2016年10月27日 16:00
たった一つの「答え」を決める前に~発達障害児への投薬派と自然療法派の分断に寄せて
先生のその言葉が、私の決断の最後の決め手になりました。
自然療法と呼ばれたりする、標準医療とは違う方法で、体をメンテナンスすることを目指す考えや手法はたくさんあります。そのひとつひとつの善し悪しは私にはわかりません。
手当法やマクロビオティック、ホメオパシーなどなど…私もこれまでいろいろな療法の本を読んだり、試してみたりしたことがありましたが、その中で感じていた違和感のひとつが、極端な選択肢の無さでした。
選ばなくていい安心感と、「たったひとつ」に身を委ねることの危険性
自然療法とされるものの多くに共通する傾向として、「その療法以外の選択肢が極端に少ない、または排除されている」というものがあります。
特定の自然療法を勧める方の中には、標準医療とされるものを否定し、薬やワクチンの接種を拒否する傾向が強いものも多いです。
次男の投薬を勧められたときの私は、とても不安でした。
将来への不安も強く、現状の困難に対処するために奔走して疲弊しきった状態で、次男の今後の健康に関わる選択の責任が自分たちにのしかかる。
またそんな重い荷物を背負わせるのか…そんな気持ちになったのを覚えています。
心が弱っているとき、選択肢は少なければ少ないほど安心するものです。
自分の代わりに、自分が不安に思っている何か(お薬もそのひとつ)を否定し、「こちら側が正解だよ」と導いてくれる存在に出会ったなら、心強く感じることもあるでしょう。
しかし、そんな「心強い存在」たった一人、「救ってくれそうな療法」たった一つに身を委ねてしまったら、どうなるでしょう。
息子の当時の主治医が言ったような「ダメだったら違う方法をやってみましょう」といった、状況を見ながら柔軟に対応を変えていく可能性が閉ざされることになります。
目の前にある「○○療法」の中でだけで解決していく道しか、残されていないことになってしまうのです。
私は夫や周囲の友人に相談して負担を軽くすることができたし、医師の言葉でさまざまな選択肢を落ち着いて比べて選べるようになったけれど、もし自分一人で抱え込んでしまっていたらどう転んでいたかわかりません。
そのときどきのベストを模索する環境と、それを求めることの大切さ
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10132112124
発達障害児との暮らしは、試行錯誤の連続です。