2021年8月18日 11:30
すゑひろがりず、もがいた10年「やっと芽が出た」 試行錯誤を繰り返した狂言風漫才
と言ってくれて。その数カ月後に劇場のオーディションでそのネタをやった時にドーン! とウケたので、「これやな」と2人で話しました。
三島:組んで1年くらい、30歳くらいの時です。30歳は僕の中で大きかった。今でこそオッサン芸人が売れていますが、その当時は30歳では「もう遅いぞ」という空気がありました。でもだんだん時代が35歳でも若手となってきたので、まだ粘れるなという感じも出てきたんです。
――たしかに2010年代前半当時は、ピースや平成ノブシコブシなど、若手のスタイリッシュな感じがウケていたイメージがあります。
三島:あの頃は、やってもまったくウケなくて、マジできつかったです。
――狂言風スタイルは、どうやって見つけたのでしょう?
南條:クリスマスの時期だったんです。「今日のライブどうする?」という話になり、「狂言風にしたらどう?」みたいな思い付きだったと思います。
三島:試してみようとなった時に、ものまねの狂言師みたいな声が出たんです。僕は今も鮮明に覚えています。喫茶店の中で。そこでめっちゃ笑って、やってみたらお客さんにも伝わった。初めて手応えを感じました。
●転機の連続…東京進出、漫才スタイル確立、そしてM-1へ
――1年目でネタを見つけた後、そこからも長いわけですよね。