奥様はコマガール (49) 父母の思い出話と僕らの思い出作り
話を戻して、父母についてである。
新婚当初、父は一時的に東京の建設会社で働いており、ごくごく短期間ではあるが、母と2人で千葉の船橋や東京大田区の雪谷といった街に、六畳一間のアパートを借りて暮らしていたという。
そのころはまだ僕や姉も生まれておらず、だから20代半ば同士の男女による実に初々しい同棲生活みたいなものだったと想像できる。
父母曰く、当時は給料が安いうえ、貯金もろくになく、経済的にはギリギリの生活だったという。
だから家財道具は鍋と茶碗ぐらいしかなく、毎日のように2人で野菜中心の鍋をつついていたとか。
鍋は安価のわりに栄養価が高く、準備や片付けも簡単だからだ。
その後、父はその建設会社を退職し、母の了承を得て、生まれ故郷である大阪に引っ越すことになった。
そしてほどなくして、1歳上の姉と僕、そして6歳下の妹が生まれたため、僕ら子供たちは父と母の東京暮らし時代をまったく知らない。
僕の記憶の中にある父母の歴史のアルバムには、今も昔も東京に住む若い男女のカップルのページはなく、大阪の実家で祖父母とともに暮らす大家族の光景ばかりが映っている。
一昨年、僕と妻のチーが結婚すると決まって以降、父と母はどういうわけか自分たちの新婚時代、すなわち東京での六畳一間暮らしのころの思い出話をよく語ってくれるようになった。