2014年11月18日 00:00
あの日あの時あのコンピュータ (8) そのグラフィックと日本語BASICに、僕らは憧れた - トミー「ぴゅう太」
ぴゅう太のマーケティングメッセージは、「パソコンをここまで身近にしたのは『ぴゅう太』だ。」でした。1982年末のパソコン雑誌に掲載していた広告では、16ビットグラフィック機能をアピールします。女の子がぴゅう太を使い、「いちばん好きな人をコンピュータで絵にしました。」と、ジェームス・ディーン似の人物を描いた"テレビ"を映します。ぴゅう太のグラフィックは、いわゆるドロータイプではなく、独特なプログラミングを必要としましたが、当時としては16色の綺麗な描画が可能でした。
日本語G-BASICの採用は、子供をターゲットにしている玩具メーカー「トミー」ならではの画期的なチャレンジ。例えば、BASICのGOTO文は「ニイケ」(~に行け)で、具体的には「40 ニイケ」のように記述します。IF文と組み合わせた場合、「モシ A=0 ナラバ 100 ニイケ」のような書き方です。慣れれば決して難しくはないのですが、プログラムリストの理解には、ちょっとしたコツが必要でした。
さて、筆者とぴゅう太の出会いは、1982年末、新宿のデパートでした。発売されたばかりのPC-9801を触りに秋葉原や新宿に通ったものですが、立ち寄ったデパートの玩具コーナーにゲーム機として鎮座していた、ぴゅう太に出会いました。