横尾忠則「幼児の頃から絵を描いていて、今87歳なんだけど、それでもまだ到達点が見えない」
――今回の作品は、コロナ禍にアトリエで描かれたものだと伺いました。どういうきっかけで“寒山拾得”を描くことに?
あのね、江戸時代の日本の画家のほとんどが、寒山拾得を描いてたんですよ。というか、描かない人がいないくらいポピュラーな題材だった。中国からの影響が大きい時代だったんでしょう。ところが明治時代になってからは、一切誰も描かなくなったんです。
――え、その理由は…?
知らない(笑)。おそらく明治になると西洋近代主義が導入されて、そうすると中国的な土壌や文化が絵のテーマにならなくなったんじゃないですかね。
――その間、“寒山拾得”は忘れ去られたテーマだったんですね。
そう。その、“誰もやっていないことをやる”に、僕は興味があるわけ。非常に“大谷的”じゃない(笑)。会ったこともない未知のものに興味を持って、挑んでいく。それってアートへの姿勢だけではなく、生き方そのものにも通じるところがあると思うんですよ。
――寒山と拾得という2人の僧自体にも興味がありましたか?
この2人についてのちゃんとした伝記や書物はゼロに近いくらい何もなくて、“唐の時代の禅僧”ということくらいしか情報はないんですが、その奇行ぶりから“風狂の僧”と言われていて。