2020年3月8日 08:30
障害は悪いことじゃないのに。「なぜ言ってはダメ?」友達への障害告知で悩む息子に伝えたこと
「障害はその人が持つ事実ではあるが、人格そのものではない」と思う私に向けられた、友人からの嬉しい言葉
Upload By 鈴木希望
ところで私は、かばんにいつもヘルプマーク(外見では分かりにくい疾病や障害のある人が、配慮を必要としていることを知らせるためのピクトグラム)を付けている。私が住む新潟県でも配布されてはいるが、まだまだ認知度が低い印象がある。
あるとき、私のヘルプマークを見た友人が、「これは何?」と尋ねてきた。彼女は帰郷してから知り合った人で、発達障害つながりではない。子ども同士が仲良しだったことからつながった、いわゆるママ友だ。私がヘルプマークの概要を簡単に説明して、
「私はてんかん発作を起こしたり、発達障害からくる感覚過敏があって、パニック発作を起こす可能性があるんだ。だからそうしたときに適切な対応をお願いできるように、このマークを付けているんだ」
と話した。
すると彼女は
「そうなのかー。てんかんのことも発達障害のことも私はよく分からないけど、手伝えることがあったら教えてね!」
と微笑んでくれたのだ。
(そう…!これ!これなんだよ!こういう対応が嬉しいの…!)
感激屋の私はむせび泣きそうになるのをぐっとこらえて、「うん、ありがとう!お願いするね!」と返した。
差別されたくないのはもちろんのこと、同情が欲しいわけでも、特別扱いされたいわけでもない。いつでも誰に対しても助けを乞うつもりはないし、自分ができる範囲内なら、ほかの誰かが困っているときにはサポートだってしたい――私が知る限りではあるが、多くの障害当事者はそう願っている。
障害を感じにくい人たちもそうであるように、障害当事者にも純粋な人もいれば卑劣な人もいる。障害を理由に差別されていることを逆手に取ってひらりとかわす、狡猾でありながらもどこかキュートな友人の話もいずれ紹介したいが、それは一旦横に置く。とにかく「障害」というのはその人に関する事実ではあるが、人格そのものではない。
「実は発達障害で」「ふーん、そうなんだね」ぐらいの扱いになってほしいと願うのは、傲慢なのだろうか。
重要なのはラベルではなく中身。「障害」という言葉のイメージを変えたい私が考えた、あえての遠回り
さて、息子の話に戻る。
「障害って言ってはいけないのなら、これからどういう風に説明したらいいんだろう…というか、障害は悪いことじゃないんでしょ?なのに…」