コミックエッセイ:コソダテフルな毎日
子どものいたずらで謝罪ばかり…落ち込んでしまうママたちへ【コソダテフルな毎日 第56話】
■子どもにたいする「周囲の評価」はあいまい
公園に咲いてる花の蜜を子どもが吸ったと発信しただけで「器物破損だ!」と騒がれてしまう世の中なので、滑り台の上からお友だちにツバだなんて恐ろしくてとてもじゃないけど言えません。
でも、子どもの本質そのものは時代を経てもそんなに大きく変わってはないと思うので、今の世の中でも滑り台の上からツバをかけてしまう子はいると思います。
行動自体はかわらないのに、昔の話だったら「思い出話」になり、今の話だったら「炎上」となってしまう。
さらには昔の話は昔の話でも、この話の主人公が人気芸能人だから「子ども時代を知るAさん」みたいな人が出てきて、
「○○くんはほんと元気なお子さんでしたよ」ってな感じで褒めて語られるのに、これが仮に不祥事を起こした芸能人だったとしたら「この頃から周囲に迷惑をかける子でしたね…」となる。
要するに同じ出来事でも、時代によって捉えられ方は違うし、人によっても違います。評価基準なんて所詮曖昧なものです。
■「やらかす子ども」に疲労困憊のママへ
過去に私も、息子の行動にヒヤヒヤしていました!
実際に、次男がベランダの隙間からベビー靴を放り投げてしまったり(運よく真下にある屋根の上に乗ったので通行人には当たりませんでした)、お友だちの家で次男がコーヒーポットを割ってしまったり(弁償しました)、お友だちの家で次男がプラレールを床にがんがん打ち付けて傷をつけてしまったり(弁償しました)。
て…ていうか…次男ばっかりじゃないか(白目)。
きっと読者の方のなかにも、私のように次々と大人の予想を超えた子どもの行動に振り回され続けて、疲労困憊しているママさんもいらっしゃると思います。
へこむ気持ちも落ち込む気持ちも、よくわかるだけにこれだけは言わせてください。