小野リサ 母となってからは大きな声で子供たちを叱ることも
(リサさん)
敏郎さんは、ブラジルのギター奏者のバーデン・パウエルのマネジメントもしていて、リサさんは週末のたびに彼の自宅を父と共に訪ねるなど、豊かな音楽環境のなかに自然に身を置いていた。小学校は、地元の公立校へ。
「ブラジルの学校では、人種なんて誰も気にしません。私も日系人だと意識したことはなくて、みんな、ブラジル人(笑)。買い物はポルトガル語、両親とは日本語で会話していましたね」(リサさん)
やがて、日本へ帰国するときが訪れる。リサさんは10歳だった。
「子供心に不安はありました。日本では、本当にみんな着物姿で刀を持って歩いているのかな、って(笑)」(リサさん)
親しい人たちとの別れはつらかったが、小遣いで買った10枚のブラジル音楽のレコードを胸に抱いて、生まれ故郷のブラジルから地球の裏側にあるという両親の母国である日本を目指した。
「森君。静かに聴かせるボサノヴァじゃ、店はもうからない。陽気なサンバでお客さんをガンガン踊らせて、ビールをどんどん飲んでもらうんだよ!」
ドリーミュージック・プロデューサーの森光夫さん(70)は、リサさんを知る前に、その父親の敏郎さんと出会っていた。