子育て情報『所属グループからハブ、取り合い、無自覚に人を怒らせて…生きづらかったあの頃をやり直したい。ASD私の高校時代』

所属グループからハブ、取り合い、無自覚に人を怒らせて…生きづらかったあの頃をやり直したい。ASD私の高校時代

私には当時自覚はなかったものの聴覚過敏があったので、頭にガンガン響いて不快で耐えられず、「何が面白いのかわかんない。うるさいんだけど。ちょっと静かにしてくれる?」と繰り返し言い放っていました。

私にとっては事実を言っただけでしたが、こうした言い方が一般的には悪意のある攻撃ととられることがほとんどであることを、当時の私は知りませんでした。

大学に進んである留学プログラムに参加したとき、本当にたまたまなのですが、上記のグループのサブボスだった子が別の学部から参加していました。そしてなんと彼女は、2週間の共同生活中ずっと、ほかの彼女のゼミ仲間(当然、私と彼女の間のことには無関係)を巻き込んで執拗な嫌がらせをしてきたのです。

私にとってはまったく意味がわからず、理不尽きわまりないこと。お決まりの理詰めの大喧嘩で応酬したのですが、あまりの動揺と怒りに動悸がしてゼイゼイ息切れがしてきて、私の味方をしてくれたメンバーに背中をさすってもらったりしたのを覚えています。


30歳を過ぎてASD(自閉スペクトラム症)の診断を受け、高校時代の自分の言動の何が間違っていたのかを知って理解しました。あの嫌がらせは、私が彼女にした「嫌がらせ」への「仕返し」だったのだと……。


振り返って反省ばかり

今の知識経験、自分や他者への理解度を持った状態で、高校時代をやり直したいと思うことがあります。

当時の私にとっては、世界も他者もみんな敵で、世の中というのは自分の居場所のない冷たい場所でした。でも、30歳を過ぎてASD(自閉スペクトラム症)の診断を受け、ASD(自閉スペクトラム症)や定型発達について必死に学びつつ、トラウマ治療も受けてきた今になっては、当時の私の考え方はあまりに極端だったと思います。

クラスメートにはたくさん嫌な思いをさせてしまったと思うし、自分も不必要な傷を負いました。でも、時代も時代だったし、仕方なかったかな。そう思うと少し気が楽ではありますが、ある意味、余計に悲しかったりします。


今は友人に恵まれている

今は、数は少ないものの、深く理解しあい、互いに高めあえる友人に恵まれています。やはりこの実現に最も大きく寄与したのはASD(自閉スペクトラム症)の診断で、次につらい環境からの脱出とトラウマ治療です。

さらにここ1年ほどは言語学や発達心理学を学んだことで、定型発達の人のコミュニケーションのしかたについても深く網羅的に学ぶことができ、定型発達の人たちとも広く浅く、楽しくつきあえる場面も増えてきました。

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