「自分たちと逆の立場の人物を描いた」。憎しみの歴史をどう乗り越えるかという普遍的な問いを投げかける映画『判決、ふたつの希望』
ドゥエイリ監督:この物語を書き始めた当初は、自分の過去と向き合い直す必要がありました。私は左翼的で武闘派の家族のなかで育ちました。1975年当時のレバノンではキリスト教徒たちがマジョリティで、右翼的でした。要は左翼的な両親にとってはキリスト教徒たちが最大の敵。従兄弟3人は闘いのなかでキリスト教徒に殺されました。内戦が始まったとき私は12歳。人間性が形成される時期です。だから教会に行ってものを壊したり、盗みを犯したりしました。
近所の人が敵側のスパイかと思い密告をしたこともあります。戦争とはそういうものでした。
それとは対照的に、極右の両親によって育てられたトゥーマ氏はパレスチナ人を「敵」だと教わって育った。しかし、興味深いのは、ドゥエイリ監督とトゥーマ氏は、自身と似た立場の登場人物ではなく、「自分たちと逆の立場の人物を描くことにした」そうだ。つまり、ドゥエイリ監督はトニーや、トニーを弁護する右翼的な弁護士を描き、トゥーマ氏はパレスチナ難民であるヤーセル、そして彼を弁護する左翼的なレバノン人の人権派弁護士を描いた。
ジアド・ドゥエイリ氏
この映画の脚本は、書き手が現実の世界で憎悪の対象である、本来敵である人の立場に立って書かれた。