2018年12月14日 16:00
万博とカジノで共倒れ…荻原博子が危惧する「大阪の将来」
11月24日、’25年の国際博覧会(万博)の開催地が、大阪に決まりました。博覧会には大小さまざまなものがありますが、博覧会国際事務局の承認を得て「万博」と名乗れるものは、’70年の大阪万博以来、実に55年ぶりです。
いっぽうで大阪は、開催地である夢洲(ゆめしま)で、’23年にカジノを含む統合型リゾート(IR)の開業を目指しています。夢洲の活性化を、IRに託しているように思えます。ですがIRは、世界的には不況産業です。アメリカ・アトランティックシティなどでは閉鎖が相次ぎ、マカオやシンガポールでは閑古鳥が鳴いていると聞きます。IRを作ればもうかるという図式はもう古いのです。
大阪は万博とIRの共倒れになる、そんな恐れを抱いているのは私1人ではないはずです。
確かに、’70年の大阪万博は、国民の2人に1人が足を運んだといわれるほど、大盛況でした。経済効果も約3兆円。初任給が4万円の時代ですから、今の価値に直すと、15兆円にものぼる桁違いの大成功イベントでした。
’25年万博の開催を言い出したといわれる堺屋太一さんら推進派には、’70年の成功した記憶が残っているのでしょう。