奥田瑛二、「監督の“OK”は何点?」の答え “命がけ”で歩んできた俳優人生
――(笑)
「ああ、すみません」と噛みながら、わざとNGを出す。それくらい根性なかったらダメですよ。とにかく監督のOKは100点。99点だとか、40点の赤点だとか、そういうのはないんです。
――少し逸れますが、奥田さんは有言実行、不言実行どちらのタイプですか?
めちゃくちゃ言葉に出します。有言実行。人はちゃんと思って考えなきゃダメだし、それを僕は口に出します。子どもの頃から。
父親には「お前は口ばっかりでダメだ」と言われましたけど、「今に見ておけ」と思ってました。
――それくらいの気持ちがないといけませんね。
“気持ち”じゃないの。もっとすごいもの。今だと死語になっちゃうけど、ど根性の決意。そういう決意をもって「故郷を捨てます!」と言ったのが高校3年生の時。捨てるってことは命がけです。そうじゃなかったら、いまここに座っていません。
■奥田瑛二
1950年3月18日生まれ、愛知県出身。1976年に俳優デビュー。79年『もっとしなやかに もっとしたたかに』で認められる。初の単独主演作となった熊井啓監督の『海と毒薬』(86)で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。『千利休 本覚坊遺文』(89)