ランウェイと私のリズム
服は社会と全裸の境界だ。まとっている時点でつねにすでに、自分のあり方を否が応でも示す。「食事に興味ないから」と食べている納豆ご飯だってその人の感性/人生観と状況を反映しているみたいに、ノンポリだって1つのポリシーだ。多くの人は全裸で生きないし、全裸で生きていてもそれはそれで何かを示している。ただ自由にあるだけのつもりでも、社会から遊離できない。
着る。布という平面を人という曲面がまとう。そのために、リズミカルに凹凸が作られる。
たとえばISSEY MIYAKEのプリーツ。
『PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE プリーツが奏でる、秋のリズム』 SPURのキャプチャ
服の側が体に合わせる。人は自分に合うリズムを得たとき、躍動する。ランウェイ形式ではなく、パフォーマンス主体の当該ブランドのショーは、 服をまとうことの喜びを軽やかに示す。
裏を返せば、人は自分を表せるもの(自分に似合う/合うと思えるもの)がないとき、しばしば周りや社会に対するあり方が固着してしまう。そして、素朴な適応や反社会性を示してしまう。
たとえば、アパレル店員に、「俺はスーツが似合うよう筋トレを始めたんだ。