奥田瑛二、「監督の“OK”は何点?」の答え “命がけ”で歩んできた俳優人生
と思っていたら『洗骨』の話が来たんです。ゴリちゃんからね(ガレッジセールのゴリ。監督名義は照屋年之)。調べたらショートフィルムなんかを撮っていて、「よし、一発、彼にかけてみよう」と決めました。
――こちらもステキな作品でした。
このときのプロデューサーのひとりだった小西啓介さんが、『かくしごと』のエグゼクティブプロデューサーのひとりなんですよ。
――そうなんですね! 本作は登場シーンから、奥田さんと分からないほどでした。
俳優はね、いつも傲慢不遜でなきゃダメなんです。
教えてもらうことが大嫌いなんですよ。だから『千利休』のときも自分から茶道を習いに行った。「やってくれ」だとダメ。今回も脚本を読んで、どう演じたらいいだろうかということを自分で立体的に考えていくわけです。スタートラインの真っ白なところに自分をポンと置く。そこから、まず「この男は学校の先生だったのか」と。そして今は認知症であると。僕は(妻の)安藤(和津)さんのお母さんが認知症になったときに、一緒に面倒を見させていただきました。
でも、また別に一度足を踏み入れる必要があるだろうと思って、施設を2カ所ほど紹介してもらって訪ねました。