努力してもムダ? 日本の子どもたちが“夢を持てない”ワケと改善策
とくに生命工学・遺伝子工学等の領域の研究が進んでいる今の日本では、「才能のない普通の子どもがいくら努力をしたところで無駄骨に終わってしまうぞ」といったような“親心”が、大人たちに「現実を見ろ」と言わせてしまっているようにも見えなくはないのです。
でも、いくら親心からといってもまだ10代の少年・少女たちの純粋な“希望の芽 ”を摘んでしまったら、この国の未来は暗澹たるものになってしまわないでしょうか。
体の小さかった筆者が中学校に入学してラグビー部の入部届を出したとき担任の先生は「鈴木君はお父様がラグビーの選手だったのですか?もしそうでないとしたら、その小さな体でラグビー部というのはいささか無理があるのではないかと思いますよ」と言いました。
これはある意味で「鈴木君はラグビーに秀でたDNAを持っていないのだから、ラグビー選手として一流になりたいみたいな夢は持たない方が無難ですよ」と言われたようなものですね。
もちろん筆者の血筋にラグビー選手などは一人もいません。ただ、あの楕円形のボールを使った激しい格闘技をどうしてもやってみたかっただけです。
筆者はその気持ちだけで担任の先生の反対を押し切り、中3で目の病気を患うまではいつの日か国立競技場でプレーすることを夢見て左センターのポジションを死守していました。
その選択と結果に、筆者はいささかの後悔の念も持っておりません。
少年や少女の夢は、叶えばいいというものではないのです。叶わなくたって、それに向かって生き生きと過ごしていた日常があるという事実そのものに、計り知れないほどの価値があるのです。
●パパとママが立ち向かうべき本当の相手は、世襲格差社会が生む“諦め感”
労働経済学者で京都大学名誉教授の橘木俊詔(たちばなき・としあき)先生は、京都大学時代の弟子でもある経済学博士の参鍋篤司(さんなべ・あつし)先生との共著『世襲格差社会~機会は不平等なのか』(中公新書、2016年)を出版しています。
その本の中で、今のわが国の経済社会全体に漂う重苦しい“不平等感”“機会の不均等感”の根底には、経済成長の終焉とともに進行した“職業間における人々の流動の停滞 ”と“世襲化を伴う格差社会 ”があると分析しています。この本を読んだとき筆者は、今「自分が価値のある人間とは思えない」「将来に夢だとか希望だとかは無い」と感じてしまっている中学生・高校生のお子さんをお持ちのパパとママにはぜひ、この“「世襲格差社会」