子育て情報『最難関私大に進学したけれど――二次障害を発症、身支度すらできず引きこもる私に母が放った「こんな時間が永遠に続けばいいのに」』

2020年11月15日 07:00

最難関私大に進学したけれど――二次障害を発症、身支度すらできず引きこもる私に母が放った「こんな時間が永遠に続けばいいのに」


最難関私大に進学はしたけれど……

私は、中高一貫の私立進学校から、いわゆる最難関私大へ進学しました。

学歴カーストの中、いじめとは無縁に過ごすことができた中高6年間については、以前のコラムでもご紹介した通りです。

過酷な受験勉強を経て大学に進学した春。私は、大学受験で無理しすぎたせいで心身ともに燃え尽きていて、「もう一生勉強したくない」みたいな気分になっていました。当時は精神科とつながっていませんでしたが、今思えばすでに離人感や抑うつなどの二次障害が出ていて、「毎日を寝て起きるだけで精一杯」という感じでした。

履修登録はてんやわんやでした。それまで受動的に授業を受けるだけだった私にはカルチャーショックでしたし、ほかの学生とコミュニケーションをとりながら情報を集めなければいけなかったからです。

履修登録の疲れもさめやらぬ中で授業が始まります。
そこで私は自分が文学にまったく興味を抱けないことに気づいて、愕然としました。

私が進んだのは、小説家になりたいと志向する人が多く在籍するコース。過労で倒れてまで入った最難関大での四年間を棒に振るかもと怖くなりました。今思えば私は、「義子ちゃんは小説家になるのよね、なるのよね、なるのよね?」という母の気持ちにおもねって進路を選択していたのです。

自分の興味に正直になって理系の大学に進めばよかった、と後悔しました。センター試験では理系の難関大に受かっていて、あとは得意な小論文を書けば受かるところでしたが、辞退してしまっていたのです。


服装や化粧に対する強迫観念に苦しむように

思い返してみると、服装や化粧といった容姿や身支度に関することについて、母との間で葛藤を抱えて育ったのが私でした。

小学生のころまでは、母の好みのお嬢様風のピンクのフリフリの服や、祖母の手編みのセーター(上質のウールなのよと言い聞かせられましたが、感覚過敏の私には苦痛でした)などを着せられてとても嫌でした。
一人だけ流行に沿っていないうえ、ほかの子のものより上質なこともわかるので、学校でいじめられるという理由もありました。

皆と同じ量販店の服やキャラものの服が着たいと言うと、母は「こっちのデパートのものやおばあちゃんの手作りのほうが品質もいいし素敵なんだからこっちを着なさい」と言います。母は、私が思春期に入って自分の好きなように化粧したり服を選んだりしようとするとだんだんうるさく口を出すようになりました。

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