2018年7月4日 11:00
ズレを抱えたままの存在が、愛おしいー『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』公開記念トーク(後編)
「喋れないんなら紙に書けばいいじゃん」
閉ざされていた志乃の毎日に風穴を開けたのは、加代のぶっきらぼうな一言でしたーー。
漫画家・押見修造さん原作の映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』公開記念トーク、後編。
主演の南さんも原作者の押見さんも、「喋れない」けど「伝えたい」ことを、演技やペンで伝えようとしています。「普通」とは何なのか。「普通」にならなくても、伝えられることがあるー。トークの後半では、映画のクライマックスシーンを振り返りながら、伝えること、表現することに対するそれぞれの思いを語りました。
ズレがあるから愛おしい
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鈴木吃音に限らずコミュニケーションの困難は、誰かがサポートすることで緩和されることもあるんですけど、まったくなくなるわけではありません。ゼロが100になったり、100がゼロになるわけではないし、そもそも誰もがコミュニケーションにズレを感じているんだと思うんです。
加代は音楽が好きだけど、自分で歌おうとすると世間の「いい歌」の基準からズレてしまう。志乃はスムーズな日常会話はできないけど、加代のギターで歌うとそのズレから解放される。菊地はしゃべりまくってみんなの注目を集めようとすればするほど、周囲から浮いて孤立していく。でも本当は、全員がポンポンと会話をする必要なんてないですよね。
押見僕はズレがないとその人を愛おしいと思えないです。コミュニケーションがつるっとスムーズにできる人よりも、どこかにズレを抱えているほうが、人間の振れ幅が大きいんじゃないかな、って。マンガでもそういう人物のほうがキャラが立ちますね。
鈴木女優は自分と違う人間を演じながら、振れ幅を意図的につくるお仕事でもありますよね。
役を演じることで、ふだんの自分自身の振れ幅が大きくなることもありますか?
南ありますね。私は、プチ反抗期はあっても大きな反抗期がぜんぜんなかったんですが、ある作品で親にすごく反抗する子を演じていた時期は、両親に対するあたりが強かったです。
鈴木ご両親はイヤだったでしょうね(笑)。
南イヤがってましたね(笑)。ふだんはチャンネル争いなんてしないのに、勝手に変えられるとイラッときて、ケンカになったりとか。押見撮影が終わって変わりましたか?
南少し優しくなりました(笑)。
「魔法」はいらないのだと思う
Upload By 柳瀬徹
鈴木映画の『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』ではどのシーンがいちばん印象に残っていますか?
南やっぱりクライマックスの、体育館のシーンです。