【エンタメCOBS】知っていますか? 大学受験のシステムの変遷
と「二期校」というグループに分けられていました。一期校に属する大学の試験に落ちても、二期校に属する大学で受かればいいわけで、国立大学に合格するチャンスが二度あったのです。
一期校の試験が3月上旬に行われ、その合格発表後に二期校の試験が実施されるというシステムでした(公立大学は独自日程で3月に入学試験を実施)。ちなみに初年度は、前述のとおり新・国立大学ができたのが5月でしたので、一期校の試験が6月上旬、二期校の試験が6月中旬というドタバタでした。
この「一期校、二期校システム」は1949年(昭和24年)から1978年(昭和53年)まで、30年間続きました。
■一期校、二期校システムの反省! 難問・奇問!?
30年間続いた「一期校、二期校システム」ですが、これについてはいろんな批判が起こりました。「一期校、二期校の分け方がよくない」「二期校に志願していた受験生の入学辞退者が多い」などの意見です。ちなみに「東京大学」「京都大学」「大阪大学」「一橋大学」などは一期校でした。
また、試験問題にも問題があったようです。
文部省の資料によれば「各大学が独自に入試を行っていたこともあって、学力検査において、高等学校教育の程度や範囲を超えたいわゆる難問・奇問の出題が少なくなかった」