「完食指導」「三角食べ」で給食がトラウマに。発達障害の私が思う「食事」の意味
そんなわけで、学校給食のことを思い返すと、いつもちょっと苦しくなります。
大人になって知った食事の楽しさ
今の私は、食事を存分に楽しんでいます。特に、うちでは夫が食事当番なので、夫が愛情込めてつくってくれる食事を、会話を楽しみながらゆっくり食べるのが何より幸せです。
食事とは、「行儀のよい、なんでもよく食べる立派な大人になる」ためのものではなく、そこに込められた愛や世界の美しさによって本人の心と身体を養い、人生を楽しませるためのものだと、今は思っています。
子どもが偏食が激しくて、白いものしか食べられないとか、特定のお菓子やチョコレートバーしか食べないとかだったりすると、保護者の方は本当に心配でしょうし、「甘やかしているのではないか」などといった周囲からの指摘にも苦しんでいるかもしれません。
でも、偏食はあるとき突然治ったり、年齢を重ねるごとにだんだん治っていくケースが多いとも聞きます。チョコレートバーだけでちゃんと大人になるまで成長したという偏食の子の例も知っています。身体の栄養が心配ならば、今は良い栄養剤やサプリ、栄養バランスに工夫をしたお菓子などの代替手段もありますし、心の栄養であれば、一緒に楽しくおしゃべりしながらテーブルを共にする時間があればそれで十分なのではないかと思います。
学校の先生や近所の人も含め、世の中にはいろいろな考えの人がいますが、わが子はかけがえのないわが子です。他人の意見に左右されたとて、残念ながらその誰かが結果に責任を負ってくれるわけでも、保護者さん以上にその子を思ってくれるわけでもありません。今ある環境の中で、保護者さんの思うベストを尽くしていければそれだけで素晴らしいことだと思います。
文/宇樹義子
(監修・鈴木先生より)
食育は教育の一環として日本では扱われています。給食の楽しさを追求するならアメリカのランチのように外で自由に何でも食べられる工夫も必要です。教室ではなく廊下にシートを敷いてみんなでワイワイと食べるのが楽しい食事なのかもしれません。
ただ、自閉スペクトラム症のお子さんは一人が好きな場合も多くみられ、そういう場合、孤立してしまう傾向があります。その時には担任を囲んで食べるという工夫もあります。
お弁当なら自分の好きなものを持ってきて食べることができます。親御さんは大変ですが食事を自由に選べる配慮も必要です。