子育て情報『ADHD息子の行きたい中学で大丈夫?親子で意見が分かれた次男の進路選択――中学時代いじめで不登校になった私の願い』

2022年4月19日 14:15

ADHD息子の行きたい中学で大丈夫?親子で意見が分かれた次男の進路選択――中学時代いじめで不登校になった私の願い

そのうちに、クラスで私への陰口が始まりました。中学時代クラスの女の子たちは、よく一緒に行動する子同士でグループのようになっていました。Aさんは、そのグループの子たちに私のことを悪く言いだしたようで、それを聞いていたほかの2つのグループからも無視をされてしまいました。そんな状況から、私は自分からクラスの女子に話しかける勇気が出ず、だんだんと孤立していきました。

ある日席替えがあり、Aさんのグループの子が、私の前に決まった子に対して「あの子(私)の前になっちゃったんだ。かわいそう〜」と、笑いながら話していました。

言った子は、ふざけて言ったのかも知れませんが、近くで聞こえるように話していたことが本当にショックで、「そうか、私の近くにいる子はかわいそうなんだ。」と理解し、その場に存在することがとてつもなく惨めで、その日以降学校に行かないようになりました。


両親や友達に相談する勇気がなかった当時の気もち

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Upload By スガカズ

両親は私が中学1年の約一年間、不登校だったことを実は知りません。
私は7つ上に兄がいて、重度の自閉スペクトラム症と知的障害があります。母は障害のある兄のサポートが大変ですし、父も仕事が忙しい時期だったので、自分から余計な心配をかけたくなかったですし、何よりも「クラスメイトからいじわるをされている」という事実を伝えたくありませんでした。家族の前では、今まで通りの自分でいたかったのです。

また、友達にも先生にも相談できませんでした。もし間違って小学校のときのように、Aさんの耳に情報が届いたとしたら、ますます自分にとってつらい学校生活になってしまうのでは?といった不安があったからです。

そのため私は、毎日登校したフリをして、1時間ほど近所で時間をつぶし、家族が外出するとこっそり家に帰るといった日々を送っていました。幸いにもAさんとは中2、中3は別々のクラスになり、新しいクラスには仲の良い友達がいたので、また学校に通えるようになりました。それでも、中1のころの心の傷が残ったままで、月に2~3日ほど、反動がきて学校に行くのがつらくて休む日もありました。


今思えば不登校は短い期間だったわけですが、渦中にいた当時は、一日一日が苦痛で、自分がこの世にいてはいけない存在に思えました。私は人と争うことが苦手なタイプなので、大勢がいる教室で言い返すこともできません。

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