2023年3月16日 07:45
【インタビュー】斎藤工、“見られたくない部分”をさらけ出す「原作者や監督の覚悟が伝われば」
いまやっている連ドラもそうなのですが、作品に入っているときって主観だけでは決してないんですよね。連ドラは数字や納期に追われてしまっているから、自分が1ピースとして何を必要とされているかを明確にしないと間に合わない。つまり俯瞰の意識が強く働いているわけです。
でも『零落』はそうした染み付いてしまった方法論が全く通用しないというか、持ち込んではいけない現場でした。垂れ流してしまわないといけないしんどさといいますか…。ただ、僕自身が「見られたくない・見せたくない部分を表現者が表現したとき、その作品に近づける」という観客としての実体験があるので、ある種の赤裸々さや、覚悟すら持っちゃいけない垂れ流し感が必要だとは理解していました。どこか『トゥルーマン・ショー』的でもありましたね。
だから正直、心の底からみんなに観てほしいかというとそうじゃない側面もあるんです。
でも、そこにいかなければきっと『零落』じゃない。
――非常によくわかります。先ほどお話しされていた『フェイブルマンズ』でも、多幸感にあふれた映画ながら作り手の業(ごう)も克明に描かれていました。
その部分が見えない作品って世の中にあふれているかと思いますが、観ている瞬間は楽しくて娯楽として成立しているけど、自分の中に残るか残らないかといったらやっぱり残らないんですよね。