《天皇陛下は、アメリカ合衆国大統領ジョセフ・ロビネット・バイデン閣下の大統領就任につき、1月20日御祝電を発せられた》(1月22日の官報)バイデン大統領が就任した当日、天皇陛下はさっそく祝電を打たれたという。実は、陛下は皇太子時代の’13年、副大統領だったバイデン氏が来日した際に、お住まいの東宮御所に招き、懇談されていたのだ。「’11年の東日本大震災後には、米政府首脳のバイデン氏が自ら被災地を訪れたことが話題になりました。在日米軍による『トモダチ作戦』、米民間団体からの義援金など、物心両面にわたってアメリカからの支援は多大なものがありました。陛下はそれらに対する感謝の気持ちを伝えられたのです。政治的な外交とは違う、皇室との親善はバイデン大統領にも特別な記憶となって残っているのではないでしょうか」(社会部記者)また、’19年5月、陛下の即位後最初の国賓としてトランプ前大統領が来日したときは、トランプ夫妻の接遇で、皇后となられたばかりの雅子さまが大活躍された。「特に宮中晩餐会の雅子さまの存在感は特筆すべきものでした。クリーム色のロングドレスをお召しになった美しさもさることながら、通訳を介さずに、笑顔で大統領夫妻と会話されるお姿には、多くの国民が感銘を受けました」(皇室ジャーナリスト)そのお姿は米メディアにも新鮮だったようで、『ニューヨーク・タイムズ』は「トランプ訪問で、雅子皇后はスター」との見出しで報じた。さらに、その年の6月には、両陛下が「G20大阪サミット」のために来日したフランスのマクロン大統領夫妻を皇居に招かれて昼食会を催されたのだが、そこでも雅子さまの“おもてなし”が脚光を浴びる場面があった。「雅子さまはブリジット夫人と英語とフランス語を交えて話されていました。実は、ブリジット夫人はあまり英語が流暢ではないのです。それをご存じだった雅子さまは、お相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)’20年5月ごろには天皇皇后両陛下として初の海外ご訪問となるイギリス訪問が予定されるなど、両陛下は国際親善の場でさらなる活躍をされることが期待されていた。しかし、昨年当初からの世界的な新型コロナウイルス感染拡大で”皇室外交”はストップしてしまった。ただ、コロナ禍を背景に社会には一気にZoomなどのオンライン会議システムが普及した。そんななか陛下と雅子さまは、今年元旦、国民に向けてお揃いで新年のビデオメッセージを発信されるという、皇室史上初の試みに挑戦された。「今後、皇室外交にもオンラインが利用される可能性はあると思います。オンラインを利用することで、これまで以上に、両陛下と各国要人との会見が盛んに行われることになるかもしれません。例えば通訳なしで外国の首脳と会談される両陛下の姿が、字幕スーパー付きで配信されるようなことがあれば、新しい皇室外交の様式“令和流”として定着するのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)1月28日には、就任後初となるバイデン大統領と菅義偉首相の電話協議が行われた。コロナ禍に加えて、大統領選後の混乱する米国情勢もあり、菅首相の訪米、バイデン大統領の来日とも日程は不透明だ。トランプ前大統領の来日時には、見事な接遇ぶりで鮮烈な印象を残した両陛下。バイデン大統領への政権交代後も、両陛下が日米の架け橋になることだろう。
2021年02月03日「眞子さまの結婚問題はもはや国民的関心事。皇室の頂点に立たれる天皇陛下が、この問題についてどのように考えているのかをお聞きすることも必要だと思います」そう語るのは皇室担当記者。2月23日の天皇誕生日を前に、天皇陛下は記者会見に臨まれる。その会見で、眞子さまと小室圭さんについての質問があるという。眞子さまが昨年11月に発表した「お気持ち」に、次のような文言がある。《この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》眞子さまが書かれた文書によれば、天皇陛下も二人のお気持ちを尊重されているというのだ。「陛下ご自身も、ご結婚までには非常に苦労されています。雅子さまとの結婚も一度は諦められたことがあったほど。もしかすると、小室さんとの結婚にこだわる眞子さまのお気持ちに共感する部分もおありかもしれませんが……」(前出・皇室担当記者)もし天皇陛下からも結婚をお認めになる発言があれば、小室さんにとっても大きな追い風になる。だが、皇室ジャーナリストの見方は厳しい。「小室さん側は要求された金銭トラブルや米国留学の経緯説明すらまだ果たせていない状況です。秋篠宮さまが結婚を『認める』と発言されてからも、小室さんに反発する国民感情は収まるどころかむしろ高まっています」■鍵を握るのは母・佳代さんの動向こうした状況で天皇陛下が小室さんの応援とも取れる発言をなされば、陛下ご自身まで国民から非難を浴びかねない。はたして、天皇陛下はどういった発言をされるのか。眞子さまとの結婚に向けて、小室さんにとって大きな“正念場”となるが、鍵を握るのは小室さんの母・佳代さんだという。「結婚延期の原因は、佳代さんの金銭トラブルでした。しかし発覚から3年以上経過した今も佳代さんは沈黙を貫いたまま。しかも、そういったトラブルがあったにもかかわらず、佳代さんの金銭感覚が変わっているようには見えないのです。眞子さまは1億4千万円近い一時金を受け取ることになっています。そのお金の一部が佳代さんに渡ってしまうのではないか、という疑念は払拭できない状況です。国民が小室さんよりもさらに不安視しているのは、眞子さまの”義母”となる佳代さんのことではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇室に詳しい歴史学者の小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授は、眞子さまの結婚問題が起きた要因は「皇室の歴史上で初めてといっていい、まったく事前調査なしの“自由恋愛”だったからではないか」と語る。「“ミッチー・ブーム”を起こした上皇陛下と美智子上皇后も恋愛結婚でしたが、それは綿密な調査があったうえでした。女性皇族の結婚では調査はあまり行われませんが、黒田清子さんや高円宮家の典子さんや絢子さんの場合は、両家の家族同士で交流がありました。一方、小室さんは完全に、眞子内親王がお一人で選んだお相手です。まったくの自由恋愛による結婚という点で、眞子内親王の結婚は素晴らしい事例となるはずでしたが、小室家が多くの問題を抱えていたことは非常に残念でした」今後の女性皇族の結婚までも左右しかねない、佳代さんの存在。天皇陛下は会見で眞子さまと小室家の縁談について、どう言及されるのだろうか――。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月02日「この1年、多くの方が本当に大変な思いをされてきたことと思います。今年が、皆様にとって少しでも穏やかな年となるよう心からお祈りいたします」天皇陛下と出演されたビデオメッセージで、雅子さまはコロナ禍の国民を気遣うお言葉を述べられた。映像での新年のお言葉は、皇室史上初の試みとなった。「昨年はコロナ禍で、国民とふれあう機会は激減。そこで両陛下はオンラインを積極的に活用され、新たなご公務のスタイルを模索されたのです」(皇室担当記者)11月には日本赤十字医療センター(東京都)と、北海道、福島県、沖縄県の関連病院をオンラインで視察。両陛下はメモを取られながら何度も質問され、院内でも一部のスタッフしか入室できない現場の様子まで映像でご覧になった。雅子さまは「皆様が力を尽くされていることに敬意を表します」と、医療スタッフを励まされた。「驚いたのは、このご訪問を宮内庁が『オンライン行幸啓』と発表したことです。『行幸啓』とは本来、両陛下がご一緒に外出されること。オンラインであっても『行幸啓』と認めるということは、それだけ両陛下がオンラインで国民と交流することを重要視されているということでしょう」(前出・皇室担当記者)大分県豊後大野市の高齢者活動団体「はつらつ清川」にも、両陛下は昨年11月にオンラインでご視察。はつらつ清川の関係者に話を聞いた。「高齢者のみなさんは初めのうち、緊張を隠せない感じでした。ですが、天皇陛下も雅子さまも優しくお声がけくださり、すぐにみんな打ち解けていました。とくに雅子さまは、豊後大野市の歌『ふるさとおおの』に合わせてメンバーが体操する様子をご覧になって『「ふるさとおおの」の歌はとてもいい歌でした。体操もとても体によさそうで、一緒に試してみたらよかったかしらと思いました』とおっしゃり、会場の雰囲気も明るくなりました」こういった和やかな雰囲気は、むしろオンラインの利点ではないかと宮内庁関係者が語る。「通常のご訪問では、宮内庁職員や護衛の警察官、取材のカメラマンなどが同行し、どうしても会場はピリピリした感じになります。しかしオンラインならば、ふだんと変わりなくアットホームな雰囲気で懇談ができます」オンライン訪問により、ふだん会えない地方の人々にも笑顔を届けることができる――。両陛下もそう実感されたのではないだろうか。12月には障害者の雇用促進に取り組む長野県の企業・エプソンミズベの工場を視察された両陛下。5人の社員とオンラインのモニターを通じて交流された。入社5年目の上條美咲さん(25)は、天皇陛下から「どのようなところに気をつけて作業されていますか?」との質問を受け、「怪我をしないところです」と答えた。すると、雅子さまは交流の終わりに、上條さんに「お怪我のないように」とお声をかけた。天皇陛下との会話をお聞きになって、上條さんに思いやりの言葉をかけられたのだった。実は、このご視察でもオンラインならではの利点があったという。「毎年、障害者週間には両陛下が施設を訪問されていましたが、どうしても日帰りできる東京近郊に限られていました。しかし今回は、オンラインの特性を生かして長野県の工場をご視察することができたのです。先日の雅子さまの誕生日、宮内庁の医師団は《ご体調には波がおありです》と、雅子さまがまだ適応障害のご快復途上にあることを強調しました。皇后となられてからの地方ご訪問も、過密日程を避けるなど、ご負担にならないよう慎重に調整されているのです。しかしオンラインならそういった制約もなくなります。赤坂御所から全国各地を“旅”することで、励ましの言葉を届けることができるのです」(前出・宮内庁関係者)天皇皇后両陛下は何年もかけて、全国47都道府県を巡ることを目指されている。しかしオンライン行幸啓により、2カ月で東京、北海道、福島、沖縄、大分、長野と6都道県の人々とおふれあいになることができたのだ。昨年12月の誕生日に際しても《オンラインという方法により、このように国民の皆様との触れ合いの機会を持てることは有り難く、今後ともそのような機会を大切にしていくことができればと感じております》とつづられていた雅子さま。陛下と取り組まれる前例なきオンライン活用は「令和の改新」とも呼ぶべき大改革になるかもしれない。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月09日《お年を召され、上皇后さまにいろいろとお尋ねになることが多くなられたようにお見受けします》上皇陛下は昨年12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。上皇職が発表した文書には、上皇陛下のご体調に触れた一節が。《何度か繰り返されるご質問にもその都度丁寧にお答えになる上皇后さまと、それを聞かれご納得になるといつも明るい笑顔におなりになる陛下。時に、勘違いや戸惑いがあっても、一緒にお笑いになりながら、ご記憶を新たにされ、日々のご生活を確かなものとされています》「何度か繰り返されるご質問」「勘違いや戸惑い」……。上皇陛下の現在のご症状が赤裸々に綴られていたのだ。上皇陛下は5年前、82歳の誕生日会見で「行事の時に間違えることもありました」と、記憶力の低下を明かされたことがあった。「ご退位後にご公務が激減し、コロナ禍の外出自粛も重なって、さらにご症状に拍車がかかってしまった可能性もあります。認知症の症状とみられます。ここまで踏み込んだ表現になったということは、上皇職は美智子さまにも相談のうえ文面を作成したのでしょう」(宮内庁関係者)なぜ、このタイミングでの公表となったのだろうか。美智子さまの知人は次のように明かす。「実は上皇后さまは以前、『そのうち国民に(上皇陛下のご症状を)説明してもいいと思っているのです』とお話しになっていました。これまで上皇陛下も上皇后さまも、ご体調、ご病気については隠さず国民に伝えてこられました。今回の上皇陛下のご様子についても、陛下と熟慮のうえで公表の準備をされていたのでしょう」美智子さまのご決意の陰には、ある願いがあるという。「上皇后さまは、上皇陛下との生活について『私はこのときのためだけにいるのよ。ほかの誰にもできないですから』と、ご退位後の上皇陛下のお世話をなさる決意を話されたことがありました。そして、昭和から平成の初めまでを過ごされた今の赤坂御所に上皇陛下と戻ることを願われ、『そのことだけのために私は存在するのよ』と、ご覚悟を口にされていました」(美智子さまの知人)当初の計画では今年の秋ごろに仙洞仮御所から赤坂御用地へ引っ越される予定だったが、コロナ禍で改修工事が滞るなど、大幅に延期になる見込み。上皇陛下と1日も早く懐かしの我が家へ――。美智子さまの“涙の願い”が叶うことを祈りたい。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月08日上皇陛下は12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。いま上皇陛下にとって一番の心配事は、初孫である眞子さまの結婚問題かもしれない。眞子さまは11月13日《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、小室圭さんとの結婚の意思を示した文書をご公表されている。眞子さまはその文書を、《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》という謝辞で締めくくられている。文書公表にあたって、上皇陛下も眞子さまのお気持ちを「尊重」されているというのだ。眞子さまが誕生したのは、’91年10月23日。その翌日、上皇陛下と美智子さまは、産後の紀子さまをお見舞いされ、生まれたばかりの眞子さまにも対面されている。このとき上皇陛下は「とても嬉しい気がしました」とおっしゃっていた。そして’93年、還暦を迎えられた上皇陛下は、誕生日に際して記者から「眞子さまからどのように呼ばれていますか?」との質問にこうお答えになった。「今は確か、『おじじさま』と呼ばれているように思います」それから17年が経ち、眞子さまが国際基督教大学に入学された’10年。上皇陛下は78歳の誕生日に際して、眞子さまへの期待を述べられた。「眞子は、国際基督教大学に入学し、学生生活を楽しく過ごしているようでうれしく思っています。夏には海外英語研修プログラムに参加し、アイルランドで、ほぼ40日間、国の異なる人々と生活を共にしています。帰国後、写真を見せて丁寧に説明してくれました。将来、大学生活を振り返り、有意義なときだったと思えるような日々を送ってほしいと願っています」その国際基督教大学での学生生活で小室さんと出会われ眞子さま。’17年9月3日にお二人の婚約は内定となる。「当時天皇だった上皇陛下が裁可されたことで、眞子さまと小室さんの結婚が内定しました。上皇陛下と美智子さまは、皇居の御所で秋篠宮夫妻と眞子さまからごあいさつを受けました。その時に初めて、小室さんとも対面されたのです。天皇陛下は初孫の慶事に、始終和やかなご様子でした。秋篠宮ご夫妻にも、『おめでとう、良かったね』と声をかけられました」(宮内庁関係者)上皇陛下は同年、84歳の誕生日に際しても「私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています」と、眞子さまを祝福されていた。眞子さまの結婚内定から3年余り――。その間、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブル、小室さんのニューヨーク行きなどさまざまなできごとがあったが、お二人の結婚の意志は揺らがなかった。来年には小室さんがアメリカから帰国し、結婚に向けた準備が本格化するとみられているが、お二人の結婚に批判的な声も根強く、先行きは見えない。高輪の仙洞仮御所で87歳の誕生日を迎えられた“おじじさま”は、初孫・眞子さまの幸せを静かに願われていることだろう――。
2020年12月23日宮内庁は12月10日、天皇陛下が新年にあたり、国民に向けたビデオメッセージを出す予定だと発表した。例年1月2日には、皇居で新年一般参賀が開催されているが、来年は中止になることが決まっていた。今年は6万8,000人以上が集まっており、大勢が密集することから感染拡大の懸念が大きいためだ。そこで、新年一般参賀の取りやめたことに代わって天皇陛下によるビデオメッセージを出すことになったという。宮内庁によると、ビデオメッセージは1月1日か2日に公開されるといい、雅子さまが出演される可能性もあるという。天皇陛下による初めてのビデオメッセージとなるが、その理由について宮内庁関係者はこう語る。「やはり大きな理由はコロナ禍です。新年一般参賀が行えないだけでなく、1年以上両陛下による地方行幸啓さえ行えていない状況です。国民との接点を少しでも増やしたいという、両陛下と宮内庁の考えがあるのでしょう」さらに、ビデオメッセージが行われることになった背景には“小室さん問題”の影響もあるという。「11月13日の眞子さまの『お気持ち』文書発表以来、眞子さまと小室さんの結婚のゆくえばかりが注目される事態になっています。実は11月には、両陛下が初めてリモートで医療現場を視察される“オンライン行幸啓”をなさったのですが、報道の量は決して多くありませんでした。両陛下の画期的な試みが、小室さん問題の影に隠れてしまったといえます。宮内庁としては、小室さん問題ではなく、本来の皇室の役割に注目が集まるようにすることが急務なのです」(宮内庁関係者)
2020年12月11日2020年10月20日、美智子上皇后陛下は86歳の誕生日をむかえられました。産経ニュースによると、上皇后陛下は新型コロナウイルス感染症拡大を危惧し、外出を控え上皇陛下に寄り添いながら静かに過ごされているといいます。同日に宮内庁が発表した上皇后陛下の『あるお言葉』が、ネット上で「素敵」「心が救われた」と話題です。『できなくなったこと』への考え方上皇后陛下は、2019年8月に早期の乳がんと診断され、翌月に手術を受けられています。それ以降、術後のホルモン療法が影響とみられる左手指のこわばりにより、得意のピアノ演奏に支障がでているとのこと。難しくなってしまったピアノ演奏に対し、上皇后陛下はこう考えられているといいます。今まで出来ていたことを授かっていたこととお思いになるのか,お出来にならないことを「お返しした」と表現され,受け止めていらっしゃるご様子です。宮内庁ーより引用以前のようにピアノが弾けないことを、上皇后陛下は「今までできていたことは授かっていたもの、それができなくなったことはお返ししたもの」と受けとめているといいます。ネット上では、このお言葉に感銘を受けた人が続出しています。・美しいお言葉に、思わず心が震えました。生き方が言葉に現れるとはこのことですね。・美智子さまの素晴らしいお人柄がでていますね。今までできていたことに感謝して、ありのままの今を受け止める、素敵な生き方。・私は年を重ねて、段々とできることが少なくなっています。しかし、このお言葉を知って元気をもらえました。ありがとうございます。お言葉の中に、上皇后陛下のこれまで歩まれてきた人生やお人柄が、垣間見えます。上皇后陛下は、決して万全なご体調ではないようですが、上皇陛下に不自由がないように献身的に支えていらっしゃるそうです。30年もの間、上皇陛下とともに日本を支えてこられた上皇后陛下。どうかご無理をなさらず、これからも穏やかな笑顔でいていただきたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月21日上皇后・美智子さまは10月20日、86歳の誕生日を迎えられた。宮内庁によると、今年は美智子さまのお気持ちにより、すべてのお誕生日行事や恒例のお祝い御膳も中止されるという。上皇ご夫妻が皇居から高輪の仙洞仮御所にお引っ越しされたのは3月31日。美智子さまはそれ以来、宮内庁病院での検診を除いていっさいの外出を控えられてきた。誕生日に際して上皇職は、美智子さまの体調について以下のように発表している。《今年5月以降、ほぼ毎日、午後にお熱が37度を超え、翌日に平熱に戻る原因不明の症状がおありで、今も続いています》《昨春からのご体重の減少は、少し落ち着かれたものの未だご回復に至らず、心不全の診断指標であるBNP値も高い状態が続いています》いったいなぜ、美智子さまは体調を崩されてしまったのか。原因不明の発熱について《ご移居前の長期にわたる、時として早朝から夜遅くに及ぶ引き移りのためのお仕事のお疲れが未だおありだと拝察されます》と説明している。昨年、白内障と乳がんの手術をされたばかりの美智子さまにとって、3月の引っ越しはかなり“過酷”なものだったようだ。上皇陛下と美智子さまが、以前お住まいだった吹上仙洞御所に転居されたのは’93年12月。赤坂御所から運び出された荷物は2トントラック100台分。そのうち“私物”は6割で、約120トンに及んだ。今回は赤坂御用地内に新設された倉庫に運び込まれたものも多かったようだが、それでも膨大な品々の“仕分け”が必要だった。「膨大な荷物は国内外から献上された逸品はもちろん、上皇ご夫妻が結婚されてから60年間の思い出が詰まった品々ばかりです。美智子さまはご退院後、早朝4時ごろから起床され、長い日には1日15時間もお荷物の整理をされていました。側近が制止するも、『そうはいかないのよ』と手をお休めにならなかったそうです」(前出・宮内庁関係者)満身創痍ともいえる美智子さまだが、上皇職の説明によれば、それでも上皇陛下をお支えすることを第一にしていらっしゃるという。《上皇后さまがお過ごしになるお時間の大半は、ご高齢となった陛下に寄り添ってお支えになることに費やされています。ご自身も決して万全なご体調ではありませんが、陛下にご不自由がないよう、また、日々を楽しくお過ごしになれるようきめ細かくお心を配っていらっしゃいます》美智子さまがそれほどまでに上皇陛下を献身的にお支えになる理由について、宮内庁関係者はこう語る。「天皇ご一家が皇居の旧吹上仙洞御所に引っ越されたあと、上皇ご夫妻は赤坂御所にお引っ越しされます。しかし、コロナ禍で改修工事が進まず、お引っ越しのスケジュールが大幅に遅れているのです。赤坂御所は、上皇ご夫妻が昭和から平成の初めまでご家族と過ごされた思い出の場所。赤坂御所での暮らしを心待ちにされている上皇陛下のためにも、美智子さまは全力でお支えになるご覚悟なのです」
2020年10月20日《贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に》上皇陛下が’19年1月の歌会始で詠まれた和歌である。上皇ご夫妻は’05年、阪神・淡路大震災から10年の追悼式典に出席した際、震災で姉を亡くした少女からヒマワリの種をもらい、お住まいの御所の庭で毎年育てられてきた。このヒマワリは、復興の象徴となっている「はるかのひまわり」だった。阪神・淡路大震災で亡くなった、はるかさんという小学生の女の子の自宅跡に咲いたヒマワリの花に由来するもので、震災の記憶の継承のため、全国に広められている。上皇ご夫妻は今年3月末に、皇居から高輪の仙洞仮御所にお住まいを移られたが、このヒマワリが実は、お引っ越し先でも育てられているというのだ。9月11日に皇居内の宮内庁病院を訪問された美智子さま。この日が実に5カ月ぶりの外出だった。「新型コロナの感染拡大防止のため、国民が外出自粛を強いられるなかで、美智子さまも外出を控えられてきました。高輪の仙洞仮御所の庭を毎日、朝夕2回、上皇陛下とお二人で散策されるのが日課となっています。庭の花々にまつわる思い出を、お二人で話されているといいます」(皇室担当記者)仙洞仮御所のヒマワリについて宮内庁に問い合わせると、以下のような回答があった。《ご遺族から贈られた「はるかのひまわり」の種子を吹上御所のお庭でお育てになり、そこから採取された種子を毎年お育てになっていました。仙洞仮御所でお育てになっているのも「はるかのひまわり」です。皇居東御苑にある「はるかのひまわり」は、両陛下が御所でお育てになり、それから採れた種子を分けていただいたものです。以降、皇居東御苑で育てたものから種子を採取し、それをまいて育てています》「上皇上皇后陛下が毎年、ひまわりの花を咲かせていらっしゃることで、『はるかのひまわり』に興味を持ってくださる方が増えています。とてもありがたいことです」そう語るのは「はるかのひまわり絆プロジェクト」代表の松島俊哉さん。「私たちのプロジェクトは、例年春先に『はるかのひまわり』を育て、採取した種を無償で配布する過程で、その由来を伝えています。災害の悲惨さ、命の尊さを感じてもらい、『人の尊厳』と『人との関わりの大切さ』を伝えることが、感性豊かな地域社会をつくることにつながると考えています。咲いたヒマワリから収穫した種は再配布していただいたり、一部を返却したりしていただきます。上皇ご夫妻が災害の悲惨さと命の尊さを語り継いでくださっていると感じます」昨年の御代替わり直前には、上皇ご夫妻が『はるかのひまわり』を育てられていることが何度も報道された。「御代替わりに伴って報道の機会が増えたことで、昨年は種のリクエストは例年の10倍、4,000件ほどに増えました。今年も去年以上に多いペースでリクエストが届いています。コロナ禍で学校が休みになっていたため『子どもたちが休んでいる間に育てて、学校に帰ってきた時にひまわりの花で迎えたい』という学校も多かったです。このコロナ禍でも『はるかのひまわり』の輪が広がっています」体調に不安を抱えられている美智子さまだが、「はるかのひまわり」の思い出を上皇陛下と語らうひとときが心の支えになっているのかもしれないーー。
2020年10月19日上皇后・美智子さまは、10月20日に86歳の誕生日を迎えられる。上皇陛下とご一緒に、3月末に皇居の仙洞御所から高輪の仙洞仮御所に引っ越された美智子さま。上皇陛下が5月下旬から週2日程度、皇居の生物学研究所に通われるようになった一方、美智子さまは外出のない状態が続いていた。9月11日に皇居内の宮内庁病院を訪問されたのが、5カ月ぶりの外出だった。そんな美智子さまの心の支えになっているのが、仙洞仮御所に植えられた花々なのだという。皇室担当記者は語る。「最近では、新型コロナで苦しむ国民への心配もあってか、ご体調が優れない時期が続いたそうです。とくに左手が痛く、ピアノをお弾きになれないことがあり、微熱も続いたといいます。それでも上皇ご夫妻は毎日朝夕にはそろって庭を散策しそして、お花の手入れをされていたのです」上皇ご夫妻が大切にされているお花ーー。それはヒマワリとコハマギクだという。本誌がコハマギクについて宮内庁に聞くと《吹上御所の御車寄付近に植えられていたハマギクから株分けされ、仙洞仮御所の御車寄付近に植えられています》との回答があった。「仙洞御所の車寄せに育っていたコハマギクが、高輪の仙洞仮御所で育っているということは、本当に嬉しい知らせです。このことが大槌町、岩手県の人に伝わると、とても励みになります」感激した様子でそう語るのは、岩手県大槌町「三陸花ホテルはまぎく」の千代川茂社長。実はコハマギクは、東日本大震災の被災地と上皇ご夫妻に深い縁のある花なのだ。震災前の’97年には、天皇皇后両陛下がこのホテルの前身の『浪板観光ホテル』にお泊まりになったことがあった。しかし’11年3月11日、ホテルは津波に飲み込まれ壊滅的な被害を受ける。先代の社長だった千代川さんの兄も行方不明になってしまった。震災から半年後ーー。美智子さまの77歳の誕生日に公開された写真は、上皇陛下とご一緒に皇居に咲くコハマギクの花をご覧になっているもの。上皇ご夫妻は、’97年に、千代川社長の兄が献上したコハマギクの種を、大切に育てていらっしゃったのだ。そのコハマギクが現在、高輪の仙洞仮御所で育てられている。美智子さまは、引っ越しの際に皇居から高輪にお持ちになったそうだ。「あと半年で、東日本大震災から10年。着実に復興は進んできましたが、コロナ禍でたいへんな時代になってしまいました。観光産業もダメージが大きいです。でも、はまぎくの『逆境に立ち向かう』という花言葉のように頑張りたいと改めて思いました」ホテル裏の海岸の岩場に自生するコハマギクは、今年も波に負けず元気に育っているという。「’16年に上皇ご夫妻に再びお越しいただきコハマギクを見ていただいたのですが、次はご公務ではなくご旅行で岩手にいらしていただき、もう一度、コハマギクをご覧になっていただければ嬉しいです。このあたりのコハマギクは、美智子さまのお誕生日の10月20日ごろから約1カ月が見ごろとなります。仙洞仮御所のお庭の花はもう少し早く咲くのでしょうね」コハマギクの花を大切にされるお姿は、昭和から平成の60年以上をともに歩まれた上皇ご夫妻の、つねに国民を思うお気持ちをあらわしているのではないだろうかーー。
2020年10月19日天皇皇后両陛下は8月20日、水の防災についての国際会議をオンライン聴講された。コロナ禍における各国の水害対策などが話し合われた会議は2時間半にわたって英語で行われ、両陛下はメモをとるなど熱心に話を聞かれた。天皇陛下は会議の終了後に「大変意義のある会議でした。世界各国が手を携えてこの困難を乗り越えてほしい」と述べられたという。「水問題」といえば、天皇陛下のライフワーク。6月にも水問題の研究者である廣木謙三政策研究大学院教授を赤坂御所に招き、手洗いの有用性や水害発生時の影響など、新型コロナと世界の水問題について説明を受けられていた。このときは、天皇陛下単独でのご進講だった。しかし今回、天皇陛下と雅子さまはご一緒にオンライン会議を聴講された。「コロナ禍により、避難や救出活動における感染拡大防止といった、新たな課題が生まれています。国民の暮らしに密接に関わる問題として、コロナ禍における水害問題についてお二人で取り組まれたいという強い思いがあったのではないでしょうか」(皇室担当記者)7月上旬に熊本県を中心に発生した集中豪雨について、心を痛めていらっしゃったという両陛下。7月20日には宮内庁の池田次長が「新型コロナウィルス対策のため災害対応も難しさを増している中で、日夜努力している関係者のご労苦に対し、おねぎらいのお気持ちをお持ちでいらっしゃいます」と、両陛下のご心情を伝えている。天皇陛下は国際会議での講演で、地球温暖化による水害の多発に警鐘を鳴らし続けてこられた。今年2月の誕生日会見でも《防災・減災の重要性を考えていく上で、「水」問題への取組で得られる知見も大切にいかしていきたいと思います》と述べられていた。また雅子さまも昨年12月の誕生日に際しての文書で《近年、日本のみならず、世界各地でも水害や山火事などの自然災害が多く発生しており、地球温暖化や気候変動などの問題が現実のこととなりつつあることが案じられます》と綴られていた。天皇陛下は’19年4月に刊行された著書『水運史から世界の水へ』に《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたいと思います》と記されている。「水問題」について、雅子さまも以前から関心を持ち、陛下をサポートされてきたのだ。コロナ禍によりますます重大な課題となる水害対策。両陛下は「水問題」についての知見を生かした取り組みを続けられることだろう。
2020年08月25日美智子さまから引き継がれたご養蚕の作業のため、お車で皇居へ向かわれる雅子さま。その隣には天皇陛下のお姿が――。6月2日、天皇陛下は雅子さまとご一緒に皇居・紅葉山御養蚕所へ。陛下は「かわいいね」と雅子さまに声をかけながら、成長した蚕の世話をされたという。皇室担当記者は驚いた様子でこう語る。「上皇陛下も何度か、美智子さまと繭を収穫されたことはあります。ただ、繭ができる前から一緒に作業をされることはほとんどなかったと思います。今回の“夫婦共同作業”は、異例のことでした」6月9日には、ご結婚27周年を迎えられた天皇皇后両陛下。緊急事態宣言は解除されたが、まだまだ新型コロナウイルス感染症の拡大は予断を許さない状況だ。「皇后となられた令和元年、雅子さまのご活躍ぶりは目覚ましいものでした。世界約190の国や機関から賓客を招いた『即位の礼』でも堂々たるお振舞いで、世界の王族と親交を深められました。卓越した語学力を生かした国際親善など、皇后としての2年目は、さらに雅子さまらしさが発揮されるはずでしたが……」そう語るのは前出の皇室担当記者。突如やってきたコロナ禍という“逆風”は、雅子さまにもショックを与えているという。「名誉総裁として臨まれるはずだった、5月の日本赤十字社の全国赤十字大会が中止になりました。さらに、5月ごろに予定されていた、天皇皇后となられて初の海外ご公務となるイギリスご訪問も延期に。東京五輪も1年延期となり、海外に行くことも、日本に賓客を招くこともいっさいできなくなりました。気丈に振る舞われている雅子さまですが、皇后として大きな目標とされてきた大切な行事や、国際親善の場が次々となくなり、沈みがちな日もあるという話も聞こえてきます」実際に5月18日には、ご養蚕作業を当日直前になってキャンセルされたことも。ご体調が整わなかったことが原因とみられている。「今回、天皇陛下が蚕の世話を雅子さまとご一緒になさったのは、陛下たってのご希望だったと聞いています。できるかぎり近くにいて、見守りたい――。そういった陛下の深いお気持ちを感じる出来事であったと思います」(宮内庁関係者)天皇陛下は今年2月の誕生日会見でも《できる限り雅子の力になり、支えていきたい》と語られていた。陛下が《雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから》とプロポーズされたのは28年前のこと。にこやかな養蚕作業には、雅子さまを「私が守る!」という陛下の今も変わらぬ強いご意志が滲んでいたのだ。精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう言う。「イギリスご訪問などは、長い時間をかけて、以前からしっかりと準備されていたと思います。そのぶん、突然のコロナ禍での延期は、雅子さまにとって大きなストレスにもなりえます。そんなときに天皇陛下がご養蚕に同行されたことは、雅子さまにとっては陛下のお気持ちを感じて、とても心強かったはずです」しかし、世界を覆うコロナ禍は、いまだ皇室の活動にも暗い影を落としている。「2月23日の天皇誕生日の儀式および一般参賀がお取りやめになったのを皮切りに、ご公務は次々と中止されて、皇族方のスケジュールは白紙状態が続いています。天皇皇后両陛下のお出ましは、8月15日の『全国戦没者追悼式』までないのではないでしょうか。このまま皇室と国民の触れ合いや交流がない状態が続くと、皇室に対する国民の敬愛が薄れて、存在意義を失ってしまうのではないかと宮内庁内でも危惧されています」(前出・宮内庁関係者)そんななか、すでに両陛下は前例なき「皇室改革」へ向けて一歩踏み出されているとみるのは、皇室ジャーナリスト。「陛下と雅子さまが、5月20日、日本赤十字社の社長と副社長を赤坂御所に招いてご進講をお受けになりました。翌日、そのときの両陛下のお言葉が、それぞれ宮内庁のホームページで公表されたのです。誕生日のご感想以外で“皇后のお言葉が単独で”公表されるのは異例のことです」両陛下は6月3日にも、全国保健所長会の副会長ら保健所関係者3人と面会し、現場の状況などについて懇談された。「宮内庁は新型コロナウイルスをめぐり、両陛下が専門家から説明を聞くご進講や面会に関して、その場でのご発言内容をこれからも公表していくとしました。そして、公表は天皇陛下のご意向を踏まえたものであると明かしたうえで、『その時々にでき得る、最大限のお気持ちの発信の形』と説明したのです」つまり陛下と雅子さまは、前例を打破し、現場の医療関係者に労いのお言葉、国民へのメッセージを発信したのだ。海外渡航が制限されているコロナ禍の状況では、雅子さまが皇室に入られたときから望まれている国際親善もままならない。しかし、前出の皇室担当記者によれば、その状況だからこその“ステイホーム外交”を両陛下が始められているのだという。「陛下は4月、スペイン国王フェリペ6世と両国の状況について電話会談されています。また、カナダのジュリー・ペイエット総督から見舞いの電報が寄せられたのをきっかけにして、電報でのやり取りをされ、コロナ禍に協力して立ち向かうことを確認されています。両陛下が特に親しくされている海外王室といえばオランダとベルギーの王室が筆頭に挙げられますが、それ以外の王室とも緊密なお付き合いがあります。今後、スカイプやズームを使ってのオンライン交流が行われていく可能性も高いのです」前出の香山さんも、両陛下の挑戦に賛成だという。「陛下と雅子さまが現在学ばれている新型コロナの知識を生かして、オンラインで病院の関係者を励まされるなどの新しい活動は、近い将来実行なさる可能性があるのではないでしょうか。過去の慣例から脱却して、新しいスタイルで国民に寄り添われることも素晴らしいと思います」逆境の中、二人三脚で進められている改革――。皇室と国民の距離は、さらに近づいていくはずだ。「女性自身」2020年6月23・30日号 掲載
2020年06月09日「現状、皇族方のご公務の予定はまったくの白紙状態です。国事行為として天皇陛下が臨まれる国務大臣らの『認証官任命式』さえも、今月から実施が見送られています」宮内庁関係者は、皇室にも重くのしかかる新型コロナの影響をそう語った。天皇皇后両陛下は4月28日に公益社団法人日本経済研究センターの岩田一政理事長を赤坂御所に招き、新型コロナが経済に及ぼす影響などについてご進講を受けられた。両陛下はこれまでにも、4月10日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の尾身茂副座長、15日には厚生労働省の鈴木康裕医務技監からご進講を受けられてきた。「ひとつの事象に関して、さまざまな立場にある専門家の人たちから多角的に知見を聴取するのが皇室流の学習の在り方なのです。陛下と雅子さまのご意向を受けて、宮内庁は現在、看護協会関係者や薬剤の研究者、WHOの関係者などからのご進講も調整しているそうです。今後もさまざまな分野の専門家が次々と皇居に招かれることになるでしょう」(皇室担当記者)天皇陛下と雅子さまは、現場の最前線で新型コロナに立ち向かう医療従事者たちを、とくに深く案じていらっしゃるという。専門家会議の尾身副座長によるご進講の際には、陛下が「日夜、現場で医療などに携わってこられている多くの関係者のご努力を深く多としています」と、医療関係者に感謝の言葉を述べられた。尾身副座長が保健所職員や医療関係者が毎日不安の中でオーバーワークしていると話すと、両陛下は「大変ですね」と、現場の医療従事者への共感を表明されたという。雅子さまは、日本赤十字社の名誉総裁に就任されてからまもなく1年になる。「実は、4月23日には日本赤十字社の大塚義治社長からのご進講が予定されていたのです。直接患者の治療をしている現場である病院側の声をお聞きになりたいという天皇陛下と雅子さまのご希望で設定されたものですが、現在のひっ迫した状況を鑑みて、一時延期ということになりました」(前出・皇室担当記者)日本赤十字社に状況を尋ねると、多忙を極めるなかで答えてくれた。「新型コロナウイルスという未知のウイルスへの対応は大変ではありますが、全関係者が患者さんの命を救いたいと願う一心で当たっているという状況です」毎年5月に開催される日本赤十字社の全国赤十字大会だが、今年はすでに中止が発表されている。「雅子さまは日本赤十字社の名誉総裁職を美智子さまから引き継がれました。いまご自分が何をするべきなのか、一生懸命に思案されているはずです。震災や水害のお見舞いのように、現場に足を運んで被災者に寄り添うことはできません。皇室の存在意義が問われていると言っても、過言ではありません」(前出・宮内庁関係者)この状況下で、直接会うことのできない国民にどう寄り添っていけばいいのか――。「美智子さまは『皇室は祈りでありたい』とおっしゃいました」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう語る。平成の御代、災害や苦しみがないときも国民の生活の安寧を願い、上皇陛下は国民のために祈りを続けられてきた。「上皇陛下のそのお気持ちを理解され、ご一緒に祈りを続けられたのが美智子さまです。たしかに、祈りとともに行動を起こされるのも美智子さまらしさでした。被災地にお見舞いされ、被災者に寄り添い、現地を支えているボランティアの方々に感謝や激励をされてきました。コロナ禍の現在、同じように現場に足を運ぶことはできません。しかし、本当に大事なのは『祈り』の心なのではないでしょうか」(渡邉さん)イギリス王室では、ウィリアム王子とキャサリン妃が、医療従事者や救急隊員らに感謝の言葉を伝える電話をしているそうだ。また、医療従事者らの子どもたちにもビデオチャットで励ましの言葉をかけている。「美智子さまと同じ形である必要はありません。イギリス王室のように、インターネットを通じて励ましのメッセージを送るという方法もあります。雅子さまなりのやり方で、医療従事者や子どもたちに寄り添い、命を守る支えになるというお気持ちを示していただければと思います」(渡邉さん)雅子さまのお気持ちが、命をかけてコロナと闘う医療従事者に届く日も近いはずだ――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月01日天皇陛下が、社会福祉に取り組む2団体に計1億円を寄付することになった。宮内庁が4月6日、発表した。即位に伴う寄付で、子供の貧困対策に取り組む「子供の未来応援基金」とNPO法人「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク」に5,000万円ずつ寄付される。「天皇陛下による財産の贈与は、日本国憲法や皇室経済法などにより特定のケースに制限されています。しかし先日、即位から1年間のみ1億円以内の寄付を可能とする国会議決が行われ、2つの団体への寄付が実現することになりました」(皇室担当記者)天皇陛下は子供の貧困問題や、ボランティアの被災者支援に対する国民の理解が深まることを願っており、私費から支出されるという。寄付金はどういった事業に生かされることになるのだろうか――。全国災害ボランティア支援団体ネットワークの広報担当者は次のように語る。「私たちは災害時に、ボランティアと行政や協力企業などとの連携や調整を行っています。災害時はもちろんですが、災害に備えて平時から各都道府県で人材育成するなど事前の準備が必要です。そういった用途に使わせていただくことになると思います」天皇陛下は雅子さまとともに、昨年12月にも台風19号で甚大な被害を受けた宮城県丸森町と福島県本宮市を日帰りで訪れ、被災者を見舞われている。被災地に足を運び、被災者を励まされることは、両陛下がご公務の中でもっとも大切にされていることの一つだ。もうひとつの寄付先である「子供の未来応援基金」に携わる独立行政法人福祉医療機構の担当者は「貧困状態にある子どもを草の根で支援するNPOなどを対象に支援を行っています。子ども食堂や学習支援などは大きな対象になっています」と語る。同じく「子供の未来応援基金」に携わる内閣府子供の貧困対策推進室の担当者にも話を聞くと、「宮内庁から、どういった基金なのかという問い合わせはありました。子ども食堂や、居場所のない子どもたちの居場所づくりを支援しています。18歳になり児童養護施設にはいられなくなり、親元にも帰れない人への支援なども含まれます」天皇陛下は今年2月の誕生日会見でも《近年の子供たちをめぐる虐待の問題の増加や貧困の問題にも心が痛みます。次世代を担う子供たちが健やかに育っていくことを願ってやみません》と話されていた。雅子さまも一昨年12月の誕生日に発表されたご感想で《国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》と綴られていた。天皇陛下と雅子さまが長年にわたり関心を持ち、応援されてきた被災者支援と子供の貧困対策。寄付金も有意義に生かされることだろう――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月01日制服姿で、ご学友と模擬店の食事を召し上がる天皇陛下(写真左から2番目)。’75年、学習院女子中・高等科の文化祭、八重桜祭での1枚だ。このときの様子を、学習院幼稚園からのご学友・速水敏昭さんが教えてくれた。「高等科1年の秋でした。陛下が『僕も女子部の文化祭に行こうかな』とおっしゃったので、それではご一緒しましょう、と友人たちと見学して回りました。展示や催しを見て、模擬店のカフェで食事をして、ジュースを飲みました。カレーライスや焼きそばを食べたように思います」普通の男子高校生らしい、青春の思い出。一方で、陛下は若いころから国民への優しさ・思いやりもしっかりとお持ちだったという。速水さんがその“才覚”を目の当たりにしたのは、1年生の夏休み。2人が所属していた地理研究会で旅した、金沢・能登でのことだった。「地理研究会の旅行では、陛下は一部員としてみんなで囲炉裏を囲み、おやすみになる際も部員たちと一緒に布団を敷いてお休みになっていました。それでも昭和の御代です。その旅では、大勢の歓迎を受け、道路に土下座して迎える人もいました。今でも覚えているのは、陛下がその地べたに座っている方たちの前に膝をつき、丁寧に挨拶されていたことです。天皇陛下は、高校時代には、将来のお立場への自覚をはっきりとお持ちだったのです」即位から1年。今でも、地方ご訪問やご静養の際に駅頭に集まった人たちには、丁寧に、時には気さくに話しかけられている陛下。雅子さまとともに、<国民の中に入っていく皇室>の姿を、これからも国民に示し続けられていくことだろう――。「女性自身」2020年3月3日号 掲載
2020年05月01日「感染症拡大は人類にとって大きな試練。今後、皆がなお一層心を一つにして力を合わせ、難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」天皇陛下は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長の尾身茂氏に、そう述べられた。天皇皇后両陛下は4月10日、お住まいの赤坂御所で、新型コロナウイルスの感染状況などについて尾身氏からご進講を受けられた。マスク姿で距離をとって座った両陛下は熱心に説明を聞かれ、「オーバーシュート回避には何が必要なんですか」「医療現場は本当に大変ですね」などと話された。「両陛下は、かねてから専門家から現場の状況を聞くことを望まれていました。この日は上皇ご夫妻の61回目の結婚記念日で、本来であれば天皇陛下と雅子さまの主催でお祝いの夕食会が開かれるはずでした。しかし、緊急事態宣言を受けて、お祝いのごあいさつも電話で済まされたそうです。いま皇室にできることをしなければ――。両陛下も上皇ご夫妻も、同じ思いを抱かれていたはずです」(宮内庁関係者)同じ日、政府は19日に予定されていた「立皇嗣の礼」を延期する方針を明らかにした。国内の新型コロナ感染者は日々増え続け、皇室のご公務も、延期や中止を余儀なくされている。皇室ジャーナリストが言う。「天皇陛下と雅子さまは昨年の12月26日に、多忙を押して台風19号で甚大な被害を受けた宮城、福島をお見舞いされました。大きな災害が起きれば、苦しむ被災者のもとに足を運び、悲しみに寄り添い、励ます――。これこそが上皇ご夫妻が実践された“平成流”の皇室のあり方です」天皇皇后両陛下もその精神を受け継ぎ『国民と苦楽をともにする』という皇室の役割を重んじてこられた。「しかし今回の敵は新型ウイルスです。罹患した国民をお見舞いするわけにも、最前線で奮闘する医療関係者に面会して励まされるわけにもいきません。陛下と雅子さまは一刻も早いコロナ災禍の終息を願いながらも、国民に寄り添うことのかなわない状況に、忸怩たる思いを抱かれているに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)「女性自身」2020年4月28日号 掲載
2020年04月17日天皇陛下は4月6日、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長を務める尾身茂氏から進講を受けられる予定だったが、延期となった。宮内庁は尾身副座長の業務に支障がないよう予定を調整していたが、ここ数日の急速な感染拡大を鑑みて、ご進講は見送られることになった。拡大を続けるコロナ禍の影響で、「全国植樹祭」や「園遊会」をはじめ、4~5月に予定されていた皇室行事は相次いで中止や延期が決まっている。5月に開催予定の日本赤十字社の全国大会にも、名誉総裁である雅子さまのご出席は見合わせられる見通しだ。その一方で、天皇陛下は執務を続けていらっしゃる。「毎週火曜日と金曜日には、内閣から送られてくる法令などへの署名・捺印があります。これを実行しないと法律が施行できませんから、このご執務は欠かせません。そのため職員との接近、多くの人間が触れた書類との接触などがどうしても発生してしまいます」(皇室担当記者)さらに陛下は3月だけでもパナマ、スーダン、タイ、キューバ各国の新任駐日大使との「信任状捧呈式」に臨まれている。また、4月にも信任状捧呈式は予定されていたが、4月9日に天皇陛下が臨まれるはずだった新任駐日大使の信任状捧呈式は、緊急事態宣言を受けて延期となった。「式そのものは10分くらいで、以前から3メートル以上離れて話す形式です。しかし信任状を渡すときには大使が前に進み出て陛下に直接手渡します。国と国との約束事なので儀式を省略することはありません」(前出・皇室担当記者)3月30日には、検事長ら8人の認証官任命式も行われた。31日には、宮内庁職員の人事異動者が、赤坂御所を訪問して陛下に拝謁している。時期が時期だけに儀式や面会で、陛下がマスクを着用されることもあるのだろうか?「人に会われるときに、皇族方がマスクを着用されていたという前例は聞いたことがありません。とくに公務の場合、相手に対して失礼というか、現状でしたら相手の感染を疑っているようにも取られかねませんので、現在もご接見のときにマスクはされていないのではないでしょうか」(宮内庁関係者)それを裏付けるように、前出の宮内庁関係者がこんなエピソードを聞かせてくれた。「つい先日、秋篠宮さまに面会した方は、ふだんよりやや離れて座ったものの、お互いにマスクなしでの会話となったそうです。秋篠宮さまも、気にされるご様子はなかったといいます」もし、天皇陛下や雅子さま、そして皇族方が新型コロナウイルスに感染したとしたら、日本の国民に与えるショック、ダメージは計り知れないだろう。職員からの感染を予防するために、具体的にはどのような対策をとっているのか――。本誌は4月3日、宮内庁の報道室に質問状を送った。すると、次のような回答が届いた。《政府の基本的対処方針や専門家会議の見解等を踏まえ、また、皇室医務主管や側近の侍医による対応により、対策を講じてきているところ。引き続き、適切な対策を講じることで、天皇陛下お始め皇室の皆様方のご健康の保持に万全を期してまいりたい》さらに職員に対しては、以下のような注意喚起を随時、行ってきたという。・外出後・食事前に、石けんやアルコール消毒液などによる手洗いの徹底・咳エチケット(マスクやハンカチ、袖を使って、口や鼻をおさえる)の実施・発熱等の風邪の症状が見られるときは休暇を取得し療養に専念する・時差出勤の推奨、休みやすい環境整備・海外渡航の自粛、海外出張計画の自粛・換気の悪い密閉空間、多数が集まる密集場所及び間近で会話や発生をする密接場面の3つの条件が同時に重なる場を避けることしかし、本誌が質問状に記載した天皇陛下のマスクご着用状況、職員との接触頻度といった点には回答が得られなかった。「雅子さまは海外メディアの報道などをご覧になり、新型コロナウイルスに関する世界の現状をいち早く把握されていると思います。日本のために陛下をお守りしなければと、心中穏やかではないはずです」(前出・皇室担当記者)現状では万全とは言い難い「宮内庁の危機管理」を、雅子さまも憂慮されているに違いない――。「女性自身」2020年4月21日号 掲載
2020年04月11日2020年4月6日、天皇陛下が私的なお手元金から1億円を2つの団体に寄付されることを、宮内庁が発表しました。5千万円ずつの寄付を受けるのは、政府が創設した『子供の未来応援基金』と、NPO法人『全国災害ボランティア支援団体ネットワーク』。どちらも社会福祉事業の団体です。宮内庁の発表によると、天皇陛下と皇后陛下は子供の貧困問題とボランティアによる被災者支援に、国民の理解が深まることを願われているそうです。憲法では皇室が寄付をする場合、国会の議決が必要とされています。今回、即位をされた天皇陛下が1億円の寄付を行うための議決案が、同年3月13日に閣議決定されたのです。ちなみに、明仁上皇陛下が天皇陛下に即位された際も、児童福祉や障がい者支援に計1億円の寄付が行われています。この件が報じられると、ネットからは「天皇陛下が寄付をされるなんて知らなかった!」「ありがとうございます」といった声が上がりました。天皇陛下が寄付された1億円は、困っている人たちを助けるために使われることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月07日桜の名所として知られる皇居の乾通りには、上皇陛下と美智子さまのご出発を見送るように、美しい花が咲き始めていた――。「桜並木の下に宮内庁職員や皇宮警察護衛官が250mにわたって並び、お二人に拍手を送りました。お車の窓を開けてお応えになった上皇さまと美智子さまは、とても柔和なご表情でしたが、万感の思いを抱かれていたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)上皇ご夫妻がお代替わりに伴うお引っ越しに向けて、約26年間住まわれた皇居を後にしたのは、3月19日の午前10時過ぎだった。31日に高輪皇族邸(転居後、仙洞仮御所に名称変更)に入居されるまでの間、神奈川県の葉山御用邸と栃木県の御料牧場で静養されるご予定だ。「吹上仙洞御所を出発される際には、天皇皇后両陛下、愛子さま、秋篠宮ご一家がおそろいでお見送りされました。みなさん、コロナ対策でマスクをつけていらっしゃいました」(前出・宮内庁関係者)折からの新型コロナウイルス禍は、上皇ご夫妻のお引っ越しにも影響を与えているようだ。引っ越し作業を進める日本通運も、作業員に厳密な健康チェックを実施しているという。「現場には宮内庁の職員が頻繁に足を運びます。万が一にも職員を介して皇族方への感染が起こらないように、万全を期しているのです」(皇室担当記者)上皇陛下と美智子さまが、これまでお住まいだった吹上仙洞御所に転居されたのは’93年12月。そのときに赤坂御所から運び出された荷物は2トントラック100台分。そのうち“私物”は6割ほど。約120トンだった。26年以上の年月が経過している今回のお引っ越しはそれ以上の荷物になるはずだ。ただ、敷地も建物も小さな高輪皇族邸にはすべてを運び込むのは不可能だという。「外国の元首や各国の王族から贈られた品々だけでも約4千点あって、転居を機にその一部は博物館などへ寄贈されます。それらの仕分けを含めて膨大な荷物の整理は、美智子さまが中心となって行われました。美智子さまは19日の皇居ご出発と31日の仙洞仮御所ご入居という予定から逆算して、作業を進められていたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)宮内庁のホームページによると上皇ご夫妻は今年に入ってから、1月9日を最後に葉山へ向かった3月19日まで、69日間も公的な外出をされていなかった。「膨大な荷物一つ一つに、上皇ご夫妻が結婚されてから60年間の思い出が詰まっているといっても過言ではないと思います。美智子さまはスケジュールどおりに引っ越しが行われるように、早朝4時ごろに起きられ、ギリギリまで睡眠時間を削られることで長い日には1日15時間も荷物の整理をされていたそうです。お出かけされなかった69日間だけで延べ1千時間も作業に費やされた計算です」(前出・宮内庁関係者)そんな大奮闘に秘められたご心情を、美智子さまの知人が明かす。「当初はもっと早い時期に引っ越しのご予定だったのですが、美智子さまの乳がん摘出手術や白内障手術が重なり、今年の3月まで延期されたという背景があります。一方で、美智子さまがわざと引っ越しを遅らせているのではないかといった心ないバッシング報道までありました」しかし、そんな報道を皇室ジャーナリストは真っ向から否定する。「美智子さまは、皇居は天皇陛下がお住まいになるところとの思いを強くお持ちで、常々『少しでも早く御所を譲りたい』とおっしゃっていたのです」それだけに美智子さまは、バッシング報道に非常に心を痛められたと、前出の知人が続ける。「なんとしても3月末までにお引っ越しを終わらせなければいけないと決意されて、ご高齢のお体で、しかも万全のご体調ではないというのに、睡眠時間を削られるような無理をされたのです」そして、美智子さまは荷物の整理について指示を出すだけではなく、自ら率先して手を動かされていたという。「場所によっては、マスクを二重にして手袋をつけて一生懸命に作業をされていたようです。『掃除をしていても、ホコリってたまってしまうものなのね』とおっしゃっていました。美智子さまがお使いになるマスクは使い捨てタイプではなく布製で、洗濯されながらなんども使われているのです」(前出・知人)19日に乾門を出られる美智子さまは、白内障手術以降愛用されているサングラスを、まだかけられていた。「ちょうど1年ほど前、お代替わりを前に上皇ご夫妻にとって非常にお忙しい日が続き、美智子さまご自身がお痩せになったと話されていたと伺いました。それから体重が戻られていなかったのに、今回のお引っ越し準備で早朝から夜遅くまで作業されて、さらにお痩せになったようなのです。側近も『おいたわしくて心が痛む』と話しています。せめてご静養中はゆっくりと休んでいただきたいと思います」(前出・皇室ジャーナリスト)仮住まいの高輪皇族邸に住まわれるのは約1年半の予定だ。そして、’21年の秋ごろには長く住まわれた赤坂御所へと、再び引っ越しされることになる――。「女性自身」2020年4月7日号 掲載
2020年03月26日宮内庁は2月21日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが学習院大学の推薦入試に合格されたことを発表した。愛子さまが進学されるのは、学習院大学の文学部日本語文学科。WEB女性自身ではすでに今年1月10日、「愛子さまの進学先が内定!学習院大学の日本語日本文学科へ」と報じている。学習院大学はホームページで、この学科について次のように紹介している。《本学科では、古代から現代に至る日本語・日本文学を中心とする日本の文化(日本語日本文学系)、及び日本語教育(日本語教育系)に関心のある学生を受け入れ、研究と教育を行っています》天皇陛下と同じ学習院大学文学部への進学となったが、その背景には古典文学への関心があったという。本誌は’14年3月、愛子さまが初等科卒業直前に書かれたレポートについて報じている。タイトルは「藤原道長」。執筆理由について愛子さまは次のようにつづられていた。《授業で藤原道長について学習している時に、「御堂関白記」(※道長の日記)に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った。それで、夏休みに、東京国立博物館で開催された特別展「和様の書」に行き、「御堂関白記」を見て、これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた》天皇陛下は大学時代に、文学部史学科で中世の水運の歴史を研究されている。「天皇陛下が旅や交通の歴史に関心を持たれたきっかけは、美智子さまとともに松尾芭蕉の『奥の細道』を読まれたことだったそうです。愛子さまが天皇陛下と同じく文学部を選ばれた背景には、日本の古典文学へのご関心があったのでしょう」(宮内庁関係者)当初、愛子さまの志望学部は国際社会科学部とみられていた。「将来の”皇室外交”を見据えれば、語学や海外留学に力を入れた学部はぴったりのはずでした。ただ、雅子さまもハーバード大学留学中に『日本文化クラブ』を設立し、当時はあまり知られていなかった日本の言葉や伝統、音楽や食文化を伝える活動をされていました。国際社会で活躍するには、まず自国の文化を知らなくてはーー。お若いころの雅子さまと同じように、愛子さまはそうお考えになったのかもしれません」(皇室担当記者)愛子さまは現在、卒業リポートの作成に取り組み、忙しい日々を送られているという。雅子さまは、昨年12月9日の誕生日に際して発表されたご感想で、愛子さまの今後についても綴られていた。《これから高校を卒業しますと、今まで以上に、様々な経験を積み重ねながら視野を広げていく時期になると思いますが、これからも感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら、いろいろな方からたくさんのことを学び、心豊かに過ごしていってほしいと願っています》天皇陛下と雅子さまのご期待を胸に、愛子さまは新たなステージで輝かれるだろうーー。
2020年02月24日意識を失ってお倒れになった上皇陛下は、迅速な対処により大事には至らず。しかし、献身的なサポートを続ける美智子さまには知られざる苦悩があった――。「上皇陛下は29日の午後6時半ごろ、お住まいの皇居・吹上仙洞御所内で意識を失って倒れられました。そばにいた美智子さまが上皇陛下のお体を支え、すぐさま非常ブザーを押されました」(皇室担当記者)幸いなことに、駆けつけた侍医による診察が始まると、まもなく上皇陛下は意識を回復された。30日の朝にはいつもどおり朝食もとられたという。「お住まいの吹上仙洞御所には非常ブザーが整備され、侍医も泊まり込みで待機しています。それでも美智子さまは緊急の事態に備えて、できるかぎり上皇陛下のおそばから離れないようにと、心がけていらっしゃるのです。今回のような突然の症状に対処するためだけではありません。実は上皇陛下が以前から、ご自身の記憶力への不安を吐露されているのです」(宮内庁関係者)上皇陛下は’15年の会見で《私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました》と話されている。また、上皇陛下の母君である香淳皇后の晩年について、当時を知る元宮内庁幹部は「今で言う認知症の症状が現れていた」と証言している。前出の宮内庁関係者も、心配そうに話す。「上皇陛下がご退位を決断された背景には、晩年の香淳皇后の健康問題もあったといいます。ご在位中は、上皇ご夫妻はご公務で日本全国へお出かけになり、人とお会いになる機会がたくさんありました。しかしご退位後は“二重権威”との批判を避けるため、お出ましの回数は激減しています。つまり刺激が減り、認知症のリスクが高まる状況にあるのです。さらに上皇ご夫妻は、3月末までに高輪皇族邸へお引っ越しする予定となっています。その約1年後には、赤坂御所へもう一度お引っ越しされます。生活環境の大きな変化に上皇陛下が過ごしにくさや不安を感じられなければいいのですが……」美智子さまのご体調も決して万全とはいえない。「昨年、上皇后さまは白内障と乳がんの手術を受けられました。そして昨年9月ごろから、血の混じった嘔吐の症状がありました。上皇后さまは、上皇ご夫妻の存在が“二重権威”であるとのいわれなき批判に、お心を痛めていらっしゃいます。また、御代替わり後に増加していったネット上のバッシングにもショックをお受けだと思います」(美智子さまの知人)上皇ご夫妻のお引っ越しは当初、昨年の夏から秋の初めに行われる予定だった。しかし、美智子さまの手術が重なったこともあり延期に。現在も荷物の整理は終わっていない。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう話す。「お引っ越しの費用は今年度予算に計上されていますので、今年3月末までに実施する必要があります。今回、幸いにも大事には至りませんでしたので、予定どおり3月末までに引っ越されるだろうと思います」ただ、実は美智子さまは今年、ライフワークともいえる催しへのご出席を断念されている。2年に1度、2月上旬ごろに開催される「旭出学園工芸展」では、知的障害のある生徒らが作った作品が展示・販売される。「障害者福祉に長年関心を寄せてこられた美智子さまは、’76年から40年以上にわたり、この工芸展に足を運ばれていました。しかし、今年はお引っ越しの準備でご多忙でしたし、上皇陛下をお一人にして外出されるお気持ちにはならなかったのでしょう」(前出・皇室担当記者)楽しみにされていたお出かけの予定も取りやめられていた――。前出の宮内庁関係者は、そんな美智子さまのご体調を危惧しているという。「美智子さまも昨年10月に85歳になられました。お引っ越しの準備を進めながら、24時間気を抜かずに上皇陛下をお支えなさる状況は、美智子さまにとって、もはや限界に近いのではないでしょうか。お引っ越しの中止も、真剣に検討しなければならない状況ではないかと思います」(前出・宮内庁関係者)上皇后となられてからも、ご自身の義務を果たそうと奔走される美智子さま。これ以上、ご無理をなさらないでいただきたい――。そう願うばかりだ。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月07日上皇陛下がお倒れに――。衝撃的なニュースが日本中を驚かせたのは1月30日のことだった。上皇陛下は29日の午後6時半ごろ、お住まいの皇居・吹上仙洞御所内で意識を失って倒れられたという。「そばにいた美智子さまが上皇陛下のお体を支え、すぐさま非常ブザーを押されました。侍医らが駆けつけたとき、上皇陛下はいびきのような息づかいをされていて、診察が始まると間もなく意識が回復したそうです」(皇室担当記者)幸いなことに、上皇陛下は30日の朝にはいつもどおり朝食もとられたという。同日午前には宮内庁病院で頭部MRI検査と専門医による診察があったが、原因となる所見はみられなかった。突然、意識を失われた上皇陛下。なぜこのような症状が生じたのだろうか?パークサイド脳神経外科クリニックの近藤新院長に話を聞いた。「おそらく一過性脳虚血発作と考えられます。脳には多くの血管が張りめぐらされていますが、動脈硬化などによって脳の血管の一部が細くなったり詰まったりすると、十分な酸素が脳に行きわたらなくなります。このような血液の供給不足、つまり虚血が起きると、その部分の脳に障害が生じ、意識障害や麻痺が引き起こされます。一過性脳虚血発作は、脳梗塞の前触れとなる症状とも考えられています」上皇陛下はお倒れになった29日の午後、学習院中・高等科の同窓会にお出かけになっていた。お倒れになったのは、お住まいに戻られた約1時間後のことだった。学習院関係者はこう語る。「同窓会では、上皇陛下は同級生とお元気そうに言葉を交わされていました。お酒も飲まれなかったようです。ただ、立食形式でしたので、お体には負担が大きかったのかもしれません。実は3年ほど前にも、今回と同じような事態が起こっています。学習院初等科の同窓会である桜友会に上皇陛下が参加され、ご帰宅後にお倒れになったそうです。上皇陛下はご自身のご希望で、お立ちになったまま話されていたのでしょう。ただ、上皇陛下はもう86歳です。そばにいた侍従がイスをすすめるなどのサポートをもっとしていれば、と思うのですが……」同窓会には美智子さまは付き添われていなかった。美智子さまの知人は言う。「今回は、上皇后さまが上皇陛下のお体を支えられたので、大事に至らずに済みました。もし床や家具などに頭を打たれていたら、たいへんなことになっていたかもしれません。皇后時代には日本赤十字社のご活動を通じ、現場の看護師さんのお話もたくさんお聞きになった上皇后さまは、医療や健康に関する知識も豊富です。上皇后さまは、お務めを終えられたいまも、上皇陛下をお守りすることを第一とされているのです」上皇陛下は’03年にがん手術を経験されているが、その際にも美智子さまは病院に泊まり込んでサポートされたり、担当医に病状や治療法について詳しくお聞きになったりしていたという。上皇陛下は’18年7月と昨年7月に、脳貧血の症状でめまいや吐き気が生じたり、意識を失ったりされる事態があった。いずれのときも美智子さまがすぐに侍医を呼ばれ、事なきを得た。上皇ご夫妻と親しい関係者はこう語る。「上皇陛下は昨今、美智子さまに『あなたと結婚してよかった』と、繰り返しおっしゃるのだそうです。長年のお支えへの感謝のお言葉を、何度も何度もお伝えになったといいます」「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月07日上皇陛下は1月29日の夕方、お住まいの皇居・吹上仙洞御所内で一時的に意識を失い、倒れられた。30日に宮内庁が発表した。上皇ご夫妻は29日の午後に外出されていたといい、お住まいに戻って1時間ほどたったあと上皇陛下がお倒れになった。そばにいた美智子さまが体を支え、非常ブザーを押された。侍医らが駆けつけると、上皇陛下はいびきのような息づかいをされていたが、診察が始まるとまもなく意識が回復したという。「上皇陛下は’18年7月にも、明け方に激しい発汗があり、めまいや吐き気を伴う脳貧血の症状がありました。また昨年7月には同じく脳貧血の症状で、吹上仙洞御所の食堂で夕食前、お立ちになることができなくなりました。いずれも、美智子さまがすぐに侍医を呼ばれ、大事には至りませんでした」(皇室担当記者)上皇陛下は30日の朝にはいつもどおり朝食もとられたという。同日午前には宮内庁病院で頭部MRI検査と専門医による診察。原因となる所見はみられなかった。Twitter上では、上皇陛下のご体調を気づかう声が上がっている。《ただただ心配です。ご快復を信じております。どうかいつまでもお元気でゆっくりお過ごしください》《心配です。長く激務をこなされたのですから、ゆっくりと穏やかな日々を、たくさん満喫していただきたいです》《美智子さまがいらして良かった…。お二人ともゆっくり休息をとっていただきたいです》
2020年01月30日上皇ご夫妻のお出ましが二重権威を生んでいる……、そんな報道に苦悩されている美智子さまを支えるため、雅子さまは天皇陛下とともに、心温まる提案を――。1月2日の新年一般参賀には、上皇ご夫妻も出席された。しかしその中で、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。午前中の3回目のお出ましで、にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません」(皇室担当記者)だが、そんなハプニングにも、雅子さまは上皇ご夫妻をフォローするお気遣いをなさっていた。「雅子さまは上皇ご夫妻に身を乗り出して『どうぞ、お手振りを』とお伝えするような身ぶりで、声をかけられたのです。そういったやりとりで安心されたのか、3回目では美智子さまがお手振りされる時間も、1回目、2回目より長くなっていました」(前出・記者)宮内庁の説明では、美智子さまの嘔吐の症状は現在では治まっているという。ただ、美智子さまのご心痛が続いていることは一般参賀のご様子からも明らかだろう。そんな中、皇室ジャーナリストは、天皇陛下と雅子さまが、上皇ご夫妻にある提案をなさるのではないかと語る。「上皇ご夫妻は例年、2月ごろに葉山御用邸でご静養になります。このご静養に、天皇ご一家もご一緒する可能性があるのです。2家族“合同”でのご静養となれば、’02年8月以来、実に18年ぶりとなります」長い間“合同家族旅行”は行われてこなかったわけだが、これには理由があるという。「一つは、雅子さまが適応障害で療養に入られ、なかなかご体調が優れなかったためです。もう一つの理由は、上皇陛下が在位中であったためです。不測の事態を避けるため、在位中の天皇と将来の天皇である皇太子が、一緒に出かけ、宿泊する機会は非常に限られていたのです。しかし、上皇陛下は退位されました。そのため、2家族がおそろいで旅行されることにハードルはなくなったのです。“二重権威”などと報じられて、天皇ご一家と上皇ご夫妻との間に溝があるかのような印象を持った国民も少なくないでしょう。雅子さまの新たなご提案は、そういった声を払拭することにもつながるはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)お忙しい中でも、天皇陛下と雅子さまは、上皇ご夫妻への気配りを欠かさないのだという。宮内庁関係者が言う。「12月23日の上皇陛下の誕生日には、愛子さまも連れて吹上仙洞御所を訪問されています。さらに12月27日には、上皇ご夫妻をはじめ、ご親族を招いた昼食会を開かれています。天皇皇后両陛下は、この前日に日帰りで福島県と宮城県の豪雨被災地を訪問され、たいへんお疲れだったと思われます。それでもこの昼食会を開かれたのは、昨年、象徴としての務めを終えられた上皇陛下、そして美智子さまを労うお気持ちゆえだったのでしょう」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日「美智子さまは、上皇ご夫妻の行動が“二重権威”を生じさせているとの報道を、たいへん気にされているご様子と感じました」そう語るのは、1月2日の新年一般参賀を取材した皇室担当記者。6万8千人もの参賀者が訪れる中、天皇陛下や皇族方は笑顔でお手振りをされていたが、美智子さまはどこか遠慮がちだったというのだ。参賀に訪れた70代の女性もこう言う。「上皇陛下と美智子さまのお元気なお姿を拝見できてよかったです。でも、美智子さまはあまり手をお振りになりませんでした。やはり天皇陛下や雅子さまより目立たないようにと、気を使っていらっしゃるのでしょうか……」昨年12月に宮内庁は、美智子さまが9月から複数回にわたり血の混じった嘔吐をされていたと公表した。精神的なストレスが原因とみられ、とりわけ天皇皇后両陛下との“二重権威”を指摘する報道がショックだったという。宮内庁関係者が、こうした報道についての見解を語る。「たしかに上皇ご夫妻は、退位された5月以降もたびたびお出かけされ、そのご様子が報じられています。しかし報道されているのは、上皇ご夫妻のお出かけのほんの一部だけでしょう。一般参賀への出席について『退位されたはずなのになぜ?』と疑問に思った人もいるかもしれませんが、元気なお姿を国民に見せる機会は必要だと思います。上皇ご夫妻も宮内庁も、そのように考えたのでしょう。ただ12月23日の上皇陛下の誕生日に、総理大臣をはじめ三権の長が吹上仙洞御所に足を運び、上皇陛下に祝意を述べています。天皇陛下と同じように国のトップたちから直接挨拶を受けることについては“二重権威”との指摘があっても仕方がありません。宮内庁も、もう少し慎重に検討すべきではなかったでしょうか」実は一般参賀では、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。5回あるお出ましのうち、上皇ご夫妻は午前中の3回にお出ましになった。その最後となる、3回目にその場面はあった。にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。いったいそのとき、何があったのか――。目撃した前出の記者が言う。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません。ただ、上皇陛下は天皇陛下に先んじたわけではありませんし、気づいた人も多くはないはずです。美智子さまが“二重権威”という批判を非常に気にされていることがうかがえたシーンでした」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。「とっても、よいお花ね」電話口から聞こえてきた美智子さまの嬉しそうな声に、美智子さまと文学を通じて30年以上の親交のある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)もまたほほ笑んでいた。花とは、末盛さんが御所に持って行ったリンドウのことだ。そんな、素朴で清楚な、青紫の一輪の花にも心寄せる美智子さまをバッシングが襲ったことがあった。皇后となってから5年目の10月、心ない批判報道によるストレスで倒れ、59歳の誕生日にお声を失われる。末盛さんが、葉山の御用邸に見舞った時のことだ。「あまりにおつらそうなご様子に、つい、『専門家の助けを借りることはできませんか』と、口にしてしまいました」すると、美智子さまは、かすかに聞き取れるかどうかの声で、「お医者さまには守秘義務があるとしてもね、すべてを出さないと(カウンセリングが)成り立たないから、それはできないのよ」それから、さらに声を絞り出すようにして、『でんでんむしのかなしみ』の話をしたのだった。誰の背中にも悲しみがいっぱい詰まっているという、この新美南吉の童話を初めて聞かされながら、末盛さんは思った。「この方は、これほどの苦難さえ、お小さいころに聞いた物語で乗り越えようとなさっている」5年後、美智子さまは、インドのニューデリーで行われたIBBY(国際児童図書評議会)の世界大会で、この『でんでんむしのかなしみ』の話を柱としたビデオによる基調講演を行い、世界中に子供時代の読書の大切さを伝え、やがてそれが『橋をかける』という一冊の本に結実する。この本を製作する過程では、こんな場面もあった。「私たち、同じ本を持っているのね」偶然、編集を担当した末盛さんと同じ書籍を持っていることを知り、嬉しそうな声を上げたという美智子さま。「まるで女学生同士のような、純真なお喜びようでした。同時に、私たちには特別なことでもない、好きな本について語り合うお相手もいなかったのだろうかと思ったんです。周囲には、いつも献身的にお世話をする方々もいますが、それぞれの立場もあり、そう簡単にはお気持ちを外に出すわけにはいかないのかと思います」末盛さんは、そこには我々の想像を絶する孤独があるのではないかと推し量る。「だからこそ、悲しい思いをしている人にも、より一層深く寄り添うこともできるのではないでしょうか。私が、お電話などで時々お話をして、少しだけでも気がお楽になれるのでしたら、それは嬉しいことと思うのです」陛下が譲位を終えられて以降、最近の電話での会話は、気づくとかなり長いこともあるという。そんななか、上皇陛下が、最近、こうおっしゃるのだと、美智子さまが末盛さんにふと漏らされることがあった。「あなたと結婚できて、私は、本当に幸せだった。あなたも、そう思ってくれているといいんだけど」寄り添い続けた「祈り」は、令和の時代にも引き継がれていくーー。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月31日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。19年5月に『上皇后陛下美智子さま心のかけ橋』を出版したメディアプロデューサーの渡邊満子さん(57)は、4月に御所に伺ったときに美智子さまのこんな言葉を聞いた。「私は、5月まで、自分の体がもつかどうか心配なのです。でも、5月まではなんとかと思っておりますけれども」陛下のご譲位まで後1カ月という張りつめた時期でもあった。「その後に乳がん、白内障の手術があったことを考えても、また2度のお引越しも控えていて、お疲れも極限状態だったと思います。しかし、そんななか、こう言葉を続けられたのでした」美智子さまは、おっしゃった。「陛下のお心とお体のお疲れを総合的にわかるのは、私しかいなかったから……」渡邊さんは、ご夫婦の絆の深さを改めて知らされたという。「それは、『譲位のあとも、私が陛下のおそばでご健康を見守っていきます』という決意のお言葉だったと思うんです。その証拠に、譲位後に乳がん手術を終えると、わずか2日で退院なさいました」ご成婚前、美智子さまは、陛下の「家庭を持つまでは絶対に死んではいけないと思った」というお言葉に、これまで読んだどの小説の中にも「このように寂しい言葉はなかった」と思われ、「力を尽くしてあたたかいホームを作ろう」と心に誓われた。その後、お子さまが誕生してからも、乳人制度を廃止して、ご自分で子育てをするなど、公務でもご家庭でも、ときに周囲の反対や軋轢と闘いながら、ご自分たちのスタイルを大切になさってきた。「美智子さまは、お子さまが赤ちゃんのころ、夜泣きすると、納戸のようなお部屋であやしながら、一晩をお過ごしになったこともあったそうです。ご自分たちの道を選択するというのは、その責務も背負うことですね。そんなとき、上皇さまと上皇后さまは、同志として支え合ってこられたのです」母として、また妻としての心配りと実践も、美智子さまらしく、ひたむきでいらしたという。文学を通じて30年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)は続ける。陛下に前立腺の病気が発見された03年ごろの電話でのことだ。「お医者さまに生の玉ねぎがいいとアドバイスされたそうなんですが、美智子さまが、『そんなに生で食べられるかしら』とおっしゃって。ちょうど、地元の盛岡のおそば屋さんに“オニオンそば”という名物があったんです。その話をしましたら、とてもご興味を持たれたんです」早速、作り方の説明をする末盛さんだった。「玉ねぎのスライスにかつお節をふって、味ぽんなどをかけて召し上がるとおいしいですよ」「えっ、味ぽん!?」驚いたような口調で返ってきたという。「“味ぽん”を、初めてお聞きになったご様子でしたね。私もちょっと驚きましたが(笑)。でもその後には、その盛岡のそば屋さんから直接レシピを取り寄せお送りするなどして、お手伝いしました。そこまで陛下のお体を気遣っていらっしゃるのだと知って、また驚いたからです」ここ数年、美智子さまがお好きだとおっしゃる言葉がある。《静かに行くものは健やかに行く健やかに行くものは遠く行く》イタリアの経済学者の言葉だそうだ。親しく交流のある末盛さんも、渡邊さんも口を揃えて言う。「いまのご自分の思いと、相通じるところがあるのではないでしょうか」「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月30日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。《「生きてるといいねママお元気ですか」文に項傾し幼な児眠る 》11年の東日本大震災後、津波で両親と妹を奪われた4歳の女の子の新聞記事を見て、いじらしさに心打たれた美智子さまが詠まれた「手紙」と題された御歌である。平成は、戦争のなかった時代として人々の記憶に刻まれるだろうが、一方で地震や台風など多くの大災害に見舞われている。そのたびに、上皇ご夫妻は避難所となっている体育館の床の上に膝をつかれて、被災者に語りかけてこられた。阪神・淡路大震災から14日後の1月31日。余震も収まらないなか、神戸市長田区の菅原市場を訪れた美智子さまは、その帰りのバスの窓から、見送る住民たちに向かって、両手を握りしめ、2度振り下ろすジェスチャーをされた。この「頑張ってください!」という手話は、被災者だけでなく、日本中を勇気付けたものだ。お二人が天皇皇后となられ最初に訪れた被災地が、91年の長崎県・雲仙普賢岳の噴火災害の現場。このとき両陛下が両膝をつかれて被災者と話す光景があったが、そのお姿に感銘を受けたというのが、本誌の皇室担当記者で皇室ジャーナリストの近重幸哉さん(58)。「上皇ご夫妻がお若かった昭和の御代、皇太子と皇太子妃時代ですが、子供たちの施設などを訪問された時も、美智子さまは、相手と視線を合わせるために膝をつかれていましたが、上皇陛下は、傍らでお立ちのままでした。ですが、平成となり被災地へのご訪問が続くなか、両陛下で膝をつかれるスタイルが定着しました。当初は『天皇陛下が膝をつくというのはいかがなものか』といった声もありました。しかし、その後も平成流といわれたその寄り添われ方を貫かれたのです」美智子さまと、文学を通じて30年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)も語る。「上皇陛下は、ご自分で“世事にはうとい”ということもおっしゃっていましたね。訪問された現場での美智子さまの雰囲気を察し、その方がいいと共感されて、ということはあったと思います。美智子さまが、人々の悲しみに気持ちを寄せられるというのは、持って生まれた資質もあるでしょうが、お若い頃の精神科医の神谷美恵子さんとの交流や、聖心女子大学での体験、そして『子供捨てるなら正田の門へ』という言い伝えがあるほどのご実家の影響もお強いのではないでしょうか」喜びにつけ、悲しみにつけ、常に誠実な思いとともに人々に寄り添われる美智子さま。そのお姿に、「象徴」の真の意味を教えられた人々は、どれほどいることだろう。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月29日「駐日ローマ教皇庁大使館から依頼状が届いたのは、11月初めのことでした」そう語るのは、臨済宗相国寺派管長の有馬頼底さん(86)。上皇陛下のご学友でもあり、京都仏教会代表理事も務める日本仏教界の重鎮だ。“書の達人”としても知られる有馬さんへの依頼は、フランシスコ教皇のために《すべてのいのちを守るため》という言葉を墨書することだった。この言葉は教皇の今回の来日のテーマとなっていた。カトリック教会のトップが、日本の高僧の墨書を求めるというのは意外に思えるが、これまでもフランシスコ教皇は、宗教の違いを超えた融和を訴え、仏教徒の多いミャンマーやイスラム教徒の多いバングラデシュなども訪問しているのだ。また有馬さんと教皇は2年前にも対面していたという。有馬さんが続ける。「’17年11月、バチカン国際音楽祭に招かれた際に、教皇にはお会いしています。カトリックの総本山・サン・ピエトロ大聖堂で行われた共同祈願で、日本の仏教者としてスピーチさせていただいた数日後に、謁見する機会を得たのです。通訳を介して親しくお話しさせていただいたことをよく覚えています。教皇は『戦争や核兵器は平和をもたらさない』と、おっしゃっていましたが、私も『仏教者としてまったく同じ思いを抱いています』と、申し上げました。今回の依頼も、そういったご縁を教皇が覚えていらしたからでしょう」和紙を赤色・白色と2枚用意し、有馬さんは心を込めて書をしたため、2幅の掛軸にしつらえた。「教皇が来日した11月23日の夜、駐日ローマ教皇庁大使館で掛軸をお渡ししました。教皇は私の顔を見ると名前を呼んで、掛軸のお礼を述べてくださったようです。通訳がいなかったので正確なところはわからないのですが(笑)、“白の掛軸は今後の訪問先で展示し、赤はバチカンで飾っておく”と、おっしゃっていたようですね。教皇の積極的な活動を目の当たりにして、私たち宗教者は、もっとはっきり発言すべきと、改めて思いました」
2019年12月06日天皇陛下のご即位を祝う「国民祭典」が開催された11月9日。皇居前広場には約3万人が集まった。天皇皇后両陛下は午後6時過ぎに正門石橋にお出ましになり、奉祝曲『Ray of Water』が、嵐の5人の歌唱とともに披露された。演奏が終わると、目をうるませ涙をこらえながら拍手を送られていた雅子さま。《大勢のみなさんが集まり、即位をお祝いいただくことに深く感謝いたします》天皇陛下がお言葉を述べられたお隣で、雅子さまの右頬には一筋の涙が流れたーー。翌10日には、即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」が実施された。パレードコースの沿道には、両陛下のお姿を一目見ようと幾重もの人垣ができた。そしてこの日のパレードでも目を潤ませていらっしゃった雅子さま。青山通りの沿道の人垣が途切れる箇所にさしかかると、雅子さまはハンカチで涙をぬぐわれたのだった。「両日とも、両陛下の国民へ寄り添う思いを強く感じました」そう語るのは皇室担当記者。「国民の祝福を受けて、雅子さまが流された涙は感動的でした。’03年12月から十数年の間、雅子さまは適応障害のためご公務に出席できず、国民と触れ合うこともままならない時期がありました。しかし天皇陛下の即位、そして雅子さまが皇后となられたことを心から祝福する大勢の国民を目の前にして、国民と心が通じ合っていると、強く実感されたのではないでしょうか」国民祭典では参列者から近い正門石橋にお立ちになり、参列者の祝福に応えられた。そしてパレードでは、’90年に行われた上皇ご夫妻の即位パレードとはコースが一部変更になっていた。国会議事堂の前を曲がっていく箇所は道幅がやや狭くなっており、『雅子さまー!』と大きな声援が上がっていた。天皇陛下は’85年、25歳のときに英国留学を終えられての記者会見で、こうおっしゃっている。《一番必要なことは、国民と共にある皇室、国民の中に入っていく皇室であることだと考えます。そのためには、できるだけ多くの日本国民と接する機会をつくることが必要だと思います》英国で一留学生として生活を送られるなかで「国民の中へ入っていく皇室」という理想を思い描くようになられたのだ。「その強い思いは、即位された現在でも変わっていません。常に国民に寄り添われた上皇ご夫妻の“平成流”を受け継ぎ、さらに国民の中へ入っていく“令和の新スタイル”を、陛下と雅子さまは目指していらっしゃるのでしょう」(宮内庁関係者)
2019年11月15日