2021年8月18日 11:30
すゑひろがりず、もがいた10年「やっと芽が出た」 試行錯誤を繰り返した狂言風漫才
三島:劇場で出番をもらえるようになっていくのですが、このままいくとしんどいなってなるんです。あんまり劇場のお客さんは入れ替わりがないので、「またこれか!」みたいになるんだろうなと。
南條:狂言風○○でやっていくと、全部同じに見えるんですよね(笑)。当時はコントでやっていたのですが、飽きられてきて。劇場でのランクが上がったり下がったりして、このままだと頭打ちやなと。それが狂言風を始めて2年目、大阪時代の話です。
――どう現状を打破したのですか?
南條:その時に出ていた劇場は、芸歴8年目以上は出られず、卒業になったんです。それなら、このタイミングで東京へ行くかと三島が言い出して。
確かにそうだろうと思い、東京に行く決意をしたという流れです。それが今思うといいきっかけになりました。――居場所がなくなったという理由もあるかと思いますが、東京を選択した理由はほかにあるのでしょうか?
三島:テレビのオーディションが多いだろうという理由だけですね。大阪時代も始めたての頃に、ちょこちょこと深夜の関西ローカルのオーディションに受かる感じにはなっていたんです。けっこう奇抜だったので。これやったら東京のほうがずっといいだろうなと。