「ヒップホップかなんてどうでもいい」。突如として現れた、日本社会に“バグ”を起こすラッパー三人組
だと体感した。また没に限っては、生まれ持った感性により無意識的に「ずれ」を生じさせている部分が大きいようだ。
荘子it:あまり意識的にそういった態度を明確化し過ぎると、それがまたある種の類型に収まってしまうので、どちらかというと、ナンセンスなずれやギャグを志向した表現のほうがDos Monosとしては多いです。
具体的/直接的な言葉より、活動全体を通して可能性を否定しようとする人の「思考の凝り」を否定する姿勢を示していこうとする彼ら。同調圧力がはびこる世の中や、結果の予想できるありふれた展開、没個性的なものに対する批判を暗示する歌詞も少なくない。インタビュー中に荘子itが発した「自分にとってのDos Monosは音楽を使った一つのギャグ、あるいはささやかな反抗」という言葉が言い表わしているように、それには言葉遊びから主張が込められたものまであるようだ。
社会に“違和”を生じさせる若者たち
ヒップホップの文脈に限らず、「既存の型」にはまることを重視していると、そこから多様な物事のあり方は生まれていかないだろう。そんなところに、彼らのいう“バグ”として、新たなものが存在しうる余地を意図せずとも作り出そうとしているのがDos Monosだ。