2015年8月20日 10:30
航空会社のつくりかた (1) 6人の男たちがライト兄弟の精神を受け継いで起業
編集部から「スターフライヤー創業のエピソードを"履歴書"風に書けないか」との相談をいただき、どれだけ正確に思い出せるかやや自信がないものの何らかの参考になればと思い、これに取り組むことにした。
関係者等には一部実名でご登場いただくが、全て当時の立場・肩書き等を使用していることをご了解いただきたいと思う(現職を調べて記載するのはとても無理だ)。またスターフライヤーおよび、この創業期をともにさせていただき特段お世話になった方々、すなわち、堀高明代表取締役社長(スターフライヤー)、片山憲一氏(北九州市局長、現在は北九州エアターミナル代表取締役社長)、松井龍哉代表取締役社長(フラワー・ロボティクス)にも事前にご相談し、連載開始についてご快諾をいただいたことにも厚くお礼申し上げる。
○新聞すっぱ抜きから始まった北九州での生活
2003年12月、堀氏とともに新しい航空会社設立に動いていた筆者のもとに、堀氏から一本の電話があった。「明日の朝刊1面で西日本新聞がスターフライヤー設立を記事にするので、明日の午後に記者会見する。すぐ北九州に来てくれ」。慌てて翌朝、福岡に飛んだ。
小倉駅で待っていてくれた北九州市役所の方に連れられ、のちに本社が入る新小倉ビルにある経済記者クラブに滑り込んだ時には既に会見は始まっていた。