「完食指導」「三角食べ」で給食がトラウマに。発達障害の私が思う「食事」の意味
三角食べができなかった理由
私はいわゆる「三角食べ」ができませんでした。三角食べとは、私が子どもだった数十年前に推奨されていた食事のしかたです。おかず→ごはん→汁物 のように、順序よく代わるがわる食べていって、すべてのお皿をほぼ同時に食べ終わるのがマナーがよく、身体にもいい、というように言われていました。
三角食べができなかった理由を自分なりに思い返すと、「食べ物の味や食感が混ざるのが嫌だった」「それぞれのお皿が『未完了』であることが気持ち悪かった」ことが思い当たります。
ごはんはごはんだけ、おかずはおかずだけを口に入れて、それぞれのシンプルな味を楽しみたかったし、ひとつのお皿に手をつけたらそれを食べ終わってお皿を空にするまで、何か中途半端なようで落ち着きませんでした。ASDの感覚過敏やこだわりからくるものだったのだろうと思います。
家では「ごはんをおかずにごはんを食べる」「コース料理のように食べる」などと揶揄され、学校ではお行儀が悪いとして叱責されました。
三角食べには、食べ残した際にもそれぞれの品が少しずつ残るので比較的栄養バランスが保てるなど、メリットもあるようですが、最近では「管理教育ではないか」という指摘もあり、下火になっているようですね。
楽しく食べることができなかった学校給食
私は学校での給食の時間を楽しめませんでした。三角食べができないことだけがその原因だったわけではありません。
戦後すぐの、栄養補給目的での脱脂粉乳が名残と思われる、給食に毎日ついてくる牛乳。これが私は嫌でしかたなかった……牛乳自体は好きなのですが、食事についてくるのが牛乳だけで、和食にも牛乳がついてくるので、味覚が敏感な私は、味覚上のミスマッチが許せなかったのです……。
今はメニューのほかの部分で栄養補給ができるようになったこともあり、和食にはお茶がついてきたりするようですね。
私が小学生だった当時、私の地域では厳しい完食指導がなされていました。ともかく全て食べ終わるまで席を立ってはいけない。給食のあとは掃除の時間なのですが、掃除で埃が立ち込める中で担任がびったりと机に張りついて、児童が食べ終わるまで監視したり、ひどい場合は無理やり口に入れて顎をつかんで噛ませたりと、まるで苦行のようでした。
当時、私はクラスメートからいじめられておりバイキン扱いされていたため、私が給食当番でよそったものを受け取ってもらえなかったり、私にだけ給食が配ってもらえなかったりも……。