という会話を、アパレル企業の重役が新入社員にしているのを見たことがあるが、それは自らのアナクロさを逆説的に開陳しているにすぎない。保守性への固執が、却って前景化している。
フォンタナの「空間概念 期待」という作品(作品群)がある。とても大きな赤の地に裂け目が入っている。この作品を不意に美術館で観た。全く知らない作品だったが、なんて美しいんだと思った。これこそがコンテンポラリーだと思った(モダンではなく)。
私は、身も蓋もないということこそが、現代的であるということだと思う。
200m走を見て「自転車に乗ればいいのに」と思うことこそ現代的であり、実際に自転車を持ってきてトラックを駆け抜けてみてしまってもいいというのが現代という場だ。クラシック音楽のステージに卓球台を持ってきて演奏中に卓球していいのが現代音楽であるように。
フォンタナのこの作品は、アートフォームの中の「こういうもんだ」を切り裂いている。そして、その裂け目が「期待」なんだと思った。だからそこには、現代的でありながら、シニシズムを越えるポジティブさがある。明るい。絵画の多くは、平面の紙の上で図と地とが繰り広げられる。けど当該作品は、紙という平面の向こうに図がある(という期待がある)。