わが家では、平日にパパと子どもの時間がほとんどありません。パパと子どもの時間といえば、休日のお風呂だけ。ところが、お風呂の時間を喜んでいた子どもが、ある日突然「パパは嫌! ママがいい!」と言うように。そのときのパパ見知り体験談を紹介したいと思います。 パパとのお風呂を泣いて嫌がる息子1歳を過ぎ、お話がじょうずになった息子との会話がとっても楽しかったころ、突然「パパは嫌」が始まりました。たまにしかパパと入れないお風呂も「ママがいい」と言い始めたのです。 「そんなこともあるんだ」と最初は思っていたのですが、ママだってたまにはひとりでお風呂に入ってゆっくりする時間が欲しい。それに、泣いてまでお風呂を断られるパパはショックが大きかったようです。 普段から男同士仲良く!そこで、普段から「パパってお仕事しててすごいよね」と息子に話したり、パパが手伝ってくれたことなどを息子の前で大げさにほめたりしてみました。 パパもお風呂での遊びを考え、泡風呂の素を用意するなど、パパと一緒のお風呂が楽しくなるように工夫しました。休日はパパと息子だけの時間を増やして公園で遊び、買い物をしてきてもらうことも。男同士、2人だけの経験が増えることで、どんどん仲良くなってくれて期待通りでした。 それでもたまには「やっぱりママ」それでもたまに「お風呂はママがいいな」という日もあります。息子にお風呂を断わられる瞬間がパパにはかわいそうなので、前もって聞いておいて「今日はダメだって」とママからパパへ伝えるようにしました。 「どうして嫌なの?」と聞いたり、説得しようとしたりするのは意味がないと気付いてやめました。特に男の子は、“何が何でもママが一番”ということも多いのかもしれません。逆にあっさり認めてあげることで安心するのか、次の日はパパとお風呂に入ってくれていました。 4歳になった息子は、今では「どっちでもいいよ」と言ってくれるようになりました。一時期の成長過程であるパパ見知りでしたが、さみしそうにしていたパパのためにも、早めに終わってよかったと思っています。著者:斉藤あや大人しく内気な娘と楽天的で活発な息子、男女二児の母。ママ・パパに役立つ情報をお届けすべく、これまでの育児経験を生かして、育児の工夫やお役立ちグッズなどの情報を発信中。
2019年05月16日生後9カ月ごろになると、赤ちゃんの行動範囲も日に日に広がっていきました。テーブルクロスを引っ張るなど、ヒヤリとする場面も。また、おもちゃなどの物を投げる、手や腕を噛むなど、いろいろな悩みが出てきました。 悩み①危険なものや場所にあとから気づく誤飲の危険性があるものを除去するなど、対策をとったつもりでも「これも危なかったんだ……」と、あとから気付いた経験はありませんか? 私もそのひとりで、赤ちゃんと過ごし始めて気付く危険がわりとありました。 わが家の場合、赤ちゃんの力では開けられないだろうと思い込んでいたキッチンの引き出しをわが子が開けていたことがありました。ちょっと目を離したすきに、洗剤を取り出していたことも。危ないと気付いたところは、その都度対策をとるようにしました。 悩み②赤ちゃんがおもちゃなどの物を投げるもともと活発なわが子。この時期になると、おもちゃの扱い方が乱暴になってきたことが気になりました。ブロックなどのおもちゃを投げて遊んでいます。やめさせようとしますがなかなか聞いてくれませんでした。 そこで、投げてぶつかってもそこまで痛くない“ソフト素材のおもちゃ”を与え、しばらく様子を見ることにしました。1歳を過ぎるころには、おもちゃを投げることが減ってきてひと安心。乱暴な遊び方は将来の人間性に影響するのかと心配でしたが、今では一時的なことだったのかも、と思っています。 悩み③赤ちゃんが手や腕を噛むこの時期にもう1つ気になったのが、私の手や腕を噛むこと。抱っこをしていると、不意にガブッ! なかなかの痛さで、思わず大声を出してしまうほどでした。 どうやらわが子は、私の大きな反応をおもしろがっている様子。このままでは、ますます噛むことに興味を持ってしまうと思い、噛まれそうなときは手を遠ざける、噛まれても大きな反応をしないよう努めました。そうすると次第に噛むことが減っていきました。 赤ちゃんの目まぐるしい成長はうれしいことですが、育児の悩みもつきもの。周りの先輩ママや保健師さんに相談をすると解決策が見つかることもありました。悩みをひとりで抱え込まないようにしながら、赤ちゃんの成長を見守りたいですね。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月15日2人目を希望するにあたり、上の子との年齢差や、自分と夫の年齢を考えてというのもありましたが、私たち夫婦にはもう1つ考えなければならないことがありました。それは、夫が持病で飲んでいる薬が妊娠に影響しないかどうかということでした。その悩みをどうやってクリアしたのか、私の体験談をお伝えします。 夫は「潰瘍性大腸炎」私の夫は潰瘍性大腸炎という病気を患っており、点滴と飲み薬で治療をしています。1人目出産後に治療薬が変わり、その薬が精子や赤ちゃんに影響を及ぼすおそれがあるというものでした。医師からは「妊娠希望の場合は事前に教えてください」と言われていました。 私も夫も早く2人目が欲しいと思っていました。その理由は、もし夫がこの先別の治療が必要になったときに、2人目を諦めなくてはならない場合もあると考えたからです。それなら今の段階できちんと今の薬の影響について知り、早めに妊娠を考えようと思いました。 夫の主治医と国立成育センターに相談夫の治療薬について、できる範囲で調べると、やはり「精子の動きが鈍くなったり数が減ることがある」「催奇形性(さいきけいせい/胎児に奇形が生じる危険性)の報告がある」という情報が出てきました。そこで夫は主治医に、私は国立成育医療センターの薬相談窓口に、妊娠に及ぼす薬の影響について相談しました。 結果はというと、「問題なし」ということはありませんでした。しかし、それぞれの話を聞き、リスクと2人目に対する夫婦の思いなどを踏まえ、「今の段階で妊活しよう」という結論に至ったのです。 妊活開始後3カ月で妊娠判明私のほうはというと生理不順のため、産婦人科に通院中でした。基礎体温をつけ、月に1回産婦人科を受診して生理に合わせて薬を飲むという治療を5年近く続けていました。結婚を機に、妊娠に向けて卵胞の大きさをみてタイミングを取る方法をおこなっていたのです。 そして、2人目希望のため再びタイミング法を開始。その結果、3カ月で妊娠することができました。そして、無事に出産することができて本当にうれしかったです。 幸いにも妊娠中の経過は順調でした。しかし、夫の治療薬の影響を専門家に相談したとはいえ、無事出産するまではずっと心の中に多少の不安がありました。しかし、相談した結果と私たち家族の未来についてきちんと夫婦で話し合えたことは、絆を深める貴重な時間となりました。著者:松裏幸恵二男(二卵性の双子)一女の母。薬剤師として働きながら子育てをしている。自身の妊娠・出産・育児に関する体験談を中心に執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月14日わが家には3人の子どもがおり、そのうち2人は吸引分娩で生まれました。生まれたわが子を改めて抱いたとき、その頭の形のイビツさに驚き、心配になったのをよく覚えています……。 微弱陣痛で吸引分娩にわたしは陣痛が弱く、なかなか赤ちゃんが出てこられない状況だったので、3人の子どものうち2人は吸引分娩で誕生しました。 そのときはもう考える余裕などなく、吸引だろうが何だろうがとにかく早く出してあげて! という気持ちだったのですが、産後少し落ち着いて改めてわが子を抱いてみると、頭にしっかり吸引の痕が残り、形もイビツになっていたのです。 第二子よりも第三子のほうがひどく、引っ張られた部分が真っ赤なたんこぶのようになっており、その痛々しい姿に涙が出そうになったのを忘れません。 自分を責めた入院中入院中は、そんな痛々しい頭を見るたびに「わたしの産む力が弱いからこんなことに……」と、申し訳ない気持ちになりました。しかしそんな気持ちを察したのか、とある看護師さんが「この頭、気になっちゃうしかわいそうだなって思っちゃうけど、少しずつきれいになくなっていくから大丈夫よ。ママと赤ちゃんが一緒に頑張った証だからね」と言ってくれて、すごく安心しました。 産後ナーバスになりやすいこともわかっていたので、「今はそういう気分になっちゃうときだから仕方ない!」と、自分で気持ちを切り替えることもできました。 その後頭の形はどう変化?無事退院して家で過ごしていると、看護師さんに言われたとおり少しずつ頭の形はきれいになっていきました。そして生後1カ月経ったころには、ほとんど気にならないように。 特別何かケアすることもありませんでしたが、「あまり強く触らないように」とのことだったので、沐浴のときは気をつけていました。今は3歳と1歳になりましたが、2人ともそのまま元気に大きく育っています。 生まれたばかりのわが子の頭の様子にはびっくりし、心配にもなりましたが、その後何事もなく元気に育ってくれてよかったです。幸い頭の形もきれいになり、吸引分娩の罪悪感もなくなりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2019年05月13日わが家の長男は生後6カ月から1歳の間、身長も体重も発育曲線の平均帯をかなり上回っていました。すると周りから「体が大きいなら何にも心配ないわね」とよく言われました。もちろん子どもがスクスク成長するのは喜ばしいこと。でも実は、ビッグベビーを持つ母ならではの悩みがいくつかあったんです。 ビッグベビーでも離乳食を食べない!子どもの体が大きいと「よく食べているのね」とまず言われます。ところが長男は離乳食をあまり食べなかったんです。特に生後7~8カ月ごろの離乳食中期は、目分量の半分も食べずにごちそうさまになることもしばしば。 でもグングン成長はしているので、他のママたちが「食べないし、成長も緩やかで……」と悩んでいる会話に加わることはとてもできませんでした。それでも内心では、他のママたちと同じように食べないことに悩んでいました。長男は成長しているとはいえ、足りていない栄養素があるのではないかとやきもきする日々でした。 ビッグベビーは運動の発達が遅め?大きめの赤ちゃんでも平均的な速度で運動能力が発達していく子ももちろんいます。ただ、長男の場合ハイハイは生後10カ月の終わりでマスター、ひとり歩きは1歳3カ月で開始と平均より遅めでした。 地域の保健師さんからは、大きい体を動かせるだけの筋肉がつくまではハイハイもひとり歩きも難しいので、ビッグベビーは発達がゆっくりの傾向があると言われました。長男には長男なりの成長のペースがあって、焦ることはないとわかっていても不安にかられることもありました。 ママの体が子の成長についていけない!1歳のお誕生日のころにはすでに体重が11kgを超えていた長男。ところがその時期はようやくつかまり立ちをするかしないかでした。移動は当然親の抱っこです。でも、10kgを超えたあたりから頼りの対面抱っこひもは少しづつ窮屈になってしまっていました。対面抱っこひもなしの抱っこに切り替えると、たちまち私はひどい腱鞘炎や腰痛、肩こりに……。 接骨院に通ったり、授乳中でも使える湿布薬を使ったりしました。そして、ベルトに子どもが腰掛けるタイプの抱っこひもを買い足したことで私の体への負担はかなり軽くなりました。 実は私自身、子どもを産むまでは体が大きいなら安心だと思っていました。でも、子どもが小さくても大きくても、そしてどんなに周囲からは順調な育児に見えていても、ママそれぞれの悩みはあるのだ、と平均より大きな息子のおかげで気付きました。著者:かねこゆかり東北在住、1歳の息子を育児中。転勤族なので、これからどんな土地で子育てをするのかドキドキ半分、ワクワク半分。興味のある分野は貯蓄や節約などのマネージャンル。ファイナンシャルプランナーに挑戦予定。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月12日私は不妊治療を約6年おこない、ようやく子どもを授かることができた40代のパパです。不妊治療にここまで時間がかかるとは想像していませんでしたが、結果的に妻も高齢出産になってしまいました。そのため、無事に出産ができるのだろうかという新たな問題が発生し、出生前診断をおこなった体験談です。 時間のかかった不妊治療不妊治療開始時に、病院で高齢出産に対しての説明を受けました。説明を受けたときの私たちの年齢は、私は30半ば、妻が30代前半だったので、私たちにはあまり必要のないことだという認識しかありませんでした。 ただ、私たちの不妊治療は想像以上にお金と時間がかかってしまい、ようやく妊娠できたのは不妊治療を開始してから約6年が経過したころ。私たちにとって待望の妊娠だったのですが、そのとき初めて高齢出産に対するリスクを認識しました。 妊娠がゴールという錯覚不妊治療の期間が私たちの予想より長かったため、私は次第に妊娠することが目標になっていました。妊娠前に高齢出産の知識を得て不妊治療をおこなっていれば、治療期間を短く設けていたかもしれません。ただ、原因不明の続発性不妊症(※1)だったため、「いつか妊娠するのでは」という思いでずるずると長い治療期間になってしまいました。 しかし、出生前診断をおこなう期間は限られていたので、いつまでも決断を先送りすることができませんでした。 出生前診断するか否か、決断する難しさ最近よくさまざまなメディアでも目にする「命の選別」という言葉が私たちを悩ませ、簡単に決断できませんでした。 ただ、もし赤ちゃんが障害を持って生まれた場合、高齢出産である私たちは将来に不安を抱えたまま過ごすことになると予測できます。検査費用もNIPT(新型出生前診断)の場合、約20万円とわが家にとっては高額だったため、不妊治療を長年おこなっていた私たちには相当な負担額でした。 そして待望の妊娠にも関わらず、診断の結果次第で子どもを諦めなければならない状況になることにも、気持ちの落とし所が見つかりませんでした。 前向きになるための診断最後は、「不安な状態での出産を迎えるより、どのような診断結果であれ受け止め、産み育てたい」という思いで、診断を受けることに決めました。 検査から約2週間で結果が出る予定でしたが、その間も「この検査は受けてよかったのか?」という自問自答を繰り返し続けていました。2週間後、診断の結果は「陰性(異常なし)」。どのような結果であれ産むつもりでいたので、出産に向けての悩みがようやく解消されたような気持ちになりました。 順風満帆ではありませんでしたが、悩みのない状態で出産を迎えられたのは、長い間夫婦で不妊治療に向き合い、コミュニケーションを取り続けた結果だと思っています。世間の風潮に惑わされるとこなく、家族全員が納得するように悩みを共有し、診断をおこなうか否かを決めることが大切なのではないかと、私は感じました。 (※1)続発性不妊症:1人目は自然妊娠できたのに、2人目がなかなかできない不妊症のこと。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2019年05月12日娘が生まれて完全にセックスレスになってしまった私たち夫婦。娘が2歳になったころ、自分の年齢のこともあり「2人目を考えないと……」と焦り始めますが、そのとき気付いた夫婦間の溝。修復の難しさを感じていた矢先に義実家での同居が決まり、ますます追い込まれていきました……。 気付いたときには楽しくなくなっていた娘が生まれてから、初めての育児に追われて夫のことは二の次。時間が合わず、以前のような夫婦の会話もできなくなっていました。やっと子どもとの生活に慣れてきたころ、育児のせいで自分の時間をまったく失ってしまった私のストレスは、外で働く夫に向かってしまうようになってしまいました。 「あなたは外で自由にできていいね!」……心のどこかにそんな思いが蓄積されていき、夫との会話も触れ合うことも、もう楽しくはなくなっていました。 これじゃまずい!近づくタイムリミット娘が2歳になったころ、同じ年の子どもがいる友人や知人の2人目妊娠報告が相次ぎました。年齢的にタイムリミットを間近に感じていた私は、だんだんと焦りを感じ始めます。ですが、1人目の妊活時にはサラッと言えたことなのに、「2人目を考えたい」と言い出すことがなかなかできなかったのです。 その後、随分と時間をかけて伝えることができましたが、排卵日付近を目指して2~3周期ほど挑戦したけれど、こんな気持ちでは赤ちゃんは来てくれないなと感じるようなものでした。 追い打ちをかけた義実家での同居生活何とか2人目を考えたいと夫に切り出した矢先、義実家での同居が決まりました。代々長男が家を継いできた家系で、1人目が女の子だったこともあり、義実家から2人目は男の子を熱望されます。田舎なので近所の人との関わりも強く、私の顔を見れば早く2人目をとばかり言われ、精神的に追い込まれていきました。 義理の家族がいる家での妊活は、私にとって到底難しいことでした。そんななか、私の精神状態を救ってくれたのは、夫だったのです。 義務ではなく、幸せなこと夫と向き合うのはいつぶりだったでしょう。私たちは夫婦でしっかり話し合いました。夫も2人目を望んではいるものの、義務的にするくらいなら娘だけで十分だと考えていたようです。「子どもが多いことが良いこと」で、「男の子だから、よくやった!」という周りの考え方に飲み込まれて、子どもをつくることだけに意識が向いていたのは私のほうでした。 私たちは私たちのペースで子どもを授かれるまで待とう、という思いを共有することができました。今もまだ2人目は授かっていませんが、以前のように夫婦が同じベクトルで妊活に取り組めている気がしています。 私たちがセックスレスを解消できたのは、夫婦の歩み寄りが何より大事でした。余裕がなく精神的に追い込まれていた私でしたが、自分だけの問題ではなく夫婦で乗り越えるべき問題だったことに気付きました。忙しいなかでも時間を作ってしっかり話すことで、私たち夫婦の溝は埋まっていった気がします。著者:長濱 ともこ一女の母。妊娠・出産を機に保育や児童教育を勉強。現在第二子妊娠に向けて妊活中。育児や子どもの成長、二人目妊活に関する体験談を執筆中。
2019年05月12日私には子どもが3人います。上の娘はもう3歳になり、私の子育ても3年目に入りました。だいぶしっかりおしゃべりができるようになった長女に言われた言葉で、自身の子どもへの接し方について振り返り、感じたことについてお話ししたいと思います。 娘からの一言でハッとしたある朝、保育園に行く身支度をしていると、「〇〇しなさいって言わないで。〇〇しようって言って」と言う娘。そのときは私も出勤時間が迫っていたので「準備をしようね」と言い直して、なんとかその場を乗り切ろうとだけ思っていました。 しかし、保育園への送迎も終わり落ち着いてからその言葉が妙に気になり、今までの子どもへの私の言葉を思い返してみました。するとたしかに、毎日忙しさを理由にして「〇〇しなさい」と口癖のように言っていることに気づいたのです。 母からの言葉を思い出した以前、娘が私の言うことを聞かないと母に相談したとき、母は「子どもは思い通りにならないものよ」と言いました。その言葉について改めて考えると、私は娘の立場に立って考えるよりも、どうやってこの育児や家事をこなしていくかに気をとられ、自分のペースで進めようとしていたなと思いました。 娘の立場に立って考えてみると、なぜなのかよく理解もできていない状況で「〇〇しなさい」と言われても理解できないし、私の言い方で娘も嫌な気持ちになっていたんだなと思いました。 夫に相談すると…そのことを夫に相談すると夫は、「俺は前からできるだけ〇〇しようかと声かけしているよ」と。そして「でも危険なことやどうしてもわかってほしいときは、〇〇しなさいとか、してはいけないと厳しく言うようにしているよ」と言いました。 確かに夫は、「〇〇しなさい」とは言いません。例えば食事のときなども、「もうすぐごはんだよ。自分の良いタイミングで席につくんだよ」と言っているのを思い出しました。 私は自分の娘への接し方について、さらに反省しました。 それからの私それから私は娘に何かしてほしいことがあるときは、きちんと理由を説明したうえで、「〇〇しようか」と促すような言い方を心掛けました。 すると娘は遊びの途中でも自分の中で気持ちを切り替えてくれるようになり、物事がスムーズに運ぶようになりました。また、危険な場面ではきつく言うことで、「これは本当にいけないんだ」と娘も理解してくれるようになりました。 これからの娘への接し方はもちろん、娘の下の1歳の双子への接し方もきちんと考えなければと思いました。まだ言葉はあまり理解できなくとも、威圧的な言い方や言葉は良くないと思うので、子どもたちをきちんと見守りつつ、子どもたちの意思も尊重した声かけをしていきたいです。著者:松裏幸恵二男(二卵性の双子)一女の母。薬剤師として働きながら子育てをしている。自身の妊娠・出産・育児に関する体験談を中心に執筆中。
2019年05月12日第二子が生まれて数日したころ、おむつ替えのときに出血を確認しました。長女のときにはこんなことはなかったのでビックリ。そんな私の体験談をお話しします。 新生児のビックリ! 「新生児月経」生後3日から5日ぐらいに、女児の性器から少量の出血が見られる現象を「新生児月経」というそうです。健康上の問題はないそうで、すべての女の子にあるわけではないとのこと。わが家も長女のときにはありませんでした。 母親からの女性ホルモンの作用で起こる現象らしく、これによって痛みや貧血が起こることはなく、特別な処置は必要ないのだそうです。 うちの子の「新生児月経」出産後の入院中、生後2日目ごろにおむつ替えをしていたら、やや明るい色の血液がおむつにほんの少量ついていました。明らかにおしっこでもうんちでもなかったので、毎朝赤ちゃんを診察してくれている小児科の先生に聞きました。 「生理みたいなものだから心配いらないし、すぐに出血しなくなるよ」とのことでした。先生の言う通り、2~3日で出血は見られなくなりました。 新生児のビックリ! 「魔乳」わが子の新生児月経に加えて、もう1つ驚いたことがありました。それはわが子のおっぱいから白い液体、母乳みたいなものがちょっと出ていたことです。 これも母親からの女性ホルモンの影響で起こる現象らしく、もう少しソフトな言い方はないのかとも思うのですが、「魔乳」と呼ばれているそうです。1週間ぐらいでおさまる新生児特有のもので、男の子でも「魔乳」が出ることがあると言われています。いったいこの子にはどれだけ私のホルモンが注入されたんだ! と、ドキドキしてしまいました。 経験しなければ知ることがなかった「新生児月経」と「魔乳」。これから女の子を出産される方は、驚かないように覚えておきたいですね。著者:山田孝子不妊治療を経て高齢出産し、現在は三児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は旅行、仏像鑑賞、モノづくり。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月11日結婚して2年が過ぎ、そろそろ赤ちゃんがほしいと妊活に励んだものの、なかなか妊娠に至りませんでした。その後、妊活を5年ほど続けてようやく妊娠。不妊で悩んでいる方へ、いろいろと悩み苦しみ、最後はやっと笑顔になることができた私の経験談をお話ししたいと思います。 「不妊」とわかるまで結婚して2年が過ぎ、「そろそろ赤ちゃん欲しいね」という話を夫婦でしていました。「男の子がいいかなぁ」「女の子がいいかなぁ」など、のんきに話をしながら、1年か2年後には赤ちゃんを抱っこしている自分の姿を思い浮かべていました。 ところが、夫婦生活を続けても妊娠の兆候がなく、「夫婦生活があればすぐに妊娠する」と思っていた私にとっては驚きでした。それからは特に何かをすることもなく2年ほどが経ち、やっと訪れた産婦人科で不妊の事実を知ったのです。 私が実践した妊活の方法私がおこなった妊活の方法としては、まず基礎体温をつけ、排卵日前後に夫婦生活をもつようにしました。また、玄米や野菜、体を温める食材を使った食事に切り替えたり、腹巻きや靴下を着用し、なるべく体を冷やさないようにしました。 病院の検査では卵子が育ちにくい状態ということがわかり、排卵誘発剤を打ってもらいましたが体に合わず、私には無理だとあきらめました。鍼灸師の夫には、毎日婦人科系に効くお灸をしてもらいました。 やっと授かった命いろいろと努力をして、ようやく3年後に待望の赤ちゃんができたとわかったとき、うれしくて涙が止まりませんでした。 悩み苦しみ、夫にあたりちらし、それでもそんな私を夫は受け入れ、「焦っても仕方がないからゆっくり行こうよ」とブレーキをかけてくれました。 赤ちゃんを授かっても授からなくても、夫婦で楽しく暮らして行けたら最高じゃないかと気持ちを切り替えられたこと。私の妊活では、そこが一番良かったことなのではないかと感じています。著者:花田もえこ一男一女の母。現在は外資系の物流会社に勤務。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月10日私の娘は、口唇口蓋裂という先天異常を持って生まれてきました。今回は、今まで受けてきた治療のまとめと今後の予定についてお伝えしたいと思います。 これまでの治療と現在の治療口唇口蓋裂の治療におけるメインの診療科は形成外科でした。生後5カ月ごろ、唇を閉じ、鼻の形を整える手術を受け、1歳過ぎに口蓋裂を閉じる手術を受けました。それから6歳の現在まで、半年から1年毎に定期的に受診しています。 歯茎の裂があり、上の歯並びが悪いため、4歳ごろから矯正歯科に毎月通っています。また、鼻にかかった話し方のため、耳鼻科での聴覚検査をしたのちに、毎週近所の学校で開催している言葉の教室に通っています。そして、中耳炎になりやすいため、耳鼻科も定期受診しています。 多くの場合、唇再形成の手術が必要娘の場合、口唇裂手術後、最初は唇が少し引きつっている様子でした。手術した部分はピンク色で、痕が少しわかる状態が2歳ごろまで続いていました。けれども、成長とともにきれいな形になってきており、よく見ると多少違いがわかりますが、周りの人からは「まったくわからない」とよく言われます。 多くの場合は、小学校入学前に唇の形を整える手術が必要になるそうです。ただ、娘の場合は幸い、「見た目に問題がないから手術は必要ない」と主治医の先生からお話がありました。 口蓋裂の状態に応じて、骨移植が必要口蓋裂手術は、両脇の皮を縫い合わせておこなわれるため、手術後に上あごに穴が開いてしまう場合があるそうです。そのような場合、その穴を塞ぐ手術が必要になります。 また、娘は歯茎にも裂があり、当初は「小学校中学年くらいに腰の骨を移植する手術が必要になるかもしれない」とのお話でした。ただ、成長とともに歯茎の裂がどんどん狭くなり、今は歯茎の隙間がなくなりました。そのため、手術は必要ないかもしれないと言われています。 娘の場合、口唇口蓋裂ではあるものの、ありがたいことに経過は順調です。今後も主治医の先生と相談しながら、できるだけ娘に負担がかからないよう治療していけたらと思っています。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月10日出産のクライマックス、いよいよ赤ちゃんの頭が出てくるとき、赤ちゃんの頭が通りやすくなるとともに、会陰が裂けて傷できるのを避けるために会陰切開がおこなわれることがあります。「会陰切開が出産より痛かった」と友人から聞いていた筆者は、初産のとき、出産よりも会陰切開が気がかりでした。 できれば切りたくないと考えていた産前無事に赤ちゃんが生まれる事が一番大切とわかっていても、切るってどんなふうに? いつ? など、不安になってしまった筆者は妊娠中、会陰のオイルマッサージをしてみました。会陰の伸びがよいと、切らずに出産できると聞いたからです。 しかし、会陰マッサージはおなかが大きくなるにつれ体勢がつらくなり、あまり続けられませんでした。結局、会陰マッサージをしっかりとやらないまま日が経ち、陣痛が始まったので産院へと向かいました。 痛くてもいいから切ってほしい!初産でしたがトントン拍子にお産は進み、いよいよ陣痛はいきむことを抑えていられない程の痛さになりました。しかし、あまりのスピードに医師が間に合わない! このままうっかりいきんで会陰が裂けないように陣痛の波を逃しながら耐え、到着した医師がハサミでパチンと切りましたが、切った感覚を感じただけでした。 あんなに怖いと感じていた切開の恐怖よりも、とにかく早くいきみたい! 陣痛を終わらせたい! その一心だったのです。 痛かったのは切る瞬間よりも、縫う瞬間だったあくまで筆者の感覚ですが、切る瞬間に痛みはほとんど感じられませんでした。その代わり、会陰切開の縫合が、麻酔をしているのにも関わらず悶絶するほど痛かったのです。糸が通る感覚もしっかりとあり、一針一針のなんとも言えない痛さにじっと耐えている時間がとても長く感じました。切開するよりも、縫合に痛みを感じるとは衝撃的でした。 会陰切開が出産より痛いと聞き、おびえていた筆者ですが、陣痛がクライマックスのときは切開の痛みはほとんど感じず、心配は杞憂に終わりました。この会陰切開があったおかげで産後の回復は順調だったので、必要な処置だったと感じています。 また、筆者は我慢をしてしまいましたが、縫合の際に痛みがある事を医師に伝えると、麻酔の追加などで対応してくれるそうなので、出産より痛い、ということはあまりないようです。医師とのコミュニケーションが大切だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー(通常分娩) 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2019年05月10日私の夫は、あまり育児に協力的な人ではありませんでした。でも、3人目が生まれたことをきっかけに、これまでよりも育児を手伝ってもらうことに……。ところが、この役割分担が思わぬ誤算だったんです。 3人目誕生、育児も役割分担することに子どもとはよく遊んでくれるけれど、おむつは替えられない、ミルクの調合もわからないという夫。育児をしているかと聞かれると微妙なところ……。私自身も、育児は自分でしてしまったほうが早いと思っていたため、これまでは夫に何かを手伝ってもらおうとは思っていませんでした。 しかし、さすがに子どもが3人にもなると、私1人では厳しいかもしれない。そこで夫に相談し、おむつ替えなどのこれまでやってもらったことがあまりなかった育児も手伝ってもらうことにしました。夫も思いのほか快く引き受けてくれました。 お互いが協力し合えずイライラところが、慣れないおむつ替えやお風呂などのお世話は夫の思うようにはいかず、見ている私もついイライラしてしまう結果に……。3人目が生まれ、家族で楽しくにぎやかに過ごせるはずだったのに、夫婦が揃うとお互いにイライラしてばかりでした。このままでは良くないと思い、改めて夫と話し合うことにしました。 夫からは素直に「不器用な自分には、今まで○○(私)がしていた育児を○○(私)と同じようにはできない」と言われました。一方で私は「家事も育児も家の中のことはだいたいできるけれど、すべてを任せられると負担が大きい」という話をしました。 余裕ができて「ありがとう」と言えるようにそれぞれのできること、できないことを話し合い、「お互いができることを優先させたほうが効率がいい」という話でまとまりました。家での子どもたちのお世話は私が引き受け、夫にはこれまで経験のある育児のほかに、買い物など、もう少し家事に協力してもらうことにしました。 仕事帰りの夫に、お米や飲み物、洗剤などの重量のある買い物を任せると、日中の子どもを連れての買い物がとても楽になりました。また、夫が子どもたちと遊んでいる間に私が食器の洗い物を済ませ、授乳中には夫が上の子たちの寝かしつけをするなど、「一緒に育児」を徹底するのではなく、お互いの得意不得意を考慮した協力体制がわが家には合っていたようです。 夫婦にもそれぞれ得意不得意がありますよね。それぞれの得意なことが生かせると効率も上がり、気持ちにも余裕ができたように感じます。そして、お互いが素直に「ありがとう」と言えるようになったことが何よりでした。著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年05月10日わが家の娘は1歳ごろに「水いぼ」を発症しました。皮膚科を受診して初めて水いぼであることを知りました。背中に広がった水いぼの処置は大変でした……。わが子の水いぼ体験談をお伝えします。 わが子の水いぼの症状最初に発見したのは、3mm程度の光沢のある湿疹でした。ただ、湿疹にしては大きいなと感じていました。よく見るといぼの中央にくぼみがあります。 皮膚科で聞いた話では、くぼみの中にある白い芯のような部分に、多くのウイルスが含まれているそうで、掻きむしってしまうと、ほかの部位に感染が広がってしまうとのこと。医師の言う通りで、娘の場合も放置したことで感染が広がってしまい、10個以上の水いぼができてしまいました。 治療はピンセットでの「摘除(てきじょ)」通院した皮膚科では、水いぼをピンセットで取る「摘除(てきじょ)」という治療をおこないました。 水いぼを摘み取る際には、当然ながら痛みがあります。泣きわめく娘を押さえつけての治療は、見ている側もつらい思いでした。放置した結果、10個以上も増やしてしまったことを悔やんで、自己嫌悪に陥りました。最近では麻酔のテープ剤を使用して、痛みを和らげる方法もあるそうです。 水いぼは取るべき?水いぼは取るべきなのか、皮膚科で聞いたところ、放置しても自然に治ることもあると聞きました。ただ、完治までには長期間かかり、その間にほかの人にうつしてしまうこともあるとのこと。実際に娘の水いぼも夫にうつってしまいました。 また、水いぼを掻き壊してほかの皮膚感染症にかかるリスクもあることを聞き、水いぼが少ないうちに取っておいたほうが安心かもしれないと私は感じました。 娘の水いぼはだんだんとよくなっていきましたが、何度か再発することも。再発を防ぐために、タオルの共用をしない、適切なスキンケアをするなど、医師から教わった予防も心がけました。皮膚科に通院する日々が続きましたが、2歳を過ぎたころには再発することもなくなり、ホッとしています。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月09日私は物心が付いたころから、母親からのきょうだい間の対応の差を感じていました。私はずっと「私は親からきょうだい差別を受けている」と思っていました。でも、大人になってからは「あれは、区別だったのかも」と思うことも。しかしどちらにしても、私にとってはつらい経験でした。 幼いころから感じていた「差」私は幼いころから、私と弟に対する母の対応に差を感じていました。例えば、おもちゃ。おもちゃ箱の中には、弟のプラレールやトーマスのおもちゃがたくさん詰まっていました。でも、私のおもちゃはないのです。弟のおもちゃで遊んだ記憶はあるのですが、自分のおもちゃで遊んだ記憶はありません。 私に向けられたものは、本棚に立てられた幼児教育の教科書だけでした。写真を見ても、これは私の記憶違いではなさそうでした。 弟は褒められるのに、私は…少し成長してからは、「弟は褒めてもらえるのに、私は褒めてもらえない」と思うことが多くありました。 例えば、学校のテスト。私が90点台を取ると、「どうしてこんな問題を間違えたの!? ちゃんと勉強しなかったからでしょ!」と怒られました。一方、弟が50点台を取ると、「ここも、ここも、できたね! 頑張って勉強したからだね! すごいね!」とやさしく褒められていました。それを見た私は大ショックです。私のほうが良い点数なのに、なぜ私は怒られるのか。なぜ弟は褒められるのか。 とてもつらかったことを覚えています。 母は私のことが嫌いなのだと思ったなぜ母は「きょうだい差別」をするのか。幼い私が考え出した答えは、「ママは私のことが嫌いだから」でした。「ママは弟のほうが好きなんだ」「私はいらない子なんだ」そんなことを考えると、つらくて悲しくてたまりませんでした。 しかし、今になって考えると、あれは「差別」ではなく「区別」だったのではないかと思うこともあります。母は私に「あなたは何でもひとりで、じょうずにできた。でも弟は何をやらせても遅いし、下手だった」と言っていたことがあるからです。 平等に接してほしかったもしかしたら母は、こう考えたのかもしれません。「姉には遊びより教育を与えたい。弟には教育より遊びを与えたい」「もし50点で良いと姉を褒めたら、姉がそれで良いと勘違いして怠けてしまうかもしれない。逆に、90点を取れないからと弟を叱るのは、弟には酷だ」 確かにその子の個性、その子の個性に合わせた対応をすることは大切なことです。しかし子どもの私にとって、それはとてもつらい出来事だったことに変わりはありません。 私も親となった今、子どもへの接し方の難しさがわかるようになりました。でもやはり、あからさまにきょうだい間の対応を変えることは、子どもの心を傷付けることに繋がると感じています。 子どもの個性に合わせた対応をした結果、傷つく可能性があるくらいなら、みんな同じように接してあげたいと感じます。私は現在第二子妊娠中です。第二子が生まれたあとは、自分のつらかった経験を思い出し、どちらも「差別されている」と感じないよう、平等に接してあげたいと思っています。著者:丸川朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在第二子妊娠中。
2019年05月09日出産前、私は子どもが生まれたら「布おむつで育てたい」と思っていました。エコだし、節約にもなる。何よりも、布おむつを替え、洗濯をするということ自体が、子育てならではの体験でおもしろそうだと思っていました。 現代は紙おむつが主流ではありますが、昭和40年代生まれの私にとって布おむつは身近でちょっと懐かしい育児アイテムです。そんな私が2人の子育てでやってみた、布おむつ育児のエピソードをお話ししたいと思います。 ゆる~い「布おむつ育児」布おむつ育児と言っても、完全布おむつ育児ではありません。外出時、下痢など子どもの体調の悪いとき、私が疲れているときは紙おむつで過ごし、家にいるときは布おむつ。紙おむつを併用しながら、ゆるく、ストレスにならない程度に布おむつで育児をする「ゆる布おむつ育児」という感じでした。そのほうが無理なく布おむつ育児を楽しめると思ったからです。 たまたま友人から使わなかった布おむつセットをもらったので、布おむつの初期費用はかかりませんでした。自分で買った物は、使った布おむつを入れるバケツだけです。 布おむつカバーを手作りしたい!布おむつ育児をするにあたって一番やってみたかったことは、布おむつカバーを作ることでした。私は裁縫は得意ではありませんが、市販の布おむつカバーで気に入った柄があまりなかったので、自分で作ってみたいと思ったのです。 長男を妊娠中に本を見ながら、家にある布と余っていたフリースで私が作った布おむつカバーは1枚。一生懸命作っている時間はとても楽しく過ごせました。さらに裁縫が得意な私の母が3枚作ってくれたので、長男の出産前には布おむつカバー4枚が用意できました。 生後2カ月後半から布おむつ育児スタート新生児のころはおむつを頻繁に替えるので、おしっこやうんちの回数が少し落ち着く生後2カ月後半から布おむつ育児を始めました。おむつ交換のときに、洗剤を入れて水を張ったバケツに交換した布おむつを入れておき、1日に1回布おむつを軽くゆすいでから洗濯機で洗濯するだけだったので、思っていたよりも楽でした。 うんちのときも軽くもみ洗いするだけで簡単によごれが落ちたので、洗濯が大変だとは感じなかったです。それよりもおむつ交換のたびに、手作りのおむつカバーを見て「かわいい」と思えることで、おむつ交換がとても楽しみな時間になりました。 長男・次男2人とも生後2カ月後半から2歳までゆる布おむつ育児をしたのですが、次男のときは布おむつカバーを作る技術も上がり、自分でも納得のいくおむつカバーを作れるようになりました。お金を払って布おむつカバーを買ってもいいのですが、自分の好きな柄の布で手作りをしたことで、とても愛着がわきました。布おむつ育児は、いい思い出の1つです。 著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2019年05月09日第一子が保育園に入園する直前に食物アレルギーがあることが判明しました。そのため、離乳食はメニューによっては除去など、特別な対応が必要でした。保育園に食物アレルギー持ちのわが子を預けたとき、どのようなことが必要だったのか、わが家の体験談を紹介します。 医師による指示書の提出が必要保育園に入園する子どもが食物アレルギーだった場合、保育園に対し、保護者が口頭や書面で食物アレルギーがあることを伝えればOK、というわけではありません。医師の診断のうえ、自治体指定の指示書に必要事項を医師に記入してもらい、保育園に提出する必要がありました。 かなり細かい項目まで記載が必要なため、病院によっては入手するまでに時間がかかったり、対応自体を受け付けていなかったりするところもあると聞きました。かかりつけであっても、事前に対応してもらえるかどうか確認したほうが確実です。 月1回、栄養士・担任の先生と会議私の子どもが入園した保育園の場合、毎月月末に保育園の栄養士と担任の先生とともに次月の献立と使用材料を見て、医師から指示のあった除去する食材をチェックしていきました。たとえば大豆を除去する場合、大豆そのものから味噌、醤油、きなこなど、原材料に含まれていそうな食品はすべてチェックしていきます。 すべての献立の食材一つひとつを細かく確認していくので、その分時間を割く必要があります。そんなときは、心苦しいですが働いている会社に事情を話し、ほかの社員の方に業務をカバーしてもらうことで、仕事を調整しました。 定期的に通院してチェックする必要がある私の子どもは、成長とともに除去の必要がない食材が増えていきました。指示書は半年に1回提出する必要があったため、半年ごとに受診していました。 健康状態やアレルギーの数値などを知ることができ、医師にいろいろと相談することもできるので通院自体はありがたかったのですが、わが家の主治医のアレルギー外来では診療時間は平日のお昼過ぎのみ。栄養士と担任との会議に加え、かなりの回数、食物アレルギー関連で仕事を早退していたので、通院しにくいことだけが気がかりでした。融通の利く診療時間かどうかも、通院する病院を決める際に確認しておくことをおすすめします。 保育園での給食の様子を見たとき、わが子だけが別の机、別のトレーで給食が用意されていて驚いたことを覚えています。しかし、アレルギーは命に関わること。親の私自身も意識改革をしなければいけないと強く思ったできごとです。著者:東慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月08日妊娠5カ月くらいからおなかがだんだん大きくなってきて、妊娠7~8カ月くらいになると見た目でわかるようになってきました。どんどん重くなり腰に負担がかかるのもつらかったのですが、もっとつらかったのは皮膚が伸びることによる「かゆみ」でした。 何をしていてもかゆい筆者はもともと肌があまり強くなく、冬は乾燥してかゆくなり、夏は汗をかいてあせもでかゆくなる体質。秋は少し落ち着いていられる時期のはずだったのですが、12月に出産予定のおなかがどんどん大きくなり、皮膚が引っ張られるためなのか気候に関係なくかゆくてたまりませんでした。 我慢できないときは非ステロイド系の薬を塗ったりもしましたが、なんとなく赤ちゃんがいるおなかに薬を塗るのは気が引けて、普段は保湿ローションを塗るにとどめていました。 ひっかき傷が気になる妊娠線ができてしまうことも気になっていたので、保湿は十分にしていたつもりですが、それでもかゆくてひっかき傷がたくさんできてしまいました。 意識をしているときは我慢できるのですが、寝ているときやほかのことを考えているときなどは無意識におなかをかいてしまっていて、ひっかき傷はなかなか治りませんでした。そのためマタニティフォトに憧れがあったのですが、傷だらけのおなかでは……と、あきらめてしまいました。 気にしすぎていたかも?こんなにかゆいのは自分の肌が弱いせいかと思っていましたが、2番目の子を妊娠したときに「大きくなるにつれておなかがかゆくてたまらない」とママ友に何気なく話すと、「わたしもそうだったよ」との返事。誰に聞いてみてもそう答えが返ってきました。 支援センターなどで周りをよくよく見ていると、おなかの大きなママがおなかをかいている姿をよく見かけたので、「これは妊娠あるあるなんだ!」と気づきました。 かゆみをごまかすために保湿ローションを頻繁に塗っていたためか、妊娠線はさほどできませんでした。今は写真の加工もできるのだし、ひっかき傷を気にせずにマタニティフォトを撮っておけばよかったな……と少し後悔しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2019年05月08日赤ちゃんがハイハイやよちよち歩きを始めると、注意しなければいけないのが誤飲による事故です。悲しいことですが、誤飲によって毎年亡くなる赤ちゃんがいるのも事実。もちろん親も気をつけてはいると思いますが、なかには「こんなものを口に入れていた!」と驚くこともあります。今回は、そんなママたちの体験談を紹介します。 「夫が愛用しているアレを……」まずは生後10カ月の息子がいるAさん。夕食の支度中に、リビングにいる息子が大泣き! 慌てて駆け寄ると、口の中に白いラムネのようなものが入っていました。 それは、夫がいつも食べているミントタブレット。どうやら夫がリビングに置きっぱなしにしていたケースを手にとって、カラカラと音が出るのを楽しんでいたら、何かの拍子に中身が出てきて口に入れてしまったよう。体に害のあるものではありませんが、小さな粒でも赤ちゃんののどに引っかかったらと心配です。 「シールを食べちゃった!」続いて、2人の娘がいるBさんの体験談です。4歳になる上の娘はシールが大好きで、ちょっと目を離した隙にタンスやテーブルなど、部屋の至るところにシールを貼ってしまう時期がありました。そのたびに剥がして注意はしていたのですが、ある日、リビングのローテーブルの裏に貼っていたシールを、生後8カ月になる下の娘が剥がして口に入れてしまったそう。 まさかテーブルの裏にまで貼っていたとは……。小さな子どもは思わぬ行動することがあるので、上にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいる家庭はより注意が必要です。 消費者庁でも注意喚起消費者庁のホームページでは、赤ちゃんの誤飲に関して、度々注意を促しています。下記のものは特に気をつけましょう。 ・タバコ・化粧品やマニキュア・薬・サランラップやビニール・スーパーボールなどの小さなおもちゃ・アクセサリー・ティッシュペーパー・乾燥剤・ピーナッツやアメ・乾電池 このほかにも家庭によっては危険なものはまだまだあります。赤ちゃんが動き回るようになったら部屋の中を見直して、赤ちゃんが口に入れてしまいそうなものは手の届かないところへ片付けたいですね。著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月08日息子は生まれたときから、よく泣く赤ちゃんでした。母乳やミルクを飲ませても、1時間続けて眠ることができればいいほう。おかげで睡眠不足の日々が続き、私は心も体もボロボロでした。まとまって眠らない息子の育児についてお伝えします。 よく寝る子とあまり寝ない子の違いスヤスヤ眠るというイメージだった赤ちゃん。でも、現実は違いました。出産直後からとにかく泣く。入院中も息子の泣き声が響き渡っていました。やっと眠ったと思っても、30分後には「ふんぎゃー!」。母乳やミルクは飲ませているのにどうして? と、出産を終えたばかりの体は休まることがありませんでした。 生後6カ月を過ぎても、1時間続けて寝たらいいほう。育児相談や小児科で何度も相談しましたが、個性としか言えないとのことでした。 疲労は限界に達し、産後うつに私は約1年半、睡眠不足と闘いました。目の下にはクマ、肌荒れ、口角炎……。鏡に映る自分の顔を見るたびに「一気に老けたな」と気が沈んだものです。胃腸も弱り、下痢が続く日々。まとまって眠れないというのは、本当につらいことでした。 そして、慣れない育児で精神的、体力的にも限界に達し、産後うつを発症してしまいました。そんな状況を見兼ね、夫や義母が夜間の授乳を手伝ってくれました。改めて周囲の協力が必要だと感じた瞬間です。 断乳で睡眠不足から解放された1歳を過ぎても同じ状況が続き、どんな対策を試しても、改善することはありませんでした。息子が1歳半になったころ、仕事復帰の関係で断乳を決行しました。 約1週間は泣きわめき、何度か心が折れそうになりましたが、ぐっと我慢。すると、いつの間にか2~3時間、まとまって眠ってくれるようになりました。息子にとってはかなりの成長です。結局、朝までぐっすり眠ってくれるようになったのは、3歳に入ってから。長い闘いでした。 2人目の娘は授乳時間になっても起きないくらい、息子と違ってよく寝る子でした。息子の育児が大変だった分、すごくラクな育児をさせてもらいました。よく寝る子、寝ない子の違いは、やっぱり個性だったのかもしれません。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月08日妊娠37週に入ると、ママはいつ陣痛が来るのかドキドキしますよね。わが家の場合は、私の緊張とは裏腹にパパはのんきに構えていて、その温度差に腹が立ってしまうことがありました。今回は、私が妊娠37週に入ってからパパにしてほしかったことを紹介します。 お酒を控えてほしかった!私はもともと切迫早産気味で、張り止めの薬を臨月まで服用していました。そのため、出産が予定日よりも早くなるかもしれないと、日々ドキドキしていました。パパは「37週に入ったら、生まれるまでお酒は飲まない」なんて張り切ってくれていたのに、「今日は大丈夫やろ?」と根拠のない自信からビールをあける姿に悲しくなりました。 仕事で疲れている気持ちもわかりますが、もし陣痛が起きたら運転もできないし、もう少し考えてほしいところでした。 2人の時間を大切にしてほしかった!赤ちゃんが生まれると、生活の中心は赤ちゃんになってしまいがち。夫婦2人の時間はなかなかとることができません。赤ちゃんが生まれるまでの最後の2人の時間は、子ども連れでは行けない食事に行ったり、近場に出かけたりすればよかったと思いました。 パパが飲み会でいないときに陣痛が来たらどうしようと不安になることもあるので、パパが一緒にいてくれるだけで安心できます。もっと2人の時間を大切にできたらよかったと感じています。 車の運転をしてほしかった!妊娠37週のママは、大きくなったおなかの影響で座ることも苦しい状態です。まして車の運転となると、おなかがつかえて運転しにくい! あまりシートを倒して運転することもできないので、大きいおなかの妊婦は運転するのもひと苦労です。 パパは、運転するのがあまり好きではなくて、出かけるときの運転は私。妊娠37週に入ってからも相変わらずで、私が頼まないと運転してくれませんでした。ぜひ、妊娠中の奥さんを持つパパには、率先して運転してほしいと思います。 妊娠37週に入ると、ママは楽しみと不安が入り混じって、情緒が不安定になりがちです。夫婦2人で話し合って約束ごとを決めたり、パパにしてほしいことは言葉で伝えるようにして出産に挑めるといいですね。著者:田中麻奈元保育士で一児の母。現在は育児に専念するため専業主婦。自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する記事を執筆中。趣味は手芸。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー(通常分娩)
2019年05月08日わが家の娘の背中には「いちご状血管腫」があります。大きさは5mm程度と小さいのですが、真っ赤で目立ちます。そこだけ皮膚が盛り上がり、血豆のよう。今回は、受診の様子と治療に踏み切るか悩んだ体験談をお伝えします。 娘の背中に「いちご状血管腫」娘が生後2カ月のころに気付いた、血豆のような背中の皮膚。痛くはなさそうな様子でしたが、その正体を知るために小児科を受診しました。かかりつけ医に診せたところ、「いちご状血管腫です。未熟な毛細血管が増殖してできる皮膚の変化で、良性なので放っておいても大丈夫です。たいていは子どもが成長していくうちに消えます」とのことでした。 いちご状血管腫は、将来、娘がウエディングドレスを着たときには高確率で露出すると思われる場所にできていました。とても心配でしたが「良性であること」「消える可能性が高いこと」を聞いて少し安心しました。 1歳半健診の小児科医「そのまま残るかも」娘の1歳半健診のころ、背中のいちご状血管腫は大きさも色もまったく変わらず、まだそこにありました。健診を担当していた小児科医には「これまでに小さくなったり薄くなったりしていないなら、これはそのまま残るかもしれません。取るなら手術が必要です」と言われました。 投薬治療もあるようなのですが、それには副作用もあるようです。そのうち消えると信じて疑っていなかったため、突然の宣告にとても驚きました。 「いちご状血管腫」の治療、わが家の選択娘のいちご状血管腫を取ってあげたい。でも、手術にも投薬にも少なからずリスクがある。いちご状血管腫を取るために、リスクを犯すべきか。悩みに悩んで、結局わが家では様子見を続けることにしました。7歳までには70%の確率で消える、というデータもあるようなので、それに賭けてみようと考えたのです。 娘が成長しても、いちご状血管腫がもし消えていなかったら……。そのときは、成長した娘にもどうしたいか聞きたいと思っています。 今は、背中のいちご状血管腫を「娘の目印」だと考えるようにしています。そのため、消えることを願いながらも、いざ消えてしまったらさみしい気持ちになるような、なんだか複雑な気持ちになっています。著者:丸川朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在二人目妊活中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月07日みなさんは、お子さんを何歳から温泉に入れますか? つい先日、わが家は温泉へ出かけてきたのですが、生後4カ月の赤ちゃんと一緒に入浴しているママがいました。見ている側もヒヤヒヤ。そこで感じた温泉のマナーについてお伝えします。 温泉に入れていい年齢ってあるの?わが家の子どもたちは、入浴前に排泄ができるようになった2歳ごろに温泉デビューをしました。温泉成分の中には、赤ちゃんにとって刺激の強いものがあるようです。私の周りでは、早くても免疫機能が発達してくる生後6カ月ごろから、子どもを温泉に入れ始めるご家庭が多いようでした。その際は単純温泉や塩化物泉など、刺激の少ない温泉を選んだそう。とは言っても、まだ歩けない小さな赤ちゃんとのお風呂。ママひとりだと大変だと思います。 生後4カ月の赤ちゃんとママつい先日、3歳の娘と一緒に温泉に行ってきたのですが、そこで小さな赤ちゃんを連れたママを見かけました。たまたま洗い場が隣になったので、月齢を聞いてみると「生後4カ月」。ママは器用に赤ちゃんをひざの上に乗せたまま、自分の体を洗っています。私にはできないことなので驚きました。ただでさえ滑りやすい浴室なので、見ている側もヒヤヒヤしてしまいました。 「え!? うんちが出た!?」「小さな赤ちゃんを連れて温泉なんてすごい~」と思いながら過ごしていると、プーンと嫌な臭いがしてきました。「も、もしかして……」そっと隣を見ると、なんと赤ちゃんがうんちをしているではありませんか!たしかに生後4カ月ごろなんて、うんちをしたいときにうんちをします。ママは慌てて始末していました。 周囲へのマナーを考えると、できる限り低月齢の赤ちゃんは温泉を控え、もう少し大きくなってからの楽しみにとっておいてもいいのかなと思った体験でした。いずれにしても、まずは温泉施設に問い合わせてから利用すると、施設側とのトラブルも防げて安心かもしれません。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年05月07日私は妊娠34週という早産で1,800gと1,900gの双子を出産しました。突然の破水から急な出産、低体重によるNICU入院や、おっぱいを吸えないなどのトラブルもあり心配しましたが、2歳になる今は成長曲線の範囲内に入って順調に成長しています。そんな双子の誕生からこれまでの日々についてお話しします。 低体重でのNICU・GCU入院生活私の双子の子どもたちは妊娠34週という早産で、1,800gと1,900gしかありませんでした。体調自体はあまり問題がなかったのですが、退院は体重が2,200gを超えてからとのことで、しばらく入院することに。出産した病院が自宅から遠方だったので、出産した病院で2週間、さらに自宅近くに転院して3週間の合計5週間の長い入院生活でした。 搾乳して病院まで往復したりする負担や、産後に一緒に居られない寂しさはありましたが、ゆっくりと体を休められたので産後の肥立ちはよかったように感じています。 おっぱいを吸えない日々子どもたちは体重がある程度増えるまでは、なかなか乳首に吸い付く力がありませんでした。さらに母乳自体もなかなか出ず、つらい時期が続きました。子どもたちは入院していたので、自宅で搾乳して毎日病院に届けていました。 それでも2人分には量が足りず、ミルクとの混合栄養にすることに。子どもたちは2人ともミルクも母乳も好き嫌いはせず、どちらも飲んでくれたのが救いでした。 生後半年で標準範囲に子どもたちは体が小さかったので、最初は柔らかめの乳首を使ってミルクをあげていました。出生後2カ月くらいからミルクをよく飲むようになり、ぐんぐんと体重が増加。出生後半年ごろには成長曲線の範囲内に入り、おっぱいも順調に吸えるようになっていきました。 さらに離乳食が始まると2人とも食欲旺盛でよく食べたので、だんだんとミルクの量も減っていき、生後8カ月ごろには完全母乳になりました。ミルクを作る負担がなくなってよかったです。 早産で低出生体重児だったので、出生後1カ月ごろまでは成長がゆっくりで心配な日々でした。退院できたときも、自宅で私ひとりで面倒を見られるのかなと不安を感じたこともありました。2歳になった現在では2人とも標準体重になり、元気いっぱい走り回るようになって本当にほっとしています。著者:小川かなえ2歳の双子姉妹の母。東京郊外在住。元保育士、不妊治療を経て妊娠出産。子連れハイキングやキャンプなどアウトドアも再開。現在は親子の森のようちえんを運営し、地域や自然とともに子育てをしている。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年05月07日わが家には双子の娘がいます。3歳近くになり、赤ちゃんのころから寝る前の習慣にしておいてよかったなと思うことが3つあります。その習慣によって、子どもたちも寝る時間だと認識しやすいようで寝つきが良いです。また親としても、忙しい毎日のなかで子どもと一緒にいられる幸せを感じられる瞬間になっています。わが家で子どもが寝る前におこなっている3つの習慣をご紹介します。 パパとママで絵本を読んであげる0歳のねんねのころから、寝る前にパパとママで絵本を1冊ずつ読んであげていました。最初は親のセレクトで子どもたちもただ見ているだけでしたが、歩けるようになり本が持てるようになると好きな本を選んでくるようになりました。今では毎日お布団に入る前に本棚の前でお気に入りの本を選んで持ってきて、読んでもらうのをとても楽しみにしているようです。私に余裕のある日は3冊ずつ、遅くなった日でも1冊は読むようにしています。 電気を消したら今日のできごとを話す赤ちゃんのころは、親がその日にあったことをおしゃべりして聞かせていました。2歳を過ぎて少しずつ話せるようになってきたら、私が「今日は何して遊んだの?」と聞いてあげると、「○○はね、きょうはふうせんしたの!」「おもちたべたの!」などと楽しかったことを教えてくれるようになりました。 やがて「ママは何して遊んだの?」などと返してくれて、会話になることも増えてきました。保育園でのできごとなど、私が知らない話もしてくれます。「明日は〇〇しようね」などと予定を話すと、翌日も覚えていて楽しく1日が始まることも。ゆったりと良い親子の時間が持てています。 「○○ちゃん、大好き」と言ってハグとキス最後のおやすみなさいの前に「○○ちゃん、大好きだよ」と言ってハグとキスをしています。大きくなってくるとだんだん恥ずかしくなってくるのでしょうけど、2~3歳くらいの間は「ママ大好き~」とかわいく返してくれることが多く、とても幸せな時間です。「幸せ~」とうれしそうに話すと、子どもたちも「しあわせ~」と言ってくれて、とてもかわいいです。 忙しい毎日だと、ついつい寝かしつけることだけに集中してしまいます。私も仕事が忙しい日はそうなりがちです。でも3つの習慣のおかげで、「幸せだね、楽しかったね」と子どもたちとゆっくり関わる時間が持てているなと感じています。大きくなっても一緒に寝てくれるうちは続けていきたいと思っています。 著者:小川かなえ2歳の双子姉妹の母。東京郊外在住。元保育士、不妊治療を経て妊娠出産。子連れハイキングやキャンプなどアウトドアも再開。現在は親子の森のようちえんを運営し、地域や自然とともに子育てをしている。
2019年05月06日妊娠しているころ、大きなおなかを抱えて今まで感じなかった日常の「過ごしにくさ」を感じました。階段の上り下り、靴紐がうまく結べない、立っていることがつらい……。そんなとき、妊婦健診に向かう電車である女の子のやさしさに触れました。今回はそのときのことについてお話しします。 妊婦健診へ向かっていたある日 長男妊娠時、私の通っていた産婦人科は自宅から少し離れたところにありました。電車だと片道20分近くかかります。電車内が人でぎゅうぎゅうになることはないのですが、私が乗降車する間はだいたい電車の座席は埋まっている状態。おなかが大きくなると往復で40分近く立っているのがつらかったので、妊娠8カ月ごろからは夫の車で妊婦健診に通っていました。 ただ、ちょうどその日は夫に仕事の予定が入ってしまい、私は妊婦健診に電車で行くことに。駅に電車が到着し、電車のドアが開く前「どうか席が空いていますように」と祈っていました。 座席はすべて埋まっていた 車内に足を踏み入れ辺りを見回すと、座席はすべて埋まっていました。座っている人の前に立っている人も半分ほどいます。「しょうがないか」と優先席前に移動することに。3人がけの優先席には、お年寄りの方2人とヘッドホンで音楽を聞いている若い男性がすでに座っていました。 私自身も、気分が悪いわけでも立っているのが苦痛なほどおなかが重いわけでもなかったので、そのまま優先席の前に立ち、席が空くのを待っていました。 女子高生の行動に心が温かくなった電車が動き出してすぐ、「あの」という声が聞こえました。すぐ隣には高校の制服を着た女の子が。「あの、よかったら座ってください」と女の子は少し離れた席を指さしました。指さされた席には女の子の鞄らしきものが置かれてありました。 「ありがとうございます」とお礼を言い、その指さされた席に向かいました。女の子はさっと自分の鞄を取って、「どうぞ」と言うと、席とは少し離れたドアの近くに立ちました。 離れた場所から声をかけるのは、とても勇気がいる行動だったと思います。私には少し照れくさそうに立つその女の子の背中が、とても温かく輝いてみえました。 電車に乗ると、私はそのときの女の子の背中を思い出します。すると、とても心にやさしい気持ちがわきあがってきます。そのときおなかにいた子も、今はもう3歳に。いつかこの子も大きくなったら誰かに手をさしのべられようになってほしいな、と思います。そしてそのためにも、私自身が困っている人には声をかけるようにしないと……と思う今日このごろです。著者:菅谷里奈一女、二男の母。現在第四子目妊娠中。ベビーマッサージインストラクター、ベビーヨガインストラクター、ベビーシッターの資格所得。子育て経験を活かしながら、妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆中。
2019年05月06日私の場合、出産から2カ月後に夫から誘われました。夫の気持ちもわかりましたが、「できればしたくない」という気持ちが私の本音でした。産後のセックスを嫌だと感じた理由や夫と話し合ったときのことなど、当時の私の体験談を紹介します。 セックスの再開は産後1カ月ごろから産後1カ月健診で子宮の戻り具合や会陰切開の傷の様子、悪露の状態をチェックしてもらいました。特に異常は見つからず「セックスを開始しても大丈夫」と医師から言われましたが、正直「セックスなんてできない」と思ったのです。 しばらく夫から誘われないことを願いながら過ごしていましたが、産後2カ月ごろにとうとうその日はやってきました。 したくない理由妊娠中はセックスを控えていたこともあり、夫の気持ちもわかります。だからこそ断ることができませんでした。しかし、会陰切開をした傷が気になって仕方がありません。気分は乗らず、痛みや違和感ばかりでした。 さらに赤ちゃんがいる身でと思うと、なぜか罪悪感さえ感じてしまいました。夫に申し訳ないけれど、「今はセックスをしたくない」というのが正直な気持ちだったのです。 夫に正直な気持ちを伝えてみたセックスは精神的な要素も強いものだと思いました。体の面は問題なくてもお互いの気持ちが一致しないと、再開は難しいと感じたからです。 しばらく産後のセックスを控えたい……。私は夫に今の正直な気持ちを伝えることにしました。男性側には想像しにくいことかもしれません。だからこそ話し合うことも大切だと感じます。夫は私の気持ちを受け止めてくれました。 私は体のことや自分の気持ちを夫に伝えてよかったと思っています。夫婦関係を見つめ直す良いきっかけにもなりました。産後のセックスに気が乗らないと悩んでいるママは、まずは夫婦で話し合ってみるといいかもしれません。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年05月05日私は約1年半前に娘をアメリカで出産し、今も家族でアメリカに住んでいます。アメリカでは多くの人が無痛分娩をしていますが、出産が初めてだった私はそもそも陣痛がどんなものか、痛みがどれほどのものなのか、想像もできませんでした。前期破水もあり、いざ体験してみると「え?これが陣痛なの?」と驚きも。そんな私の、前期破水と無痛分娩の体験をお伝えします。 何かが破れる音がした? 前期破水でした!予定日の2日前の深夜にベッドで横になっているときに、体の中で何かが裂ける「ビビッ」という音が聞こえました。「なんだろう? もしかして??」とトイレに行くと、トポトポッと薄いピンク色の液体が漏れてきて「破水した!」と認識しました。 そのときは何かが裂ける音が聞こえたことのほうが、破水したこと自体よりもインパクトが強く、感動した記憶があります。 夫に伝えて急いで病院へ電話をすると、すぐ入院の準備をして病院に来るようにと指示がありました。 おなかがすごく張る…これが陣痛?陣痛を感じたのは、最初の破水から5時間ほど経ったころでした。おなかが張るような感じと、強い生理痛のような痛みがありました。これが陣痛とはわからずに、「おなかがすごく張って痛みます」と伝えると、「それが陣痛よ!」と助産師が即答。担当医からは「痛みに耐えられなかったらモルフィンを打ってあげます」と言われましたが、頑張れるだけ頑張ってみようとモルフィンは打ちませんでした。 歩いたほうが痛みが紛れたので、夫と一緒に病院の長い廊下を行ったり来たりしていました。 全身がむずむずかゆい! 何だこれ?!子宮口が7cmほど開いたころに、エピドラルという無痛分娩をおこなうための麻酔を投与されました。30分ほど過ぎると、痛みはうっすらと感じる程度になりました。痛みは和らいでも下腹部の締め付ける感覚は残っていましたが、同時に麻酔の副作用で全身にむずむずとしたかゆみが感じられるようになりました。いきむまでは、とにかくこのかゆみが気になって気持ちが悪かったです。 子宮口が10cm開いたころに、医師から「You can push!」とGOサインをもらいました。 そして分娩へ…痛みはほとんどなかった?医師からいきむよう指示が出てからは、ひたすらいきんだ記憶が残っているだけです。エピドラルを打ってからの痛みの記憶はほとんどありません。とにかく汗びっしょりになり、息を切らしながら頑張っていました。 赤ちゃんが出てくるという感覚がなく、どういきんで良いのかわからず、医師が足元に鏡を置いてくれ、出てくる子どもが見えるようにしてくれました。そのおかげでタイミングをつかめたのか、子宮口が全開になってから3時間ほどいきんで無事に娘と対面することができました。 アメリカでは加入している保険によって、受けられる医療サービスが違います。私の保険では妊娠から出産までがほとんど無料で受けられ、無痛分娩の費用も保険ですべてカバーされました。無痛分娩をして痛みがほとんどなかったことで退院後の生活が少しラクだったのかな?と思えています。著者:岡みちこアメリカ中西部の小さな町で日本人の夫と1歳の娘の3人暮らし。アメリカの子育て事情や、自身の妊娠・出産・子育てに関する体験談について執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー(通常分娩)
2019年05月05日私には1歳1カ月の双子男児がいます。妊娠が判明し、双子だとわかったときはうれしさと驚きとが入り交じった複雑な気持ちに。その後は「双子育児ってどんなものなんだろう?」と漠然とした不安もありました。約1年間、双子育児をしてきて感じたこと、そして大変だったことや、それに対して私がおこなった対処法についてお伝えします。 新生児期の授乳とおむつ替えが大変!新生児期の頻回の授乳・ミルク、おむつ替えは本当に大変でした。双子なのでどちらにいつ授乳したのか、今日はどっちが排便したのか、日々の慌ただしさと疲れもあり、次第に把握できなくなってきました。 そこで取り入れたのが、ホワイトボードです。授乳時間やミルクの量、排便の有無を記入しました。こうすることで覚える労力が減り、双子育児を共に頑張っている夫とも情報共有ができます。夜中のミルクはそれを見ながらできるほうが対応するようにして、夫婦間で連携がとれました。 双子の入浴は大変!双子の場合、入浴も大変でした。里帰りせず、手伝いに来てくれる人もおらず、夫も帰りが遅かったので私ひとりでおこなっていました。退院後すぐは帝王切開の傷の痛みもあり、1日に2人の赤ちゃんを入浴させることはかなり重労働でした。 生後5カ月まてはベビーバスで2人を交代で入れていましたが、だんだん動き始めて1人から目を離すことができなくなりました。そこで、台所のシンクにベビーバスをはめ込み、2人とも目の届くところでお世話をしました。 先輩双子ママからベビーモニターを借りる双子が成長するにつれ、シンクで入浴することもきつくなってきました。そのころ、それぞれの生活リズムができてきて、1人から目を離してしまう時間が増えていきました。そのことを先輩双子ママに相談すると、ベビーモニターを貸してくれたのです。 先輩ママも周りに頼れる人がおらず、ベビーモニターが大変役立ったとのことでした。実際使ってみると、モニターがあるおかげで1人のお世話を中断して別室の子どもの様子を見に行く手間が省けたりと、心身共に負担が減りました。 わが家は双子の上に長女がいます。長女のときの育児が通用しない双子育児も早いもので1年が過ぎました。日々成長する双子にてんてこまいですが、それでも状況的に人に頼ることができないわが家では、これからもアイデアや物に頼って双子育児を乗り切っていこうと思います。著者:松裏幸恵二男(二卵性の双子)一女の母。薬剤師として働きながら子育てをしている。自身の妊娠・出産・育児に関する体験談を中心に執筆中。
2019年05月05日初めて外を歩くことは、赤ちゃんにとって大冒険。その大冒険をサポートしてくれるファーストシューズですが、わが家は1度選び方を失敗して買い直すはめになりました。結果、わが家の息子の反応が格段に違った、買ってよかったシューズをご紹介します。 軽い気持ちで購入したサンダルは不評最初は夏場ということもあり、「靴よりサンダルがいいよね」と軽い気持ちで1,000円以下のサンダルを購入しました。つかまり立ちをし出したころは特に嫌がる様子はなかったのですが、歩き始めたころからイヤイヤという反応が出てしまい……。 サンダルの間から出ている足の指が気になってずっといじっていたり、サンダルを脱ぎたがるそぶりを見せたりと、購入から2カ月後には履かせて2~3歩進んだだけですぐに嫌がるようになってしまいました。 ばぁばが真剣に探したファーストシューズ 息子がサンダルを嫌がるようになったころ、実家に帰る機会があり母に事情を話すと、「靴はちゃんと選んであげないとダメよ!」と一緒に大手のベビーショップへ靴を探しに行くことになりました。 残念ながらそこでは母の納得する靴がなかったようで、私たちの知らないうちに後日ひとりで気に入っているベビー用品ショップへ探しに行ったそうです。さまざまなお店をハシゴして店員さんに話を聞き、母が納得して選んだのがアシックスの「ファブレ」というファーストシューズでした。 ばぁばが選び抜いたシューズに抜群の反応他にも高機能なシューズは多々あると思いますが、母が買ってくれたこのアシックスのシューズは息子にとても合っていたようです。履かせるときは戸惑っていたのですが、少し進んでみると「歩けている自分が不思議!」という表情をし、そこからは歩くのが楽しくてたまらないのか、こちらが「もう帰ろうよ」と言ってもずっと歩いていました。 そして、玄関でシューズを見つけると外に行きたくて騒ぎ出すので、普段はシューズを隠さなくてはいけないほどでした。靴一つでこんなにも違うのかと、ファーストシューズの大切さを思い知りました。 最適なファーストシューズは赤ちゃんがただ歩きやすいということではなく、歩く楽しさが全然違うのだと知りました。楽しいからこそたくさん歩けますし、いろいろな出会いや発見にもつながるのだと思います。今では息子はこのファーストシューズを自分で持ってきて、散歩をせがんでは外にでかけて好奇心を育てています。 著者:歌 啓子1歳男児の母、転勤族の妻。子育てはフランス流を実践、夫は息子の爪切り以外はすべてこなせる育メン。2018年9月より在宅勤務にて復職し、転居先の地で友達作りに勤しんでいる。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2019年05月04日ヲタママだっていーじゃない!
ムスメちゃんとオコメちゃん
猫の手貸して~育児絵日記~