2021年8月18日 11:30
すゑひろがりず、もがいた10年「やっと芽が出た」 試行錯誤を繰り返した狂言風漫才
南條:俗に僕らはイロモンという感じのもので、劇場に毎日立って漫才してお客さんを喜ばせているというよりは、余興とか飛び道具的な呼ばれ方が多いんです。深夜番組の1分ネタなど、そういう呼ばれ方が多かった。東京ではその幅が広がりそうだなと。それが2014年の5月くらいですね。
――ただ、ちょうどその頃、『M-1』がない時期でした。お二人がブレイクするきっかけは2019年大会ですので、5年後ということに。
南條:そうですね。『M-1』は当時1回終わっていて、『THE MANZAI』の時代で。
でも、『THE MANZAI』にもエントリーしていました。
――東京生活はどう始まりましたか?
南條:東京は最初、調子良かったんですよ(笑)。最初は狂言風や伝統芸能風のインパクトを気に入って喜んでもらえて、ちょっと変わったネタというくくりでちょこちょことテレビに呼んでもらっていて、最初の1~2年は東京出てきてよかったという状態が続きました。でも、大阪時代と同じで、それが一周すると「こいつらこの感じね」となる。あれだけ呼ばれていたのに、2016、17年はテレビの仕事はほぼない状態になり、これはやり方を変えないとダメだなと思いました。