当みたいな感じで。でも、オープンして1年半くらいで夫が家出をしまして、仕方ないから私が厨房に入ることになり。――旦那さん、家出しちゃった?!山本さん:はい(笑)。――ちなみにそれまで、千織さんは料理の経験は…?山本さん:家では毎日作っていましたが、プロとしてはありませんでした。で、そのまま2年くらい続けていたんですが、私もヘトヘトになってしまい、別の方にお願いすることにして、いったん終止符を打ちました。でもそこで、札幌のいくつかのお店から「やることないなら、うちのキッチンに入らない?」みたいなお声がけをいただいて、また飮食の仕事に就いて、さらに別のお店に移って…みたいな感じで、結局そのまま飲食で働いてましたね。その中で、『エルフィンランド』という居酒屋で働いた経験が結構大きくて、今自分がやっていることの一つのルーツかな、と思います。――それはどんなお店?山本さん:いわゆる単館系の映画を上映する映画館の、併設の居酒屋だったんですよね。それで、上映されている映画に合わせたメニューを出す、ということをやっていて、例えば『友だちのうちはどこ?』っていう、アッバス・キアロスタミのイラン映画の上映なら、「イラン料理やんなきゃ!」みたいな。よく覚えてるのは、ウォン・カーウァイの映画のときに、点心と何かをセットにした「恋する惑星セット」や、「天使の涙カクテル」を作ったこと。それから『青いパパイヤの香り』のときにバインミーを作ったりしました。――おそらくそれは今から20年くらい前の話で、ネットで情報を集めるのも容易ではない時代ですよね。どうやって、行ったこともない国の、食べたこともない料理を作ったんですか?山本さん:おっしゃるとおり、食文化に対する知識はほぼないわけです。なので、めちゃくちゃ勉強しました。頼りになったのは、本。柴田書店という良い料理本をたくさん出している出版社があるのですが、そこの本や、あと平松洋子さんのアジアの食文化に関する本などをみんなで持ち寄って、手探りでメニューを決めてました。ちょっとでも映画にちなんだメニューだったらいいよ、ということだったので、ある意味何をやってもOKな環境で。モンゴル映画のときには、羊の脳みそで料理を作ったりしてましたよ(笑)。――千織さんの自由な発想のスタート地点は、そこだった、と。山本さん:はい。それと、食べる人を喜ばせる、という考え方も、そこで学んだものかもしれません。――その後、妹さんが札幌で営む食堂を手伝い、’10年に上京されることになりますよね。山本さん:はい。このまま妹と二人、札幌で店をやりながら年を取るのかな…と思っていたんですが、東京で料理屋をやらないかと誘われて、思い切って東京に出てきたんですが、その計画が頓挫して。でも、捨てる神あれば拾う神ありで、別のお店からお声がけをいただき、とある外国料理のお店で働くことに。そのお店は夜だけの営業だったので、ランチで札幌の食堂で作っていたような定食を出させてもらったんです、外国料理のお店なのに、昼に和定食っていう(笑)。でも、結構人が来てくれたんですよ。ただそのお店も別の方がシェフをやることになったので、お役御免に。そこで、向かいにあったバーの方が、「昼間、店は空いてるから、ランチでもやったら?」と場所を貸してくださったんです。でも、そこはバーだから、お皿がない。どうするか?と思っていたら、バーのマスターが「弁当箱に入れて売ればいいんじゃない?」とアドバイスをしてくれて。それを見た、前のお店のランチに来てくれたお客さんが、「お弁当だったら現場に配達してよ」と頼んでくれたのが、ロケ弁・〈チオベン〉の始まりです。――つまり、諸事情から弁当という形になった、ということですか。山本さん:そうそう。たまたま器が弁当箱だったから弁当になっちゃった、という感じ。私としてはワンプレートランチを作っているつもりだったんです。お皿の上にごはんがあって、その周りに仕切りもなくおかずが並んでいるような。チオベンに仕切りがないのはその名残。でもその後改めて宅配のロケ弁を始め、詰めて出荷をしてみたら、私って小さい箱に何かを詰めるのが好きだったんだなぁと気が付きまして。そういう意味では、お弁当、すごく楽しいです。実はそれまで、ほとんど弁当作ったことなかったんですけどね(笑)。やまもと・ちおり北海道出身。札幌での飲食店経験を経て、2011年より東京で弁当販売店『chioben』をスタート。瞬く間に人気が高まり、現在は撮影現場への仕出し、ケータリングに加え、雑誌などへのレシピ掲載などでも活躍。著書に『チオベン 見たことのない味 チオベンのお弁当』(小社刊)などが。ごはん+おかず3品、シンプルな構造の弁当レシピを掲載した2冊目の著書『チオベンの弁当本』(KADOKAWA)が発売中。また、小誌でも月に1回、「Cooking」ページでお弁当のレシピを連載中。※『anan』2018年4月25日号より。写真・千倉志野撮影協力・st company(by anan編集部)
2018年04月26日こだわりの食材と上質なホスピタリティバンズシティ株式会社が、2018年6月に千葉県南房総市千倉で新施設「Chikuraumi basecamp(チクラウミベースキャンプ)」をオープンします。「みんなで作って食べるを楽しむ、海のグランピング」がコンセプトの「Chikuraumi basecamp」は地元こだわりの食を通じて家族や仲間と楽しめるグランピング施設。食材の宝庫として有名な港町・千倉で波音を聴いたり風を感じたりしながら、上質なホスピタリティを堪能することが可能です。注目は朝採れたばかりの旬で美味しい海の幸や野菜を部屋のキッチンへデリバリーする特別プラン(※)。地元名物「房州海老(房州産伊勢海老)」などの食材を全長約8メートル以上の超開放的なキッチンで、ドイツの一流IHクッキングヒーターや鉄板、グリルを使ってお好きなスタイルで料理できます。人数に応じて選べる3タイプの客室「Chikuraumi basecamp」客室は3タイプ。「Aタイプ」はカップルや少人数グループ向け、「Bタイプ」はアウトドアダイニングを広々と楽しめるファミリー向け。絶景のベッドルームを備えた「Cタイプ」は大人数グループ向けとなっています。各部屋毎に独自のインテリアを採用しているので、リピーターも楽しむことができ、またテラスには暖炉が配置されるので、火を囲みながら仲間や家族との時間を過ごせます。管理棟では「代官山蔦屋書店」がセレクトした探究心や食を刺激する本を取りそろえたこだわりのライブラリーを完備。またオリジナルのブランド商品も販売されます。「Chikuraumi basecamp」は、2018年5月よりウェブサイトにて予約の受け付けを開始する予定です。※特別プランは予約時に追加オーダーが必要(画像はプレスリリースより)【参考】※バンズシティ株式会社のプレスリリース/PR TIMES※バンズシティ株式会社※Chikuraumi basecamp
2018年04月12日コンビニ店員であることがアイデンティティー、そんな女性の日常を描いた『コンビニ人間』で、第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香さん。なんと、ご自身もコンビニ店員であるという…。――ご自身も、大学生の頃からコンビニでアルバイトしてきたわけですが。村田:そうです。私は小さい頃から何をやらせても不器用で、しかも内気で人見知りなので、家族から「沙耶香は社会に出られるんだろうか」と言われていました。それで大学生の頃、近所にコンビニが建ったので、そこでバイトをしてみようと思って。すでに人間関係ができあがっているところに後から入っていく勇気はなかったのですが、お店がオープンする時から参加できるならハードルが低い気がしたんです。やってみたら、私ほどマニュアルを読み込んだり研修を受けたりする人があまりいなくて「村田さん頑張ってるね」と声をかけられたりして、溶け込めた気がしました。コンビニは男女の扱いの違いもないので、男の子とフランクに喋れたのもよかったですね。いろんな意味で、世界に溶け込めた気がするので、コンビニにはすごく感謝しています。最初にアルバイトしていた時の人たちとはいまだに付き合いがありますよ。結婚している人もしていない人もいますが、たまにその6人くらいで集まって飲んだりしています。グループでLINEもしているんですが、受賞した時は「村田さんがニュースに出ていて笑った」って書いてありました。「普通にすげー」って(笑)。――専業作家にならずにバイトを続けているのはどうしてですか。村田:わりと暇なお店をバイト先に選ぶせいか、私が働くお店は結構閉店しちゃうんです。それを機に専業になろうかなと思うんですが、執筆が進まなくて、またバイトを始める…ということを繰り返してきました。週3日バイトをしているんですが、コンビニで働いている日のほうがめちゃめちゃ執筆が進むんです。原稿を待たせている編集さんにも「コンビニで働く日を増やしてください」と言われます(笑)。バイトもせずにずっと家にいると、ゴロゴロしながら空想に没頭してしまうんですよね。それは小説を書く状態とは程遠くて。コンビニで働くなど、強制的にリアルな世界に自分を連れていかないと執筆できないようです。――あれ、前はお仕事場を持って通っていましたよね。村田:持っていました。仕事場があればもっと働くんじゃないかと思って。でも、「あの部屋に行って小説を書かなきゃいけない」と思うと、出社拒否みたいになってしまって(笑)。結局引き払いました。家賃は安かったんですけれど、あれは人生最大の無駄遣いでした。――小説を書き始めたのは?村田:小3か小4ですね。紙を四つ折りにしてホチキスで留めて、漫画や小説を書いて友達と交換するのが流行っていたんです。私は双子の女の子がバラバラに引き取られる、といった話を書いていました。そこから、だんだん友達に見せる用の小説と自分だけ用のものを書き分けるようになっていきました。でも高校時代に山田詠美さんの作品に出会って、こんな美しい文章に触れるのははじめてだと思って。あまりにも山田さんの文章への憧れが強くて、自分が書くなんて無理だと思って、書けなくなってしまいました。大学も文学部芸術学科という、演劇や絵や小説などの実技が学べるところに進学したんですが、やっぱりスランプのまま。それで、芥川賞作家の宮原昭夫先生が横浜文学学校という小説の講座を開いていることを知って、参加してみたんです。宮原先生が本当に素晴らしくて、参加している人も純粋に書くことを楽しんでいて。私はそれまで小説は素晴らしくて高尚なものと思い込みすぎていたようです。先生が「ヘタでもいいから名刺代わりに作品を出しなさい」と言ってくださって、それでまた書けるようになっていきました。その頃に書いた2作目の小説を『群像』に応募して、卒業後に受賞しました。――それが2003年に群像新人文学賞優秀作となった「授乳」ですね。そしてデビューが決まり、今、作家生活13年目です。初期の頃からセックスや家族に対する価値観を揺るがすものが多く、最近では10人産めば1人殺してもいい社会を描いた『殺人出産』など、テーマや設定に度肝を抜かれるものも多いですね。村田:振り返ってみると、本当に自由に書いてきたんだなと思います。それでここまでお仕事をいただけてきたことが奇跡です。スピルバーグ監督がインタビューで演技について訊かれた時に「笑われることを恐れない勇気を持つことだ」とおっしゃっていて、小説も本当にそうだなと思って。たぶん「また村田がバカなことをやっているな」と笑っちゃう人もいるかもしれませんが。◇むらた・さやか1979年、千葉県生まれ。玉川大学文学部卒業。2003年「授乳」が群像新人文学賞優秀作となりデビュー。'09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、'13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、本年『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した。◇芥川賞受賞作『コンビニ人間』は、コンビニに勤めて18年、未婚、恋愛経験なしの女性・古倉恵子が主人公。本人は現状に満足しているが、周囲からは結婚や就職の心配をされる日々。新人の白羽は婚活目的でバイトを始めたというが、仕事のやる気も見せず言い訳と愚痴ばかり。恵子に対しても、はなから見下した態度をとるのだが…。文藝春秋1300円※『anan』2016年9月7日号より。写真・千倉志野インタビュー、文・瀧井朝世
2016年09月01日その明るいキャラクターで、見る人を元気にしてしまう、料理愛好家の平野レミさん。インタビューでも炸裂していた、平野さんのパワーをご覧あれ!自らを、「料理好きなただの主婦よ!」と言う平野レミさんですが、今や料理番組などに出演すると、その騒々しくも(失礼!)楽しい様子に世間は大興奮!特にみんなの“レミ愛”が最高潮に達したのが、昨年秋、NHKの番組『あさイチ』の生放送料理コーナーで作った、ブロッコリーの料理。器に木のように立て、「出来上がり!」と言った瞬間、なんとブロッコリーが倒れた!「私はまじめにやってるのに、たまたま勝手に倒れちゃったのよ。そう、ブロッコリーが悪いのよ(笑)。だけど、ブロッコリーが倒れたってだけで、ツイッターのアクセスが200万よ?!もう一品の、キレイに出来上がったリゾットのことなんて、誰もつぶやかないのに。ほ~んと、人の不幸は蜜の味なのよねぇ(笑)」料理をしながら、時に歌い、時に踊る。特に、同じくNHKの『きょうの料理20分で晩ごはん』で豪快に料理をするレミさんは、本当に自由でありのまま。「よく、“心配でしょうがない”って言われるの。その番組でも、鍋でキャベツを丸ごと煮たんだけど、最初はフタが閉まらなかったわけ、キャベツが大きくて。でも、じき水分が出てかさが減って閉まるから、キャベツの上にフタを乗っけといたんだけど、それだけですごい心配されちゃって。私、人を安心させられない存在なのかしら。でも、私は昔っからこのまんま。すましたり気取ったりできないの。だってそれ、嘘をつく、あるいは自分じゃなくなるってことでしょ?そんなことできない。だけどこのままで仕事もいただいてるから、これでいいやって」とにかく言動がユニーク。この取材でも、数えきれないほど笑えるエピソードを話してくれたレミさん。「ユニーク?そんなことないわよ。自分が気持ちいいことをやってるだけよ。父親がね、小さいころから、好きなことをやれ、徹底的にやれって言ってたの。学校も“やめたい”って言ったら、“いいよいいよ”って。自由にのびのび育ててくれたから、私は今もそのまま。あのね、私、夢とか希望とか全然ないの。だから幸せ。だって大きな夢とか持っちゃったら、もし叶わなかったら挫折することになるし、イヤじゃない?だから私はそんなの持たない。夢も希望もないからすごく楽しい。毎日楽しく生きる、それだけよ~」◇ひらの・れみお嫁さんとの共著『平野レミと明日香の嫁姑ごはん物語』(セブン&アイ出版)が発売中。ツイッターでレシピも発信中。@Remi_Hirano◇「いつも小房に分けられてかわいそう」ということで、ブロッコリーをまるごと使った料理を考案。が、出来上がった途端に倒れるという珍事が。その後このネタでアプリを作成。※『anan』2015年11月18日号より。写真・千倉志野イラスト・タテノ カズヒロ
2015年11月13日