北斎の晩年に迫る!今秋、あべのハルカス美術館で「北斎-富士を超えて-」が開催
美人画、浮絵、黄表紙や洒落本などを発表して、一流絵師になろうと努力を重ねますが、春章の没後、俵屋宗理と改名し、勝川派を離脱。その後は、狩野派、琳派などの流派にはとどまらず、中国画や銅板、油彩、西洋画を積極的に取り入れていきました。
《雪中張飛図》 天保14年(1843)頃 氏家浮世絵コレクション
その後、肉筆画にも力を入れるようになり、70歳になってからは、「富嶽三十六景」や「諸国滝廻り」に代表される風景版画シリーズを発表。そして、75歳で、画狂老人(がきょうろうじん)と改名。以降、90歳で没すまで、肉筆画、絵画、手絵本を中心に画業を展開しました。
●北斎の波の集大成!「濤図」
《上町祭屋台天井絵「濤図」》 弘化2年(1845) 小布施町上町自治会
小布施北斎館から小布施の祭屋台の天井絵として描かれた「濤図」も展示されます。小布施の豪商・高井鴻山の招きで、娘・応為と共に小布施に旅行し、小布施の祭屋台の天井絵として一対の「濤図」を描きました。この時、北斎は実に86歳。
《鳳凰図天井絵彩色下絵》 弘化3年(1846)頃 小布施町・岩松院
北斎は「富嶽三十六景」