子どもと離れて、語らう時間が保護者の拠り所に。江東区・脱孤育ての取り組みとは?
って来てくれる利用者さんも多いんですよ。
――メンバーのみなさんは、どのようなつながりでチームに参加されることになったのですか?
元校長のつながり、PTA役員をしていた人の紹介など、志を持つ人同士の地域のつながりがベースです。心理カウンセラーの方もいるし、本当に多彩なメンバーです。ひとつ課題をあげるとすれば、メンバーの高齢化かな(笑)。IT関係はみなさんちょっと苦手なので、SNSの発信などは私が一人で担当しています。
PTA活動から始まった脱・孤育ての取り組み
――江東もっくが掲げる「脱・孤育て」というフレーズにも大変共感します!
私が子育て中、PTA活動をしていたときから、「脱・孤育て」という言葉を使っていたんです。PTA活動って、忙しい保護者には敬遠されがちな面もあるかと思いますが、学年をまたいだ交流ができるから、本当にいろいろな情報交換ができるんです。子育ての悩みや経験談なども話せて、私自身もPTAで孤独な子育てを抜け出せた一人です。
これをもっと広げていきたいな、というのが江東もっくの思いです。
――そもそも本田さんがPTA活動に取り組もうと思われたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
子どもが1年生のときに「もしかして発達障害かな?」と、気になる様子が見えるようになったんですね。私はせっかちなのですぐに病院に行ったところ、診断が出ました。理由がわかれば、あとは対策をするだけ。学校生活が送りやすいようにと先生に相談をしたのですが、当時はまだ合理的配慮という言葉も知られていないし、先生の理解も得られなかったんです。子どもも学校に行けなくなってしまって。
――まだインクルーシブ教育という概念もない頃ですね。
そうなんです。
でも、子どもがまた学校に通うには、学校全体で理解を深めてもらう必要がある、と痛感して。学校にいろいろお願いするなら、自分もできることをしなきゃいけない。それに親である私が、学校のことを何も知らないのではダメだな、とも考えました。それまでPTAへの興味はまったくなかったのですが、180度転換!PTA会長まで務めることになりました。
――学校と話を進めるなかで、最も大変だったのはどんなことですか?
人それぞれに考え方が違うことですね。わが子の障害を認めたくない、という保護者の方もいる。「障害=できない子」ではなくて、親や学校がちょっと動いてあげれば楽になる、生きやすくなることがたくさんあります。