コミックエッセイ:コソダテフルな毎日
3人目を作るか悩む… 夫と意見が割れても、私が諦めなかった理由【コソダテフルな毎日 第49話】
■父の死を通して変わった「自分の人生」の考え方
私と父は、私が大きくなっていくにつれどんどんと折り合いが悪くなっていき、日常会話ぐらいはしますが根底では全く合わない父娘でした。
ただ不器用な父なりの愛情は伝わっていましたし、育ててくれたことに感謝しています。
しかし、私は父がどういう人生を歩んできたのか今でも全く知らないままです。
かつて一度聞こうとしたことがあったのですが、あまり思い出したくないのか、かたくなに話してくれませんでした。
肉体労働で暑い日も寒い日も外で働き、どこに旅行するわけでもなく、外食をするわけでもなく、本当につつましやかな暮らしをしていました。
気がついた時には体は末期癌にむしばまれていて、手の施しようがありませんでした。
「治る」なんて気休めでも言えません。
わかっているのは「絶対」治らないということだけです。
仕事を退職し、本来であるならば「老後」という余暇を楽しむはずなのに、「死」へと向かう列車に乗せられた父。
当初「余命」と言われていた期間よりも少し早く本当にそのときはやってきました。
みなさんも同じではないでしょうか?
身近な人の「死」に色濃く触れる時間は、それと同じだけ「生」について考えさせられる時間でもあります。
親・友人・身近な人の死は残された私たちに「生」について考える機会を与えてくれます。
私も父の死を通して「自分の人生」について考えが変わりました。
よく「これは老後の楽しみに取っておこう」とか「将来のために備えておこう」みたいなこと言いますよね?
でも、その老後って必ず来るものでもないし、将来があるかどうかも分からないんですよね。
働いて働いてあっという間に死んでしまった父のように、老後なんてあるかどうかそもそもわかりません。
人生の楽しみは「先」にあるのではなくて「今」にしかないんだということを実感しました。
そもそも私がどうして子どもを生みたいかと思ったかというと、