小野リサ 母となってからは大きな声で子供たちを叱ることも
「場所柄、静かな曲をと言われて、ボサノヴァをジャズ風にして『イパネマの娘』や『黒いオルフェ』を演奏しました」(リサさん)
すると徐々に客たちが会話を止め、リサさんのささやきかけるような歌声に聴き入っていくのがステージからもわかった。「これだ!」。のちに日本中に大ブームを巻き起こす自身の音楽スタイルとの出合いだった。
こうなると日本のレコード会社が放っておくはずもなかったが、デビューは簡単ではなかった。
「日本でポルトガル語では売りにくい。当然、レコード会社は日本語で歌わせようとする。しかし、彼女はポルトガル語でボサノヴァを歌うことにこだわった。3〜4年はデビューのチャンスを棒に振ったはずです。
その頑固さというか、自分の音楽に対する信念の強さは、父親譲りと言えるでしょう」(森さん)
’89年6月、全曲ポルトガル語のファーストアルバム『カトピリ』が出ると、「日本人初のボサノヴァシンガー」として注目され、すぐにビール会社はじめ7社ものCMで彼女の楽曲が使われ、「小野リサ現象」と評された。
’91年、’92年と連続してアルバムが日本ゴールドディスク大賞ジャズ部門賞を受賞し、名実ともにボサノヴァの女王となる。