なんとなく腕や脚を出すのを自然に感じるという人もいれば、社会へのカウンターとしてそうしている人もいるし、自分のなかのファッションの美学としてそうしている人もいる。
というかなんなら、ひとりの人間のなかでさえその気分は毎日入れ替わる。私自身、「なんで今年の夏は肌出したいの?」と聞かれたら、「暑い日にラクそうだから」と答える日もあるし、「ゼロ年代のギャルになりたいから」とか答える日もあるだろう。
キャミソールでも、ハーフパンツでもミニドレスでも、あるいは民族衣装とか着ぐるみとかであっても、全員ができるだけ肩肘を張らずに着られる社会であってほしい。だから、身近な人がもしいつもと違う雰囲気のファッションをしてきても、言葉はかけないままで「似合うね」って思っていたい。
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